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2004/09/02

40年以上昔のソノシートがたくさん出てきた

04-09-02_17-11.JPG今日の毎日新聞夕刊の「中古盤探偵がゆく」というコラムに、東京五輪女子バレー決勝の瞬間のソノシートの話が載っていた。

ソノシート! 確か僕の家にもあったはずだ。捨ててなければ。

ということで、レコードキャビネット(LPやEPをいっぱい持っているのだ!)の中やらあちこちを探したところ、続々と出てきた!

僕でさえ、あることを忘れていたソノシートの数々。朝日ソノラマ社が月刊で発行していた、「音の出る月刊誌」。これらは子どものころに僕が買ったものなのか、記憶が定かでない。

44年前の60年安保強行採決の時に出された「緊急号」から、アポロ11号の「人類、月からの第一声」まで、よく捨てないで取ってあったものだと驚く。

LPレコードをかけることが出来るコムロビア社のプレイヤーに、「安保緊急号」をかけてみる。初期のソノシートは雑誌に閉じこまれていてはずすことが出来ず、雑誌ごとターンテーブルに乗せるのだ。

33回転にあわせて、そっと針を下ろす。

回転する雑誌とともに、聞こえてきた。しかもおどろくほどクリアな音で! 

1960年5月19日深夜、衆議院本会議場に警官隊が導入され、大混乱の中で社会党議員がゴボウ抜きにされていく。警官隊に守られた清瀬衆院議長の声は怒号の中で聞き取れない。

安保条約が強行採決されていく様子を、克明に実況放送し続けるアナウンサーの声が緊迫して震えている。

そして、なんともレトロで古き良き時代のかおりがする「国際学連の歌」。「国会へ行こう」と叫ぶ全学連リーダーたちの声。鈴木茂三郎、野坂参三らの声も聞こえてくる。

映像はなくとも音声の生々しさは、少しの古さも感じさせない。

今、インターネットやIT機器の急速な発達によって、ライブの動画も音声も、パソコンやケータイでだれもが手軽に入手できる時代になった。

だが、僕たちは40年後の再生・検証に耐えるだけの証言を、日々つくっているのだろうか。

メディアの価値が問われるのは、人と人をつなぐ同時代の伝達だけではなく、過去から現代へ、そして現代から未来へと、どれだけ濃縮された現代史の証言を伝達できるかにあるような気がする。


21世紀の残り日数 35184日

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コメント

突然ご連絡をしてすみません。国際学連の歌のソノシートをお持ちという記事を読み、すごく懐かしく思いました。今ではどこからも入手できない歌なので、MDにやいてくださるわけにはいかないでしょうか?もちろん、些少ですがお礼はさせていただきます。いかがでしょうか?

投稿: BESSY | 2006/09/09 06:36

BESSYさん、はじめまして。しばらく旅行をしていて、返事が遅くなりました。僕はMDを持っていないので、CD-RかDVD-Rに入れることは出来ないか調べてみたのですが、僕が持っているプレイヤーは出力端子がついてないため、パソコンに取り込むことが出来ません。ただ、カセットテープへの録音は出来るようなので、テープでよければ収録してお送りすることは可能です。

投稿: BANYUU | 2006/09/16 16:55

おかげさまで、マイipodにしっかりと国際学連の歌の思い出がつめこまれました。でも、もしあのとき我が団結の力で米帝を打倒していたらこんな便利なものも手にできなかったんでしょうね。でも、そのときは長距離通勤もなくなっていてipodなんて必要なかったかも。でもやっぱ、下放で畑仕事に従事などという場合を考えるとipodは手放せないなぁ。

投稿: BESSY | 2006/09/19 21:21

BESSYさん、こんにちは。米帝を打倒していたら、インターネットもなかったかも知れませんね。
今回、国際学連の歌の歌詞を読み返してみたのですが、実に素晴らしい歌詞で、この歌は世界遺産として後世に伝えていきたいものだという思いがします。

投稿: BANYUU | 2006/09/20 17:20

その通りですよね。あと、自分の時は“平和のために戦かわん”と“団結かたく”の間に“起てよ”というかけごえみたいな節が入っていたのと、終わりが、わがゆくてを守れ。守れ、わがゆくてを守れ。というふうに繰り返しパターンになっていました。これって、セクトによって多少の違いがあったとかいうことなんでしょうかね?

投稿: BESSY | 2006/09/20 21:56

これは面白い指摘ですね。僕たちの時は、全セクトが一緒にこの歌を歌っていた古き良き(?)時代でしたが、「平和のために戦かわん」と「団結かたく」の間に「起てよ」というかけごえは入っていました。
「わがゆくてを守れ」はやはり繰り返していましたが、その間に小さな「守れ」は入っていなかったように思います。
集会やデモでこの歌を歌う時にはまずリーダーが拡声器で「わがゆくてを守れ」と一節だけを歌い、それに続いて全員で「学生の歌声に」と歌いだしていました。

投稿: BANYUU | 2006/09/20 22:19

ぼくがこの歌を歌わなくなったとき、ぼくの頭が周りと同じ赤から自分で選んだ白になってそれからしばらく理性的判断で青くなっていたときです。何故かというと“学生の”という歌いだしに何か無性に自分の中にある特権階級意識というんでしょうか、当時はプチブル意識などと呼んでもいましたがそんな意識に自己嫌悪を持って、それに耐えられなくなり、黄色い頭で残りの学生時代を過ごしました。ちなみに黄色は東電の下請けの工事現場のヘルメットの色だったんですけど。

投稿: BESSY | 2006/09/22 23:59

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