アメリカがイラクで攻撃を強める中、虚数としての五輪
ふるさとでの墓参をすませて東京に戻ってきたら、いろいろと世の中が変わっている。わずか1泊の帰省だったのに。
ナベツネさんはなぜオーナーを辞めたのか、さっぱり事情がのみこめない。
巨人のスカウトが明大の一場投手に現金を渡していたというだけで、この重要な時期にオーナーを辞めるだろうか。
もっと大きな、いずれ明らかになる大変な事情が隠されているのかも知れない。
アテネ五輪が始まっていたというのも、これまた、いつの間に始まったのかと思うほど、実感がわかない。
開会式が日本の深夜だったことも、あるかも知れない。
しかし、五輪の実感がわかない本当の理由は、アメリカによるシーア派聖地ナジャフへの攻撃が激しさを増し、イラク全土に反米感情と暫定政権批判がかつてないほど高まっていることだろう。
アメリカは、国連による五輪停戦の提案を無視して、サドル氏を支持する武装勢力の一掃という、傲慢で危険なカケに出た。
おそらく五輪期間中に、イラク情勢はのっぴきならない重大な局面を迎えるかも知れない。
これに関連して、五輪期間中の反米テロの可能性も、極めて高くなっている。
帰省から帰る時も、地方の駅なのに警察官が踏み台の上で仁王立ちになって、帰省客の群れ目を光らせていた。新幹線の車両のごみ入れは、すべて封印されてしまって、ごみを捨てることも出来ない。
アメリカにとっては、もはや五輪などどうでもいいのかも知れない。
華々しい五輪開会式が、すばらしい演出であればあるほど、世界の現実と乖離した空虚さもまた強く感じる。
五輪はいまや、虚数のような存在になってしまった。
21世紀の残り日数 35203日
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