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2004/08/22

このところ、テレビはラジオで聴く(!)だけ

僕は、もともとテレビがあまり好きな方ではなかったが、このところほとんどテレビをつけていないことに気付いた。
いつからこんなにテレビをつけなくなったのだろうか。おそらく7月に入って、猛暑が始まったころからのような気がする。

それでもNHK総合テレビの夜9時前後のニュースは、ほとんど欠かさず「聴いて」いる。
テレビをつけて聴くのではない。小さな片手の平に収まるくらいの携帯ラジオで、風呂に入りながら聴くのである。

この携帯ラジオは、もう15年以上前に900円ほどで買ったものだが、いまだに故障ひとつすることなく、単3電池2本で十分に機能している。
AMとFMのほかに、テレビの1チャンネルから3チャンネルまでの音声を聞くことが出来るため、NHK総合テレビのニュースを聴くのに、このラジオがことのほか威力を発揮する。

音声だけでも、とりたてて不自由は感じない。最近のテレビのニュースの中には、映像がなくてもいいのに、テレビだからということで無理して映像を付けているニュースが少なくない。
「現場の今の様子を中継でお伝えします」というケースも、もはや事件・事故の形跡さえないのに、ただ放送記者が立っているだけ、ということが多い。
よく使われる官庁の建物や玄関をバックにした中継も、ほとんど意味がない。

こうしたニュースは、音声だけを聴いていても、まったく違和感はなく、というよりもそもそもが音声だけで十分なニュースなのだ。

中には、どんな映像なのか見たい衝動にかられるニュースもある。僕はそれを音声だけで聴くところに、えもいえぬ清貧(!?)な快感に打ち震えるのだ。

たぶんこんな映像なのだろうなあ、と風呂に入りながら想像してみる。
想像をめぐらせて頭の中に描く映像と、耳から入る音声だけで、一つの世界が出来上がり、それはテレビの映像を見る以上に刺激的で、限りない広がりを持つ。

ラジオでラジオのニュースを聴くならば、当たり前のことすぎて、面白くもなんともない。
ラジオでテレビのニュースを聴くことにこそ、世を欺いているようなささやかな愉悦があるのだ。
 

21世紀の残り日数 35195日

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