2009/07/04

朝顔市より一足早く鉢植えを買ふ

090704_2今年も朝顔市の季節となりぬ。

余のぶろぐを振り返りて見れば、二〇〇四年と二〇〇五年は入谷の朝顔市に行きて、鉢植えを何個か買ひて持ち帰りてきたり。

二〇〇七年は、朝顔市の期間中、余は旅行をしたりて入谷に行かれざりしかば、八月になりてから通販にて朝顔の鉢植えを入手しけり。

去年二〇〇八年は、さみっと警備の故に入谷の朝顔市の日程がいみじう後倒しに変更と相なり、鉢植えは百貨店やすーぱーの花売り場にて買ひけり。

ここにて抜けたるは二〇〇六年なるが、この年の朝顔は買いけりしか買わざりけりしかが余の記憶にあらず。ぶろぐでも何故か一切触れざりき。

さるほどに今年は入谷まで出かけ行きて、鉢植えを買ひし後に電車を乗り継ぎて持ちて帰る体力もなし。

数日来、近場にて鉢植えを手に入れられざるものか、物色を続けしところ、新宿西口のこんこーすに面せし花屋に売りたるがありしが、一鉢五千円もすなり。とても余の財布では手が出ざりき。

そのあと、すーぱーの花売り場に寄りしところ、一鉢九百八十円にて売りたるを見つけ、早速二鉢買ひにけり(写真)。

先日買ひし西瓜の鉢植えの隣に並べてみんとする。例年通りならば、これより十一月つごもりまで咲き続けていくべし。

たかが朝顔、されど朝顔。一年の後半は、朝顔とともにあり。

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2009/06/25

ブログ開設5周年、ではこれにて‥

Photoさて気がついてみれば、今日6月25日をもって僕のブログは開設5周年を迎えた。

ブログを立ち上げた2004年は、もはや遠い昔のことだ。(写真は、開設初日の僕のブログ記事)

開設当時は、まだブログも今ほどには普及しておらず、僕も毎日、見るものすべてがブログのネタになりそうな気がして、せっせと更新に励んだものだった。

それが、何年目ころからか、しだいに息切れしてきて、連日の更新を重荷と感じるようになり、いつしか更新は月に2~3本へとペースダウン。

最近では、月2~3本すら何を書いていいか分からない有様で、慢性的なネタ切れ状態が続いている。

この原因はいろいろ考えられるが、最も大きな要因は、1億総ブロガーとも言える普及によって、僕が書きたいと思うようなテーマは、時事ネタであれ、季節ネタであれ、どれもこれもすでにほかの多くのブログに書かれていることだ。

みんながすでに書いている話を、何をいまさら書くことがあろうか、と思ってしまうのだ。

ほかの人の書かないユニークな視点で書けば、みんなが書いているテーマであっても構わないではないか。

それはそうなのだが、そうした視点すらも、よくよく検索してみると、すでに誰かによって書かれていることがほとんどなのだ。

多くの人が書くようなテーマでなくても、僕個人の身の回りのことがらを身辺雑感として書くだけでもいいのでは、とも思う。

だが、そうしたことがらをブログに書いて公開するのは、なんのためか、と考えていくと分からなくなってしまう。

そんなこんなで、開設5周年を一区切りとして、ではこれにて‥‥としたいところだが、これにてどうするのか。

これにてピリオッドを打つのか、これにてひとまず小休止なのか、これにて次の新たな5年間に進むのか。

これにて‥どうしようかが、決まらない。

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2009/06/24

人間ドックの「成績表」を恐る恐る見る

090624人間ドックの検査結果が、「親展」の封筒に入れられて郵送されてきた。

検査結果には「成績表」と書かれていて、中学高校の「通知表」や小学校の「通信簿」を思い出す。

毎年のことながら、ドックの成績表を開いて見る瞬間は、ドキドキもので緊張する。

まずは「有難く拝見させていただきます」という感じで手を合わせてから、おそるおそるページを開いていく。

ふむふむ。ほうほう。なるほど。

やはりそうなのか。へえ、意外だなあ。おお、これは‥‥。

うーむ、これならば、ま、いっか。

これからの課題と問題点は、これとこれか。

しかし、なんだねえ、医食同源というが、何を食べるかということが、いかに重要かということなのだなあ。

人間とは、自分が食べてきたものの総体なのだ。

ということで、この「成績表」を手元において、また次のドックまでの1年を、やわやわと静謐に生きてゆくとするか。

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2009/06/13

ゴマ塩から塩分だけを除去する超簡単な方法

0906131余はこのところ、血圧を下ぐる食品を意識的に摂取するように努めてゐる。

椎茸、たまねぎ、黄緑野菜、帆立、等々なり。

中にても、胡麻は血圧を下ぐるのみにあらず、心臓にも良しといふなれば、日常的に胡麻を摂る方法をあれこれ試みたり。

手っ取り早きは、市販のゴマ塩を買ひきて、白飯に直接振りかけて食らふなり。

問題は、胡麻を多く摂ろうとして、ゴマ塩を多く振れかけば振りかくるほど、胡麻のみにあらず塩も多く摂ってしまふなり。

胡麻は血圧を下ぐるが、塩は血圧を上ぐ。この矛盾にいかに対処すべきならむや。

ゴマシオの中より、シオのみを除去する易き方法はなきものならむや。

さて余がハタとひらめきしが、余の家の台所に置きてある、すてんれす製のざるなり。

流しの上にて、ざるの中にゴマ塩を振りて入れ、ざるを揺すりてみる。

0906132おお、ざるの目より小さき塩粒がどんどん落ちていき、その一方にてはほとんどの胡麻はざるの目より大きなれば、落ちざりて残りたり。

かように、げにしんぷるなる方法によりて、余は市販のゴマ塩から8割以上の塩を除去することに成功しき。

白飯に振りかけて食らへば、大量の胡麻と、はつかに残りし塩とによりて、いみじう美味にして、健康的なること、この上なし。

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2009/06/02

我が家の居間でスイカを栽培する

090602鉢植えの植物といえば、僕はアサガオしか買ったことがないのだが、とあるスーパーに隣接する花屋の前に、スイカの鉢植えが1鉢だけ置いてあるのを見つけた。

しかも直径10センチほどの紅小玉スイカの実がついている。値段は、と見ると1300円と手ごろだ。

--水遣りはどうすればいいんですか。

「朝に1回やればいいです」

--このスイカは食べられますか。

「もちろん食べられます。もう少し大きくなりますので、その頃が食べごろです。あと2個くらい実をつけますよ」

というわけで、僕はスイカの鉢植えを買って、歩いて30分ほどの距離を慎重に運んで家に持ってきた。

室内の日の当たる場所に置いて、しげしげと見てみると、つぼみが10個ほどはあるようだ。

晴れた日にはベランダに出そうと思うが、せっかく大きくなっている実をカラスなどの野鳥たちに食べられはしないか、などと心配にもなる。

梅雨入りになったら、普段は室内に置いておいて、晴れ間を見てベランダに出すことにしよう。

カラスなどに食べられる前に、この実はしっかりと僕が食べたいものだ。

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2009/05/16

89年ぶり公開、久米民十郎『支那の踊り』の衝撃

支那の踊りこの絵の前に立った時、時空を超えて蘇った魔力のようなパワーによって、ぐいぐいと絵の中に引きずり込まれていく感覚に襲われた。

日本のモダニズムの先駆者といわれる洋画家、久米民十郎(1893年-1923年)の最高傑作で、長い間行方が分からなくなっていた『支那の踊り』である。

2年前に東京・文京区の永青文庫で、改修工事のため倉庫の整理をしていて、古い毛布に包まれたこの絵が見つかり、今年1月に大正絵画史の専門家に見てもらったところ、大正9年(1920年)に帝国ホテルで開かれた久米民十郎の個展に出品されて以降、存在が知られることのなかった『支那の踊り』に間違いないことが分かった、という。

この絵は、今年3月末から永青文庫で開かれている「近代絵画、セザンヌから梅原、安井まで」と題する企画展(6月21日まで)において、実に89年ぶりに公開されている。

久米民十郎は、ロンドン留学中に詩人イエイツやエズラ・パウンドと出合い、日本の能を紹介して彼らの創作に影響を与えたとされている。

『支那の踊り』は、実に不思議な雰囲気を漂わせながら、見る者の心を、感覚を、感性を衝撃的なまでに揺さぶり続ける。

絵に引き込まれているうちに僕は、ちょうど前回前々回のブログで書いた尾崎翠の『第七官界彷徨』を読んでいる時に感じたものと共通の感覚にとらわれた。

この絵は、尾崎翠の世界と同じワールドなのではないか。それはまさに、人間の第七官にひびく絵であり、尾崎翠が文学で目指したものを、久米民十郎は絵画で追求したのではなかろうか、という気がする。

久米も尾崎も、大正から昭和初期に続くほぼ同時代に、モダニズムの空気をたっぷりと吸いながら、当時の主流であった自然主義に背を向けて、シュールで幻想的な世界を創出していった。

久米民十郎はイギリスから一時帰国をしていた横浜で関東大震災に遭って、30歳の若さで夭折した。尾崎は、36歳の若さで長兄によって東京から鳥取に連れ戻され、その後は創作活動を断って75歳で死去した。

時代の先駆者でありながら、自然災害や家庭内の事情によって、創作活動の遮断を余儀なくされた2人の無念を思う。

永青文庫久米民十郎の『支那の踊り』が公開展示されている永青文庫は、JR目白駅からバスで6つめで降りて徒歩5分ほどのところにあり、ひっそりとした緑の中にタイムスリップしたかのように佇むレトロモダンな館だ。

今回の企画展の梅原龍三郎や安井曽太郎の絵も見ごたえがあるのだが、久米民十郎の『支那の踊り』1点だけを見るためにも、ぜひ足を運ぶことをお勧めしたい。

僕は、600円の入場券の代わりに、期間中は何度でも入館出来るパスパートを1000円で購入した。

まだ1カ月以上の期間があるので、散歩がてら何度か訪れてみようと思っている。

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2009/05/04

GW中も、尾崎翠の世界にどっぷりと

0905041今年のGWは、尾崎翠の世界にどっぷりと浸り、どこまで行っても果てのないような尾崎翠の宇宙を浮遊している。

前回の記事の後、僕はついに『定本 尾崎翠全集上下』(1998年、筑摩書房)をネットで購入した。

現在は絶版になっている全集だが、ネットの古書店で箱入りオビ付きの美本を見つけ、ようやく手にすることが出来た。(写真)

オビに書かれた中野翠さんの言葉は、「尾崎翠は取り憑く。心を奪う。魂を魅入らせる。それも晴朗な空のように」。

この素晴らしい装丁の全集を見るにつけ、尾崎翠が生きている時にこれが刊行出来ていたら、どんなにか彼女は嬉しかっただろうか、と思ってみたりする。

0905042さらに、前回の記事に記した後、僕は引き続きさらに尾崎翠の研究書を探し求め、以下の本を入手して(写真)集中的に読んでいる。

『尾崎翠の感覚世界』(加藤幸子 創樹社、1990年)

『尾崎翠』(群ようこ 文春文庫、1998年)

『鳩よ! 特集尾崎翠 モダン少女の宇宙と幻想』(マガジンハウス、1999年)

『尾崎翠論 尾崎翠の戦略としての「妹」について』(塚本靖代 現代文芸社、2006年) 

まだまだほかにも尾崎翠研究本は出ているようだが、昔の本ほど入手が難しくなっている。

尾崎翠研究は、このところ女性からの解析や問題提起が相次いでいて、それぞれ独自の視点からの丁寧な掘り下げは読み応えがある。

群ようこさんは巻末にこう書いている。

--私は「第七官界彷徨」を読んで、日本の小説はこの一作でいいとすら思ったこともある。

僕もそうだが、同じようなことを思った人たちは多いのだろうな、という気がする。

こうした解説本・研究本によって、尾崎翠ワールドの不思議な魅力の根源が、さつざまな角度から解明されてきてはいるが、研究が進めば進むほどに、解明が進めば進むほどに、尾崎翠とその文学世界はますます底知れぬほどの広がりと奥行きの深さを見せてきているように思う。

尾崎翠研究、とりわけ『第七官界彷徨』についての研究と解析は、これからもさまざまな人たちによって続けられていくのではないだろうか。

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2009/04/24

幻の作家・尾崎翠に取り憑かれて

0904241僕は近代の日本文学をほとんど読んだことがない。とりわけ、自然主義といわれる私小説のたぐいは、まるっきり苦手で、パラパラとページをめくっただけで、もうついていけないのだ。

そんな僕が、尾崎翠(おさきみどり)に取り憑かれてしまった。

きっかけは、まさに偶然である。半月ほど前、4月7日の日経新聞夕刊文化面に、『先駆的「幻の作家」 尾崎翠を再評価 東京のシンポでも賛辞相次ぐ』という大きな記事が載った。

尾崎翠は、1920年から1930年のつかの間、幻のように文壇に登場して消えて行き、1971年に他界した。

この作家の再評価が始まったのは1998年からで、2001年からは出身地の鳥取で毎年、「尾崎翠フォーラム」が開かれているというのだ。

記事を読んで、なんとなく僕の感覚に触れるところがあるような気がして、近年に刊行された文庫本を買ってきて読んでみた。

ちくま文庫の「尾崎翠集成」上下2巻と、ちくま日本文学の「尾崎翠」の3冊である。

0904242

代表作の『第七官界彷徨』は「だいななかんかいほうこう」と読み(注1)、まことに奇妙なタイトルで、「人間の第七官にひびくような詩をかいてやりましょう」と考える小野町子という主人公が、二人の兄、そして従兄とで、風変わりな世界を繰り広げていく。

この小説は、これまでのどの日本文学とも全く異なる響きを持っていて、読みながら僕はブッ飛びそうなくらいの不思議な感覚にとらわれた。

ほかの『歩行』『地下室アントンの一夜』『こほろぎ嬢』『アップルパイの午後』などもそうだが、尾崎翠ワールドには読む者をとりこにしてしまう魅力というか魔力があって、まさに尾崎翠の小説そのものが、人間の第七官にひびくのだという気がする。

読み進むにつれて、もっと尾崎翠について知りたいという思いは増していって、僕は『尾崎翠 第七官界彷徨の世界』(水田宗子)、『金子みすゞと尾崎翠』(寺田操)、『都市文学と少女たち 尾崎翠・金子みすゞ・林芙美子を歩く』(寺田操)などの研究書・考察書をネットで買い求め、また映画化された『尾崎翠を探して 第七官界彷徨』のビデオも入手した。

資料を読んで初めて知ったことだが、尾崎翠と宮沢賢治は同じ1896年の生まれであり、その7年後の1903年には金子みすゞが生まれ、その4年後の1907年には中原中也が生まれている。

これらの作家、詩人たちはお互いに面識はなかったかも知れないが、1920年から1930年という同じ時代の空気を呼吸しながら、それぞれの道を孤立無援で模索していたのだ。

日本が日中戦争に突き進む前の、かりそめの安らぎと明るさの時代に、先駆的・前衛的な境地に挑み続けた若き芸術家たちがいたということに、深い感銘を覚える。

<注1>『第七官界彷徨』の読みは、浜野佐知監督作品の映画版の中では一貫して「だいななかんかいほうこう」と発音されているが、この作品について触れたネットの記事の中には、わざわざ「だいしちかんかいほうこう」と振り仮名をつけているものもある。

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2009/04/10

何十年も分からなかったピアノの曲名が判明

僕が中学生の時、1年下のケイコさんという女生徒が、放課後に音楽室のピアノでよく弾いていた曲のメロディーが忘れられない。

あれは、何というタイトルの曲だったのだろうか。

その後、ラジオで何度かこの曲を耳にしたのだが、いつも曲名を聞き漏らしてしまい、僕はその後、何十年にも渡って、この曲名を捜し続けることになった。

小説や詩などは、おおよそのことが分かれば、誰の何と言う作品なのかは、ネットなどで調べることが出来る。

メロディーしか分からない場合には、検索してみようがない。

僕が何かの楽器を弾けたり、あるいは楽譜を書くことが出来れば、ネットに書き込むなどして、知っている人から教えてもらうことも可能かも知れない。

しかし、そうした才覚もないまま、僕にとってこの曲の名は、永遠に分からないのではないか、という気さえしてきた。

それが、ふっとしたはずみに、動画サイトをみていてたまたまクリックしたら、なんとまさに、あの曲だったのだ。

曲の名は、ドビュッシー作曲の「ゴリウォーグのケークウォーク」(Golliwogg's Cakewalk)。組曲「子どもの領分」の第6曲とある。

なあんだ、有名な曲じゃないか、という人も多いだろう。

しかし、古今東西、星の数ほどもあるピアノ曲の中から、さして音楽に精通しているわけでもない僕が、メロディーだけを頼りに曲名を探し出すことは、針の穴に駱駝を通すくらい難しいことなのである。

曲名が分かってみると、YouTubeにはたくさんの演奏がアップされていることも分かった。

その中の一つを、曲名判明を祝ってここに張り付けておきたい。

(僕は、ドビュッシーのピアノ曲というのは概して、水面に反射する光の揺れを運ぶ微風のように、淡くて、ほわーっとしていて、つかみどころのないものだと思っていただけに、このように陰影のはっきりした個性的な曲想がドビュッシーのものだったとは、驚きであった)

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2009/04/05

IE8にしたらブログのファビコンが表示される!

090405僕のこのブログには、ファビコンと呼ばれる小さなアイコンを設置して、アドレスやタイトルの左端に表示されるようにしているが、これまでNetscape7やFirefoxなどほとんどのブラウザでこのファビコンが表示されるのに、なぜかインターネット・エクスプローラではバージョン6でも7でも、ファビコンが表示されなかった。

IE6やIE7では、お気に入りの一覧の僕のブログのタイトル脇には、ちゃんとファビコンが表示されているのに、ブラウザの上方にあるアドレスバーでは僕のファビコンではなくIEのアイコンになってしまうのだ。

不思議なことに、僕の表のサイト「21世紀の歩き方大研究」のファビコンは、IE6でもIE7でも問題なくアドレスバーに表示出来ていた。

ココログの仕組みがIEと相性が悪くて表示されないのかとも思ったが、同じココログなのにIEのアドレスバーにファビコンを表示できている人もいるのだ。

いろいろとファビコンの設置方法を変えたり調整してみたりしたのだが、どうしてもIEではアドレスバーのところにファビコンを表示させることが出来ず、僕は半ばあきらめていた。

ところが、今日の新聞にインターネット・エクスプローラ8がリリースされていることが書かれていたので、僕も早速、インストールしてバージョンアップしてみた。

そして、おそるおそる、僕のこのブログをIE8で見てみると、やったあ! ファビコンがアドレス脇などのツールバーにきれいに表示されている(写真)。

いやあ、ほかの新機能はさておき、まずはブログのファビコンが表示されるようになっただけでも、IE8にバージョンアップした甲斐があったというものだ。

なお、ココログにファビコンを設置する方法は、このブログが参考になる。

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2009/04/03

春うららかに新宿御苑の桜

春うららかに新宿御苑の桜
寒の戻りが収まって、ようやく春本番のうららかな好天。

新宿御苑から、ひさびさにモブログをしてみる。

平日の昼下がりというのに、春の暖かさを待ちわびた人たちで、苑内は週末のような賑わいだ。

満開の桜もあるが、ほとんどのソメイヨシノはまだ7分咲きから8分咲きくらいだ。

あさっての日曜日が見ごろのピークと思われるが、あいにく曇りの予報だ。

BANYUU

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2009/03/29

スタバでコーヒーのお代わりが100円

090329スターバックスコーヒーは、どの店も室内は全席禁煙ということろが気に入って、最も良く行くコーヒーショップだ。

しかし、知らなかったなあ。どのスタバでも、100円でホットコーヒーのお代わりが出来るとは!

正確に言うと、ドリップコーヒーのホットに限り、1回だけ100円で最初のサイズと同じ量をお代わり出来るのだ。

僕は、スタバの紙コップがなんとなく安定感がなくてなじめないため、ドリップコーヒーを頼む時は、「マグカップで」と言い添えている。

ドリップのホットは、サイズが4種類もあり、最も大きいベンティというサイズは440円で590㏄もあって、とても飲みきれるものではなく、僕はいつも290円で240ccのショートを頼んでいる。

これで30分から1時間も店内でボーッとしていることが多く、たいてい熱いお代わりが欲しくなる。

お代わりを頼むには、空になったマグカップと最初のレシートを持ってオーダーカウンターに行き、「お代わり下さい」と言って100円を払うだけでいい。

お代わりのことを「リフィル」と言うのだが、僕はリフィルと言うのがなんとなく通ぶっていてイヤなので、「お代わり」と言っている。

1回しかお代わりが出来ない仕組みなので、本来は最初のレシートにリフィルのスタンプを押すらしいのだが、僕の行くスタバでは、このスタンプを押さないで、改めてリフィルと書かれた100円のレシートをくれる。

ショートサイズを2杯飲めば480ccの量になり、それなら最初から390円で470ccのグランデを頼むのと値段は同じだが、もう一度熱いコーヒーを最初から飲めるメリットは大きく、ここはリフィルに限る。

スタバでは、タンブラーやマイマグカップを持参する客には、資源節約に協力してくれたお礼として20円を割引しているというが、タンブラーなどを持ち歩くのは面倒な気がして、こちらは実行したことがない。

それにしても、全席禁煙を徹底しているのに、どの店もいつもにぎわっているスタバはエライ。「煙草を吸う客が減るから」などと言って禁煙に背を向けている飲食店はぜひ見習ってほしいものだ。

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2009/03/08

あのギャートルズ肉を食ったぞ!

090308園山俊二といえばギャートルズ。

ギャートルズといえば、主人公のゴンたちが食べていたマンモスの肉。ああ、うまそうだなあ。あの骨付き肉を、食ってみたい、というのは誰もが抱いた夢であろう。

そのギャートルズ肉を、神戸の食品会社が「そのやま企画」とタイアップしてネットで発売したところ、2929本がわずか20分で完売となった。

本来はマンモスの肉なのだが、そればかりは不可能なので、豚の骨を軸にしてオーストラリア産の牛肉を巻きつけてローストしたものだ。

僕も発売開始の瞬間に、首尾よくゲットすることが出来、送られてきたうちの一個目を食べてみた。

電子レンジで7分、さらに蒸らすこと6分。うまそうなにおいが漂ってくる。

袋から取り出し、骨を両手に持って、ガブリとかぶりつく。これをやってみたかったのだなあ。

美味い! この食感と歯ごたえ、そしてワイルドな味。

思ったよりもしょっぱくなく、添付のタレをつけなくても、そのままで僕にはちょうどいい味付けだ。

170グラムというのは、結構ボリュームがある。

いやあ、最高級のレストランでも決して味わえない極上の味。

これは企画の勝利であるとともに、ギャートルズファンの期待を裏切らない味を作り出した担当者たちの執念のたまものであろう。

骨になるまで食べつくして、気分は原始時代となったのであった。

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2009/03/07

ドストエフスキー全集の難しい漢字

090307現在は絶版になっているドストエーフスキイ全集(河出書房新社)を何冊かゲットすることが出来、これまで読む機会がなかったドストの作品にはまっている。

先月から今月にかけて読んだ中編の『伯父様の夢』と短編の『初恋』は、ドストについてのこれまでのイメージを一変させる味わい深い作品だ。

今読んでいる長編の『スチェパンチコヴォ村とその住人』は、デフォルメされて戯画化された人物描写と、奇想天外のストーリー展開が大変面白く、これらは文庫本などでもっと多くの人たちに読まれてしかるべき作品だと思う。

ところで、この全集は昭和45年(1970年)ごろに刊行された米川正夫訳のものだが、僕が読めない漢字がヤマのように出てくる。

これまで僕は翻訳ものの小説を読む時に、読めない漢字があっても気にしないで先に読み進んできたが、太郎クンの漢字の読み間違いを笑ってしまった手前、読めないままで先に進むことが出来なくなってしまった。

読みにくい漢字が出てきたら、紙にメモしておき、たまったところで、やおら辞書を引いて読みや意味を調べる。読み方の見当もつかない漢字も多く、それらはパソコン内蔵のIMEパットで手書き入力して読みを調べる。

以下は、上記の3作品を読む途中で調べ上げた難字の読みで、自分用の覚書としてここにまとめて掲げておく。

【読めなかった漢字】

匕首(あいくち) 意気沮喪(いきそそう) 慰藉(いしゃ) 意馬心猿(いばしんえん) 疣(いぼ) 厩(うまや) 喪う(うしなう) 抉る(えぐる) 獲る(える) 蜿蜒(えんえん) 懊悩(おうのう) 尾鰭(おひれ) 邂逅(かいこう) 肯んじる(がえんじる) 赫灼(かくしゃく) 鵞ペン(がぺん) 鴉(からす) 駕(が)をとめる 諫止(かんし) 寛恕(かんじょ) 寛仁(かんじん) 悍馬(かんば) 義捐(ぎえん) 麾下(きか) 匡正(きょうせい) 筐底(きょうてい) 剪る(きる) 擽ったい(くすぐったい) 馘(くび くびき) 瀆す(けがす) 蹶起(けっき) 剣戟(けんげき) 譴責(けんせき) 煌々(こうこう) 囂々(ごうごう) 格子縞(こうしじま) 瘤(こぶ) 讒訴(ざんそ) 顰める(しかめる) 閾(しきい) 昵懇(じっこん) 奢侈(しゃし) 驟雨(しゅうう) 頌文(じゅもん) 城郭(じょうかく) 猩々緋(しょうじょうひ) 悄然(しょうぜん) 呻吟(しんぎん) 斟酌(しんしゃく) 縋る(すがる) 啜る(すする) 菫(すみれ) 正鵠(せいこく・せいこう) 寂寞(せきばく) 斥候(せっこう) 撰文(せんぶん) 闡明(せんめい) 操持(そうじ) 増上慢(ぞうじょうまん) 譏り(そしり) 唆す(そそのかす) 橇(そり) 対蹠的(たいしょてき) 頽齢(たいれい) 譬る(たとえる) 中傷讒誣(ちゅうしょうざんぶ) 知悉(ちしつ) 蟄居(ちっきょ) 打擲(ちょうちゃく) 鍔(つば) 癲狂院(てんきょういん) 恬然(てんぜん) 恬淡(てんたん) 顚倒(てんとう) 薹(とう) 蕩尽(とうじん) 鬨(とき) 独立不羈(どくりつふき) 吃る(どもる) 靡く(なびく) 躙る(にじる) 二梃(にちょう) 捩る(ねじる) 野茨(のいばら) 鑿(のみ) 洟(はなじる はな) 嵌る(はめる) 罵詈(ばり) 碾割麦(ひきわりむぎ) 跪く(ひざまずく) 潜む(ひそむ) 跛(びっこ) 疲憊(ひはい) 脾腹(ひばら) 瓢簟(ひょうたん) 展る(ひらける) 蕪雑(ぶざつ) 箋(ふだ) 不撓不屈(ふとうふくつ) 揮う(ふるう) 弊履(へいり) 劈頭(へきとう) 放擲(ほうてき) 抛る(ほうる) 屠る(ほふる) 漲る(みなぎる) 無瑕(むか) 無辜(むこ) 耄碌(もうろく) 目睹(もくと) 楊(やなぎ) 恕す(ゆるす) 涎(よだれ) 撚る(よる) 憐憫(れんびん) 陋劣(ろうれつ) 頒って(わかって) 喚く(わめく)

【思っていた読み方と違った漢字】

淫奔(いんぽん) 有象無象(うぞうむぞう) 衣鉢(えはつ いはつ) 婉曲(えんきょく) 重石(おもし) 我執(がしゅう) 感奮(かんぷん) 向後(きょうこう こうご)条(くだり くだん) 拳固(げんこ) 合力(ごうりき) 業腹(ごうはら) 小前(こまえ) 借問(しゃもん) 上々吉(じょうじょうきち じょうじょうきつ) 食客(しょっかく) 初手(しょて) 隙見(すきみ) 誓言(せいごん ちかごと) 倅(せがれ) 存生(ぞんじょう) 対手(たいしゅ) 大望(たいもう) 長広舌(ちょうこうぜつ) 追従口(ついしょうぐち) 丁年(ていねん) 手練手管(てれんてくだ) 徳行(とっこう) 嘗める(なめる) 馬匹(ばひつ) 逢着(ほうちゃく) 朋輩(ほうばい) 木石漢(ぼくせきかん) 喧しい(やかましい かしましい) 落首(らくしゅ)

【読めそうでいて自信が持てなかった漢字】

哀訴(あいそ) 相槌(あいづち) 欠伸(あくび) 悪名(あくみょう あくめい) 碧い(あおい) 嘲る(あざける) 畦(あぜ) 呆気(あっけ) 阿婆ずれ(あばずれ) 焙る(あぶる) 荒肝(あらぎも) 著わす(あらわす) 憐れな(あわれな) 憐れむ(あわれむ) 暗々裡(あんあんり) 威(い) 許嫁(いいなずけ) 居候(いそうろう) 悪戯者(いたずらもの) 一瞥(いちべつ) 一縷(いちる) 畏怖(いふ) 厭(いや) 遺漏(いろう) 慇懃(いんぎん) 窺う(うかがう) 唸る(うなる) 呻く(うめく) 柄(え) 駅逓(えきてい) 蝦(えび) 甥(おい) 卒える(おえる) 覚束ない(おぼつかない) 諧謔(かいぎゃく) 悔悟(かいご) 掻(か)いつまんで 外貌(がいぼう) 乖離(かいり) 薫り(かおり) 懸って(かかって) 踵(かかと) 翳(かげ) 翔る(かける) 呵責(かしゃく) 恰好(かっこう) 鬘(かつら) 冠り(かむり) 雅量(がりょう) 感興(かんきょう) 敢然(かんぜん) 甲高い(かんだかい) 堪忍(かんにん) 忌憚(きたん) 気咎め(きとがめ) 吃する(きっする) 茸(きのこ) 仇敵(きゅうてき) 胡瓜(きゅうり) 御意(ぎょい) 驚愕(きょうがく) 叫喚(きょうかん) 仰山(ぎょうさん) 謹聴(きんちょう) 金殿玉楼(きんでんぎょくろう) 括る(くくる) 挫く(くじく) 口惜しい(くちおしい くやしい) 嘴(くちばし) 覆す(くつがえす) 頸(くび) 苦悶(くもん) 燻ずる(くんずる) 敬虔(けいけん) 痙攣(けいれん) 穢す(けがす) 穢らわしい(けがらわしい) 逆鱗(げきりん) 権勢(けんせい) 顕揚(けんよう) 毫(ごう) 高遠(こうえん) 狡猾(こうかつ) 功業(こうぎょう) 昂然(こうぜん) 傲然(ごうぜん) 狡智(こうち) 口吻(こうふん) 傲慢(ごうまん) 狐疑逡巡(こぎしゅんじゅん) 穀潰し(ごくつぶし) 枯骨(ここつ) 固執(こしゅう こしつ) 小姓(こしょう) 独楽(こま) 毀す(こわす) 毀れた(こわれた) 際涯(さいがい) 提げる(さげる) 指物師(さしものし) 嗟嘆(さたん) 諭す(さとす) 瑣末(さまつ) 曝す(さらす) 慙愧(ざんき) 惨憺(さんたん) 賛嘆(さんたん) 萎れる(しおれる) 仔細(しさい) 痔疾(じしつ) 漆黒(しっこく) 萎びた(しなびた) 縞(しま) 杓子(しゃくし) 醜汚(しゅうお) 蹂躙(じゅうりん) 殉難者(じゅんなんしゃ) 衝(しょう) 小心翼翼(しょうしんよくよく) 饒舌(じょうぜつ) 銷沈(しょうちん) 招聘(しょうへい) 所行(しょぎょう) 食餌(しょくじ) 白羽の箭(や) 斥ける(しりぞける) 代物(しろもの) 皺(しわ) 深甚(しんじん) 随伴(ずいはん) 素寒貧(すかんぴん) 煤(すす) 裾(すそ) 星霜(せいそう) 制縛(せいばく) 摂理(せつり) 戦々兢々(せんせんきょうきょう) 雑言(ぞうごん) 相殺(そうさい) 騒擾(そうじょう) 蔵す(ぞうす) 想到(そうとう) 尊崇(そんすう) 代言人(だいげんにん) 沸る(たぎる) 扶け(たすけ) 手綱(たづな) 知己(ちき) 嘲罵(ちょうば) 嘲弄(ちょうろう) 椿事(ちんじ) 潰す(つぶす) 提議(ていぎ) 亭々(ていてい) 泥濘(でいねい) 手ずから(てずから) 手函(てばこ) 顛倒(てんとう) 撞着(どうちゃく) 透徹(とうてつ) 唐変木(とうへんぼく) 逗留(とうりゅう) 咎める(とがめる) 轟く(とどろく) 鳶(とび) 囚(とりこ) 頓智(とんち) 任侠(にんきょう) 濡鼠(ぬれねずみ) 覗く(のぞく) 上す(のぼす) 暢気(のんき) 禿(はげ)  撥ねる(はねる) 孕む(はらむ) 番僧(ばんそう) 反駁(はんばく) 惹き起こす(ひきおこす) 牽く(ひく) 鬚(ひげ) 庇護(ひご) 襞(ひだ) 襞襟(ひだえり) 一摘み(ひとつみ) 人身御供(ひとみごくう) 捻った(ひねった) 誹謗(ひぼう) 剽窃(ひょうせつ) 描破(びょうは) 閃く(ひらめく) 瀕死(ひんし) 敏捷(びんしょう) 葺く(ふく) 膨れた(ふくれた) 不躾け(ぶしつけ) 不体裁(ふていさい) 侮蔑(ぶべつ) 麓(ふもと) 無頼(ぶらい) 不埒(ふらち) 揮う(ふるう) 慄える(ふるえる) 顫える(ふるえる) 慄わす(ふるわす) 憤怒(ふんど・ふんぬ) 憤懣(ふんまん) 霹靂(へきれき) 放恣(ほうし) 方図(ほうず) 捧呈(ほうてい) 頬(ほお) 埃(ほこり) 焔(ほのお) 法螺(ほら) 蒔直し(まきなおし) 蒔く(まく) 跨る(またがる) 睫毛(まつげ) 疎ら(まばら) 眉唾(まゆつば) 見做す(みなす) 剥く(むく) 貪る(むさぼる) 笞(むち) 無恥(むち) 目色(めいろ) 名流(めいりゅう) 目通り(めどおり) 朦朧(もうろう) 瘠せる(やせる) 闇雲(やみくも) 友誼(ゆうぎ) 勇(ゆう)を鼓(こ)して 結える(ゆわえる) 喚ぶ(よぶ) 埒外(らちがい) 悧巧(りこう) 諒解(りょうかい)  領袖(りょうしゅう) 旅装(りょそう) 麗々しい(れいれいしい) 廉潔(れんけつ) 練達(れんたつ) 蠟燭(ろうそく) 驢馬(ろば) 沸す(わかす) 論駁(ろんばく) 侘しい(わびしい) 話頭(わとう) 藁(わら)

【辞書で調べても読みが判然としない漢字】
うち挫がれた(うちひしがれた?) 癒らぬ(いらぬ? なおらぬ?) 慴え(ならえ?) 大痛ごと(おおいたごと?) 狂憤(きょうふん?) 叱言(しつげん?) 醜争(しゅうそう?) 徹入(てつにゅう?) 貧婪(ひんらん?) 慄えて(ふるえて?) 慄わせ(ふるわせ?) 逝いて(ゆいて?) 狼穽(ろうせい?)

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2009/02/28

サヨリの天丼で春を食す

090228
真夏に郷里の海で海水浴をしていると、目の前に口の尖った細い魚たちが群れをなして泳いでいることがよくあった。サヨリである。

人が大勢遊泳している中で、スイスイと泳ぎ回るその姿はまことに優美で、つかまえてやろうと手を延ばしてみるのだが、動きが素早くて触ることすら不可能だ。

サヨリは漢字で、細魚あるいは針魚と書く。僕は真夏の海でしか泳いでいるサヨリを見たことがないが、本来は春の魚とされている。

今日の日経新聞夕刊の彩時期には、サヨリは「魚介類きっての美人魚」だとある。

なるほど、美人魚とはよくいったものだ。

かつてサトウサンペイの漫画で、フジ三太郎だったかが、サヨリの尖った口先にキスをしながら、「サユリちゃーん」とささやいているところがあった。

ハートマークが飛んでいたか、目がハートになっていたか、どちらかだったと思う。

もうサユリであろうがサヨリであろうが、どっちでもいい三太郎クンの気持ちは分かる分かる。

去年秋のブログに、念願のハゼ天丼を食べた話を書いたが、最近その店にふらりと訪れたら、「サヨリの天丼作りますよ」とオヤジさんが声をかけてくれた。

ということで、メニューにはないのだが、サヨリ天丼を作ってもらう(写真)。サヨリが5匹も入っていて、野菜も3種。赤だし、お新香がついて1200円はお手頃だ。

ハゼ天丼もうまかったが、サヨリ天丼もまた至福の味である。

思わず僕も、「サユリちゃーん」とささやきたくなるような幸せな春の味であった。

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