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2004/08/15

59年目の終戦記念日、空襲の記憶の虚実

59年目の終戦記念日だ。

決して覚えているはずがないのに、僕は空襲警報下に、父が家の欄間に真っ黒な遮光布を引いて、ガラスから部屋の灯りが漏れないようにしたことを覚えている。

B29の標的になることを防ぐため、どの家も空襲警報が鳴るとこうしてすべての窓を覆っていた。

それにしても、この鮮明な記憶は、まぼろしなのだろうか。親から後で聞かされた話をもとに、僕の記憶が勝手に合成したバーチャルな記憶なのだろうか。

あるいは終戦からずっと後になって、親が空襲警報下の様子を僕に実演して見せたのだろうか。

人間の記憶というのは、あてにならないものだ。僕は、近所の人たちと一緒に防空壕に逃げ込んだ記憶すらあるが、これも近所には防空壕などはなく、完全に僕の心の中で合成された記憶だ。

薄らいで消えそうになっているのに、なんとか反芻することで消失を防いでいる記憶もある。これもいずれ、後からの補いのみで成立する記憶になっていくのかも知れない。

来年は終戦から60周年だ。戦争をやりたくてウズウズしている勇ましい連中どもが、ますます高揚感を高ぶらせて、日本を戦争国家に仕立て上げようと躍起になることだろう。

その風潮は、普通の庶民たちに結婚や出産をますますためらわせ、日本を戦争なき破滅に導くことは明らかだ。

日本は、憲法9条を変えてまで国連安保理常任理事国入りをする必要はまったくない。

平和憲法を世界に高々と掲げた、身の丈に合った小国でいいではないか。


21世紀の残り日数 35202日

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