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2004/08/31

すでに6個が上陸、今年はなぜ台風が多い?

台風が上陸しても、もはや驚かなくなってしまった。今年は、それほど台風の上陸が多い。

すでに今朝までに6個の台風が日本に上陸し、これは年間最多上陸記録の6個(90年および93年)に並んでいて、これからが本格的な台風シーズンであることから、上陸個数の新記録となる可能性は大きい、という。

なぜこんなに台風が次々に日本に上陸しているのだろうか。誰もが考えるのは、今年の記録的な猛暑との関連だ。
そしてみなが口元まで出かかっているのが、地球温暖化の影響ではないのか、という懸念だ。

しかし、素人から見ると実に不思議に感ずるのは、台風が多い原因について解説したり分析している新聞記事などを読むと、気象学者や専門家たちは、ほとんどがハンで押したように、「温暖化の影響とはいえない」と言っていることだ。

学者の立場、研究者の立場からは、推測でモノを言うわけにはいかないという事情はあるだろう。

しかし、多くの人々が、これは温暖化が関係しているのでは、とうすうす感じ始めている中で、僕はこうした学者・専門家たちが意識的・意図的に温暖化の影響を否定してかかっているのではないか、という気がしてならない。

ずるいのは、その言い回しだ。彼らは「温暖化の影響ではない」とは決して言わないのだ。

「温暖化の影響とはいえない」という言い方は、そうかも知れないが、そうでないかも知れない、私にはそのどちかであるかを断定するデータを持ち合わせていませんよ、ということを含ませている。

温暖化防止の京都議定書の実行が、アメリカの横やりをきっかけに、雲行きがあやしくなり、日本国内でも産業界は「国際的な競争力の妨げになる」として後ろ向きだ。

学者や研究者たちが、台風頻発の原因が赤道付近の海水温の上昇にあるとしながら、なお地球温暖化との関連について触れるのを慎重に避けているのは、こうした産業界の国際競争力優先の意向と無関係ではあるまい。

なにしろ学者・研究者たちは、去年、広島・厳島神社の国宝の回廊が冠水して朱色の床板の間から海水が噴き出しても、「温暖化の影響とはいえない」と頑張りとおしたのだから。

偉い人たちの言うことよりも、みんなが抱く「おかしい」という実感や不安の方が、実は正しかった、ということはよくあることなのだ。


21世紀の残り日数 35186日

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2004/08/30

やわらかくて強い女の子たちに、日本の未来を託そう

04-08-30_16-55.JPG新宿の地下通路に、さまざまなコピー文だけが、赤い色を背景に延々とちりばめられた巨大な広告ポスターが登場した。

コピー文は、たとえばこんな内容だ。

   がんばってる子は、1.5倍かわいく見えるよ。

   今日、だれかほめた?

   きっと、大丈夫。

   女の子は、やわらかいから強いんです。

なんの広告だろうか、と目をひかれる。

メーカーの名前は探さないと分からないくらい控えめに書かれているが、これはチョコレートの広告だ。

そしてコピー文は、すべて若い女性たちに発信されている。

とりわけ、「女の子は、やわらかいから強いんです」というコピーは、今の時代が求めているものを端的に示しているように思える。

僕が、このコピーから思い浮かべたのは、520人の犠牲者を出した1985年の日航ジャンボ機墜落事故で、生存していた4人が4人とも女性だったことだ。

なぜ女性ばかり4人が生存することが出来たのかについては、当時、医学的、生理学的な立場からさまざまな分析がなされた。

多くの人たちが指摘したのは、女性の体のやわらかさだ。それに加えて、女性の精神的なやわらかさ、気持ちや心構えのやわらかさ、を指摘する声も多かった。

僕は、硬直しきって未来が見えない混迷の日本を、破滅から救う道がもしあるとすれば、それは女性のやわらかさしかない、と思う。

日本をすっかり駄目にしてしまったのは、政治から経済、スポーツまであらゆる分野に居座り続けている石頭の頑固老人たちであり、それを乗り越えようともせずに揉み手でへらへらしているオヤヂたちだ。

男がなにごとにもしゃしゃり出るのは、もうやめた方がいい。

やわらかくて強い女の子たちに、日本の未来をあずけたっていいではないか。

その方がきっと、勝つことよりも優しくすることを優先させ、おたがいに手を差し伸べあってみんなで生きていく、住みやすくて希望の持てる社会になる、と僕は確信する。


21世紀の残り日数 35187日

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2004/08/29

まるでガス室、デパートにガラス囲いの喫煙所登場

04-08-29_15-23.JPG新宿・小田急デパート12階の飲食店フロアに、29日からガラスで囲まれた檻のような喫煙所が登場した。

デパートやファッションビルの飲食店フロアでは、ランチタイムを全席禁煙としてフロアの隅に喫煙所を設けるところが増えているが、喫煙所で吸うタバコの煙が通路などに漏れないよう完全密閉型にしたのは、国内では珍しい。

タバコを吸う人たちはこの檻の中に入って、ただひたすら吸い続ける。椅子もなく、お互いの会話も、くつろぎもあったものじゃない。

中に観葉植物の鉢が2つ置かれている。鉢植えにニコチンを吸収する効果があるとも思えず、せめてもの気休めか。

檻の中のスモーカーたちは、通路を行き交う人たちの視線を気にして、みなバツが悪そうにして吸っている。

そうだろうなあ。バツが悪くて恥ずかしいだろうなあ。だって、タバコが死に至る最も効率的な近道であることがこれだけ言われているのに、やめることが出来ないんだものなあ。

この檻をガラスの外から見ていると、これから肺がんや肺気腫、くも膜下出血などで、地獄への道をまっしぐらに突き進んでいく気の毒な人たちの、人間サンプルのように見えてくる。

例えは悪いが、このガラスの檻は現代のガス室なのだ。こんなところに入ってまでタバコを吸いたいか。そして、早々と死にたいか。

ガラスで密閉されたこのタイプの喫煙所が、ほかのデパートや飲食店、駅コンコースやオフィス、公共施設などに、どんどん普及していってほしいと願う。

そうすれば、ガス室入りしたくないためにタバコをやめる人たちが、もっともっと増えてくるのではないだろうか。


21世紀の残り日数 35188日

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2004/08/28

国電も私鉄も止まって、家から会社まで歩いた日のこと

かつて自宅から会社まで、延々と2時間以上かけて歩いたことがある。

あれは確か1970年代のちょうど真ん中あたりだったと思う。

当時は春闘が燃えに燃えていて、ヤマ場に設定された日には、ほとんどの私鉄がストライキに突入し、さらに今では考えられないことだが、当時の国鉄もまたこれに合わせてストライキに入った。

そうした中で、東京の私鉄と国電のほとんどすべてがストに入り、首都圏の大量交通機関が完全に止まったことが何度かあった。

この日は、早朝の妥結は難しいという見通しが事前に伝えられていて、都心にオフィスを構える企業の多くが、スト当日の社員の確保に頭を痛めていた。
タクシーやハイヤーのほとんどは、大企業の幹部たちのために借り上げられ、都営地下鉄や都バスも動かなかったように覚えている。

貸し布団を大量に借りて、会議室などに社員を泊まらせるところや、ラブホテルまで借り上げる企業すらあった。

「不要不急の社員は、出社に及ばず」という通達を全社員に出す会社も少なくなく、「俺、不要不急の社員だから」と自嘲気味の会話も流行ったものだ。

僕はまだ職場の中では新人のうちで、不要不急のはずなのだが、「来れない社員が続出した場合のために、お前はなんとしてでも会社に来い」と言われていた。

というわけで、この日は全行程を歩きでの出勤となったのだ。

家から新宿まで歩いて30分。そこから明治通りを歩いて渋谷に出る。こんどは青山通りを延々と歩いて、皇居の方向をめざす。
新宿通りはまだ拡幅が進んでおらず、都心に向かう大動脈は青山通りだけだったのかも知れない。

青山通りには、同じように新宿や渋谷方面から、歩いて都心に向かうサラリーマンやOLたちが、大群衆となって歩いていた。

ストに文句をぶちまける者もほとんどおらず、なんだかみんなサラリーマン遠足大会のように、うきうきして歩いていた。その光景は壮観で感動的ですらあった。

やがて、溜池を経て警視庁の建物が見えてくると、もう皇居のお堀は近くだ。

家を出てからテクテク歩くこと2時間余り、ようやく職場にたどりつく。歩いてきた者はみな、一様に高揚している。

70年代、日本中が元気にあふれていて、みながそれぞれに明日の日本への希望を持ち続けていた時代の話である。

(追伸:「21世紀の歩き方大研究」の新世紀つれづれ草に、「50年後の日本は、貧しいおばあちゃんたちであふれる社会に」をアップロード)


21世紀の残り日数 35189日

(追伸の追伸: ややっ、昨日27日の夜11時すぎに、最初の1、2行だけ書いて「下書き」状態にしておき、今日28日の夕方に大部分を書いてアップロードしたのに、日付が27日のままになっている。この日付というのは、最初に下書きをした時点の日付になるということが初めて分かった。なんか変な気もするが、そういうシステムなのだから仕方がない。今後は、下書きする場合に気をつけなければならない)

(追伸の追伸の追伸: 日付と時刻を修正する方法があることが分かり、27日から28日に直した)

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2004/08/27

日本人が中国に行くと、自分の名前は中国語読みになる

マオ・ヅードンと聞いて、誰のことかすぐに思い浮かぶだろうか。毛沢東の正しい読み方すなわち中国語読みである。彼は、モウ・タクトウではないのだ。

今日の朝日新聞の投書欄に、こんな投書が乗っていた。

62歳の日本人の男性からで、「私が中国で中国語読みで呼ばれたら自分のこととは分からず、自分が尊重されていないと受け止めるでしょう」とある。

この投書の主にはまことに気の毒だが、実際に日本人が中国に行った時には、決して日本語読みでは呼んでくれない。
ホテルでも空港でも、日本語の読み方がどうであれ、それには全くお構いなく、中国語読みでしか通用しない。

例えば、田中一郎さんならティエンジョン・イーランさんになり、山下好美さんならシャンシア・ハオメイさんになるのだ。
私はそんな名前じゃない、と開き直ってみても無駄である。

中国に行って、自分の名前を呼ばれたり名乗ったりするケースが想定されるならば、自分の名前が中国語で何と発音されるのかを、知っておかなければならない。

ゆかりさんや、リカちゃんなど、ひらがなやカタカナ名の人は、その音に近い漢字をあてはめて、中国語の読みを作っておく必要がある。

そんなことを言っても、中国語の読み方なんて分からない、という人のためには、「漢字の中国語読み検索」というサイトがあって、自分の名前を入れれば、たちどころに中国語読みが表示される。

これで僕の名前を入れてみると、チンシュイ・バンションとなる。そうか、俺ってチンシュイ・バンションなのかあ、舌をかみそうだな、と思ったところでどうしょうもないのだ。

今は新聞もテレビも、韓国や北朝鮮の人名については、キム・ジョンイルやキム・デジョンというふうに朝鮮語読みをしているのに、なぜか中国人については一貫して日本語読みに固執してきている。

そのことを考えると、日本人が中国に行って、自分で本当の名前と思っている読み方をされなくても、文句は言うわけにいかない。お互い様であり、おあいこなのだ。


21世紀の残り日数 35190日

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2004/08/26

高校の100周年で、紙上名刺交換に参加

僕の出身高校が、開校100周年になるのだという。

そこで新聞の県版に開校100周年の広告特集を組むことになり、同窓生による紙上名刺交換会を企画しているので、協賛してほしい、という電話がかかってきた。

賛同してもらえれば、紙上の「名刺」として4センチ×2センチのスペースで名前と肩書き、住所などを入れられる、という。もちろん有料だ。

僕は、「個人情報を出したくないので」と断りかけたが、住所など入れなくても、何かほかのメッセージのようなものでもいいという。

そこで、ホームページやブログのアドレスでもいいかと尋ねたら、もちろん構いません、という。

それじゃあ、と思いなおして、この企画に加わることにした。

この小さなスペースに入れるのは名前と、ホームページのタイトル・アドレス、ブログのアドレス、それに「どなたもお気軽に遊びにいらして下さい」というメッセージ一言だ。

肩書きをどうしようかなあ。フリーでは軽薄そうだし、フリーライターでは不遜すぎるし、何もないのもアヤシイ。

あれこれ思案した結果、決まった僕の肩書きはこれ!
「ネット空間居住人」

むしろこの方が、プーみたいでアヤシイかな、という気になってきたが、もうこれで申し込んじゃった。ま、いっか。


21世紀の残り日数 35191日

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2004/08/25

ブログ開設2カ月、ライフスタイルも変わってきた

6月25日にこのブログを正式開設してから、今日でちょうど2カ月になる。

この間、ともかくも更新が途切れないようにするのが一つの目標で、それは何とか達成できた。

ブログを始めたことで、僕の生活スタイルにも、思わぬ変化が生じている。

最も大きな変化は、カメラ付き携帯を使い始めたことだ。僕はそれまで、携帯にカメラなんて要るものかと頑なに信じ込んでいて、まわりの誰もがカメラ付き携帯を持っているのに、なおカメラなしの折りたたみすら出来ない携帯を持ち続けていた。

ブログは、僕の知らない間にあっという間にWebの世界の主流となっていて、その変化の激しさに驚かされた。
なかでも写真が携帯から簡単にブログに送信出来るというのは、7年間というもの、ホームページの面倒な更新に取り組んできた身にとっては、驚嘆ものだった。

こうして僕はまず、ドコモのF506iに買い替え、携帯のカメラがいかに進化しているかを始めて知った。

そうなると欲がわいてくる。ちょうど来月に海外に行く予定があるので、この機会に、海外から携帯でブログを更新することは出来ないだろうか、と思い始めた。

たまたま、海外100カ国以上から写メールを日本に送ることが出来る携帯の機種が、ボーダフォンから発売されていることを店頭で知った僕は、とうとうこの機種を買ってしまった。

2カ月前には、折りたたむことも出来ないカメラなしの携帯だった僕としては、大変身といっていい。

ブログを始めてからの変化は、ほかにもいろいろある。

それまで僕のホームページは、アクセス数は46万にもなっていて、見てくれた人からメールをもらうことも時々はあったが、掲示板は仮死状態で、いわばコミュニケーションから断絶されたサイトだった。

ブログを、僕の表のサイトの「裏バージョン」として、サイトの構成の中に組み込むことで、こうした「孤高」にもならない「閉鎖状況」に、風穴が開いたような気がする。

アクセス解析を見ても、僕のブログを訪れた人は、ブックマークしてくれて来る人、検索サービスからキーワードをたどって来る人のほかに、「表」のサイトから入ってくる人が結構のパーセントになっている。

ブログ友達も何人か出来た。会社を辞めてから、人とのコミュニケーションの機会が乏しくなって、「ネット引きこもり状態」だった僕にとっては、とてもうれしいことだ。

当面の大きな目標は、来月、海外からの携帯による写真付きブロク更新を成功させることだ。


21世紀の残り日数 35192日

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2004/08/24

20年以上の高血圧が自然に治って、降圧剤から解放

僕はもう20年以上も前から血圧が高いといわれて、降圧剤をのみつづけてきた。
一時期は上が160になり、その時は会社で勤務していて具合が悪くなって、診療所にかけこんだこともあった。

それが、去年秋ころからしだいに血圧が下がってきた。

医師の指示で、降圧剤の量を半分に減らして様子をみたが、それでも血圧は上がることなく、5月からは降圧剤の投与をやめてみることにした。

降圧剤の投与をやめると急に血圧が上昇するケースがあるので、医師も慎重で、心電図などをとったりしたが異常はないということで踏み切った。

それから4カ月近くの間、降圧剤から遠ざかっているが、昨日計ってもらった血圧は78-110と完全に正常値だった。

とくに血圧を下げる治療をしたわけでもないのに、自然に血圧が下がって、長年おせわになった降圧剤から解放されるというケースは、珍しいらしい。

かかりつけの医師は、「こうしたケースは私のところでは初めて。何が良かったのか、心当たりがありますか」とびっくりして、逆に尋ねられるありさまだ。

先日受けた人間ドックでも、高血圧が自然に治ったことが医師から注目され、「日ごろから健康に気をつけた生活をしてきたことが、効果を上げているのでしょう」といわれた。

血圧には精神的なものも大きく影響するようだ。このところ極端なストレスや心配事がなく、自由きままに好きなことを自然体でのんびりとやっていることも、体にはいいのかも知れない。

(追伸:「21世紀の歩き方大研究」の新世紀つれづれ草に、『時間の岸辺から』第61回「鳴らない風鈴」をアップロード。これは欧州の邦人向け日本語新聞「英国ニュースダイジェスト」に同時掲載)


21世紀の残り日数 35193日

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2004/08/23

ムンクの「叫び」、客の前での白昼の強奪に仰天

File00910823.jpgムンクの「叫び」が、オスロのムンク美術館から、白昼堂々と、多数の入場客の目の前で、覆面姿の武装グループによって強奪された、というニュースには仰天した。

美術館の職員や警備員もいたが、拳銃を突きつけられて、なすすべもなかった、という。非常通報態勢などはどうなっていたのだろうか。

この画は、細部が微妙に異なっている別バージョンが、同じオスロ市内の国立美術館に展示されていて、僕は3年前にこちらの「叫び」を観てきた。

ヨーロッパの美術館の多くがそうだが、写真撮影はノーフラッシュという条件で、だれでも自由に撮ることが出来た。

写真は「叫び」と一緒に記念撮影したものだが、ここにはトリミングしたものを掲載した。左端にわずかに写っているのが、僕である。

国立美術館の「叫び」も1994年に盗まれていて、3カ月後に犯人グループは捕まり、作品も戻っている。

今回強奪されたムンク美術館の「叫び」は、時価で66億円から82億円にものぼると見られていて、犯人グループは売るに売れないことから、「身代金」を要求してくる可能性が大きいという。

これだけ有名な絵画なら、売るよりむろ「人質」として利用した方が犯人グループにとっては、得策なのかも知れない。身代金を要求してきた場合に、美術館や警察当局、政府はどういう対応を取るのだろうか。

世界の「叫び」ファンが、街頭カンパを募って、「叫び」救出のための身代金を用意する、なんて展開にならないだろうか。
そうなったら、僕もカンパくらいはしたいものだ。

身代金ではなく、政治的要求だったらどうするのか。ノルウェーはイラクから軍を撤退させているが、ほかのヨーロッパ諸国などのイラクからの撤退を、国名を名指しで要求してきたら‥‥撤退に応じるのか「叫び」を見殺しにするのか。

ブッシュは「テロリストに屈するな」と叫ぶに違いないが、これは難しいところだろう。世紀の「名画テロ」への対応をめぐって、国際的な大論争が起こるのは必至だろう。


21世紀の残り日数 35194日

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2004/08/22

このところ、テレビはラジオで聴く(!)だけ

僕は、もともとテレビがあまり好きな方ではなかったが、このところほとんどテレビをつけていないことに気付いた。
いつからこんなにテレビをつけなくなったのだろうか。おそらく7月に入って、猛暑が始まったころからのような気がする。

それでもNHK総合テレビの夜9時前後のニュースは、ほとんど欠かさず「聴いて」いる。
テレビをつけて聴くのではない。小さな片手の平に収まるくらいの携帯ラジオで、風呂に入りながら聴くのである。

この携帯ラジオは、もう15年以上前に900円ほどで買ったものだが、いまだに故障ひとつすることなく、単3電池2本で十分に機能している。
AMとFMのほかに、テレビの1チャンネルから3チャンネルまでの音声を聞くことが出来るため、NHK総合テレビのニュースを聴くのに、このラジオがことのほか威力を発揮する。

音声だけでも、とりたてて不自由は感じない。最近のテレビのニュースの中には、映像がなくてもいいのに、テレビだからということで無理して映像を付けているニュースが少なくない。
「現場の今の様子を中継でお伝えします」というケースも、もはや事件・事故の形跡さえないのに、ただ放送記者が立っているだけ、ということが多い。
よく使われる官庁の建物や玄関をバックにした中継も、ほとんど意味がない。

こうしたニュースは、音声だけを聴いていても、まったく違和感はなく、というよりもそもそもが音声だけで十分なニュースなのだ。

中には、どんな映像なのか見たい衝動にかられるニュースもある。僕はそれを音声だけで聴くところに、えもいえぬ清貧(!?)な快感に打ち震えるのだ。

たぶんこんな映像なのだろうなあ、と風呂に入りながら想像してみる。
想像をめぐらせて頭の中に描く映像と、耳から入る音声だけで、一つの世界が出来上がり、それはテレビの映像を見る以上に刺激的で、限りない広がりを持つ。

ラジオでラジオのニュースを聴くならば、当たり前のことすぎて、面白くもなんともない。
ラジオでテレビのニュースを聴くことにこそ、世を欺いているようなささやかな愉悦があるのだ。
 

21世紀の残り日数 35195日

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2004/08/21

海外からのモブログに挑戦したいのだが

ここだけの話だが、来月、海外からのモブログに挑戦しようと考えている。

パソコンショップで、海外モバイルの方法について解説した本を立ち読みしてみたが、とてもじゃないが、ノートパソコンにさまざまな周辺機器やデータ通信端末などを接続し、さらに事業者との契約やら通信設定やら、大変面倒なことをやらなければならないので、この方式は断念した。

そこで僕が考えているのは、ボーダフォンの国際ローミング対応携帯電話、V801SHだけを使ってシンプルにスマートにモブログが出来ないだろうか、ということだ。

バソコンも周辺機器も使わずに、重さ126グラムの小さなケータイ1本だけで、写真付きのブログを海外からリアルタイムで更新する。
こんな夢のようなことが可能だろうか。

行く先は、通信回線の状況があまりよくないが、ローミングには一応対応している地域だ。

海外モバイルの経験のある方や、ケータイで国際ローミングをやったことのある方が、このブログを見ていたら、ぜひ体験談やアドバイズをお聞かせ願いたいと思う。


21世紀の残り日数 35196日

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2004/08/20

五輪での「金」ラッシュにも、乗れない気分

みんなでお酒を飲んでいる時に、だれか1人か2人が先に酔っ払ってしまうと、後の人たちはしらけてしまって酔えなくなることがある。僕にとって今回の五輪は、それに似ている。

アテネ五輪は、聖火リレーのころから何となく乗り気がしなかったが、日本の「金」ラッシュで新聞やテレビが盛り上がれば盛り上がるほど、ますます僕的には酔えなくなってしまう。

テレビ中継も今回は一度も観ていないし、新聞も高校野球にプロ野球、Jリーグとさまざまなスポーツが重なって食傷気味だ。一般紙というのに、半分以上がスポーツ紙面というのは、いいかげん見出しを見るのもいやになる。

五輪開催中なのに、アメリカがイラクで空爆を強めていることも、五輪をむなしいものにしている大きな原因だ。

いまもイラクの人たちが、世界最強のアメリカのハイテク兵器の前で、ボロきれのごとくに、虫けらのごとくに、身体を引き裂かれ、手足を吹き飛ばされていることを思うと、ニッポンの「金」を素直に喜ぶ気にはなれない。

五輪が身体の賛歌であるなら、戦争は身体への陵辱である。同じ人間が、身体をこのように正反対にとらえることが出来るとは、慄然とする思いだ。

がんばっている選手たちには悪いが、五輪なんて早く終わってほしい。

(追伸:「21世紀の歩き方大研究」の新世紀つれづれ草に、「進まぬ温暖化対策、世界は熱波と陸地の水没で破局へ」をアップロード)


21世紀の残り日数 35197日

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2004/08/19

星空指数からビール指数、汗かき指数まで

ヤフー天気情報のさまざまな指数情報が面白い。

たとえば、星空指数。
http://weather.yahoo.co.jp/weather/jp/expo/starry/index.html

全国の都道府県別に指数があって、東京では今日19日は30で、「じっくり待てば星空は見える」とある。
明日20日は指数が60で、「空を見上げよう星空のはず!」。コメントがほのぼのとしていて、なかなかいい。

ほかにも、洗濯指数、傘指数、紫外線指数があり、夏季限定メニューで、ビール指数、アイス指数、汗かき指数、熱中症指数がある。

行動する上での参考になるだけでなく、関連業界にとっても気になる指数だろう。

それにしても、昔さんざん使われていた「不快指数」がいま聞かれないのは、なぜ?

分かった。人間が不快になる原因は、気温と湿度以外にもいろんな要因があるからだ。

世の中、不快なことだらけだったら、連日が不快指数100%どころか、200%にも300%にもなるからなあ。


21世紀の残り日数 35198日

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2004/08/18

ブログにおける実名と匿名、「表札」は出ているか

一戸建ての家では、表札を出しているところが多い。家族全員の名前をフルネームで出している家もあれば、苗字だけの家もある。
表札のまったくない家というのは、一戸建てではあまりないような気がする。

これに対して、アパートやマンションの場合は、郵便受けにも入り口のドアのところにも、何も出してない家が目立つ。
プライバシーの観点からあるいは防犯上の配慮から、苗字すら出さずに、いわば匿名の居住者となっているのだ。

昨日の夕刊に、ブログの流行を取り上げた記事が載っていた。ブログは、路上の歩行者のようだったネット利用者が、家に入り「表札」を出し始めたように見える、と分析している。

この指摘は、あたっているだろうか。記事は、ブログでは実名のものが多くなっていることを重視しているが、プロフィルを見ても実名で書いているブログには、ほとんどお目にかからないような気がする。

ネット利用者が「家」を持つようになったというのは、ある意味であたっているかも知れないが、表札を出してない家がほとんどではないのだろうか。

ちなみに僕のこのブログ、「裏・21世紀の歩き方大研究」は、プロフィルでもニックネームしか出していない。
しかし、このブログをリンクしている表のWebサイト「21世紀の歩き方大研究」では、プロフィルのページに実名を出している。

いわば僕のブログは、裏通りに面した表札のない家なのだが、廊下でつながっている母屋の方は玄関が表通りに面していて、フルネームで表札も出しているし、メールアドレスも出している。

隠しているけど隠していないという、日本的あいまいさで、なんとかバランスを保っているというところだろうか。

米国ではブログは実名が主流といわれるが、日本の場合はまだデリケートでビミョーな問題のような気がする。
 

21世紀の残り日数 35199日

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2004/08/17

使うに使えない2000円札をどうしたものか

04-08-17_17-26.JPG11月に、1万円札、五千円札、千円札のデザインが一新される。
それで気になるのは、4年前に日本経済活性化の切り札として、華々しく登場した二千円札のことだ。

確か、うちにも何枚か死蔵されているはず、と思ってさがして見たら、冷蔵庫のドアにマグネットクリップで6枚がくっつけられたまま隠れていた。

これはいずれも発行された2000年に、デパートや薬局などで1万円札で買い物をした時に、おつりの中に入っていたものだ。

当時でさえ、お釣りを渡す店員さんは、「二千円札が入ってもよろしいでしょうか」と何か申し訳ないことをするような口ぶりだった。

で、もらうたびに二千円札をどうしようかと思いながらも、使わないでとっておいた。

いまや二千円札はまったく見かけなくなったが、銀行など金融機関では流通しているのだろうか。
自動券売機でも使えないし、買い物の時に使うにも偽札と思われないか、などと気をつかってしまい、ますます使いそびれるばかりだ。

こんなに流通していないのに、一国の通貨と言えるのだろうか。結局は、20世紀最後の年の記念紙幣という位置づけか。

そのうちこっそりと市場から回収されて、切り刻まれたパルプチップとなり、牛乳パックやトイレットペーパーなどに姿を変えるのかも知れない。
 

21世紀の残り日数 35200日

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2004/08/16

なぜ海外からのHP更新が簡単に出来ないのか

20世紀が終わろうとする1998年から2000年くらいにかけて、一つの幻想があった。

それは21世紀になれば、モバイル・コンピューティングが一気に普及して、世界のどこからでも、自分のホームページの更新を簡単に行うことが出来る、というものだった。

よく例として挙げられたのは、エベレストの頂上からでも南極からでも、自分を入れて写した旅行先の写真を付けて、記事とともにアップロードできるようになる、といわれていた。

しかし、21世紀も4年目の後半になるのに、海外からのホームページ更新をやるためには、ノートパソコンのほかに大変な周辺機器をそろえ、なおかつ通信会社との複雑な契約や設定が必要だ。

なぜ、世界どこからでも出来るモバイル・コンピューティングが、掛け声倒れに終わってしまったのか。

これは2つの側面から問題にされる必要がある。

まずパソコン側についていえば、デスクトップ、ノートともに、OSなどの性能の向上には熱心だったが、モバイルについてはケータイにまかせて、パソコンとしては完全に放棄してしまった感がある。

一方の通信側であるが、ケータイの目覚しい進化によって、鮮明な静止画や動画をメールに添付して送るところまで出来ているのに、普通の(!)インターネットとの連携を最初から視野に入れていなかった。

パソコンと通信の決定的な不仲によって、いつまでたっても海外からのホームページ更新すら簡単にいかない状況から抜け出せないでいる。

もっとも少しずつではあるが、改善はされつつある。

ブラウザを搭載して、インターネットの普通のサイトを閲覧したり書き込みをしたりすることが出来るケータイが現れ、また海外で撮影したばかりの100万画素クラスの写真をメールに添付して、パソコンなしでケータイだけで日本に送ることが出来る機種も登場している。

歩み寄っているのはケータイ側で、パソコン側は相変わらず怠慢だ。

ここまできたら、ケータイ側につぎのことを期待したい。

ブラウザを搭載して、インターネットの普通のサイトの閲覧・書き込みが出来るとともに、撮影した写真を海外からそのままメールに添付して日本に送れる機能を併せ持つこと。これは別々の機種で出来ているのだから、機能を合わせればすぐ出来ることだ。

せっかくなら、静止画は200万画素に。ついでにノキアのように携帯にフルキーボードが欲しい。ここまではやる気さえあれば、すぐにでも作れるはずだ。

メーカーの次の手を、期待したい。


21世紀の残り日数 35201日

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2004/08/15

59年目の終戦記念日、空襲の記憶の虚実

59年目の終戦記念日だ。

決して覚えているはずがないのに、僕は空襲警報下に、父が家の欄間に真っ黒な遮光布を引いて、ガラスから部屋の灯りが漏れないようにしたことを覚えている。

B29の標的になることを防ぐため、どの家も空襲警報が鳴るとこうしてすべての窓を覆っていた。

それにしても、この鮮明な記憶は、まぼろしなのだろうか。親から後で聞かされた話をもとに、僕の記憶が勝手に合成したバーチャルな記憶なのだろうか。

あるいは終戦からずっと後になって、親が空襲警報下の様子を僕に実演して見せたのだろうか。

人間の記憶というのは、あてにならないものだ。僕は、近所の人たちと一緒に防空壕に逃げ込んだ記憶すらあるが、これも近所には防空壕などはなく、完全に僕の心の中で合成された記憶だ。

薄らいで消えそうになっているのに、なんとか反芻することで消失を防いでいる記憶もある。これもいずれ、後からの補いのみで成立する記憶になっていくのかも知れない。

来年は終戦から60周年だ。戦争をやりたくてウズウズしている勇ましい連中どもが、ますます高揚感を高ぶらせて、日本を戦争国家に仕立て上げようと躍起になることだろう。

その風潮は、普通の庶民たちに結婚や出産をますますためらわせ、日本を戦争なき破滅に導くことは明らかだ。

日本は、憲法9条を変えてまで国連安保理常任理事国入りをする必要はまったくない。

平和憲法を世界に高々と掲げた、身の丈に合った小国でいいではないか。


21世紀の残り日数 35202日

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2004/08/14

アメリカがイラクで攻撃を強める中、虚数としての五輪

ふるさとでの墓参をすませて東京に戻ってきたら、いろいろと世の中が変わっている。わずか1泊の帰省だったのに。

ナベツネさんはなぜオーナーを辞めたのか、さっぱり事情がのみこめない。
巨人のスカウトが明大の一場投手に現金を渡していたというだけで、この重要な時期にオーナーを辞めるだろうか。

もっと大きな、いずれ明らかになる大変な事情が隠されているのかも知れない。

アテネ五輪が始まっていたというのも、これまた、いつの間に始まったのかと思うほど、実感がわかない。

開会式が日本の深夜だったことも、あるかも知れない。

しかし、五輪の実感がわかない本当の理由は、アメリカによるシーア派聖地ナジャフへの攻撃が激しさを増し、イラク全土に反米感情と暫定政権批判がかつてないほど高まっていることだろう。

アメリカは、国連による五輪停戦の提案を無視して、サドル氏を支持する武装勢力の一掃という、傲慢で危険なカケに出た。

おそらく五輪期間中に、イラク情勢はのっぴきならない重大な局面を迎えるかも知れない。

これに関連して、五輪期間中の反米テロの可能性も、極めて高くなっている。

帰省から帰る時も、地方の駅なのに警察官が踏み台の上で仁王立ちになって、帰省客の群れ目を光らせていた。新幹線の車両のごみ入れは、すべて封印されてしまって、ごみを捨てることも出来ない。

アメリカにとっては、もはや五輪などどうでもいいのかも知れない。

華々しい五輪開会式が、すばらしい演出であればあるほど、世界の現実と乖離した空虚さもまた強く感じる。

五輪はいまや、虚数のような存在になってしまった。

 
21世紀の残り日数 35203日

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2004/08/13

ふるさとに帰省して、お盆の墓参りへ

今から新幹線でふるさとに帰省して、墓参りだ。

うちの墓は、江戸時代の古い墓のままだったが、父が亡くなる2年前に、「自分が入る墓を建て直したい」と、新造した。

いまは墓だけは立派だが、実家はなくなっている。

墓参の時はいつも、墓のある寺に近いホテルに泊まる。

ふるさとは遠きにありて思うもの、というが、墓参以外でふるさとに行く機会はほとんどなくなりつつある。

 
21世紀の残り日数 35204日

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2004/08/12

花瓶に、青いバラそっくりのトルコキキョウ

2004-0812-1430.jpg明日はお盆なので、花瓶に新しい花を買ってきて生けた。

この中に、ウワサには聞いていた青いバラと見た目はほとんど同じトルコキキョウが入っていた。(写真の中央上部の3輪ほど)

先日、サントリーが世界で初めて、遺伝子組み換えによって青いバラを作るのに成功した、というニュースがあったが、正直言って、公表されたあのバラは、青ではないと感じた。せいぜいが薄い青紫というところだ。

サントリーはさらに改良を重ねて、安全性を確認した上で商品化したいという。

僕は、トルコキキョウが外見上バラと見分けがつかないくらいそっくりで、色もサントリーのものよりずっと青っぽいのだから、これで十分なのではないか、と思う。

バラの品種改良やほかの花との交配によって、青いバラが作られたなら、それはすばらしいと思うが、遺伝子組み換えという腕づくで、無理やりに「青いバラ」もどきを作るのは、どうも感心できない気がする。

(追伸:「21世紀の歩き方大研究」の新世紀つれづれ草に、「1日2キロずつ体重を増やした大型肉食恐竜が食べていたものは」をアップロード)

 
21世紀の残り日数 35205日

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2004/08/11

明日は日航ジャンボ機墜落事故から19年

明日8月12日は、日航ジャンボ機墜落事故から満19年になる。

もう19年もたつのか。過ぎてしまえば早いものだが、この間に世界も日本もすっかり変わってしまった。

1985年という年は、ゴルバチョフがソ連共産党書記長に就任した年だ。この時、数年後にはソ連がなくなっていると、だれが予想し得ただろうか。

中曽根首相が、戦後政治の総決算をスローガンに打ち出したのも、この年だ。

民営化という言葉がまだ耳慣れなく、この年、電電公社が民営化されてNTTに。国鉄の民営化はこの2年後のことだ。

映画「バック・トゥ・ザ・フューチャー」が封切りされたのがこの年だ。「夕焼けニャンニャン」が注目を集め、なんと阪神タイガースが21年ぶりの優勝を果たした。

歳月はめぐり、日航ジャンボ機墜落から3年半後には、昭和が終わる。

年々歳々人同じからず。再々年々花相似たり。うつし世は夢のごとくに移り変わり、うつろうことこそが唯一の法則なのか、と思うほどに何もかもが変転していく。

この間、多くの身近な人たちが他界していった。生あるものはいつか必ず死ぬ。

幸いにして大きな病気や事故に遭うこともなく、僕がこうして生きているのは、危険に満ち満ちたこの世においては、ある意味で奇跡といっていい。

あさっては、ふるさとにお盆の墓参りに行く。かつては、墓参りで帰省した時には、必ず海水浴をしたものだが、いつのまにか海にも行かなくなった。

さまざまなこと思い出すお盆かな(芭蕉の句を少し変えて)

 
21世紀の残り日数 35206日

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2004/08/10

自分のことを「僕」「俺」「おいら」と呼ぶ女の子たち

おとといの新聞に載っていた話だが、男女共学のはずの公立小学校で、学年の男女構成が男か女かに偏ってしまうところが東京都心などで目立っている、という。

それだけなら、そういうことも起きるかも知れない、という程度の話なのだが、おやっと思ったのは、女子に偏ったクラスでの言葉遣いの話だ。

1学年1クラスの文京区のある小学校では、4年生が女子14人に対し、男子が2人しかいない。
このクラスでは、自分のことを「僕」と言う女子が多く、男子とあわせてクラスのちょうど半分になる、というのだ。

「僕」という女子が多いのは、女子に偏ったクラス独特のものなのか、それとは別な、時代の空気のようなものがあるのだろうか。

たまたま、今日の新聞に載った女優の富田靖子さんのインタビューに、子どもの頃は男になりたくて、自分のことを「僕」と呼んでいた、というくだりがある。

ネットの掲示板などを見ると、小学校の女子から大人の女性まで、自分のことを「僕」「俺」「おいら」などと男の一人称で呼ぶ人は、非常に多いようだ。

それも、気立てが良くて真面目でやさしく頭のいい女の子たちが、まったくごく普通の言葉遣いとして「僕」「俺」「おいら」を使っていて、こうしたことは一昔前は考えられなかったことだ。

もっとも、そういう言葉は親しい仲間内でしか使わないとか、おおやけの場では「わたし」を使い分けるなど、通用範囲のようなものをきちんとわきまえているらしい。

かつては、乱暴な男言葉をわざと使うのは、女であることがイヤ、男と対等に生きたいなど、思春期の一時的な現象だと説明されていたこともあった。

そのうち、「僕」「俺」「おいら」は、男女を問わず自分のことを呼ぶ一人称の日本語として定着していくのかも知れない。

男の子は自分のことを何と呼ぶようになるのだろうか。「あたし」か。
  
 
21世紀の残り日数 35207日

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2004/08/09

長崎原爆の日に、美浜原発で4人死亡、けが人多数

6日のヒロシマに続いて、今日9日はナガサキ原爆の日。

そんな中で、福井県の美浜原発で重大事故発生のニュース。4人死亡とは、日本の原発事故としては最大級の惨事といえる。
ほかに重傷者が6、7人いる模様。

ついに日本でも、チェルノブイリの二の舞か。当局はとかく、たいしたことがないように発表したがるが、放射能漏れや周辺への拡散はどうなっているのか。

原発や原子力施設には、事故は必ずついて回ることを肝に銘じておく必要がある。

(追伸:「21世紀の歩き方大研究」の新世紀つれづれ草に、『時間の岸辺から』第60回 「白骨温泉騒動」をアップロード。これは欧州の邦人向け日本語新聞「英国ニュースダイジェスト」に同時掲載)
 
 
21世紀の残り日数 35208日

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2004/08/08

帰宅訓練参加者200人募集、371万人の予想なのに

2004-0808-1212.jpg新宿の地下通路に、「帰宅訓練参加者募集」のポスターが張られている。

9月1日の防災の日に、東京都・台東区・墨田区・荒川区による合同総合防災訓練で、帰宅訓練に参加する隣県に住む人200人を募集、とある。

今回の訓練では、船を使って海上経由で居住地に帰る訓練をするらしい。

東京で平日の昼間に直下型大地震が発生した場合、自宅に帰ることが出来なくなる帰宅困難者は、都の予想では371万人にも上る。

このうち、通勤客が227万人、通学客が60万人、買い物客などが84万人と予想されている。

とりわけJR東京駅周辺では、電車が動かない中を、20万人が集中する事態になることが予想されている。

今回のような訓練は、これまでたびたび繰り返されてはいるが、募集人員がわずか200人とは、いくらなんでも少なすぎるのではないか。

こんなに少ない人数では、スムーズに帰宅できて当然で、パニックが避けられない実際の地震の時には、何の参考にもなりはしないのでは、という気がする。

本気で帰宅訓練をするのなら、少なくとも数万人が参加して、徒歩や船などを使って実際に帰宅してみることが必要ではないだろうか。

実際の修羅場では、道路わきに寄せられた車を奪って逃げる者や、途中のコンビニなどへの殺到や略奪など、200人の訓練ではまったく予期できないさまざまな事態が起こるだろう。

猛暑の年には大地震が起こりやすいとも言われている。関東大震災がそうだったし、阪神大震災の95年も猛暑だった。

そろそろ、かも知れない。都の訓練とは別に、いざという時に、どうやって帰るかを、それぞれが考えておいた方がいい。

いつものことだが、ココログになぜ「防災・災害」のカテゴリーがないのだろう。この記事が「旅行・地域」ではヘンだと思わないか。
 

21世紀の残り日数 35209日

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2004/08/07

はや立秋そして鼻の日、明日はそろばんの日

なんだかんだとバタバタしているうちに、もう立秋だ。

今日からは暑中見舞いとは言えず、残暑見舞いになるというのだが、今年のこの暑さは残暑という感じではない。

暦を見たら、今日8月7日は「鼻の日」とある。語呂合わせと分かる。

鼻といえば、数日前、歯を磨いている時に、手が滑って、歯ブラシを思い切り鼻の穴に突っ込んで、鼻血を出してしまった。
こんなドジは生まれて初めてだ。暑さのせいで、歯と鼻の区別すら出来なくなったらしい。

ついでに明日の暦を見ると、そろばんの日とある。しばし何の語呂合わせか考える。これは、パチパチに違いない。

小学生の頃、そろばん教室に通っていた。出来たのは足し算くらいで、引き算と掛け算はどうも苦手。割り算はからっきしダメだった。

いまでもJRのみどりの窓口の担当者が、金額をそろばんで計算したり検算したりしているのを見ると、えらいなあと思う。

電卓やIT機器で一発で金額が出る時代に、目の前でパチパチとそろばんをはじく姿を見るのも悪くない。

JRは職員採用にあたって、そろばんの腕前を考慮しているのだろうか。

街の小さな八百屋さんや魚屋さんでは、大きなそろばんを使っているおやじさんをたまに見かけるが、銀行や証券会社などはそろばんを使うことがあるのだろうか。

最近、そろばん塾が復活してきて、小学生に人気を呼んでいるという。そろばんをやることで、繰り上がりなど数の仕組みがよく理解でき、算数が好きになるという。

「読み書きそろばん」は、学びの基本ということなのだろう。最近はバソコンやケータイの変換のおかげで、「書き」のほうもあやしくなってきているが。。。
 
  
21世紀の残り日数 35210日

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2004/08/06

ココログに全文検索機能が出来て便利に!

ココログのトップページから、ココログ全文検索がようやく出来るようになった。遅すぎた感はあるものの、これでようやく、知りたいキーワードでどんなココログ記事があるのかが、一発で分かるようになった。

さっそく昨日の自分の記事で試してみた。

「四谷怪談」のキーワードを入れて検索してみる。

「新着順」は、読んで字のごとしで分かりやすい。
「重要度順・記事別」「重要度順・ココログ別」は、何をもって重要度としているのかが、いささか判然としない面もあるが、いちおう僕の昨日の記事は、下位の方に出ていたので、ま、いっか。

ただ、「重要度順・ココログ別」では、記事のアップされた日時ではなく、そのココログがスタートしたずいぶん前の日付になっているので、注意が必要だ。

「四谷怪談」「ネズミ」のように、二つのキーワードの掛け合わせもOKだ。

願わくば、カテゴリーをもっと細分化し、みんなが本当に使いたいカテゴリーを選べるようにしてほしい。
またカテゴリーごとの全文検索も出来るといいだろう。

どうせなら、ブログサービス同士が縦断的に連携して、ココログもそれ以外のブログも、全部を含めた縦断検索が出来るようになると、ブログの使い勝手は一段と増すに違いない。

そうなれば、発信するブログから、情報を得るブログへと、新しい使い方が広がっていくことだろう。
ブログサービス各社の、利害を超えた奮起を期待したい。
 
 
21世紀の残り日数 35211日

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2004/08/05

四谷怪談でネズミがしばしば登場する理由は

だいたい8月も今頃になると、どの新聞も原稿が夏枯れとなってきて、ヒマダネが目立ってくる。

今日の朝日夕刊の1面トップは、「クマネズミ注意報 火災の原因 相談も急増」とあり、カラーでネズミの写真を載せている。
典型的な取り置き原稿で、日付が入ってないため、ニュースのない今頃でしか、1面トップにはならない内容だ。

ネズミといえば、東海道四谷怪談では欠かせない存在だ。

最も知られているシーンは、顔が崩れて苦しむお岩の赤子を、ネズミがくわえ去る場面だろう。

歌舞伎では、作り物のネズミをうまく動かして、これも人形の赤子をくわえて逃げ去るように見せているが、それでもこの場面は鬼気迫るものがある。

ほかにもネズミは、人間を掘に落としたりかじったりして、この演目の中でしばしば登場する。

なぜネズミなのか。僕は深く考えたこともなかったが、ネットでいろいろ調べていて、意外なことを知った。

それは、お岩がネズミ年生まれであることから、ネズミはお岩の象徴であり、お岩の苦しみと怨念の象徴として描かれている、というのだ。

なるほどねえ。それにしてもお岩がネズミ年生まれだというのは、どうして分かるのだろうか。鶴屋南北の原作に書かれているのだろうか。
詳しい人がいたら、教えてほしいものだ。

いつも思うのだが、ココログのカテゴリーは、もうちょっと何とかならないものか。当てはまるものがなくてみんな困っているのじゃないだろうか。
この記事のカテゴリーは、しょうがないから「ペット」にしたけど。

(追伸:「21世紀の歩き方大研究」の新世紀つれづれ草に、「日本の人口は来年が峠、500年後には縄文時代の13万人に」をアップロード)
 

21世紀の残り日数 35212日

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2004/08/04

「大蔵大臣」で登録商標が出来るとは驚いた

File00641.jpg今朝の日経新聞の広告欄に、いきなり「大蔵大臣」の大きな文字が。

さらにそこには、「大蔵大臣」は応研株式会社の登録商標です、と書いてある。

「大蔵大臣」で登録商標できるとは驚きだ。

たいていの人は、このような名称は認められるはずがない、と思って最初から登録申請をしてみようという気にもならないだろう。

去年、大きな話題となった「阪神優勝」の登録商標は、これに異議を申し立てた阪神球団の主張が認められて、結局、商標登録は取り消される結果となった。

「大蔵大臣」が商標として認められたのは、ひとえに大蔵省という名前が消えて、財務省になったことが大きいのではないか、と僕は推察する。
つまりは大蔵大臣という職はもはや存在せず、公的な名称ではないという解釈なのだろう。

それに引き換え、総理大臣や外務大臣は現在もれっきとした公職名なので、商標登録は認められないだろう。

では文部大臣や厚生大臣、労働大臣などは認められるだろうか。文部科学大臣や厚生労働大臣とは、違うといえば違うし、ビミョーなところかも知れない。

現在では存在しない職名なら、商標登録できるのであれば、関白太政大臣や征夷大将軍などはどうだろうか。いやすでに、商標登録されているのかも知れない。

それにしても「大蔵大臣」の名刺を差し出されたら、人はどういう反応を示すだろうか。その場面を見てみたい。


21世紀の残り日数 35213日

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2004/08/03

機内で不用意に単語を調べると、手錠ものだぞ

アメリカでは、飛行機の機内で英単語の意味を調べるのにも、気をつかう必要がある。

今日の夕刊各紙にこんなニュースが載っている。
シカゴの空港を離陸しようとしていた機内で、日本人の男性乗客が英字紙の中にあった言葉の意味を調べようと、メモを取った。

その言葉がなんと。
suicide bomb(自爆)

このメモを見たほかの乗客が乗務員に通報し、飛行機は離陸を中止。日本人乗客は空港警察に手錠をかけられて連行され、ほかの乗客120人も降ろされて再チェックを受ける騒ぎになった。

結局、男は嫌疑が晴れて釈放されたが、保安当局は「まぎらわしい行動はとらないでほしい」と注意を促しているという。

男にしてみれば、意味が分からないからメモを取ったのであって、分かっていたらこんなキケンな単語をメモすることは決してしなかっただろうに。

このニュースのおかげで僕も、自爆は英語でsuicide bombというのだと初めて知った。

決して機内でメモしてはならない単語というのは、ほかにもいろいろありそうだが、例えばこの単語。
an indiscriminate terrorist attack

これをメモした紙をうっかり駅で落としたりしたら、日本でも一騒ぎは必死だろう。
意味は、無差別テロ。

アテネ五輪も近いため、どこもかしこもピリピリしている。
無用の摩擦を避けるためには、李下に冠を整(ただ)さず、である。


21世紀の残り日数 35214日

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2004/08/02

海風を遮り、都心を熱地獄にする高層ビル群の罪

僕はサッカーには全くの素人だが、それでもゴール前でのフリーキックはハラハラする。

とりわけ、これを阻もうと人間のカベを作る選手たちが面白い。

いい大人の選手が、ネズミ一匹も通さないほどピッチリと7人も8人も横に並んで、なお隙間を作るまいと「おしくら饅頭」のようにしているさまは、子どものようだ。

これだけ立派なカベを作ったら、ゴールに入れるのは無理に違いないと思うのに、うまい選手はボールに上下方向と左右方向の強烈な回転をつけて蹴り上げ、魔法のようにカーブさせてゴールしてしまうのだから凄い。

僕は、「ゆりかもめ」に乗ってお台場や有明の臨海新都心に行く時、汐留に所狭しと立ち並ぶ超高層ビル群を見て、サッカーゴールの前に作られたカベだと思った。

この強固なコンクリートの壁が阻んでいるのは、何か。
それは、東京湾から吹き込もうとしている海風であり浜風である。

東品川に出来つつある超高層ビル群も、同じように海風・浜風を阻むカベになっている。

ビルぐらいで、都心への風が遮られるはずがないと、ビルのオーナーや設計者は言うだろう。

だが、関東と新潟が別世界のように異なる天候なのは、それほど高くもない越後山脈が間にあるためである。

今日の毎日新聞夕刊の2面で、「それにしてもこの暑さ」という特集を組んでいて、早稲田大学の尾島敏雄教授が、胸のすくようなことを書いている。

「どんなビルを建てようが勝手かもしれないが、だれか風のことを考えたか」。これがその記事の見出しだ。

僕はこの見出しだけで、拍手喝采したいほどだ。

尾島教授は書いている。
「海風が夜も吹けば、隅田川、目黒川、多摩川などに沿って川風になり、周辺は熱帯夜から解放される。少なくとも、それを阻害するような開発のあり方は考え直すべきだ」。

そうだそうだ。自分の金を出して土地を買い、法律にも抵触しないのだから、何を建てようが勝手だろう、という勝ち組の傲慢さが、日本をすっかりダメにしつつある。

いや世界がそもそも、そうなりつつある。グローバリズムとは、金さえ払えばどんなことをしても良く、金のあるものがますます強くますます金持ちになっていくことを、至高の価値とあがめたたえることにほかならない。

汐留や東品川に林立する異様で無様な高層ビル群は、他者をかえりみようとしない世界の縮図である。
  

21世紀の残り日数 35215日

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2004/08/01

今夜は満月、狼男に変身する方法教えます

何年か前、エジプトに旅行した時のこと。
当時は日本からの直行便がなく、さんざん乗り継いでようやく明け方の午前5時ころにカイロに着いた。

飛行機のタラップを降りた時、東の空の地平線すれすれのところに、これ以上細い月はないと思うほどの湾曲した月が出ていた。
それは、千夜一夜物語の挿絵にあるような、大きくて弓なりにしなった極細の月で、僕はイスラム世界の月はさすが違うなあ、と感心したものだ。

ところが後でよくよく考えてみると、これはたまたま新月の寸前だったからということであって、地球上のどこから見ても、同じ形の月だったはずだ。

「鳥と私と音楽と」の「月の満ち欠け」にも書かれているように、地球上のどこから見ても月の形が同じに見えるというのは、科学的にはあたりまえのことかも知れないが、実に不思議な気持ちになる。

太平洋戦争で遠い戦地に赴いた日本軍の兵士たちは、月を見上げては、遠い母国で同じ月を見ている恋人や家族に思いをはせていた、という。

月は、地球のどこにいるだれでもが、同じ瞬間を共有して見ることが出来る最も近くの物体、ということが出来る。

今日8月1日は満月だ。五輪間近いアテネでも、治安の悪化がおさまらないイラクでも、NYのタイムズスクエアでも、インドの貧民屈でも、やはり満月だろう。

満月の夜に狼男に変身する話は世界の各地にあり、実際に狼男に変身したいという願望を持つ人が現在でもたくさんいる、といわれる。

「月の本」(光琳社出版)の中に、狼男に変身する方法が書かれている。

サワリだけを要約すると、つぎのようになる。

満月の夜に、深い山奥に魔法円を描く。
腰に狼の毛皮をつけて、円の中央にひざまづく。
火になべをかけ、香料や薬草などを入れる。
呪文をとなえながら煮詰めて、全身に塗りたくる。
満月が中天にかかるころ、犬歯がキバのように伸び、全身が毛に覆われてくる。
人間としての理性はなくなり、こうして狼男が誕生する。

あっ、このブログを見て、試してみようなんて、ゼッタイに思わないように。
人間に戻る方法は書いてないのだから。

(追伸:「21世紀の歩き方大研究」の新世紀つれづれ草に、「暑く熱い鎮魂の8月、さまざまなこと思い出す遠花火」をアップロード)
  

21世紀の残り日数 35216日

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