2022/04/16
2021/11/26
パソコンが突然死、全データ消失
10日ほど前のことなり。パソコンの調子、あやしくなりて頻繁にフリーズしたれば、その都度再起動なむせる。
贖ひてより8年以上経ちたるに、ちかぢかデータのバックアップせねばと思へど、とりあへず数日は様子見むとす。
あなや。翌朝、パソコンの電源入れるも、もはやWindousの立ち上がること能はず。
自己診断や自己修復なんどの画面を頼りに、回復を試みたれど、最終的に表示されるメッセージは「ハードディスクに機械的なトラブルの可能性あり」とぞ。
メーカーのサポートセンターの、長時間待ちてやうやう繋がりたるに、経年の機種なれば修理は困難ならむ、との返答なり。
バックアップの隙もなく、突然死したるパソコンに保存せる膨大なデータぞ、一瞬にして全て消失したる。
失せたるデータは、みなみな取り返し不能の重要なものばかりなり。
インストールしたるさまざまなアプリやソフト。数百枚に及ぶ家族や知人らとの写真の数々。Youtubeからダウンロードしたる無数の動画。
ExcelやWordで作成したる文書や表の数々。この中には余の医療関係のデータや終活関連も多々あり。
さらに年賀状の住所録。メールのアドレス帳。これまで送受信したる幾多のメール。
ネットショップやニュースサイトなど数十のネットサービスのIDやパスワードをメモしておきたる文書。
余のホームページの全データも跡形なく消え去りぬ。
云ふなれば余はデジタル財産の全てを一夜にして失ひて、一文無しにて路上に放り出されたるにおなじ。
これ、カエサルの放ちたる火によりてアレクサンドリアの図書館なむ炎上し、貴重なる数万巻の書物の焼失したるに匹敵せむや。
データの救出サービスもあるやうなれど、復元の難易度によりて数万円から20万円の費用かかるてふ。
ネットもメールも出来ぬ状況から一刻も早く抜け出すには、新たなるパソコンを調達するほかなし、と余は量販店にて、展示品なれど初期化済みてふ安価なる機種を贖いぬ。
されど、こはいかに。初期設定後、まずはネツトへの接続を試みるも正しき設定のはずが幾度繰り返すも繋がらず。プロバイダーのサポートに尋ねたれば、こはハードの故障ならむ、との診断なり。
まだ1日も経たぬうちに故障とは、なんたるぞ。
量販店に持ち込みて調べたところ、ネットワークのシステムの欠落せること判明したれば、店の側から返品を申し出たり。
かくして余は、展示品より数万円高価なる新品のパソコンを贖い直し、ネットに繋がりてゼロからのスタートに就きたるところなり。
何のデータもなきに、まずはブログのIDとパスワードをやうやう再設定し、このブログ綴れる。
教訓1、データのバックアップはパソコンの調子の良き時こそ、こまめに行ふべし。
教訓2、展示品はいくら安かろうとも、けして贖ふべからず。
2021/06/06
2021/04/09
2021/02/08
2020/12/26
2020/10/16
2020/08/03
2020/06/12
60年目の6.15と樺美智子さん
60年安保の時、日本は戦後15年なりけるを、今年ははや戦後75年。遥けくも60年の歳月の流れたる。
されど、我らは決して忘るまじ。6.15と樺美智子さんを。
この日に起きたることと樺さんの死こそ、真の意味での戦後日本の出発点たることを。
写真右は、6.15当日の樺さん。午前中、ゼミに出席せる後、スカートからズボンに履き替へたりて、デモに加はり国会に向かふ。この写真ぞ生前に確認されたる最後の姿となりぬる。「エコノミスト」別冊「安保にゆれた日本の記録」に、婦人雑誌「マドモアゼル」提供とて掲載されたる。
写真左は、国会構内での惨劇の直後、女子学生に左腕を抱えられて横たはる樺さん。この時すでに息絶へたるとぞ。麥書房刊「ゆるせない日からの記録」より。
樺さんの葬儀の模様。アサヒグラフ緊急増刊「安保の嵐・一ヵ月」より。
翌16日付の朝日新聞特別号外。
下はこの号外の裏面の写真特集。
【このブログの、過去なる樺さん関連記事】
45年目の6.15、樺美智子さんの2枚の写真(2005年6月15日)
とっておき号外に見るあの時(7)-樺美智子さんの死(2006年3月6日)
60年安保の6・15から半世紀、樺美智子さん忘るまじ(2010年6月12日)
6.15と樺美智子さん 1960年-2014年(2014年6月15日)
2020/05/24
ふと思ふリリー・マルレーン
いかなるにや、ふとリリー・マルレーンの旋律、頭に浮かびたりて、繰り返し流れ続けるは。
第二次世界大戦の欧州。ドイツ軍と連合軍の熾烈を極める戦闘のさ中、毎夜9時57分にベオグラード放送から流れる歌に、双方の前線兵士たちが聴き入り、この歌の放送時刻には戦闘を停止して聴き入ることもありけりてふ。
戦時下にラジオから流れたるは、ララ・アンデルセンの歌ひたる。
その後、マレーネ・ディートリヒの持ち歌とて、あまねく知られたる。
歌詞を余なりに文語調に意訳すれば、かくの如し。
兵舎の前の街灯が
二人の逢瀬を照らす刻
ほのかな燈火の懐かしさ
あの街灯をもう一度
いとしのリリー・マルレーン
二人の影が重なりて
一つの影に鎔ける刻
誰に見られて困りょうか
あの街灯をもう一度
いとしのリリー・マルレーン
帰営ラッパが鳴り響き
二人の別れの辛き刻
離れずもがな君のそば
あの街灯をもう一度
いとしのリリー・マルレーン
ともしびのみがすべて知る
我が通へぬその場所で
君が毎晩待つことを
あの街灯をもう一度
いとしのリリー・マルレーン
静寂の中に浮かぶ夢
君の唇熱き胸
夜霧が包むうたかたに
あの街灯をもう一度
いとしのリリー・マルレーン
2020/05/11
2020/04/26
行春
三高寮歌「行春哀歌」
(前言葉)
われらがはなやかに美はしかりし青春の饗宴は、
かくもしづかに、またかくもあわただしげに尽きなむとす。
友よ、さらに新しき盃をもとめながら、われらともに
うすれゆく日のかげにこの哀歌を聲ひくゝ誦せむ。
静かに来たれなつかしき 友ようれひの手をとらん
くもりてひかる
われらが影をうかべたる
見よ音もなくしたゝりて にほへるしづくつきむとす
げにもえわかぬ春愁の もつれてとけぬなやみかな
君が無言のほゝゑみも 見はてぬ夢のなごりなれ
かくも静かに去りゆくか ふたつなき日のこのいのち
歌える暇もひそびそと うするゝかげのさみしさや
あゝ青春は今かゆく 暮るゝにはやき若き日の
うたげの庭の花むしろ 足音もなき「時」の舞
友よわれらが
【注】メロディーは与謝野鉄幹の「人を戀ふる歌」(妻をめとらば才たけて‥‥)と同じなり。
2020/01/08
2020/01/01
つつしみて2020年の新春を寿ぎ奉る
あらたまの年立ちぬれば、めでたきこと、なのめならず。
ここにかしこみて、新年を寿ぎ奉る。
けふはさやかに晴れ渡りて、まこと新春の気に満ち満ちたる心地す。
21世紀も5分の1が経過し、光陰の速さにたじろぎひれ伏すのみ。
新しき2020年、われらが遭遇せむとするは、いかなる世界ぞ。
首都直下地震、南海トラフ巨大地震、富士山噴火、いずれも時間の問題なるに、今年はいかにや。
温暖化による猛烈台風や豪雨禍は、今年も襲来せむとや。
ただひたすらに、世の平穏安泰にして、ひともわれもみな無病息災に、一日一日をつつがなく過ぐさるることを、願ふのみなり。
2019/11/12
わが家から富士を望む
今朝は雲一つなき秋晴れにて、余の家より望む富士は、さやかに冴へわたりて絶景なり。
かくも鮮明なる富士を見るは、この季節のはつかに数回のみなるぞ。
なまよみの 甲斐の国 うち寄する 駿河の国と こちごちの 国のみ中ゆ 出で立てる 富士の高嶺は 天雲も い行きはばかり 飛ぶ鳥も 飛びも上らず 燃ゆる火を 雪もち消ち 降る雪を 火もち消ちつつ 言ひも得ず 名付けも知らず くすしくも います神かも せの海と 名付けてあるも その山の 堤める海ぞ 富士川と 人の渡るも その山の 水のたぎちぞ 日本の 大和の国の 鎮めとも います神かも 宝とも なれる山かも 駿河なる 富士の高嶺は 見れど飽かぬかも (万葉集より)
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