今宵は中秋の名月、月が鏡であったなら‥‥
今日は中秋の名月だ。東京では西の空から晴れてきて、お月見が出来そうだ。
前にも書いたが、月は地球のどこからでも、見るものが等しく同じ月を見ることが出来る。
日本では満月だが、イラクで三日月で、ニューヨークでは上弦の月で、モスクワでは下弦の月だ、なんてことは決してない。
そこで、こんな歌も生まれる。昭和11年、渡辺はま子が歌って大ヒットした「月が鏡であったなら」だ。
月が鏡で あったなら
恋しあなたの 面影を
夜毎うつして 見ようもの
この歌は「こんな気持ちでいるわたし ねえ 忘れちゃいやヨ 忘れないでネ」と続くのだが、この「ねえ」の歌い方は、やるせなさたっぷりに、歌ではなく「せりふ」のように発しなければならないのだ。
1番の歌詞だけがやたら知られているが、2番もいいなあ。
昼はまぼろし 夜は夢
あなたばかりに この胸の
熱い血潮が さわぐのよ
なんとレトロで純情な時代だったのだろうか。古きよき時代ではあったが、日本はこうした中、しだいに戦争への泥沼に踏み込んでいく。
この歌は、未曾有の破局が待ち受けていることをまだ知らない、つかのまの無邪気な幻影のような甘い響きがあって、それが悲しい。
そうだ。僕は月の話を書いていたのだ。
秋の月を詠んだ短歌や俳句は数知れぬが、とどめはこの歌だろう。
月見れば ちぢに ものこそ悲しけれ わが身一つの秋にはあらねど (大江千里 古今集)
この「わが身一つの‥」は、教科書では「自分ひとりだけの秋というわけではないが」と口約されているが、何かもっと背景があるように思えてならない。
というか、このくだりは、みなそれぞれが、わが身の秋に置き換えて鑑賞できるのだと思う。
東の空、雲の間を分け入るように、満月がのぼってきた。
月が鏡であったなら‥‥ねえ。
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