2012/05/28

急な雷雨のあとは一転、虹のかかりぬ

1205282abけふは昼過ぎ、西から真黒き雲のにはかに広がりて、一瞬のうちに激しき雷雨となる。

稲光と雷鳴まじりて、視界遮るほどの土砂降りぞ。

されど変転も急にして、やがて雨の小止みとなれば、ひんがしの空に虹のかかりたり。

虹の両端がおぼろなるは、鬼の食ひたるに因るてふは、よく聞く話なり。

不思議なるは、虹の真下に居る者の、真上にかかれる虹を見たるてふ話を、いまだ聞きしことあらざるは、何故ならむ。

そも、虹までの距離は測れるものなりや否や。

余は昔、子どものころに、太陽を背にして霧吹きで霧を散らし、ちさき虹を作り出して興じたることありき。

虹はたしかに目に見ゆるに、いづこの位置にあるやも知らず、手にて触るること能はず。

こは、虹が実態にあらずして、現象なることに帰するかと。

虹が現象なれば、虹までの距離の測定は幻にして、虹の真下なる位置も存在せず。

同じやうに、夕焼けもまた現象にして、夕焼けまでの距離も測定すること能はずして、夕焼けの真下とおぼしき地帯の人からは夕焼けは見えぬものならむ。

ならば竜巻は実体なりや、現象なりや。

竜巻までの距離も位置も測定可能にて、それ自体の中に凶暴なるエネルギーの有すれば、こは実体にしてかつ現象ならむとこそ。

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2012/05/21

東京にて173年ぶりなる金環日食を見たり

120521a昨夜の天気予報では、東京なんど太平洋沿岸は、朝からなべて曇りとのことなりき。気象情報のお姉さんの、申し訳なささうに伝へたるは。

されど、天気予報も当たらぬこと、ままありて、けふ朝になれば、いでいで、ところどころに薄雲かかりたれども、雲の切れ目から日の輝きたるは、夢かとぞ。

余は部屋に居ながら、雑誌付録の遮光プレートかざして、太陽を見やりたり。

部分日食のやうやうに進行したりて、つひに午前7時32分ごろ、見事なるオレンジ色のリング完成し、世紀の金環日食となれる。

金環食の持続は、はつかに5分ほどなれど、見ること能ひたるは、いみじき幸運のきわみにて、嬉しきことなのめならず。

ケータイの前に遮光プレート付けて、ダメモトで写真撮れば、不鮮明なれどいちおうリングの形して写りたりけり。

「世紀の」てふ言葉、ちかごろは何事につけ安易に用いらるるも、こと金環食に関する限り、掛け値なしの言葉とこそ。

前回、東京にて金環食の見られたるは、天保10年(1839年)のことにて、以来173年ぶりなり。

さらに、今回のやうに東京、名古屋、大阪を含む広き地域にて金環食の見られたるは、平安時代後期の承暦4年(1080年)以来、932年ぶりとぞ。

次に東京にて金環食の見らるは、300年後の2312年4月8日なるらし。

されど、300年後の当日、晴るるてふ保証のあらうかは。

あらためて、けふの天気予報はずれたること、いかで幸せならざらむや。

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2012/05/14

モーツァルト『魔笛』を初めて観て、病みつきに

120514a余は中学のころより、クラシックファンの端くれを自認するも、いかなるにや、これまで50年以上も、モーツァルトの歌劇を観しこと一度もなかりけり。

序曲や名高きアリアなんどは、時折、耳にすることはあれど、全曲を通して観ること、いまだに食はず嫌ひにて、敬遠し続けたるは。

もとより、手元にはモーツァルトの三大オペラ全曲はじめ、『後宮よりの逃走』なんどの全曲公演をTVより録画したるDVDあるも、宝の持ち腐れとなりて観る機会ぞなかりける。

6年ほど前のこと、これらのDVDの中から、まずは『コシ・ファン・トゥッテ』を観てみむと、意を決して臨みたることあり。

あなや冒頭から、真っ赤なミニスカートの女たちと、背広にネクタイ姿の男たちによる、アメリカンミュージカルのやうな現代風読み替え演出に、余の期待は深き失望に転じ、観るのを止めたりけり。

これに痛う懲りたる余は、ほかのモーツァルトのオペラも、同様の読み替え演出をしたるにや、と疑心暗鬼になり、もはや観ることもなく、さらに歳月なむ過ぎゆける。

今回は、たまたまYouTubeにて、Pa-Pa-Pa-Pa-Paと題する奇妙なる歌の映像ありて、観てみるにいみじう面白く、何てふ曲やらむと見れば、『魔笛』の中の『パパパの二重唱』とぞ。

されば、余は手元に保存せる『魔笛』全曲のDVDぞ、初めて観てみたり。

いでいで、余はこれほど素晴らしきモーツァルトを初めて知りぬ。さらに、古今東西を通して、かほど面白きオペラはほかにあらじ、と驚嘆するにいたれり。

かくて、余はこのところ手元に3種類ある『魔笛』全曲のDVDなむ連日再生して、ひたぶるに魔笛の虜になれる。

どれも、奇怪なる読み替え演出はなく、余のやうな全き初心者は安心して楽しむること、なによりなり。

全曲を通して観るに、『パパパの二重唱』こそ、まさにクライマックスなりて、この場面は鳥肌の立つほどの感銘を覚ゆれ。

昨日、さらに2種類の『魔笛』全曲DVDを贖ひて来たり。

このオペラは、モーツァルト自身の指揮によりて初演されたるは1791年のことなりて、それから220年も経ちぬるとや。

余は、このオペラを知らぬまま一生を終ふることなく、遅まきながらもやうやう『魔笛』にめぐり会いたること、望外の喜びなるぞかし。

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2012/05/05

立夏に果物の女王マンゴスチンを食らふ

1205051a余はこのところ、いと珍しうて値段の安きもの見れば、躊躇することなく贖ひ来たる。

けふは立夏の五月晴れの下、すずろにありきながら、ふだんは立ち寄ること少なきスーパーの店内を通りぬけむとす。

ふと目に留まれるは、見たることなき果実なむ、あまた箱に積まれてありける。

マンゴスチンとあり、余がこれまで食らひたることのなきものなり。

5個にて280円と手ごろの価格なれば、5個贖ふ。

今月1日の殻付きウニと同様に、実の取り出し方知らねば、いかにして食らふや、ネットにて調ぶる。

1205052aYouTubeに、ナイフ用いることなく容易に実を取り出す映像ありて、そを参考に我も真似てみたり。

両手にて、マンゴスチンの上と下から軽く押しつぶすやうにすれば、厚き皮なむ弾け割かれて、中より白き実の現るる。

皮は手でするすると剥け、フォークにて実を食らふ。

いでや、そのいみじう美味なること、比類なし。

酸味はほのかにして、甘み強く、ジューシーにして香りもさやかなり。

クセもなく、上品な食感は、げにフルーツの女王の名につきづきしとこそ。

ネットによれば、マンゴスチンは世界の三大果実の一つとぞ。(あとの二つはマンゴーとチェリモヤとかや)

フルーツの王様はドリアンなるらしきに、ドリアンは特有の臭さの故にや、王様にして世界の三大果実に漏れたるも、げにと覚へてをかし。

ちなみに、日本にマンゴスチンの輸入の解禁されたるは2003年のことなりて、国内での栽培に向けた模索あれど、いまだに成功の例あらずとや。

輸入もののネット販売もあれど、1個400円、5個1500円なんど、おそろしう高価なり。

けふのスーパー、明日も安価にてマンゴスチン売りたれば、立ち寄りてゲットせばや、と意を強くしたり。

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2012/05/01

殻付きのウニ贖ひて、食らふまでの棘との格闘

120501a近くのスーパーの鮮魚コーナーにて、珍しきもの売りたるを見る。

いでや、こは針ネズミならむと覚ゆるほど、無数の鋭き棘に覆はれたるもの、1パックに2個なむ入りたる。

刺身用ウニ、千葉産とあり、まことにや、これにて300円なるは。

寿司屋にてウニの握り食らへば、1カン600円もせむこと脳裏に浮かぶ。

かくなるうへは、贖はでおられふものかは。

余はあとさきのことも考へず、喜び勇みて家に持ち来たり。

パック開けて、まず驚愕せるは、殻のいと固きこと、棘のいみじう鋭く尖りて、容易に掴むことだに能はぬことなるぞ。

慌ててネットにて、殻付きウニの食らひ方、調ぶれば、あなや、こは一筋縄にては行かぬものなるらし。

YouTubeなんどには、殻の開け方の動画もあり、それらに習ひて、調理バサミ、ピンセット、スプーン等、調へて、やおら開きにかかる。

棘の刺さらぬやう、ゴム手袋すべしとネットにあれど、あやにく無ければ、厚手の鍋掴みにて代用す。

殻の口を外し、殻を真っ二つに割りぬれば、ウニの黄色き実ぞ、姿を覗ける。

あまたの黒きワタ、丁寧にピンセットにて取り除き、実の部分なむ取り出し、塩水にて洗ふ。こは必ず塩水使ふべしとぞ。

1205012aかくして、2個の殻より得たる実の量は、小皿にほんの少量のみなり。

余の殻の割り方、悪しかりけむ、実ははらはらと崩れて形を成さず。

これに醤油をたらして食らふ。

一口、二口、その美味なること、何にか喩ふべき。

殻開けて実の取り出せるに40分を要し、食らひたるは20秒にて終はれり。

デパ地下なんどで売りたる生ウニの高価なること、価格の大半は殻開けて実を壊さずに取り出すための、手間賃なること、やうやう納得す。

それにしても、ウニの棘の硬さ、鋭さになむ、生存競争を懸命に生くる厳しさの、垣間見たる思ひする。

綺麗な薔薇には棘ありて、美味なるウニにも棘ぞある。

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2012/04/27

23年かけ完成、クラシック演奏映像コレクション

1204272余は1989年(平成元年)ころから、すずろにテレビのクラシック演奏番組を録画したりて、聴きたき時に、ゆるりと楽しむやうになりけり。

はじめのころはVHSビデオに、途中よりはDVDにぞ録画したる。

VHSビデオはラベルにテキストデータ書き、DVDは演奏やステージのシーンをキャプチャーして文字データとともにジャケット作成したりけり。

やうやう数の増しゆきて、いづちのテープ、ディスクにいかなる曲の保存したるや、全体を把握することの難くなりゆけば、余はなべて番号シールを貼り付け、エクセルに作曲家、曲名、演奏者、指揮者なんど書き込みゆくことにしたり。

かくして、特に意識したるにはあらねど、クラシック演奏映像のコレクションとデータベース、時を経るにつれて着着と整備拡充されつるは。

120427いつ果てぬとも知れぬ録画と整理作業なれど、さてもあらねば、とりあへず、これまで録りためたる分にて、いちおう完成とみなし、現時点でエクセルのデータベースなむプリントしてみたる。

収録したる曲の数、延べにして2660曲。このうちVHSテープは366本、DVDが247枚なり。

この一覧見れば、余の嗜好の一目瞭然なりて、我ながら驚けること少なからず。

同じ曲にして、異なる演奏者によるもの、あまたありて、演奏種類の10以上ある曲なむ、書き出せば次のごとくなりぬる。

14種類 ベートーベン 交響曲第7番

13種類 ストラビンスキー 舞踏音楽「火の鳥」

13種類 ワーグナー ニュルンベルクのマイスタージンガー前奏曲

12種類 ベルリオーズ 幻想交響曲

12種類 ベートーベン 交響曲第3番「英雄」

12種類 ベートーベン 交響曲第5番「運命」

11種類 ドビュッシー 牧神の午後への前奏曲

11種類 チャイコフスキー バイオリン協奏曲

11種類 グリンカ 歌劇「ルスランとリュドミラ」序曲

10種類 ストラビンスキー 舞踏音楽「春の祭典」

10種類 ストラビンスキー 舞踏音楽「ペトルーシュカ」

10種類 シューベルト 交響曲第7番「未完成」

10種類 ラヴェル ボレロ

全体を通して曲数の最も多き作曲家は、ベートーベンとモーツァルトなりて、それぞれ延べ240曲にぞ上れる。

ついでシューベルトとチャイコフスキーの、それぞれ142曲ずつなり。

名高き作曲家にして少なきは、マーラーの延べ5曲、ブルックナーの延べ9曲なんどで、こは余の好き嫌いの反映にこそ。

収録したしと思い続けたる曲の、この23年間に一度も放送されず、もしくは録画の機会逸したるかで、コレクションに欠けたるは、グローフェの組曲「大峡谷(グランド・キャニオン)」と、ドリーブのバレエ音楽「コッペリア」の二つなり。

どちらも、余が中学生のころに、ラジオよりよく流れたる記憶あるに、いかでテレビの演目に乗らざるや。

今後この2曲、放映されて収録されなば、余のクラシック・コレクション、心底より完成と云うこと能ふるものを。

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2012/04/18

続・藤の花房みるみる伸びたりて

120418a前回記したる藤の鉢植、ベランダに出し置きつれば、はつか5日のうちに花房のいみじう伸びたりけるは。

試みに、畳のうへに移してみれば、いでいで、花房の畳に易く届きて余裕さへあるぞかし。

されば一首なむ戯れて詠める。

 鉢植の 藤の花房 伸びにければ 畳に届きて なほ余りあり

さらに、まじまじと見れば、一房のみと思ひたる木に、別の新たなる花房の成長して、咲き始めたり。

ひたぶるに、めでたしと覚へて、うれしき心地ぞする。

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2012/04/13

子規が「藤の花房みじかければ」に込めたる意味

1204132aa高校の時に習ひたる近代短歌の中で、余がひたぶるにいみじと思ひたりけるは、子規が藤の花を詠みたる歌なるは。

 瓶にさす 藤の花房みじかければ 畳のうへにとどかざりけり

国語の教師曰く、この歌は、「畳のうへにとどかざりけり」と詠むことにより、畳のうへにあと少しで届くほどに藤の花房の長きことを描写したる、と。

「みじかければ」と詠みつつも、瓶から撓りて垂れ下がりたる長き花房を想起させしむとは、いかなる非凡の歌詠みなるや、と余は少年ながらに感心したるものなり。

この歌について、けふ村田邦夫著の近代短歌要解てふ古き解説書見るに、まったき異なる角度からの視点ぞ綴られたる。

子規は、重症の肺病にて、仰向けに伏したる位置より、机上の藤の花を見上げおれり。

「畳のうへ」とは、子規の頭の位置にして、子規自身の位置にほかならずと。

「とどかざりけり」は、活けられたばかりの藤の花の若さに対する、子規からの遠さを示したりて、そのへただりなむ、一種の焦燥感を子規に感じさせたるらむ、と。

著者はこの歌を、子規の「忠実簡潔なる描写のなかに人生の真実相を直視せむとする態度」の具象化されたりける、と評す。

かかる視点より読めば、単なる写生を超へる壮絶なる歌にほかならず、とこそ覚ゆれ。

たまたま街ありけば、花屋の店頭に鉢植並ぶ中、藤の鉢植、一鉢のみあり。

花房は一房なるも、600円と手ごろなれば、贖ひてきたり。

 瓶ならぬ 一房の藤 子規偲ぶ

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2012/04/07

アカデミー賞『アーティスト』の物言はぬ迫力

120407アカデミー賞の作品賞・監督賞など5部門を受賞せる『アーティスト』を観てきたり。

モノクロの映画は多少の馴染みあるものの、サイレントとなるとチャプリンの初期ものやフリッツ・ラングの『メトロポリス』くらひしか記憶にあらず。

CGや3Dなんど映画制作における技術革新のめざましき現代に、モノクロにしてサイレントの映画なむ、いかなるものならむと、いささかの不安を抱きつつ映画館を訪れる。

映画は、サイレントからトーキーへの移行期のハリウッドを舞台に、サイレント時代の名優と、トーキー時代に羽ばたきゆく新進女優の物語なり。

台詞なくして最小限の字幕のみなれど、ストーリー展開分かりやすく、つきづきしく効果的なる音楽に導かれて、いつしかサイレントなること忘るる展開は、ひたぶるにいみじかりけり。

キャストの素晴らしさはさらなり、なかんづく犬の名演技は特筆すべし。

色彩も台詞もこそげ落とし、俳優たちの動きや仕草、表情、目つきのみにて、圧倒的なる迫力に満ちたる映像作品創り上げたるは、現代の奇跡ならむとこそ。

この映画観たる後に思ふは、現代社会は台詞の過剰・氾濫ならずや、てふことなり。

文学も映画も、マスメディアも政治も、不必要なほどあまたの台詞乱用したりて、そに自己満足したるきらひはなきや。

トークのみにて笑い取らむとするタレント、多弁にして内容薄き評論家やコメンテーターの多きこと、笑止千万の思ひなり。

多弁なること必ずしも多くを伝ふる能はず。寡黙なれどより深きもの伝ふることもあり。

そう云へば、アカデミー賞を競ひたる『ヒューゴの不思議な発明』も、台詞は少なめなりて、映像に語らせること少なからず。

『アーティスト』と『ヒューゴ』は、対照的なる作りなるも、ともに映画草創期の原点を描かむとすること共通なるぞかし。

二つを見比べて、いづちに軍配を上ぐるか、甲乙付け難きところなり。

どちらも観るべし、としか云ひやうのなき出来栄へなるは。

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2012/04/06

東京の桜、けふ満開となりぬ

東京の桜はけふ満開

東京の桜はけふ、平年より3日遅く満開になりたるとぞ。

好天に誘はれ、新宿御苑をすずろにありく。

平日とは云へ、金曜日なればあまたの人人で賑はひたり。

苑内の売店にて、だんご購はむとするに、みな売れ尽くしたりて、あるは1本のみとや。

最後の1本をゲットし、花の下にて食らへば、残り物にあるてふ福の味ぞする。

花よりだんごにはあらず、花もだんごも、ともに愛でるこそ好ましけれ。

ひさびさに、ここよりモブログを試むとす。

BANYUU

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2012/03/31

テレビ2台とも受信出来ず、EVホールの灯りも消ゆ

120331aけふ夕さり方、宅配便の配達員訪れ、受け取らむとするに、EVホールの電球点かずして、ちさき非常灯のみ灯れり。

配達員の尋ぬるやう、「どの階のEVホールも電球灯らずは、なにぞの起こりたるや」と。

試みに、電球取替へてみるも、それも点かざれば、電球の問題にあらずして、回線のトラブルかとぞ覚ゆる。

こころもとなく灯ちたる非常灯も、やがて細るやうに消へゆきぬ。

EVホール、完全なる暗闇となりて、防犯上ゆゆしければ、管理会社に電話して復旧作業を依頼す。

さるほどに、夜7時のニュース見むと、テレビ点けたれば、画面には「信号の受信すること能はず」てふエラーメッセージのみぞ映れる。

別のテレビ点けてみるも、同じきメッセージの表示されて、どのチャンネルも受信出来ず。

去年3.11の大揺れにも、テレビの受信されざること一寸だになきに、こはいかなれば受信不能となりたるや。

せむかたなしに、ニュースをワンセグにて見つつ、再度、管理会社に電話して、テレビの受信も不可なること伝ふ。

けふは東京にても20メートル超す強風の吹き荒れたれば、そのせいにて建物内の配線の寸断されたるにや、と考へめぐらす。

ややあって不具合の修理したると見へて、いつの間にか、テレビ映りはじめてEVホールの電球も点きたり。

テレビの受信機正常なるに電波の受信されず映ること能はざるは、初めての経験なるぞかし。

大きなる揺れなんどの折に、テレビ映らざればいかに不便なりやと、思ひ知らさるること頻りなり。

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2012/03/26

金星、三日月、木星が一直線に並びたり

1203262aa1203261aa今宵、西の空に、金星、三日月、木星の順に、縦に一直線に並ぶ光景の出現したりて、いみじう見ものなりけるは。

金星と木星の間に、細き月の割り入りたるは、げに幻想的にして、なにやら不思議の徴の如し。

この姿、今宵限りのものにて、明日の宵には、三日月の形やや太くなり、三者の並び順、三日月、金星、木星となるべし。

すべてのものは、少しずつ動きゆきて、定まるところなし。

天に於いてしかり。いはむや地上に於いてをや。


N饗アワー、昨夜の放送をもちて、32年間続きたりける長寿番組の幕を降ろせり。

新宿三越の三越アルコットと名を変へて営業したるが、今月限りにて82年の歴史、閉じるとぞ。

始まりのあるもの、いつか必ず終はること、この世の必定ならむとこそ。

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2012/03/20

春分の日、季節外れの生柿は甘露なるかな

120320a余は、これぞと好み入りたる食べ物を、飽きもせで、これでもかこれでもかと、食らひ続くる癖のありける。

去年の秋から、余がはまりたるものは生カキなり。

カキはカキなれど、生牡蠣にてはあらず、生柿の方なるぞ。

きっかけは、めったに柿を求むることなき余が、スーパーにてたまたま富有柿購ひて食らひたれば、そのシャキシャキした食感の甘くてジューシーなること、ひたぶるに病みつきになりたり。

スーパーにて1個80円程度にて売られたるを、毎日半分ずつ食らふが日課となる。

真乗院の盛親僧都の、いもがしらを好みて大きなる鉢にうずたかく盛りて、食ひながら文をも読みけるも、かくやと覚ゆる。

秋過ぎて厳冬の期間も、富有柿なむ常に店頭に並べられたれば、なほも連日、食らひ続くる。

さすがに、2月の後半よりスーパーの柿、しだひに数少なく高価になりゆきて、1個300円ほどになる。余は購い続くる。

3月となりて、いづくのスーパーからも、生柿の姿消ゆれば、余はデパ地下なむ探して回りたる。

あるところにはあるものにて、新宿タカシマヤにて、富有柿3個入り1000円にてあるを、からうじて求めたるが今月10日ごろのことなり。

やがてそれも姿消して、生柿はもはやこれまで、と思ひきや、ネットを調べまくれば、いまだ生の富有柿、販売し続くるは。

5キロほど入りたる1箱単位にて、送料やクール代含め、約3100円はこの時期、高きや安きや分からぬも、とまれ購ひてみる。

送られて来たるは、1個ずつビニールパックに包装されたる生柿にて、26個もあるぞかし。

とく冷蔵庫に収納するも、中は柿だらけになりて、こは鮮度保てるうちに食らひきれるにや。

連日2個ずつ食らひゆけば、腐らすることなく、食らひ尽くせるにやと、精力的に柿を食らふ毎日なるぞかし。

 柿食へば 甘露甘露の 春彼岸

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2012/03/15

今宵の西空に、金星と木星の最接近を見ゆ

120315s_2北風吹きすさぶ宵の西空に、ひときは明らけき2つの星、並びて輝けり。

光度マイナス4.3等の金星と、マイナス2.1等の木星にて、けふの夜午後7時38分、最接近とぞ。

2つの星の見かけ上の角度なむ、3度16分なる。

天体ショーとしてのヤマ場は、26日から27日にて、この2つの星に細き三日月の加はりて、宵の西空に妙なる光景を現出するらむ。

この後、金星はさらに光度増しゆきて、4月30日にマイナス4.5等と最大光度となり、目の良き向きには昼間にても肉眼にて見ゆるほどになるらし。

いま夜の帷下りてから見ゆる惑星、さらに二つあり。

南の空、しし座に赤みをおびて輝けるは火星なるぞかし。今月6日に地球に再接近したりて、いまの光度はマイナス1.2等とぞ。

そのやや離れて東より、おとめ座には光度0.4等になりたる土星の見ゆるは。

金星と木星、火星、土星を同じき一夜の夜空に見やれば、ふと物狂おしう怪しき心地ぞする。

我らがこれらの惑星を見やるにはあらず。

余はひしひしと感じたり。これらの惑星たちの、我らをしかと見つめたるを。

見守りたるや見張りたるやは知らずも、地球は確かに見られたりける。

地球に起きていることの一部始終、我らの一挙手一投足は、地球から見ゆるすべての惑星から見られたること、ゆめゆめ忘るべからずとこそ。

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2012/03/11

3.11の記憶、壊れしままのガラスの天使

120311sa去年のあの日、東京にても震度5強の揺れに、余の部屋と云ふ部屋、棚の上、棚の中の物ども、いみじう落下しまくりて、食器やグラス類、あまた割れ毀ちたりき。

それらの落下物や破損物、いつしかやうやう片付きゆきて、いまは大震災の記憶残すもの、家の中にはほとど無くなりけり。

からうじて当時の記憶留めたるは、リビングの飾り棚なるガラス細工の天使なり。

背に丸き光の輪と羽根ありて、両手にてろうそく持ちたる姿なりき。

こは、ムラーノ製のベネチアングラスとぞ。

かの日の大揺れで、飾り棚のガラス細工たち、落下するもの倒れたるものさまざまにて、天使なむ、最もすさまじう破壊されたる。

後日、接着剤にて応急の修復せむとするも、あまりに粉々にうち砕かれたれば、もはや原型だに分からず、なすすべのあらうかは。

かくて、ガラスの天使ぞ、1年前と同じ破壊されたる格好にて、飾り棚に残しつる。

3.11の記憶留むる証人として、このままの姿に置きたるこそ、天使につきづきしとこそ。

毀ちたる天使は、ガラス細工よりも脆き現代文明に、無言の警鐘鳴らし続くるにや。

見るかげもなき天使の姿なむ、東京を震度7の直下地震襲ひたる時の、我らの姿なるやも知れぬ。

こは近未来への黙示録ならずや。

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