« 2004年8月 | トップページ | 2004年10月 »

2004/09/30

新しい元素のヘンな名前の由来が分かった

原子番号113の新元素が発見されたという昨日のブログで、原子番号が一つ前の112番の元素の名前が、ウンウンビウムという変な名前になっていると書いたが、この名前の由来がここで分かった。

それによると、最近相次いで発見されている新元素の名前は、学会同士の競争などのため、とりあえずは暫定名となっていて、ラテン語やギリシャ語の数字の読み方をあてている。

原子番号112のウンウンビウムは、「1」を意味する「ウン」を二つ重ねて、「2」を意味する「ビ」をつけ、最後に「ウム」をつけたのだという。元素記号はUubである。

これでこの元素が、ウンウンとうなづいている元素であり、聞き上手の元素であり、便秘気味の元素になっているワケが分かった。

では、原子番号111の元素は、ウンウンウンなのだろうか? まさかあ! これでは、うなづき過ぎの元素で、重い便秘になってしまうではないか。

と思って、ウィキペディアなどで見てみると、原子番号111は、なんとウンウンウニウムとなっている。元素記号はUuu。

これまたさらに変な名前で、うなづいているうちに眠くなってムニャムニャになった元素。あるいは、生ウニ丼の美味しさに納得してうなづきながら食べている元素を想像する。

「うんうん、ウニ、うむ」 美味しそうだなあ。生ウニ丼。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2004/09/29

原子番号113の新元素、0.0003秒の寿命に感動

原子番号113の新元素を、初めて日本人が発見したというニュースに、僕は心が躍る。

現在の教科書に載っている元素表は、原子番号112のウンウンビウムまでである。

ウンウンビウムとはまた、聞き上手の元素なのか、便秘気味の元素なのか、漫画に出てきそうな名前だ。

これに続く原子番号113の新元素を発見したのは、理化学研究所の研究員たちで、名前の候補には「リケニウム」や「ジャポニウム」があがっているという。

発見とはいうものの、自然界に存在しない元素の場合は人工的に作り出して、それが国際的に確認されれば「発見」ということになる。

僕は、この新元素の寿命の短さに、目をみはる。なんと0.0003秒。せっかく作り出されても極めて不安定のため、誕生とほぼ同時に寿命を終えて、ほかの軽い元素になってしまう。

こうした新発見に対しては、「何の役にたつものなのか」「何に応用できるのか」と問う声が必ず上がるものだ。

新元素はおそらく、それが直接何かの役に立つことはないだろうし、新素材として活用されることもないだろう。

しかし、直接的には何の役にもたたないからこそ、僕はこの「発見」に感動してしまう。そもそも、目にも顕微鏡にも見えないこの新元素が出来たことを、人間が確認できること自体が凄いではないか。

さらに、その寿命が0.0003秒しかないことを測定できるということにも、これまた驚嘆する。

瞬く間にというが、この元素は瞬く間すらなく生まれて消えてしまうのだ。

自然界に存在しないというが、本当にそうなのだろうか。ブラックホールになる寸前の、あらゆる物質が想像を絶する高温・高密度の星では、このような極めて重い元素が出来ている可能性はないのだろうか。

原子番号113の新元素と、僕を取り巻く日常との、あまりのつながりのなさに、むしろ深い感銘を受ける。

この不思議な感動こそが、僕と原子番号113とのつながりなのだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2004/09/28

今宵は中秋の名月、月が鏡であったなら‥‥

 今日は中秋の名月だ。東京では西の空から晴れてきて、お月見が出来そうだ。

 前にも書いたが、月は地球のどこからでも、見るものが等しく同じ月を見ることが出来る。

 日本では満月だが、イラクで三日月で、ニューヨークでは上弦の月で、モスクワでは下弦の月だ、なんてことは決してない。

 そこで、こんな歌も生まれる。昭和11年、渡辺はま子が歌って大ヒットした「月が鏡であったなら」だ。

 月が鏡で あったなら
 恋しあなたの 面影を
 夜毎うつして 見ようもの
 
 この歌は「こんな気持ちでいるわたし ねえ 忘れちゃいやヨ 忘れないでネ」と続くのだが、この「ねえ」の歌い方は、やるせなさたっぷりに、歌ではなく「せりふ」のように発しなければならないのだ。

 1番の歌詞だけがやたら知られているが、2番もいいなあ。

 昼はまぼろし 夜は夢
 あなたばかりに この胸の
 熱い血潮が さわぐのよ

 なんとレトロで純情な時代だったのだろうか。古きよき時代ではあったが、日本はこうした中、しだいに戦争への泥沼に踏み込んでいく。
 この歌は、未曾有の破局が待ち受けていることをまだ知らない、つかのまの無邪気な幻影のような甘い響きがあって、それが悲しい。

 そうだ。僕は月の話を書いていたのだ。

 秋の月を詠んだ短歌や俳句は数知れぬが、とどめはこの歌だろう。

 月見れば ちぢに ものこそ悲しけれ わが身一つの秋にはあらねど (大江千里 古今集)

 この「わが身一つの‥」は、教科書では「自分ひとりだけの秋というわけではないが」と口約されているが、何かもっと背景があるように思えてならない。

 というか、このくだりは、みなそれぞれが、わが身の秋に置き換えて鑑賞できるのだと思う。

 東の空、雲の間を分け入るように、満月がのぼってきた。

 月が鏡であったなら‥‥ねえ。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2004/09/27

「走れメロス」のラストをどう解釈するか

僕のブログは、「表」のサイトである「21世紀の歩き方大研究」の「裏」という構成になっているのだが、せっかくの「表」と「裏」の関係を生かした記事は書いていない。

そこで今日は、「表」に連動した話を書いてみようと思う。

今日、表の「つれづれ草」に、英国ニュースダイジェス誌に掲載中の「時間の岸辺から」63回目の「夕日パワー」を、同誌に同時掲載でアップした。

この「夕日パワー」は、太宰治の「走れメロス」の話から始まって、現代と夕日について展開し、最後はまた「走れメロス」で終わっている。

「時間の岸辺から」では触れなかったが、「走れメロス」には夕日とともにもう一つ、とても重要な部分がある。

それは、一見本筋とはまったく無関係に見えるラストの数行の持つ意味だ。

ひとりの少女が、緋のマントをメロスに捧げた。メロスは、まごついた。佳き友は、気をきかせて教えてやった。
「メロス、君は、まっぱだかじゃないか。早くそのマントを着るがいい。この可愛い娘さんは、メロスの裸体を、皆に見られるのが、たまらなく口惜しいのだ。」
勇者は、ひどく赤面した。

このくだりをめぐっては、友情と正義のため全裸で失踪したメロスに対し、太宰自身がある種のうさんくささと気恥ずかしさを感じて、メロスに赤面させた、という解釈も出されている。

しかし僕は、もしそうならば、太宰は何もわざわざメロスの話を小説に仕立てることはしなかったのではないか、と思う。

また太宰はこのくだりを入れることによって、単なる友情物語になることを避けたのだ、という見方も多いが、僕には、単にバランスをとるために入れられたエピソードとは思えない。

このラストこそ実は、太宰が最も書きかかったことで、それは異形なるものの容認すなわち異性が持つ母性に対する、太宰の渇望ないしは希求だった、という解釈もあって、僕はこれにかなり惹かれる。

僕自身の解釈はこうである。メロスは最初や途中はともかく、最後の方は友の命や友情や約束や名誉のことなど、考えていない。

最後の方では、「なんだか、もっと恐ろしく大きいものの為に走っているのだ」「ただ、わけのわからぬ大きな力にひきずられて走った」と書かれていて、メロスを走らせた力は、赤く燃える夕日そのものなのではないか、と僕は思っている。

少女は、友情の美しさや名誉に感動したのではなく、夕日と一体化して全裸で疾走してきたメロスに、まぶしいほどの官能美と神々しさを見いだしたのだろうと僕は思う。

緋のマントを差し出したのは、メロスへの恋心からというよりも、極限まで生命を燃焼させた男とそれに付き合った夕日とを、ともにつつみこむ優しくて大きな異性のまなざし、すなわち普遍的・象徴的な意味での「母性」だったのではないだろうか。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2004/09/26

妻が最もストレスを感じるのは「夫」という調査結果

切り抜いた新聞の記事は、5日間もするとすぐにいっぱいになる。そこで、気合を入れてまとめてスクラップブックに貼っていく。

貼りながら、切っておいた記事を読み直すことも多く、いろいろと考えさせられる。

別々な記事を、あらためて比較しながら読むということもある。

晩婚化・非婚化についてまとめた記事で、いまや東京都区部の30代前半の未婚率は、男が55.8%、女が40.6%とあり、この数字の高さにあらためて目を見張った。

別な記事で、小学館などの調査によれば、妻が最もストレスを感じる人間関係の1位は、なんと「夫」という結果だった、とある。

未婚率の高さと、妻が夫に感じるストレス度の高さは、相関関係があるだろうか。

どうも底流でつながっているものがあるような気がする。少なくとも、このような調査結果になっていることは、未婚化をさらに推し進める結果にはなりそうだ。

ちなみに、この調査によると、妻がストレスを感じる人間関係の2位以下は、「子供」「自分自身」「義理の親」「実の両親」「上司」「同僚」と続く。

ストレスの少ない方のトップは「姉妹」で、それについで「友人」となっている。

友人とは、ストレスの少ない人間関係である、と定義することも出来そうだ。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2004/09/25

さようならフランソワーズ・サガン

04-09-25_20-08.jpgフランソワーズ・サガンが亡くなった。心不全で、まだ69歳の若さだった。

僕はサガンの小説は、たった一つしか読んでいない。それは「悲しみよこんにちは」でも「ブラームスはお好き」でもない。

サガンへの辛口批評で知られるフランスの各新聞雑誌が珍しく絶賛した「逃げ道」で、日本では1997年に新潮社から出版された。

この一冊で、僕はサガンファンになったといっていい。僕はたいてい、一つの作品が良いと、その作者にすっかりほれ込んでしまう傾向がある。

「逃げ道」は、ジャンルで言えばコメディーで、語り口のあまりのおかしさ、面白さは、一人で静かに読んでいても、声を出して笑わずにいられないほどだ。

舞台は、ナチス・ドイツによってパリが陥落した1940年。偶然一緒になった個性も生き方も違う上流階級の男女4人が、車でパリから脱出する途中で、ドイツ軍による空からの機銃掃射を受け、車の運転手が即死し車も壊れて動かなくなる。こうして、4人が田舎のど真ん中に取り残されたことから物語が始まる。

この4人のブルジョアを貧しい農村の一家が助けて、農村での思いもよらない共同生活が始まる。想像を絶する貧困を目の前にしたカルチャーショックの中で、世にも奇妙で吹きだしそうなほどおかしい人間ドラマが繰り広げられていく。

この農家には、なにやら叫び続けているだけの寝たきり老人や、白痴の青年がいて、そのことが集団生活にも影を落として、4人の混乱ぶりに拍車がかかる。

ラスト近く。壊れた車がようやく直り、運転してくれる農民も見つかって、4人は喜び勇んでパリに向かう。

結末のあまりの衝撃には、言う言葉もない。

ここでは、最後の3行を引用しておきたい。サガンはこの一言を書くために、このコメディーを書いたといってもいい。

「悲しみや涙のためには、人は、その死者の物語を知らなくてはならない。その背景を、細部を、知らなくてはならない。一方喜びや幸福は、そうしたものを要求しはしない。それらは曖昧なままで、充分に、満足している」(河野万里子訳、1997年、新潮社)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2004/09/24

さよなら猛暑の夏、ビルの外に出れば秋の雨

ビルの中にいるうちは、外の天気というものは全く分からないものだ。

とくに、さまざまな機能が備わった大きなビルは、外の天候の影響を全く受けることなく、すべての物事が進んでいく。

外に出て初めて、雨が降っていることに気付いた。

天気予報では今日の降水確率は20%だったので、降らないような気になっていた。どうも天気予報は継続する天候には強いが、変化する天候には弱いような気がする。

シトシト降る夜の雨は、夏の間の雨とは明らかに異なる秋の雨だ。

昨日は秋のお彼岸だったので、もう昼の長さより夜の長さの方が、わずかではあるが長くなっている。

これからは、どんどん夜の長さが増していって、冬至をはさんで半年間は、夜の長さの方が長くなる。

つい先日までの猛暑を思うと、このことは意外な気もするが、暦はまごうことなく秋そのものだ。

気温も、いつまでも猛暑の残影を引きずっているわけにはいかない。

さよなら、猛暑の夏。今年の秋は短いだろうか、それともかなり長い秋になるのだろうか。

2004年も、あと3カ月と6日になった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2004/09/23

このところ、テレビ離れが止まらない

このところ、僕のテレビ離れがどうにも止まらない。

前から、テレビはニュースしらいしか見なかったのだが、そのニュースも最近は、夜9時前後のNHK総合テレビのニュースの音声だけを、携帯ラジオで聴いてそれで充分という感じなのだ。

音楽番組などをDVDに予約録画することはときたまあるのだが、録画しても全く見ていない。こうやって録画ばかりためていって、この先、見ることがあるのだろうかとギモンに思ってきた。

その分、というわけでもないが、新聞は全国紙4紙を購読しているので、ちょっと気に入った記事をスクラップするためにハサミで切り抜きながら、いい記事だけをピックアップして時間をかけて読んでいる。

事件事故の記事は見出しだけで、中身は読まないことが多い。大きなニュースの速報は、インターネットで事足りる。

おととい、夜8時45分のニュースを聴くために、携帯ラジオのスイッチを入れたら、和田アキ子が歌っていたので、あわててテレビをつけてみた。

番組の最後の方で、しかも歌の終わりだけだったが、とても印象に残った。

叶わぬ恋だとわかっていたって
淋しいよりも きっと しあわせよ

何年か前の紅白で、大トリの和田アキ子が歌った「あなたのために歌いたい」は、マイクを使わないアカペラを交えての素晴らしい絶唱で、僕はこの歌ですっかりアッコの大ファンになってしまった。

あなたのために歌いたい
どこかで聴いてるあなたに

紅白の歌もよかったが、おととい、最後だけちょっと聞いた歌もよかった。おとといの歌、また再放送しないかなあ。

(テレビ離れのことを書きたかったのに、逆のことを書いている‥‥)

(追伸:「21世紀の歩き方大研究」の新世紀つれづれ草に、「西安の街で見た大きな目玉の看板、デジャ・ヴュの正体は」をアップロード)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2004/09/22

米国のポチの安保理常任理事国入りに反対!

安保理の常任理事国入りをめざすだって? 日本が? 何のために?

コイズミさんが国連演説で、その決意を表明しただって? ああ恥ずかしい。世界に恥をさらしているようなものだ。

大義なき国際法違反のイラク戦争に、ブレアの英国以外では最も突出して支持を表明し、積極的に自衛隊をイラクに派兵してはばからなかった日本に、常任理事国入りを表明する資格はない。

というよりも、日本のような米国追随一辺倒で、米国が大量破壊兵器の発見を断念したというのに、いまだにイラク戦争は正しかったなどと大ボケをこいている日本は、常任理事国入りすべきではない。

先の参院選で、マッドアマノ氏が自民党ポスターの「この国を想い この国を創る」のコピーをもじって、「あの米国を想い この属国を創る」と揶揄したパロディーが、あらためて思い起こされる。

ブッシュのポチが常任理事国入りして、どういう結果になるかはミエミエではないか。

フランスやドイツでこっそりささやかれている通り、安保理での米国の票が2票になるだけのことなのだ。

それこそブッシュは大歓迎で、コイズミに頬擦りしたいほどだろうよ。

しかし、いかに無節操といえども、程度というものがあるぞ。

僕は、日本の政権が変わって、憲法9条を国是として高々と掲げ、戦争をしない世界の構築に率先して取り組む決意を世界に表明するならば、そして相手がアメリカであれどこであれ、先制攻撃論のような軍事力優先のやり方に真っ向から異議を唱えていさめることが出来る国になったならば、常任理事国入りを考えてもいいと思う。

しかし、理念も志もないまま、ただただ米国に頭をなでてもらいたいばっかりに、よだれをたらしてシッポを振るのは、いいかげんによしてほしい。

僕は、米国のポチ日本の常任理事国入りには、断固として反対する。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2004/09/21

古田選手の血液型はB型、なるほどねえ

いま日本で最も熱い男、古田敦也選手。
今日の毎日新聞夕刊で、古田選手の4日間を追う、という特集記事を組んでいて、この中で野村克也シダックス監督が面白いことを言っている。

「古田は血液型がB型だから、こうと決めたら思った通りにならないとダメ。私もB型だけどね」

なるほど。日本のプロ野球史を塗り替えるかもしれない古田選手のシンの通った姿勢には、人柄や性格だけではなく、血液型も関係しているというのは、興味深いことだ。

ちなみに、B型で有名なのは、モーツァルト、伊達政宗、西郷隆盛、田中角栄だ。現代では、ポール・マッカートニー、長嶋茂雄、筒井康隆、坂本龍一、野茂英雄、谷亮子、コロッケ、都はるみ、川口外務大臣、横田めぐみさんの娘のキム・ヘギョンさんらがいる。

架空の人物で血液型がB型とされているのが、サザエさんと、男はつらいよの寅さんだ(ちなみに渥美清もB型)。映画の中でリリーを演じた浅丘ルリ子もB型。

頑張れ古田選手とプロ野球選手会! 声援を送る僕も実は、B型人間のはしくれである。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2004/09/20

9月15日でない初めての敬老の日

クリーニング屋のおばちゃんと話をしていたら、今日20日がなぜ祝日なのか分からない人が多いという。とくにお年寄りに多いという。

僕も最初は、コンビニに春と秋のお彼岸だけに並べられている「おはぎ」があったので、今日がお彼岸のような気がしていた。

ところが暦を見ると、23日が秋分の日で祝日になっている。じゃ今日は、なんだろう。振替休日でもない。

よくよく暦を見ると、敬老の日とある。

祝日法が改正されて、去年から敬老の日が9月の第3月曜日になったのだという。

しかし去年の敬老の日はそれまでと変わらず9月15日だった。

去年は偶然、第3月曜日が15日だったのだ。ということは、9月15日でない敬老の日は、今日が初めてなのだ。どうりで分からないわけだ。

もっと驚くことがある。5年後の2009年は、9月の第3月曜日が21日になる。

その2日後の23日が秋分の日になったら(たぶんそうなりそうなのだが)、2つの祝日にはさまれた9月22日が「国民の休日」となって、史上初めて、5月4日以外の「国民の休日」が実現するのだ。

そうするとどうなるか。20日が日曜日、21日が敬老の日、22日が国民の休日、23日が秋分の日。夢の4連休となり、土曜日が休みの人は5連休になる!

といっても、まだ5年もあるのだよ。北京オリンピックさえ終わっている遠い先の話なのだ。

2009年‥‥。4連休や5連休よりも、急速な温暖化進行で、日本や世界がもはや手遅れなほどボロボロになっているのではないか、とそっちの方が気にかかる。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2004/09/19

ケータイの画像はカードリーダーでパソコンに転送

昨日は、ボーダフォンのV801SHで撮り貯めた画像を、専用USBケーブルでパソコンに取り込めなかったため、ヨドバシカメラにこのケーブルを返品して、カードリーダーを購入した。

IT関係の周辺機器やケーブル類は、自分の機器に対応するかどうかを店員が電話でメーカーに確認してくれても、実際につないで見ると合わなかった、というケースがよくある。

こうした時に返品は避けられないが、返品にもマナーとコツがある。

まず返品をスムーズにするためには、領収書はぜひとも必要だ。ちょっとしたケーブル類やオプション品を買った時など、領収書はすぐに捨ててはいけない。

買った商品を開ける時も、パッケージはていねいに開けて、くれぐれもバリバリに破いたりしないことだ。付属している説明書などすべてのものも、捨ててはいけない。

返しに行くのは早いほどいいが、領収書さえあれば数日程度経っていても大丈夫だ。

返品の理由は簡潔に説明すること。くどくど言っていると、相手も何が言いたいのか分かってくれない。

そして、返品した商品に代わって、自分の持っている機器に合う商品が分かっているならば、それに買い換えることを早く意思表示すべきだ。

ということで、今回、代わりに購入したカードリーダーは、ドライバーの読み込みも必要なく、西安で撮った100枚を超える写真を、ワンタッチですべて一括してパソコンに取り込むことが出来た。

カードリーダーは、僕のケータイのSDメモリーカードを含めて、7種類のメモリー媒体に対応していて、それぞれの差込口があり、なかなか便利に出来ている。

(追伸:「21世紀の歩き方大研究」の新世紀つれづれ草に、「大義を失ったイラク戦争、ブッシュを戦争犯罪人として国際法廷に」をアップロード)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2004/09/18

ケータイの画像データをパソコンに転送出来ない!

ボーダフォンのV801SHは、西安からの写真付きモブログも完璧に成功させることが出来て、とても使い勝手のいいケータイだと思っているが、たった一つ、残念な点があることが分かった。

それはケータイの中に撮り貯めた画像データなどを、パソコンに転送出来ない、という点だ。

この機種は、別売りのUSBケーブルでパソコンと接続出来るようになっていて、このケーブルを使えるようにするためのドライバーもCD-ROMでケータイに付属している。

そこで、このUSBケーブルを買ってきて、ドライバーをパソコンにインストールし、ケータイをつないでみたが、ウンともスンとも動かない、ていうか、何をどうすればデータを転送できるかが、分からない。

ボーダフォンのサイトを詳細に見ていくうちに、パソコンにデータを転送するための「ケータイファイル転送ヘルパー」という無料ソフトが、このサイトからダウンロード出来ることが分かり、このソフトをパソコンにインストールして立ち上げてみた。

しかし、このソフトは立ち上がるのだが、タータイをつないでもやはりソフトが作動しない。あらためてボーダのサイトで、このソフトの対応機種をよく見ると、なんと僕のV801SHが入っていないではないか。

そこで、ボーダのお客さまセンターに電話して聞いてみる。

意外なことに、V801SHからパソコンに、USBケーブルで画像などのデータを転送する方法は、いまのところない、という答えだった。

では何のために、付属のCD-ROMにUSBケーブル用のドライバーが入っているかというと、ノートパソコンなどにケータイを接続して、出先からモバイルパソコンとしてインターネットなどを閲覧するためなのだという。

ということで、ケータイの中の画像データをパソコンに取り込むには、メモリーカードに画像データを移した上で、カードリーダーを使ってメモリーカードごとパソコンに差し込む方法しかなさそうだ。

明日、カードリーダーを買ってきて、この方法でやってみよう。

ボーダのお客さまセンターには、V801SHで使える「ケータイファイル転送ヘルパー」をぜひ作ってほしい、という要望を出しておいた。画竜点睛を欠く、というのはこのことだな、と思った。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2004/09/17

新宿東口にヨドバシカメラが8階ビルでオープン

04-09-17_12-26.JPG新宿駅東口で、いくつかのビルに分散して利用しにくかったヨドバシカメラが、17日から「マルチメディア新宿東口」としてJR新宿駅東口にオープンした。

8階建ての各階すべてがヨドバシカメラの売り場で、なかなかビッグな感じになった。
このビルは、もとは聚楽8(エイト)というマイシティの真向かいの飲食店ビルだったものを全面改装したものだ。

新宿のマルチメディア量販店は、西口ではヨドバシカメラが大きな店舗を展開しているほか、さくらやもかつての西口商店街のビルのほとんどを店舗にしており、新しいところではビックカメラが小田急ハルクの大半をテナントとして占めるようになっている。

東口はビックカメラが店舗を整理して、小田急ハルクの店舗に集約しつつあるが、ヨドカメとさくらやは、因縁ともいえる「サッチャン・ヨッチャン戦争」を繰り広げてきた。

今日のヨドカメの新店舗オープンで、さくらやはやや出遅れた感があるが、これからどんな巻き返しに出てくるのか、興味津々だ。

ユーザーとしては、IT関連量販店同士が切磋琢磨の競争を繰り広げるのは大歓迎。品揃えも価格もサービスもアフタケアも、ライバルに一歩たりとも負けないように、大いに競い合ってほしい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2004/09/16

ブログサーフィンにおけるリンクの重要性

だれかのブログを見に行った後で、さらにほかの知らない人のブログも見てみたい、と思うことはよくある。

そんな時に、別なブログへ飛ぶ最も重要なきっかけとなるのは、リンクだ。

おそらくほかの人たちも同じではないかと思うのだが、リンクをたどって別なブログを訪れ、さらにそこに貼られたリンクをたどってまた別なブログに行く、というのは最も効果的かつ意外性のあるブログサーフィンの方法だろう。

そうなると、リンクの位置をどこに置くかにも注意を払う必要があるだろう。
僕のブログのリンクは、右サイドバーの一番下にあったが、これでは僕のブログからリンクをたどってサーフィンしたいという人たちには不便かも知れない。

ということで、たったいま、リンクの位置を右サイドバーの一番下から、月の満ち欠けのすぐ下の目立つところに移動させてみた。

ここなら、ヨーロッパ在住の人たちが、僕の「表」サイトから「裏」ブログを見にきて、リンク先も見てみたいと思った時に分かりやすいのではないか、という気がする。

ヨーロッパ在住のみなさん、僕の「表」からこの「裏」に来たら、ぜひリンク先のブログも見ていっていただきたいと思います。もっともっと日本社会の「いま」がよく分かること請け合いです。

| | コメント (4) | トラックバック (1)

2004/09/15

欧州の日本語新聞の連載にHPのアドレス

「時間の岸辺から」という時評エッセイを、僕が2年半に渡って連載しているロンドンの日本語新聞「英国ニュースダイジェスト」から、うれしいメールをもらった。

この「時間の岸辺から」というコラムは、「英国ニュースダイジェスト」の中でも人気の高い読み物の一つになっていて、僕のほかの記事もよんでみたいという読者のために、毎回、記事の最後に僕のホームページ「21世紀の歩き方大研究」のアドレスを掲載したい、というのだ。

僕としても、ヨーロッパ在住の日本人に、ホームページを見てもらえるならば願ってもないことなので、早速快諾の返事を出した。

もちろん、アドレスは「表」のアドレスなのだが、「表」の中の一つの構成ページとしてこのブログ「裏・21世紀の歩き方大研究」がリンクされているという構成になっているので、これからはヨーロッパの各地から、このブログも読まれるかも知れない。

なんだか緊張するなあ。エリザベス女王がこのブログを見るかも知れないぞ。(ん? あり得ないか)

で、ともあれ9月23日発行の紙面から、「表」のアドレスが全ヨーロッパ中に(!)公表される。

ヨーロッパ在住の日本人のみなさん、「表」も「裏」もどうぞよろしくご愛読のほどを、よろしくお願いいたします。m(__)m


(追伸:「21世紀の歩き方大研究」の新世紀つれづれ草に、「西安の街を歩いて感じた、時代と歴史の追憶と錯覚」をアップロード)

| | コメント (3) | トラックバック (0)

2004/09/14

7年間使ってきたドコモのケータイを解約

この1カ月の間、僕は2つのケータイを持っていた。7年間使い続けてきたドコモのケータイの、僕にとっては3世代目のF506iと、海外ローミングのために1月ほど前に買ったボーダフォンのV801SHだ。

ドコモのF506iは200万画素、ボーダフォンのV801SHは100万画素で、画素数で比較すればドコモの方が断然いいに決まっている。

が、僕は今日、ドコモのケータイを解約してきた。1977年から7年間お世話になったドコモよさらば。F506iは買い換えてから2カ月半の短い付き合いだった。

ボーダフォンのV801SHは、海外からの写真付きモブログが完璧に出来ることを実証しただけではなく、さまざまな面で海外旅行には欠かせないことが分かった。

例えば、海外でのウェブサイトの閲覧が日本と全く同じに出来る。僕の場合は、無料のNHKニュースと、月100円の朝日日刊ニュースをタータイのお気に入りに登録してあり、西安から街を歩きながら、内外の重要ニュースをもれなくチェックすることが出来た。

なぜドコモは、グローバル・スタンダードのケータイに出遅れてしまったのだろうか。ボーダフォンなら100カ国からの国際ローミングが出来るし、auもアジアを中心に数カ国でローミング対応を始めている。

ドコモは国内用のケータイは海外に全く対応しておらず、海外へ行くには対応機種をドコモから借りなければならないという、ドコモにとっても屈辱的な手続きをとらなければならないのが実情だ。

7年前、僕が初めてドコモのケータイを持った時には、2001年ごろには、ドコモから世界中で使えるケータイの機種が発売されると喧伝されていた。

いまだにそれが出来ていないというのは、ドコモの国際対応の戦略的失敗としかいいようがない。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2004/09/13

生活も日常モードに切り替えて

西安でモブログに使ったボーダフォンのケータイは、成田に着いてから成田エキスプレスの車内で、海外モードから日本モードに切り替えました。切り替えてからいったん電源を落として入れ直さないと、日本で使えるようにはなりません。

さて、わずか8日間とはいえ、旅行中にいろいろなことがたまっていて、それを処理して僕自身の生活を早く日常モードに切り替えなきゃ。

留守中にたまっていたメールは1300通もありましたが、ほとんどがスパムメールです。

4紙購読している新聞もたまりにたまっていて、これは1週間くらいかけてチェックして必要な記事をスクラップに貼っていきます。

英国ニュースダイジェストに連載している時評エッセイ「時間の岸辺から」は、明日が締切日。旅行に出かける前に、すこし下書きをしておいて、助かりました。

表のウェブサイト「21世紀の歩き方大研究」の更新は、まだ手付かずです。明日あたり、なんとかしなきゃ。

そうそう、このブログの更新もすっかり忘れていて、いまこうして書いています。

非日常から日常に戻るということは、意外に大変なことです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2004/09/12

再見!西安 モブログを終わります

ちょうど1週間前の日曜日、9月5日におそるおそる始めた西安からのモブログは、予想を上回る好調な結果を出すことが出来、本日9月12日、成功裏のうちにフィナーレを迎えることが出来ました。

写真はホテル近くの大通りの現在の様子です。西安の天気は快晴。時刻はこちらの時間で、昼前の11時を少し回ったところです。
これから西安空港に向かい、午後3時すぎの飛行機で日本に帰ります。

この8日間というもの、インターネットカフェなどを探す必要も全くなく、一度もパソコンのお世話になることなく、全てをケータイ一本でこなすことが出来ました。

自分のブログの記事、写真、コメントを確認出来た上に、ほかの方々のココログの記事、写真、コメントも全て、このケータイで見れたことは、大きな驚きでした。正直言って、小さなケータイがこれほどの可能性を秘めていたとは、思ってもみませんでした。

西安は本当に素晴らしい街です。ぜひまた訪れてみたいと思っています。僕のつたない中国語、というよりは僅かな単語を並べただけの言葉を、懸命に理解しようと努めて親切にしてくれた西安の人達に、心から感謝いたします。

あたたかいコメントをいただいたtomoさん、モブログを見に来てくれたみなさん、本当にありがとうございました。

では、これで西安からのモブログをひとまず終わらせていただきます。

またいつの日か、モブログでお会い出来る時まで、さようなら。再見!040912_1204.JPG

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2004/09/11

西安からのモブログ7日目、写真特集

西安からのモブログは、ついに7日目まできました。今日は9月11日、土曜日。NYの同時多発テロから3年、なにごともなければいいのですが……

西安は、午前中少し薄雲が出ていましたか、いまはすっきりとした快晴になっています。

今日も昨日に続いて、モブログ写真特集です。

僕のブログではこれまで、自分の写真を載せたことがないのですが、せっかくですので初めて写真を公開します。ジャーンp(^^)q

というほどのことでないのですが……これは、城壁の上を自転車で走っている時に、ケータイのセルフタイマーで撮った写真です。

城壁の明徳門(南門)を上がったところに、城壁の上を走りたいという人のための貸し自転車があります。
1時間10元(約130円)。保証金200元を預けて自転車を借り、出発。

城壁は一周すると14キロありますが、城壁の上はもちろん舗装などしてなく、かなりデコボコの石畳で、相当走りにくい感触です。
本当はシルクロードの起点とされている安定門(西門)まで走るつもりだったのですが、途中まで走ったところで工事中のため行き止まり。

そこで引き返して、こんどは長楽門(東門)へ。もとの場所に戻った時には、ちょうど1時間が経過していました。

この城壁を一周するマラソン大会も、時々行われている、ということです。

西安からのモブログは、実質的には今日が最後となり、明日は簡単な「サヨナラ西安」モブログとなります。040910_0931.JPG

| | コメント (0) | トラックバック (0)

西安からのモブログ7日目、写真特集

デパートのエスカレーター。7階から地下1階まで吹き抜けになっていて、下を見下ろすと目がくらみます。防護柵のようなものはないので、身を乗り出すのは危険。西安のデパートには、こういう吹き抜けが多いようです。040908_1509.JPG

| | コメント (0) | トラックバック (0)

西安からのモブログ7日目、写真特集

イスラム地区に近い包子の店。いつも地元の人達で混んでいて、みな相席になります。作りたての羊肉の小籠包が10個で6元(約80円)。向かいに写っている女性たちは相席になった人達です。話し方からしてたぶん中国の女性たちのようです。040908_1450.JPG

| | コメント (0) | トラックバック (0)

西安からのモブログ7日目、写真特集

城壁の明徳門(南門)で、服務員らしい男性と、やはりここで仕事をしている女性のようです。ちょっとしたひととき、二人は仲良しさんのように見えました……040908_2207.JPG

| | コメント (0) | トラックバック (0)

西安からのモブログ7日目、写真特集

西安郊外の動物園で見た金絲猴(きんしこう)という黄金色の猿。哲学的な表情をしていて、なかなか貫禄があります。孫珸空のモデルになった猿として知られています。040911_1541.JPG

| | コメント (0) | トラックバック (0)

西安からのモブログ7日目、写真特集

土曜の午後の大通りで、大勢の通行人を前に、ポップ調のリズムの歌を歌う女性。司会もやりながら、ノリにのっています。子供たちが大喜びで舞台に駆け上がっていっても、気にしません。のどかで平和な光景です。040911_1735.JPG

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2004/09/10

西安からのモブログ6日目、写真特集

西安からのモブログは、6日目。いよいよ大詰めといった感じです。今日は9月10日。日曜日に西安に来たのにもう金曜日とは、早いものです。
西安は、今日も素晴らしい快晴です。

今日と明日の二日間に渡って、モブログ写真特集でいきます。

ホテルから15分ほど歩いたところに大きなスーパーマーケットがあります。

ジャスコやイトーヨーカドーくらいの広さのフロアが、1階から3階まであり、1階が日用品、2階が食料品、3階が衣類や電化製品などとなっています。

このスーパーに入るにはまず、入口のところにあるロッカーにバッグ類を入れなければなりません。
服務員の女性にカギを開けてもらって入れ、カギを受け取ります。ロッカーに入らない大きな荷物がある人は預かり所に預けます。

食料品フロアには、出来たてのさまざまな中国家庭料理のお惣菜から、パン、ケーキまで、そのままで食べられるものがいっぱいあります。
写真は、ここの食品フロアの様子です。

フロアの移動は、少しずつ斜めに上がって(逆方向は下がって)いく「動く歩道」のようなものに乗ります。車イスの人でも身体の不自由な人でも、容易に乗ることが出来ます。

すべてのフロアで買ったものを、全部まとめて1階のレジで精算します。

僕の場合だと、お惣菜3、4種類に飲み物、ケーキなど、いろいろ買ってもせいぜい20元(約260円)ほどにしかなりません。

レジの後の出口は一カ所しかなく、ここでレシートを男性の服務員に見せてチェックの線を引いてもらわないと、出ることは出来ません。

ここを出たところが、入る時にバッグを預けたロッカーの場所で、服務員の女性にカギを渡して開けてもらいます。

このシステムならば万引きする不心得者は、ほとんどいないのではないか、などと感心します。

明日も、西安からのモブログ写真特集です。040908_2205.JPG

| | コメント (0) | トラックバック (0)

西安からのモブログ6日目、写真特集

表の道路に整列して朝礼中の従業員たち。高級美容院の開店前の光景のようです。手前に写っている果物は、隣のお店のものです。040910_0927.JPG

| | コメント (0) | トラックバック (0)

西安からのモブログ6日目、写真特集

開店前のひとときを、和気あいあいと遊ぶ店員たち。この洋服店と、隣のケーキ屋さんは、ビル全体が何日間も停電していて、夜になるとローソクを点して営業しています。040910_1110.JPG

| | コメント (0) | トラックバック (0)

西安からのモブログ6日目、写真特集

ヒモでつながれたネコちゃん。西安ではあちこちで見かけました。ネコはヒモをはずそうと必死になって跳びはねています。西安のネコは、つないでおかないと、いなくなってしまうのでしょうか。それともネコさらいとかが……040910_0921.JPG

| | コメント (0) | トラックバック (0)

西安からのモブログ6日目、写真特集

西安の街は街路樹が多くて、とてもきれいです。街行く女性たちが街路樹によく似合っています。女性たちの8割はジーパン姿で、お洒落なTシャツやブラウスを上手に着こなしています。040910_1129.JPG

| | コメント (0) | トラックバック (0)

西安からのモブログ6日目、写真特集

大通りのあちこちに、その日の主要な新聞を張り出したガラス張りの掲示板があって、市民たちが見入っています。まさに「壁新聞」といった感じです。
日本の自衛隊のイラク派遣について書いてある記事には、「海外派兵」の文字があふれています。日本政府が何と説明しようと、中国にとっては、そして中国人にとっては、海外派兵として受け止められているのだ、ということを僕たちは知っておく必要があるのではないか、と感じました。040910_1148.JPG

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2004/09/09

西安は今日も快晴、5日目のモブログです

西安からのモブログは、5日目を迎え、後半に入りました。今日は9月9日、木曜日。

西安は、昨日に続いて快晴です。空気もますます乾燥して、気持ちのいい陽気です。

昨日の記事で、西安には横断歩道橋がない、と書きましたが、そんなことはありませんでした。(>_<)
一部分だけをちょっと見て判断してはいけませんね。
今日は街の中心部とは離れた北の方向へ、西安駅に向かってずっと歩いて行きました。

西安駅が向こうに見えてくるあたりの、大きな通りの交差点に巨大な横断歩道橋がありました。完全な円形で、階段が8カ所ほどにあります。エスカレーターはなく、かなりの段数を上らなければなりません。

へえ〜、西安の人達も歩道橋に登るんだ、と感心したのもつかの間、この巨大歩道橋の下を信号無視して渡っている人達がいるわいるわ。黄色い旗を持った交通整理員が笛を吹くと走って渡ります。
写真はその様子です。

車イスの人達などはどうやって渡っているのでしょうか。地下道を作るよりは歩道橋の方が安上がりなのかも知れませんが、せめてエスカレーターがあればいいのに、なんて思いました。
駅の近くに靴磨きの女性たちがいたので、磨いてもらいました。1元(約13円)とは気の毒な気がしましたが、物価の相場がそのくらいだということかも知れません。

駅前の小さな本屋さんをのぞいてみました。中国語の本ばかりですが、翻訳された渡辺淳一全集があったのにはびっくりしました。

なぜか子供向けの学習書の棚のところに、明らかに扇情的なドギツイ表紙の雑誌が何種類か置いてありました。

社会主義国の中国では、ポルノはご法度のはずだが、と思いながら手に取ってみると、文章にまじって女性の下着姿の写真がモノクロで10枚ほどあります(*_*)。それもおとなしいポーズばかりで、セミヌードではありません。

このあたりが、ギリギリの線なのかなと思ったりしますが、これもたった1店だけを見て判断は出来ないように思います。

明日も、西安からのモブログを続けていきます。

040909_1617.JPG

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2004/09/08

快晴の西安から、4日目のモブログです

西安からのモブログも、はやいもので4日目となります。今日は9月8日、水曜日。

西安は、朝から雲一つない快晴です。空気もカラッとして気持ち良く、これでようやく内陸乾燥地帯の西安という感じです。

写真は、鐘鼓楼広場の角にある開元商城という大きなデパートの、西側玄関付近の様子です。左の向こう側に鐘楼が見えています。

デパートに入って圧倒されるのは品揃えの豊富さで、高級ブランド品も日本のデパート並みに数多く揃えられています。

2階の化粧品フロアは、ゴージャスな雰囲気といい、売り場の女性たちの様子といい、日本の伊勢丹や高島屋あたりと見みまごうばかりです。

西安は北京や上海に比べて経済的に立ち遅れている、とも言われていますが、城壁に囲まれた都市部に限っていえば、とても都会的で洗練されたオシャレな街という印象を受けます。

よく日本の京都と比較されるように、古い伝統や文化を守りながら新しいものを進んで取り入れていく、先取の空気のようなものが、西安の街そのものにあるように感じられます。

学生の街であり若者の街であり、観光の街であることも京都によく似ています。道路が碁盤の目のように、東西南北にきれいに通っているのも、似ています。
というよりか、京都の町並みのほうが、長安と呼ばれていた西安にならった、といったほうがいいのかも知れません。

その西安にも、外資の波はヒタヒタと押し寄せてきています。
僕が宿泊しているホテルもアメリカ資本の系列ですし、街中にはマクドナルドやケンタッキーがいたるところに店舗を出しています。
とはいえ、コンビニが見当たらないのは、不思議な気がします。銀座通りや新宿通りにコンビニがないのと同じで、少し引っ込んだ通りに入ればあるのかも知れません。

大都会の西安ですが、街を行く人達の信号無視ぶりには、度肝を抜かされます。
赤信号でも車が来ないうちに渡るのは、まだ分かりますが、ここの人達はみな、赤信号でしかも車が左右から走って来ているのに平気で渡って行きます。老若男女みな同じですが、とくに若い女性たちは大胆で、車を全く怖がりません!

車のほうも心得たもので、歩行者を上手に除けながら走り抜けていきます。一方で、歩行者側の信号が青なのに、右折左折の車はお返しといわんばかりに、歩行者の間に突っ込んできます。

交差点はいつも、信号などあってもなきが同然の、車と歩行者とのスクランブル状態です。

しかも日本と逆に車が右側通行なので、僕などは西安の人達にくっついて行かないと、危なくて渡れません。

朝夕のラッシュ時には、交通整理の係員や警官が立つところもありますが、それでも信号無視で渡ろうとする人達は後を絶たず、ピーピーと警告の笛の音が響きっぱなしです。

もっと大きな、車の通行量の多い幹線道路の交わる交差点はどうかというと、こちらは歩行者のための通路が地下道になっていて、上りも下りもエスカレーター付きです。

初めて気付いたことですが、西安には横断歩道橋というものがないのです。
歩行者は、大きな交差点では地下道を通り、それ以外の交差点では信号無視という、両極端。どちらにしても、信号に従って渡るということが苦手のようです。
明日も西安からのモブログを続けます。

040908_1126.JPG

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2004/09/07

西安から、3日目のモブログです

西安からのモブログ3日目、今日は9月7日、火曜日です。街の電光掲示板などに中国語で火曜日を意味する「星期二」の文字が光っています。

今日の西安は、午前中よく晴れていて、日なたでは暑いくらいでした。いまはやや日が陰ってきて涼しくなっています。

写真は、繁華街につながる炭市街副食品市場という大きな市場の、ついさきほどの様子です。大勢の地元の人たちで、ごったがえしています。手前に見えている果物はザクロです。

活気あふれるこの市場では生肉から香辛料まであらゆる食品が売られていて、とりわけ新鮮な魚貝類の豊富なことにはびっくりです。内陸部の街とは思えないほど、いろいろな魚やカニ、エビなどが所せましと並べられています。
ウナギ、ザリガニ、ナマズ、カメ……

生きた様々な鳥も食材として売られています。鳥にまじってウサギも売られています。ウサギとカメで、かけくらべをさせることも出来そうです。

市場だけでなく、街を歩いていると、あちこちから、おいしそうないい匂いがしてきます。餃子や包子、店頭で焼く羊肉などさまざまな匂いは、アジアの匂いとイスラムの匂いがまじりあったような、どこか懐かしい匂いです。

今回、添乗員もガイドもなしに非英語圏の国を旅してつくづく感じていることは、「言葉をしゃべらない限りは、ゼッタイに食べ物にありつけない」という、あたりまえの真理です。

ごく初歩的な中国語はインターネットの講座などで少し、かじってきたのですが、これを実践で使うとなるとなかなか難しいものです。

街の中心部にある五一飯店という人気の包子などの店は、街路に面した売り場で湯気のたつホカホカの包子を一個一元(約13円)で売っていて、いつも若い人たちを中心に黒山の人だかりです。

歩き疲れてお腹がすいていた僕は、どうしてもこれを食べたくてたまらなくなり、鳥肉、海老、野菜のそれぞれの包子を注文することにしました。そこで中国語会話のメモを見て言い方を確認し、人だかりの中に突入しました。

ここではお札を差し出して早く注文した者の勝ちで、僕がモタモタしている間に、ほかの人たちがどんどん先に買っていきます。

空腹はますます募っていきます。もう恥ずかしがっているわけにはいきません。さっきメモで確認したとおりに叫んでみます。リャンガ ジーロウ。イーガ シアロウ。イーガ……えーと、えーと、野菜は何だったっけ。

僕のお札を受け取った売り場のお兄さんが、早くしろという目付きで睨んでいます。「野菜を食べると秀才になる」(!?)と覚えたんだった。そうだ、シューツァイだ。

イーガ シューツァイ!
何度も叫んでいるうちに通じたらしく、僕はようやく4個の包子を手にすることが出来ました。しめて四元、全部で50円ちょっとです。

小さな幼児が言葉を急速に覚えていくのは、なによりもまず食べたり飲んだりするために必要に迫られるからではないか、という気がします。

明日も引き続き西安からの実況モブログ(?)です。
−−−−−−−−−−−−−−−
コメントを読めても書き込めないので、以下はコメントモードです。

☆tomoさん
パオズ ヘン ハオチー。僕の携帯で画像も見れていますが、画面が小さく、きれいなのかどうか自信がありませんでした。きれいであれば何よりです。

040907_1113.JPG

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2004/09/06

西安からのモブログ2日目です

ニーハオ! こちら西安、9月6日、モブログの2日目です。今日の西安は薄曇りで、すこしガスがかかっています。昨日ほどの蒸し暑さはなく、わりと過ごしやすいです。

写真は鐘楼の上から西大街を見ています。ここから600メートルほどまっすぐ行くと、シルクロードのスタート地点とされている安定門(西門)があります。
昨日の初めてのモブログは、おかげさまでスムーズにできました。案ずるよりも産むがやすし、ということなのかも知れません。

とはいえ、ここは決して回線の状態がいいとは言えず、時々、回線がつながらなくなってウェブやメールが全く出来ない状態になったり、3本のアンテナが出ていたのが急に圏外の表示になったりすることがあります。そうした時はちょっと時間を置くとつながることもだんだん分かってきました。

西安に日本語対応のインターネットカフェがあるかどうかは、実はまだ確認していません。
たぶんあると思いますが、それを探さなくても、なんと驚くことに僕のこのケータイから、西安の街を歩きながら自分のココログの記事を読むことが出来ているのです。

普通は、ケータイでブログを読もうとしても、データ量が大き過ぎるというエラーになって読むことが出来ませんが、それを読む方法があるのです。帰ってから詳しく書きますが、西安からケータイで読むことが出来ているのは、ブログの中でもココログの記事だけです。

またコメントも読むことが出来ています。前日の記事へのtomoさんのコメントは西安で読みました。
異国で読むコメントは感無量で本当にうれしいです。ありがとうございました。

ノートパソコンや周辺機器が全くなくても、ケータイ1本でこれだけのことが出来るというのは、自分でも驚きです。

ではまた明日、モブログを続けます。040906_1534.JPG

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2004/09/05

ニーハオ! 西安からのモブログです

みなさん、こんにちは。BANYUUです。さきほど、中国の西安に無事に着きました。JALで成田から4時間半ほどでした。

このブログは西安からの生モブログです。ただいま西安の中心部に位置する鐘鼓楼広場に来ています。写っているのは、鐘楼を中心とした現在の西安の様子です。こちらは、現地時間で午後4時50分、日本との時差はマイナス1時間です。
こちらの天気は、雨が上がったところで、いまは曇り空です。気温はほぼ日本なみですが、思っていたより蒸し暑いです。

西安はかつて長安と呼ばれ、日本が平安時代だったころには、100万人もの人々が暮らしていた世界最大の大都会でした。城壁に囲まれた街の中心部には、いまなお当時の繁栄ぶりを彷彿させる長安らしさが色濃く漂っています。

今日は日曜日とあって、このあたりは、若者たちで歌舞伎町なみの賑わいです。
その西安の街からのモブログに使用している携帯の機種は、ボーダフォンのV801SHです。写真はちゃんと掲載されているでしょうか。記事は文字化けしていないでしょうか。

これから滞在中、毎日、西安からのモブログでこちらの様子をお伝えしていきます。

コメントへの返事は、日本に帰ってからなると思います。西安からのモブログはこれから1週間ほどの間、毎日続きます。ぜひご注目下さい。040905_1744.JPG

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2004/09/04

海外からの写真付きモブログに、明日から挑戦

さて、明日から約1週間、海外からの写真付きモブログに挑戦いたします。

前にもちょっと書いたように、パソコンや周辺機器を一切使わずに、ボーダフォンの国際ローミング対応携帯電話、V801SHだけを使って出来るかどうか、試みてみます。

重さ126グラムの小さなケータイ1本だけで、このココログが現地の写真とともに更新されていくかどうか、関心のある方はぜひご注目下さい。

僕としての、成功のめやすは写真が入るかどうかです。普通のサイズでは送れなくて、サイズを小さくして送ることが出来たら成功です。

記事だけしか更新出来なかった場合は、失敗としかいいようがありません。

成功しても失敗しても、その教訓や体験談を後日、ここにまとめて報告いたします。

うまく更新できたかどうかを、現地から確認することが出来ないかも知れません。その場合は、確認なしのぶっつけ本番で、連日、モブログし続けます。

さいわいに確認出来て、コメントも読むことが出来た場合でも、現地からコメントをすることはまず不可能だと思います。
コメントをいただいた方には、帰国後に返事のコメントをすることになると思います。

ではみなさん、どんなことになるか、見ていてください!
 
  
21世紀の残り日数 35182日

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2004/09/03

現金輸送車の積み込み現場をキャッチ

04-09-03_11-211.jpg毎日通る交差点で、いつも同じ時間になると、公衆の面前で現金輸送車への現金積み込みが行われている。

金融機関への現金輸送車の積み出し・積み込み作業は、普通は表通りから見えない裏の駐車場などで行われているのが普通だが、この金融機関は裏の駐車スペースがなく、交差点に面した正面玄関前に、2台分の駐車スペースがかろうじてあるだけだ。

現金輸送車が来る直前になると、まず金融機関の係員が警棒を持って表に出る。

おっ、来るな、と思っていると、いつものワゴン車がやって来てスーッと玄関前に横付けされる。

中からヘルメットに制服、警棒を持った3人の男が、スパイ映画さながらに鮮やかなアクションで車から降り、うち2人がトランクから重そうな現金袋を取り出して玄関から中へ入る。

もう1人の男は、警棒を持ったまま、車の前で仁王立ちになって周囲に目を光らせる。

やがて5分ほどすると、中に入った2人の男がこんどは積み込む現金袋を持って出てきて、3人が車に乗り込むとスーッと発車して行く。

この間、交差点で信号待ちする人たちは、「ああ、いつもの現金輸送車だな」という顔をして、それ以上の関心は示さない。

ケータイで写真を撮っているのは、僕くらいのものだ。

これだけ大勢の通行人の前で堂々と、何の隠し立てもせずに現金の積み込みが行われると、かえって襲撃は不可能だ。

それにこの交差点には、信号機のところに警察に直結している防犯カメラがたくさん設置されていて、その意味でもすべてガラス張りなのだ。

隠れてやるから襲われるのであって、「公開」こそが最も効果的な防犯である、という見事なパラドックスが成立している。
 
 
21世紀の残り日数 35183日

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2004/09/02

40年以上昔のソノシートがたくさん出てきた

04-09-02_17-11.JPG今日の毎日新聞夕刊の「中古盤探偵がゆく」というコラムに、東京五輪女子バレー決勝の瞬間のソノシートの話が載っていた。

ソノシート! 確か僕の家にもあったはずだ。捨ててなければ。

ということで、レコードキャビネット(LPやEPをいっぱい持っているのだ!)の中やらあちこちを探したところ、続々と出てきた!

僕でさえ、あることを忘れていたソノシートの数々。朝日ソノラマ社が月刊で発行していた、「音の出る月刊誌」。これらは子どものころに僕が買ったものなのか、記憶が定かでない。

44年前の60年安保強行採決の時に出された「緊急号」から、アポロ11号の「人類、月からの第一声」まで、よく捨てないで取ってあったものだと驚く。

LPレコードをかけることが出来るコムロビア社のプレイヤーに、「安保緊急号」をかけてみる。初期のソノシートは雑誌に閉じこまれていてはずすことが出来ず、雑誌ごとターンテーブルに乗せるのだ。

33回転にあわせて、そっと針を下ろす。

回転する雑誌とともに、聞こえてきた。しかもおどろくほどクリアな音で! 

1960年5月19日深夜、衆議院本会議場に警官隊が導入され、大混乱の中で社会党議員がゴボウ抜きにされていく。警官隊に守られた清瀬衆院議長の声は怒号の中で聞き取れない。

安保条約が強行採決されていく様子を、克明に実況放送し続けるアナウンサーの声が緊迫して震えている。

そして、なんともレトロで古き良き時代のかおりがする「国際学連の歌」。「国会へ行こう」と叫ぶ全学連リーダーたちの声。鈴木茂三郎、野坂参三らの声も聞こえてくる。

映像はなくとも音声の生々しさは、少しの古さも感じさせない。

今、インターネットやIT機器の急速な発達によって、ライブの動画も音声も、パソコンやケータイでだれもが手軽に入手できる時代になった。

だが、僕たちは40年後の再生・検証に耐えるだけの証言を、日々つくっているのだろうか。

メディアの価値が問われるのは、人と人をつなぐ同時代の伝達だけではなく、過去から現代へ、そして現代から未来へと、どれだけ濃縮された現代史の証言を伝達できるかにあるような気がする。


21世紀の残り日数 35184日

| | コメント (7) | トラックバック (0)

2004/09/01

A新聞に載る名刺広告のゲラが出来てきた

File0102-12.jpg8月26日の「高校の100周年で、紙上名刺交換に参加」で書いた、僕の名刺のゲラが出来てきた。

実際には2センチ×4センチとかなり小さいスペースだが、ウェブとブログのアドレスもはっきり読めて、まずまずのできばえだ。

掲載日は9月3日で、朝日新聞新潟県版に「新潟高校100年広告特集」の紙上名刺交換の中に載る予定だ。

申し込んだ時は、この肩書きでアヤシイ感じにならないかと若干の心配はあったが、こうして見るとアヤシイことがかえって存在感を出しているのではないか、なんて一人で悦に入っている。

一緒に掲載される他の人たちの肩書きは、代表取締役だの役所の局長だの大学教授だのと、ひらびやかな肩書きが会社の住所などとともに並ぶはずだ。

そうした中で、僕の紙上名刺はひときわ異様に映るだろうが、高校100年の歴史でこんな人間が一人くらいいてもいいじゃないか、と思う。

どうせ新聞に出るのだから、名前にモザイクかけたって意味ないじゃん、とは思ったが、いちおうブログではBANYUUだけで本名は出してないので、かけておいた。

僕の本名を知りたい人などいないと思うが、モザイクがかかっているものは何であれモザイクなしのものを見たくてしょうがない、という人は、「表」の「21世紀の歩き方大研究」に回れば、プロフのところに実名があるので、そちらへどうぞ。

実は、このブログのトップページから、ワンクリックで僕の実名を見る方法もあるのだが、ヒ・ミ・ツ。

掲載紙が送られてきてからアップしてもよかったのだが、送られてくるころ僕は旅行に出かけているので。

今日のこの記事、26日の自分の記事にリンクしてトラックバックしている。

(追伸:「21世紀の歩き方大研究」の新世紀つれづれ草に、「今年の8カ月間に起こった、自分の生きかたの連鎖的な変化」をアップロード)


21世紀の残り日数 35185日

| | コメント (2) | トラックバック (0)

« 2004年8月 | トップページ | 2004年10月 »