« 2004年9月 | トップページ | 2004年11月 »

2004/10/31

旅人としての時間の中で、いろいろあった2004年

今日のブログは、「表」サイトと連動して書いてみる。

月日は百代(はくたい)の過客(かかく)にして行かふ年も又旅人也。

今年もあと2カ月。今年ほど、芭蕉の「奥の細道」序文の言葉が身にしみる年はなかった。

2004年は、なんと多くのことが、なんという速さで、起こった年だったことだろうか。

「地球カレンダー」の出版の話が出たのは、節分の2月3日ごろだった。その後、僕は2月末に京都へ行って、何十年ぶりかに学生時代の懐かしい仲間たちと再会している。

この前後、20歳のころの僕と、地球の46億年の歴史が、意識の中でミックスされて、時空をふわっと飛び越えたような不思議な感覚に浸っていた。

記憶すらぼろぼろになってしまった、過ぎた時間への追憶と思慕。どこかへ行ってしまった時間。どこにも存在しない過去。にもかかわらず、現在をがっちりと規定して、一切の逸脱を許さない過去。

こうした中、「地球カレンダー」の出版は順調に作業が進み、5月25日に刷り上がりが出来てきた。

僕がブログを始めたのは、それからちょうど1カ月後の6月25日からだが、僕をブログに結びつけたのは「地球カレンダー」だったともいえる。

ブログを始めたことは、これまでパソコンに向かって、ウェブサイトの維持・更新だけを、引きこもり気味にやっていた僕の人生を転換させた。

まず、初めてカメラ付きのケータイを持つようになった。それを持って、初めての海外一人旅として西安に出かけ、写真付きモブログを7日間行ってみた。

ブログを通じての出会いもいろいろあった。

時間が旅をする。その時間とともに旅をする。旅は道連れ。出会いもまた旅である。

(表の新着情報:「21世紀の歩き方大研究」の新世紀つれづれ草に、「時間が旅人ならば、どこからどこへ旅をしているのか」をアップロード)

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2004/10/30

新宿書店大戦争、紀伊国屋の目の前に90万冊のジュンク堂

04-10-30_12-48.jpg新宿を舞台にした書店大戦争の火蓋が切っておとされた。

改装中だった三越新宿店の7階と8階に、90万冊という品揃えを売り物にしたジュンク堂が30日、オープンした。

紀伊国屋書店本店の目の前であり、今朝の新聞に載ったジュンク堂の全面広告には、わざわざ「紀伊国屋書店新宿本店前」と目立つ文字で書かれている。

さっそく行ってみた。本の並べ方は、図書館のような背の高い書架に入っていて、平積みで置いてあるものは、レジ付近以外ではほとんどない。

本をじっくり選びたい人向きといえようが、なんとなく入って、表紙や体裁が気に入って買ってみようという人には、つかいにくいような気がする。

また、書架と書架の間に入ってしまうと、店内を見渡すことが出来ず、僕なんかは閉所恐怖症のような息苦しさを感じてしまう。

それに、たどりついた書架に目的の本がないとき、どこの書架に行けばあるのかのナビゲーションが、分かりにくい。

とはいえ、紀伊国屋の方も1階から8階までフロアが分散していて、5回から上にはエスカレーターがなく、いつも3基のエレベーターが満員なのはつらい。

新宿書店戦争では、ABC(青山ブックセンター)のルミネ1、ルミネ2の両店舗を、阪急電鉄系のブックファーストが引き継いで営業していて、こんどのジュンク堂オープンで全面戦争となった形だ。

僕の採点では、なんの目的もなしに本をみて回る楽しさでは、ブックファーストが一歩抜け出ているように思うのだが。

| | コメント (0) | トラックバック (4)

2004/10/29

イラク人の死者は10万人、ブッシュを戦争犯罪人として拘禁せよ

僕はこの数字に、目を疑った。1桁間違いではないのかと、何度も読み返してみた。

去年3月のイラク戦争の開戦以来、イラク人の死者は10万人以上にのぼる、と米医療機関が推計している、というのだ。(今日の日経夕刊)

しかも、犠牲者には女性や子供が目立ち、米英軍による空爆が原因だとしている。

10万人以上! これは長崎原爆の死者7万4000人を大きく上回る。また広島原爆の死者24万人の4割に達する。

核爆弾投下と同程度の死者を出して、なおこれが正しかったとヌケヌケとほざくことが出来るとは、完全に狂気の沙汰であり、これを放置している世界は狂っている。

大量破壊兵器は、もともとなかった。国連決議にも国際法にも違反する、国家の犯罪としての許されざる戦争だった。

ブッシュ、ブレア、それを率先して支持して自衛隊まで派兵したコイズミは、この10万人というイラク人の犠牲それも女性や子供の犠牲に、どう責任を取り、どう償おうとするのか。

米大統領選挙なんかやっている場合じゃない。ブッシュの身柄を即刻拘束して、ケツの穴まで懐中電灯で調べる屈辱の身体検査を行い、囚人服を着せて鉄格子のオリに収監すべきだ。

なあにが正義の戦争だ、なあにが自由のためだ、なあにが民主主義を世界に広めるだ。

10万人ものイラク人を殺さなければ実現しない正義などは、正義ではないのだ。

これで戦争犯罪人どもが野放しにされたまま、世界のリーダー然として君臨し続けていく世界なら、もういますぐに崩壊したっていいと思う。

| | コメント (2) | トラックバック (1)

2004/10/28

温暖化との因果関係をみたがらない研究者たちへ

僕は常々、世界各地でしだいに深刻さの度合いを増してきている異常気象について、「温暖化との因果関係は科学的に明らかではない」といい続けている御用学者やエセ研究者たちは、一刻も早く学問の座から退場すべきだと、このブログでも「表」のサイトでも言い続けてきた。

波状的に襲う暖冬や、春先の異常な暖かさ、記録的な猛暑、相次いで日本を襲う台風、クマの人里への出没。こうした異変に対して、彼ら御用学者たちは必ず、「温暖化との関係ははっきりしていない」とマスコミにコメントし、雑誌にそうした論文を垂れ流す。

これに、科学ジャーナリストと称するひとたちが唱和して、温暖化の影を消そうとやっきになる。

温暖化は直線的に進行するのでなく、ジクザクに進行していくということが、心ある研究者たちによって世界の共通認識になりつつあるというのに、冬が厳しい寒さだったり夏が涼しかったりすると、彼らは「そらみたことか。温暖化じゃないだろう」と、鬼の首を取ったように大喜びするのだ。

おとといの読売の夕刊に、名古屋大学の池内了教授(宇宙物理学)が、「複雑系としての地球」という題で、なかなかいいことを書いている。

「複雑系の特徴は、一つの結果に対して原因は一つでなく複合的であるということにある。部分が共鳴し合って大きな効果を生み出すことがあるからだ。そのため、部分一つ一つをいくら細かく調べても全体を把握しきれないということになってしまう。部分の和は全体に等しくないのである」

そして、池内教授は温暖化について、「科学的に証明されていない、を口実にして何もしないですませようとする」態度を厳しく批判する。

「大事なことは科学的に確定した答えが得られなくても、考えうる原因を列挙し、その悪影響を少なくするように努めることである」という。

そしてこう続ける。「科学的に証明されていない」は「科学的に否定された」ことにはならないから、可能な限り予防措置をとるべきなのだ。

まさしく、こうした見方こそ真の科学者の取るべき態度であり、心ある研究者のあるべき姿勢ではないかと、僕は強い共感を覚える。

御用学者たちやエセ研究者たちは、自分たちが地球を取り返しのつかない破局に追い込むために、手を汚していることを恥じ入るべきである。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2004/10/27

マティスの「豪奢Ⅰ」で、しゃがんだ女性は何をしているのか

File01261.jpg上野の国立西洋美術館で開かれているマティス展を見てきた。

全体の感想は、「表」の「つれづれ草」に書いたので、ここではとても印象に残った1枚の絵のナゾについて、書いてみたい。

「豪奢Ⅰ」と題する絵。遠くの山と湖を背景に、3人の裸の人物が描かれている。

左の方に、スラリと立つ裸婦。右のやや向こうに、両手で花束のようなものを持って、大きく歩みを進めようとしているもう一人の裸婦。

そして、ここがナゾなのだが、手前にもう一人、裸でしゃがみこんだポーズで下を向いている人物がいる。表情はうかがえない。

僕は最初、男かとも思ったが、髪や胸からしてやはり裸婦のようだ。

このしゃがみこんでいる裸婦だけは、ほかの二人と違って、肌が青っぽい色をしていて、髪もほかの二人が黒なのに、黄色だ。

左に立つ裸婦の足元にある、青っぽい布のの中をのぞきこんで、何かを探しているようにも見える。

これは何をしているところなのだろうか。

いま思うに、これは永遠に絵の探求を続けるマティス自身の投影であり、みつからない探し物を探し続ける現代の人間の姿なのではないだろうか。

それは、この絵画の前にたたずむ僕自身であり、あなた自身であるのかも知れない。

(表の新着情報:「21世紀の歩き方大研究」の新世紀つれづれ草に、「マティスの絵で味わった幸福感は、肘掛け椅子の優しさ」をアップロード)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2004/10/26

スパムコメントに仰天、防御策を講じなければ

今日は、ブログを見て仰天した。ウワサには聞いていたスパムコメントが、なんと30件も入り込んでいて、スパム汚染状態になっていた。

それも、日付の古い記事から新しい記事まで、ところかまわずスパムコメントを付けていて、いちいち記事を探し出して削除するのに、30分以上かかってしまった。

どうしてこんな迷惑きわまりないことをやるのか、理解出来ない。

ココログでもスパムコメントをブロックする方策があると思うので、これからは防御策を講じなければならない、と思っている。

ちなみに、メールの方は連日200本から300本のスパムが来て、ほとんどが海外のものだ。

僕の場合は、タイトルが英語あるいは外国語のものは、たとえ重要なメールかも知れなくても、中身を読まずに削除している。

タイトルが日本語のものでも、一見してスパムと思われるメールは、やはり内容を見ずに削除している。

メールやブログは便利なものだが、便利であることは、常にスパムに狙われる危険があることを、今日は身にしみて感じた。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2004/10/25

美しい自然景観をデザインしたのは、神か偶然か

先週月曜日のブログで、カルミナブラーナについて日経新聞夕刊に総合地球環境学研究所所長の日高敏隆氏が書いていた話を引き合いに出したが、今日の同じ日経のコラムで日高氏がまた面白いことを書いている。

日本や世界の美しい自然の景色は、いったい誰がデザインしたのだろうか、というのだ。

そこで日高氏は、神であるといいたいのは理解できるが、これはすべてを神のせいにした無責任な議論だとして、デザイナーは「偶然」であるとしている。

日高氏はここで、偶然による美の誕生、ということを言いたいようだが、僕はなんとなく、それでもどこか違うような気がしてならない。

そもそも、神でなければ偶然だという問題の立て方が、おかしいのではないか。

神がいなくても、地球の上には無生命から生命が発生し、39億年かけて進化を続けて、人間を含むさまざまな生き物が生まれてきた。

生命の仕組みは、驚くほどに巧妙かつ精巧にデザインされているが、これはすべて偶然が生み出したものなのだろうか。

僕はそこに、宇宙がそもそも内在している進化への志向のようなものがあるような気がする。

進化への志向とは、言い換えれば、変え間ない変化を通じて、より高いレベルのものになろうとする志向、あるいはより複雑でよりまとまったものになろうとする志向、といったらいいだろうか。

その推進力は、神ではなく、宇宙に満ち満ちているとてつもないエネルギーなのだと思う。

このエネルギーがあればこそ、DNAのような人智を超えた素晴らしい遺伝情報伝達の仕組みをデザインすることが可能だったのだろう。

美しい自然の景色は、こうしたエネルギーが長い時間をかけて創り出したものであり、それを美しいと僕たちが感じるのは、地球が生命の星であるここと無関係ではないような気がする。

| | コメント (3) | トラックバック (0)

2004/10/24

地震でドコモのケーブル寸断、ケータイは大丈夫なのか

04-10-24_15-06.jpg今日の新宿通りには、昨日の地震のため、献血が特に必要になっていることを訴える看板が出ていた。

地震によるけが人とは、流血のことなのだと知らされる。

「表」の「新世紀つれづれ草」では、270キロで走行中の満員の新幹線が、直近で起きた大地震でどうなるか、という話を書いた。「裏」の方も、これに連動して大地震とケータイについて書いてみる。

今回の地震では、小千谷を中心としてNTTドコモのケータイ用アンテナと交換機を結ぶ光ケーブルが、24カ所に渡って切断された。

ケーブルが寸断された地域では、ドコモのケータイがつながらなくなり、緊急時の伝言板サービスさえ利用できなくなった。

東急ハンズなどに行くと、災害時でもケータイが使えるという触れ込みで、単3乾電池でケータイの電源を確保出来るコネクターが沢山売られている。

僕たちは、ケータイというのは電源さえ確保出来れば、どんな災害時でも利用できるものだと思い込んでいる。

しかしそれは、ケータイに電波を送る携帯電話会社のアンテナが、災害時にも生きていることが、大前提なのだ。

大地震の時にケータイが使えないかも知れない、ということは、家族などが離れていた時に、安否の確認が取れない、ということになってしまう。

相次ぐ台風でもそうだが、僕たちは日々、リスクに満ちた大海を泳ぎ続けているようなものだ。

万一の時に、どのような手段で安否を知らせ合うか。日ごろから打ち合わせて、確実な手段を確保しておきたいものだ。

(表の新着情報:「21世紀の歩き方大研究」の新世紀つれづれ草に、「満員の新幹線が270キロ走行中に、強い地震が直近で起きたら」をアップロード)

| | コメント (3) | トラックバック (0)

2004/10/23

東京で震度4、いつか起きる大地震にどう臨む

新潟県小千谷市で震度6強。大きな被害が出ている模様だ。

東京でも震度4。その後も余震がひんぱんに続いている。船に揺られているような感じだ。

この程度の揺れなら、身をまかせているしかないが、頭をよぎるのは、そう遠くない将来に起こるであろう東京大地震のことだ。

すでに関東大震災から80年が経過している。過去の大地震の記録からみても、東京で直下型などの大地震はいつ発生してもおかしくない。

備えあれば憂いなしというが、確実に起こるであろう東京大地震に対して、有効な備えというのはあるのだろうか。

あちこちで家屋やビルが倒壊して、大規模火災が東京のいたるところで発生し、数万人が死亡し、数十万人が負傷するような巨大地震に対しては、防ぎようもないし、多少の備えなど吹き飛んでしまうような気がする。

今年相次いだ台風の被害もそうだが、人間は大自然の前に極めて微力であることを、みんなが共通認識として持っておく必要があるだろう。

僕の考えでは、巨大地震に対しては、なるようにしかならないと思って、自然体で臨むしかないと思っている。

だが、そのためには、これ以上、人為的に地球を壊すことだけは止めるべきだ。

人為的な地球破壊による被害は、もしかすると巨大地震なみか、それを上回る被害を、すでにもたらしつつあるのではないか。

それもまだ序の口という気がする。温暖化やオゾン層破壊による本当の被害が表面化してくるのは、これからだ。

米国務省の副報道官が、「我々は京都議定書が米国にとって現実的なものとは考えない。署名、批准の意思はない」と22日、あらためて協調した、と今日の夕刊に載っている。

なんと身勝手、なんと傲慢、なんと愚か、そしてなんと低劣。

ぶざまな見苦しさ、吐き気をもよおす醜悪さをこれだけ見せ付けられると、この超大国が崩壊する日の一日も早く来たらんことを、切に祈るばかりだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2004/10/22

相次ぐ台風で野菜暴騰、レストランからサラダが消えた

今日、お昼に入ったレストランに、こんな張り紙があった。

「生鮮野菜が入荷困難のため、サラダ類のメニューを当分の間、販売中止とさせていただきます」

死者72人、不明16人という台風23号の多大な被害に目を奪われている間に、生鮮野菜の価格が目玉が飛び出るほどに暴騰している。

とりわけひどいのがレタスで、月初めの値段の8倍に急騰。トマト、キュウリも4倍になっている。トマトは6割アップだ。04-10-22_18-511.jpg

近所の市場をのぞいて見たら、レタス1個が680円になっていて、値段の表示に「ゴメンナサイ」と書かれていた。

この原因は、上陸記録を大きく更新している台風襲来に加えて長雨続きも重なり、産地が壊滅的な打撃を受けているためだ。

本来ならば1面トップで扱ってもいい今回の野菜急騰を、新聞で伝えているのは日経の商品欄くらいのものだ。記者クラブでパソコンをたたいている記者には、世の中が見えるはずもないが。

今夏の記録的猛暑、秋の異常な長雨、すでに10個を記録している台風の上陸。これらの背景にあるのは、ジワジワと確実に進行の速度を速めている地球温暖化があることは、もはや誰の目にも明らかだ。

いまだに温暖化との因果関係は明らかではないなどと言い続けている御用学者、エセ研究者たちには、即刻退場願いたい。

餓えから人里に下りてきて射殺されるクマたち。水没したバスの屋根で助けを求める37人の姿。レストランから姿を消した野菜サラダ。

これらは、バラバラの出来事ではない。この背後に進行している危機は、同一のものだ。

もはや、時間はあまり残されていない。

政治家やお役人、産業界が思い腰を上げた時には、手のほどこしようがない事態になっているだろう。

僕には、もうすでに手遅れだという気がしてならない。

| | コメント (2) | トラックバック (1)

2004/10/21

餌不足のクマへのドングリ差し入れ、賛否の声に思う

「表」の「新世紀つれづれ草」に、英国ニュースダイジェスト誌に連載している「時間の岸辺から」の「クマの出没」を、同時掲載した。

そこで今日は、「裏」でもクマの出没をテーマにしてみる。

「表」でも書いたように、今年のクマの出没は、相次ぐ台風の襲来で、ドングリなど奥山の木の実が落ちて、餌が足りなくなったことが直接の原因だ。

冬眠を前にして、餌がないことほどクマにとって切実な問題はない。

そこで、自然保護団体の「日本熊森協会」が、クマにドングリを贈ろう、と呼びかけたところ、全国から段ボール箱などに入れられて、4トンものドングリが協会あてに送られてきた。

ところが、これに対しては、研究者らを中心に「生態系を乱す」と批判の声が上がり、協会は集まったドングリは山に届けるものの、これ以上の募集は中止した、というのだ。

これはなかなか難しい問題だ。学者たちの主張していることは、学問的にはまさにその通りだろう。「自然に干渉し過ぎ」という意見も、その通りだろう。

だが、それを言うなら、生態系はすでに人間の身勝手によって、大きく乱されているのがいまの姿ではないのか、という気がする。

もうすでに人間は、経済発展のためだとか、国際競争力をつけるだのといって、自然にこれでもかこれでもかと干渉を続け、それが知り返しのつかない過干渉となって、クマを追い詰めてしまったのではないか。

もちろん、ドングリを贈ろうとしている人たちだって、それが焼け石の水であることは百も承知だろう。僕も、そんなことでは、問題の解決にはならないと思う。

しかし、餌を求めて人里に下りたクマたちを射殺するよりは、たとえさらに生態系を乱すとしても、せめてもの人間からのおわびのしるしに、ドングリくらい差し入れたって、構わないではないかと僕は思う。

クマだけでなく、リスなどほかの動物たちも、このドングリで一時的に餓えをしのぐことくらいは出来るかも知れない。

ドングリ差し入れを批判する人たちは、緊急の策としてほかにどんな方法があると考えるのか、対案を聞きたいものだ。

(表の新着情報:「21世紀の歩き方大研究」の新世紀つれづれ草に、『時間の岸辺から』第65回「クマの出没」をアップロード。これは欧州の邦人向け日本語新聞「英国ニュースダイジェスト」に同時掲載)

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2004/10/20

大型トカゲ台風23号の襲来が、ゴジラ襲来と重なる

雨がしだいに強まる中、どこか遠くのスピーカーが、チャイムの音を鳴らしている。役所の防災センターのチャイムのようだ。

雨が入り込むのも構わず、冊子戸をあけて聞いてみる。

ゆっくりとした、落ち着いた男の声で、一言一言、間を置きながら、しかし、緊迫した声で、次のように伝えている。

台風  23号が  近づいて います
これから  大雨が  予想  されます
充分  注意  して下さい

これが2回繰り返されて、再びチャイムが流れる。

おお、またもや台風の襲来か。年間最多上陸記録の6個が塗り替えられたといって、7個目の上陸に日本中が騒いでいたのは、9月上旬だった。

それが、あれよあれよ言う間に、もう10個目とは、これはもはや天変地異といってもいい。

今回の台風の名前は、トカゲである。

巨大トカゲの列島襲来は、ゴジラ第1作目の東京襲来を思わせる。

コジラが品川沖から上陸した時、東京全域に空襲警報を思わせる重いサイレンが繰り返し鳴り渡る。

ラジオのアナウンサーの声が、迫り来る危機を伝える。

「警戒警報! 警戒警報! ただいまゴジラは、第二台場へ上陸の模様。港区、品川区、大田区沿岸住民に、避難命令が発せられました。沿岸地区の住民は、至急非難して下さい。繰り返します‥‥」

このシーンは何回見ても胸がおどる。沿岸を固める多数の武装警官隊のカベをやすやすと突破して、ゴジラは銀座から有楽町を経て、国会議事堂へ。

行け、行け、ゴジラ! 和光時計塔も、国会議事堂も、ぶっ壊せ! ゴジラの怒りを、都市にぶつけろ! ちゃちな文明を叩き割れ!

この心躍るワクワク感。台風接近のワクワク感とどこかで重なるように思う。

ボクたちは心の底で、表層だけの文明がうろたえる様に、小気味のよさを感じているのかも知れない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2004/10/19

いくたびも[ ]の深さを尋ねけり‥‥どんな言葉を入れる?

いくたびも[ ]の深さを尋ねけり

何かで読んだ話だが、女子高の授業で、この[ ]のところに、どんな言葉をいれたら良い句になるか、生徒たちに自由に書かせてみた。

その結果、最も多かったのは、次の句だったという。

いくたびも愛の深さを尋ねけり
ケータイやメールで、「私のこと、どのくらい好き?」と何度も尋ねている様子が目にうかぶ。

ここにどんな言葉を入れても、それなりの句が出来るから面白い。

いくたびも秋の深さを尋ねけり

いくたびも空の深さを尋ねけり

いくたびも夜の深さを尋ねけり

いくたびも闇の深さを尋ねけり 

いくたびも霧の深さを尋ねけり 寺山修二の、身捨つるほどの祖国はありや、の雰囲気。

このあたりまではいいが、いくたびも眠りの深さを尋ねけり、となると、だれがだれに尋ねているのか、アヤシクなる。
「シメシメ、熟睡しているようだな」「音を立てるなよ」と、ドロボウたちの忍びの図か。

いくたびも欲の深さを尋ねけり 日本中いたるところ、政治家も役人も企業人たちも。強欲列島の図。

この句は正岡子規の
いくたびも雪の深さを尋ねけり、が元の句だ。

外はしんしんと雪が降っている様子だが、病気で寝ている子規には、それを見ることが出来ない。
看病に来た妹に、なんどもなんども、どのくらい積もったかを尋ねている。

動けない子規にとって雪こそは外界の象徴であり、雪が降るという現象の中に、子規は宇宙のとてつもない営みを感じ取ったのではないか、と僕は想像する。
雪は、生きたいという子規の渇望の具象化であろう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2004/10/18

「カルミナ・ブラーナ」の運命の女神フォルトゥナ

去年大晦日の「紅白」冒頭、松井秀喜選手の開会宣言に続いて流れた音楽は、なんと1937年にドイツのオルフが中世の詩集に基いて作曲したカンタータ、「カルミナ・ブラーナ」の第1曲だった。この意外性のある演出に驚いた人は少なくないのではないか。

「カルミナ・ブラーナ」は、20世紀音楽とは思えぬほどに親しみやすく、一度聞いたら忘れられない強烈な旋律で、カルミナ中毒という言葉があるほど多くの愛好家が世界中にいる。

とりわけ、運命の女神フォルトゥナを歌う第1曲は極めて印象的で、さまざまなテレビドラマや映画に使われている。

僕が覚えているのは、深作欣二監督の「忠臣蔵外伝四谷怪談」の冒頭にこの曲が使われていて、これから起きる忠臣蔵と四谷怪談(この2つの物語は、表と裏の関係にある)の波乱を暗示する音楽としてピッタリだった。

今日の日経新聞夕刊に、総合地球環境学研究所所長の日高敏隆氏が、カルミナ・ブラーナについて書いている。

運命の女神フォルトゥナの意のままを受け入れていた中世の人々と、今の日本の人々の気分は近いのではないか、と日高氏はいうのだ。

なるほど、昨年の紅白冒頭でこの曲が使われたのも、そんな中世気分が関係しているのかも知れない、と僕は思ったりする。

おぉ、フォルトゥナ
汝はかの月の面の
変るにも似て、
欠けては満ち
満ちては欠くる。
人の世の、情なく、
喜びも苦しみも
意のままにして、
人の心を弄ぶ。

しかし、と僕は思う。運命の女神フォルトゥナの気まぐれな仕業を甘受しているだけでは、それこそ運命に流されてしまうのではないか、と。

人は生まれ合わせた時代から逃れることは出来ない。
が、その時代の中で、自分で選択肢を切り開き、自らが運命に流されない方向を決めていくことは、充分に可能なのではないか、という気がする。

| | コメント (5) | トラックバック (0)

2004/10/17

「表」のつれづれ草が、7年7カ月かかって通算800本に

このブログの表サイトである「21世紀の歩き方大研究」の「新世紀つれづれ草」が、スタートから7年と7カ月かかって、今日800本目となった。

サイトは「2001年の迎え方大研究」のタイトルで、1997年2月3日立春に開設。つれづれは、「大世紀末つれづれ草」のタイトルで、2月28日にスタートしている。

1本目は、このサイトがどのようなものになっていくかも分からない混沌の中で、短く次のように書いているだけだ。

 <千里の道も一歩から、さあ行ってみよう!>
 ホームページの作成にとりかかってから、ほぼ1カ月になります。試行錯誤と失敗の連続ですが、いろいろと勉強になることばかりです。これを始めてから、2001年関連や21世紀がらみの新聞記事をよく切り抜いてファイルするようになりました。このデジタルな世界で、紙の新聞をハサミで切るという古典的超アナログな作業をやることになるとは思いませんでしたが、発信する情報の精度を高め、内容に責任を持つためには不可欠な作業と思っています。今後ともよろしく、ご支援・ご愛読下さい。(1997年2月28日)

100本目から、それぞれの節目の「つれづれ」のタイトルと日付を列記すると、次のようになっている。

100本目 <戦争のアンチテーゼとしてのオリンピック> 1998年2月8日

200本目 <20世紀最大の発見は、「宇宙は無から誕生した」という発見> 1998年12月30日

300本目 <新聞記事は情報エネルギー、新聞紙は燃料エネルギー> 1999年10月28日

400本目 <金だけがメダルにあらず、田島寧子の銀や日下部基栄の銅は値千金> 2000年9月19日

500本目 <米国はテロに対する報復戦争を回避し、富の一極集中の是正を> 2001年9月16日

600本目 <水と太陽光だけで411日の断食、医学チームがメカニズム解明へ> 2002年9月7日

700本目 <こんどの衆院解散のネーミングは、民営化解散か毒まんじゅう解散> 2003年10月9日

800本目 <無から誕生してビー玉大だった宇宙に、いまボクたちが存在する奇跡> 2004年10月17日

奇しくも800本目と200本目は、同じテーマを扱っている。

はるばると千里の道をここまで来ることが出来たのは、「表」サイトにアクセス、リンク、ご支援をいただいたみなさんと、「裏」ブログにアクセスし、あたたかいコメントを書き込み、トラックバックやリンクをしていただいたみなさんのおかげです。
深く感謝するとともに、今後とも「表」「裏」ともどもよろしくお願いいたします。

(表の新着情報:「21世紀の歩き方大研究」の新世紀つれづれ草に、「無から誕生してビー玉大だった宇宙に、いまボクたちが存在する奇跡」をアップロード)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2004/10/16

カサブランカという名のユリを飾って、君の瞳に乾杯!

04-10-16_18-02.jpg今日は花を買ってきて、部屋に生けた。リンドウとユリ。

このユリの花は、カサブランカという品種で、香りがよく長持ちすると店員さんが言っていた。

映画「カサブランカ」は、第2次世界大戦下、ドイツに占領されたモロッコのカサブランカが舞台だ。

反ナチ運動の拠点となっている酒場を経営するリック(ハンフリー・ボガード)の前に、パリ時代の恋人イルザ(イングリッド・バーグマン)が、夫である反ナチの闘志ラズロとともに現れる。

リックとイルザは再び恋の思い出にふけり、二人でアメリカへの脱出を図る計画を立て、飛行機の切符2枚をやっとのことで入手する。

このラストが、最高に素晴らしい。

イルザはリックとともに飛行機に乗るものだとばかり信じているのに、リックは自分は飛行機に乗らず、イルザとその夫のラズロを飛行機に乗せる。

リックと一緒でないと知ったイルザは、リックを問い詰める。

映画史に残るリックの言葉は、泣かせる。

イルザ、このクレージーな時代には、3人のちっぽけな問題なんか、一つまみの豆ほどの値打ちもない。
いつか分かってもらえるだろう。
さあ、泣くなよ。君の瞳に乾杯だ。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2004/10/15

両生類の3分の1が絶滅危機、半鐘の連打が聞こえる

半鐘が連打されている。火事が近くで起きているのだ。これをスリバンという。

スリバンが鳴っているのに、お神輿やお神楽に夢中になっているおじさんは、火事で家を焼かれてしまう。

これは、美空ひばりの「お祭りマンボ」だが、全く関係ないニュースを読んで、僕の頭の中にお祭りマンボのメロディーが狂ったように流れている。

そのニュースは、地球上の両生類5743種のうち、32%が絶滅の危機にあることが専門家チームの調査で明らかになった、というものだ。

1980年からこれまでに、すでに122種の両生類が絶滅したという。

日本では近畿・北陸のアベサンショウウオや沖縄のイシカワガエルなど20種が絶滅リストに入っていて、危機種の比率の高さは世界14位、先進国としては最悪である。

両生類は、炭鉱のカナリアと同様に、環境の危機に最も敏感に反応する。

地球は人間だけのものでない。そのことが、各国の指導者たちや産業界はまったく分かっていない。

戦争だ、テロとの戦いだ、市場経済だ、国際競争力だ、成長率だ。そーれ、みんな国家とともに踊れ歌え、ピーヒャラ、テンツク‥‥

先進国も途上国も、実体のないお祭りに夢中になっている。

半鐘の連打が聞こえないだろうか。両生類たちが死に絶えながら、最後の力で鳴らしているスリバンの音が。

地球の全域で、どこもかしこも、火の手が迫ってきている。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2004/10/14

美術展の順路の右回りと左回り

美術展に行くと、各部屋ごとに順路を示す立て札がある。

今日の朝日の夕刊に、この順路はどのように決められているのかについて、面白い記事が載っていた。

それによると、日本の古美術は左回り(壁に沿って左へと移動しながら鑑賞する)、欧米の作品は右回り(壁に沿って右へ移動していく)なのだそうだ。

理由は、日本の絵巻物や手紙が右から左へと書かれているのに対し、西欧の文字は左から右へと書かれているためだという。

なあるほど。順路というのが、絵画や彫刻の展示であっても、文字の流れと深くかかわっているというのは興味深いことだ。

じゃあ、右から左へ書いていくアラビア語圏の美術展、例えばイスラムの工芸展などは、日本と同じに左回りということになるのだろうか。

僕はこれまで、順路というのは部屋の順番であることは分かるが、部屋の中の回り方についてはあまり意識しなかったような気がする。

次の部屋に入ってそのまま進めば壁に沿って、右回りになっていく場合は、僕も自然に右回りになっていく。

しかし、次の部屋の入り口が真ん中あたりにあって、右に折れるか左に折れるかしなければならない時は、僕のクセとしてたいてい右に折れて、そのまま壁に沿って左に進んでいるように思う。

そして、さらに次の部屋の入り口まで来たところで、さっき入ってきた入り口のところまで戻って、こんどは壁に沿って右に進んでいる。

僕の部屋の回り方はS字型で、部屋の半分を左回り、残り半分を右回りという、ヘンな回り方がすっかり身についてしまっている気がする。

いつもまごつくのは、壁にかけられた絵画の展示とは別に、部屋の真ん中に彫刻が展示されているようなケースだ。

その彫刻を、どの段階でみるべきか。はじめか、おわりか、途中か。うっかりすると、彫刻をみないまま、次の部屋に移ってしまうハメになる。

この朝日の記事でも、順路は美術館の勝手な思惑なので、どこから見てもかまいません、と書いてはあるのだが。

たかが順路、されど順路である。

(追伸:「21世紀の歩き方大研究」の新世紀つれづれ草に、「イラク戦争を支える米の優雅な無知、そのフリをする日本人」をアップロード)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2004/10/13

いつまで続く秋の長雨

東京では6日間連続して雨だ。

秋の長雨は、太平洋高気圧と大陸の寒気のせめぎあいで、天気図としては夏前の梅雨と瓜二つなのだ。

秋入梅(あきついり)という季語は、いまころの長雨を言う。

秋霖(しゅうりん)という言い方もある。

「春雨じゃ、ぬれていこう」は月形半平太のセリフだが、「秋雨じゃ、ぬれていこう」とはいわないのは、なぜだろう。

春雨は、それだけで新しい生命の息吹に満ちた暖かさがあるのに、秋雨には、生命のたそがれと終焉を感じさせる冷え冷えしたものを感じるからだろうか。

先日の台風一過で青空が広がるかと思われたのに、肩すかしの雨続き。秋晴れはどこへ行った、という声もちらほら聞かれ始めている。

「雨がやんだら お別れなのね」という歌があった。朝丘雪路だったと思う。この雨の季節は、いつなのだろうか。僕は秋雨のような気がする。

八代亜紀の「雨々ふれふれもっとふれ 私のいい人つれて来い」は、いつの雨か。メロディーの感じからすると春雨のようだが、人恋しさは秋雨の方が合うかも知れない。

童謡の「雨ふり」は、八代亜紀と同じ歌いだしの「雨雨ふれふれ」だ。こちらは北原白秋の作詞だ。

雨、明日はやむだろうか。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2004/10/12

2035年9月2日、日本の中央部を走る皆既日食

あさって14日は、日本で部分日食が見られる。東京では最大で24%が欠ける。

日食を見るには、濃い色ガラスを重ねたり、プラスチックの黒っぽい下敷きなどで、透かして見る方法がよく使われる。

僕がいつもやっている方法は、写真のネガフィルムの端っこの黒くなっている部分を2枚重ねて透かして見る。これで暗すぎもまぶしすぎもしないちょうどいい状態で太陽の欠け具合が見える。

部分日食も面白いには面白いのだが、僕がなんといってもワクワクするのは、2035年9月2日に日本の中央部で見られる皆既日食だ。

この日、皆既帯が通るのは石川、富山、長野、新潟、群馬、栃木、茨城などで、時間も午前10時すぎという絶好の時間だ。

日食ファンや天文ファンならずとも、今から期待が高まっていて、その日が近づくにつれて、日本列島は大変な騒ぎになっていくのではないか。

たぶん、5年前の2030年ころから大フィーバーが始まって、2035年は元日から皆既日食の話題で沸騰していくに違いない。

当日の9月2日。全国各地から皆既帯をめざして何百万人もが集まり、まさに世紀の一瞬を息をとめて見守ることだろう。

幼稚園も学校も、商店もオフィスも工場も官庁も、すべてがこの時間帯に機能を停止して、みんなが皆既の黒い太陽を見る。それはどんな光景になるだろうか。

この時にも、航空機の管制センターはじめ、せっかくの皆既を仕事のため見られない人たちがたくさんいるはずだ。

警察や消防、医療従事者たちの中にも、手が離せない人たちは少なくないだろう。

2035年。あと31年後。この素晴らしい瞬間を迎える時、僕はこの世にいるのだろうか。

なんとか頑張ってそれまで生きて、黒い太陽を見た直後に息を引き取りたいものだ。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2004/10/11

ブッシュ大統領は、遠隔無線操縦のロボットだった!

ブッシュ大統領の上着の背中に、長方形のふくらみがあり、無線受信機ではないかと、話題になっている

これは9月末の第1回テレビ討論でテレビ映像に映り、第2回テレビ討論では丸いふくらみに変わっていたという。

ワシントンポスト紙やニューヨークタイムズ紙が一斉に報じているほか、このナゾについて意見を交し合うサイトも登場している。

サイトでは、ブッシュ大統領がこの無線機で大統領選挙参謀から助言を受け、耳に隠したイヤホーンで聞きながらテレビ討論に臨んでいた、という推測が出されている。

僕が推測するに、これは音声を聞くための受信機などではなく、「ブッシュ大統領」を遠隔操縦するための無線受信機なのだ。

みんながブッシュ大統領だと思い込んでいるのは、実はアメリカ石油業界が極秘裏に完成させた精巧なロボットにほかならない。

生身のジョージ・ウォーカー・ブッシュは、第43代大統領に就任する直前にこのロボットとすり替えられ、どこかに幽閉されたかすでに消されているかのどちらかだ。

このロボット・ブッシュを操縦しているのは、石油業界の戦略に基いて膨大な情報をインプットされているスーパーコンピューターで、ホワイトハウスの地下深くにあって誰も近づくことは不可能なのだ。

それでなければ、大量破壊兵器もないのに先制攻撃などという論理を振りかざして実際に戦争を行い、多数のイラク人を虫けらのように殺しまくるなどのことは、決してやれるものではない。

ついでに言うと、不敵な笑いを浮かべるラムズフェルド国防長官と、いつも怒っているような顔つきのライス補佐官も、精巧に作られたロボットである。上層部で生きた人間はパウエル国務長官だけなのだ。

うーん、もしかして、わがコイズミもひょっとして‥‥。就任当時と顔つきが変わっているのは、そのためだったのか。

(追伸:「21世紀の歩き方大研究」の新世紀つれづれ草に、「大手書店のレジでもフォーク並び、文化として定着するか」をアップロード)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2004/10/10

赤い自転車の犬が、今日はリュックをしょっていた

04-10-10_12-56.jpg3日のブログで、新装オープンしたマイシティ新宿地下2階の「真っ赤な自転車に乗る犬」を写真とともに紹介したが、今日通ってみたら、この犬のヌイグルミがリュックをしょっていた。

前回書いた時は、なぜ犬が自転車に乗っているのか、深く考えてもみなかったが、リュックを背にしたワンワンがあまりにもかわいいので、説明書きを読んでみた。

この自転車は、犬と人間が一緒に乗るように設計された自転車で、ドッグバイシクルというのだそうだ。

サドルとハンドルの間にセットされているキャリーバッグは、中に入った犬が顔を出すことが出来るようになっていて、バッグは犬ごと自転車からはずして持ち運ぶことが出来る。

この説明書の宣伝文がなかなかいい。

「公園へ、ドッグカフェへ、シヨッピングへ、トリミングへ‥大好きなワンちゃんと楽しくサイクリング!」

さらに注意事項のところには、「ワンちゃんを乗せたまま自転車から離れないで下さい」「小さなワンちゃんを乗せる時は、バッグの前部にクッション等を入れられることをお薦めします」「スペース的に無理な大きさのワンちゃんは乗せないようにして下さい(目安として8Kg未満)」などと書かれている。

「防寒、防暑対策をしっかり行ってください」という項目もある。

犬の防寒対策というのは、犬用のコートを着せて、ホカロンでも入れるのだろうか。

防暑対策はどうだろう。まさかドライアイスを入れるわけにもいかないし、冷やしたオシボリでも入れてやるのかな。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2004/10/09

台風接近の高揚感に、映画「台風クラブ」を思う

最多記録を大きく塗り変える今年9個目、しかも過去10年で最強という台風22号の首都圏直撃。被害を受けた方々には、心からお見舞いを申し上げたい。

こういう時に不謹慎なのは承知であえて言うのだが、台風の接近と通過はなぜこんなに人をワクワクさせ、精神を高揚させるのだろう。

僕は激しい雷に心ときめかせ、部屋を暗くして稲妻と雷鳴を鑑賞するのが好きだが、強烈な台風接近の心躍る期待感も、それに劣らず素晴らしいものがある。

この気持ちの高ぶりは、一体何なのだろうか。

ちょうど20年前のことになるが、相米慎二監督による「台風クラブ」という青春映画があった。

中学3年生という揺れやすい年の生徒たちと、台風接近の非日常的でキラメクような心の高ぶりを、重ね合わせたいい映画だった。

工藤夕貴を一躍有名にした映画だが、工藤夕貴は郊外から東京に出たものの台風で帰れなくなった中学生の役で、中学校を舞台に男女生徒たちが繰り広げるクライマックスには加わっていない。

僕が印象に残っているのは、台風接近を刻々と知らせるニュースを聞きながら、男女生徒たちが家に帰ろうとせず、教師のいない学校でみんなの気持ちがしだいに高ぶっていき、異様なお祭り騒ぎになっていくところだ。

強い雨が降る中を、深夜の校庭に出て、みんなで歌を歌い、男子も女子も踊りながら服を脱ぎ捨て、みんなで素っ裸になって駆け回るシーンは忘れられない。

三浦友和が、生徒たちの心理を全く理解しようとしない、唾棄すべき大人のいやらしさを好演していた。

外の風雨はいつの間にか収まっていて、雲の切れ目から星からのぞいている。

明日は、台風一過の晴天となるのだろうか。

| | コメント (2) | トラックバック (1)

2004/10/08

佐渡でソメイヨシノが開花し秋田は新緑、生態系がおかしい

また台風の上陸とは、気象が完全におかしくなっている。

佐渡では10月というのに、相川測候所の標本木になっているソメイヨシノの桜が開花し、新潟地方気象台が「開花宣言」をした。

開花したのがそのへんの桜の木なら、よくある狂い咲きとして、無視することも出来たのだろうが、標本木が開花してしまっては、「開花」を宣言する以外に仕方がない。

この原因は、相次いで上陸した台風による強風と塩害のため、ソメイヨシノの葉が全部落ちてしまい、木が春になったと勘違いしたためらしいという。

一方、秋田県内の日本海側各地でも、9月下旬からシダレカツラ、トチノキ、プラタナスなどが軒並み新緑の葉を付け、地元の人たちを驚かせている。

これも原因は、台風による強風と塩害のため葉が落ちてしまったことが原因とみられている。

秋に開花したサクラや新緑になった木々は、来年の春や新緑の季節に、花や葉が貧弱になるのでは、と心配する声も出ている。

台風が上陸新記録を更新し続けている理由は、地球温暖化による海水温上昇が背景にあることは明らかだ。

10月のソメイヨシノ開花や新緑は、地球の気候と生態系が壊れ始めていることを人間に知らせる、植物からの警鐘にほかならない。

(追伸:「21世紀の歩き方大研究」の新世紀つれづれ草に、『時間の岸辺から』第64回「おひとりさま」をアップロード。これは欧州の邦人向け日本語新聞「英国ニュースダイジェスト」に同時掲載)

| | コメント (2) | トラックバック (1)

2004/10/07

イラクに大量破壊兵器なし、と米調査団最終報告

予想されていたことではあるが、今日の夕刊各社の1面トップを見て、唖然、呆然、愕然。いったいこの世界はどうなっているのだ、という気がする。

大量破壊兵器 「イラク、備蓄なし」 開戦の根拠否定 米調査団最終報告(朝日)

大量破壊兵器 イラク開発計画なし 米調査団が最終報告(読売)

大量破壊兵器  再生産計画なし 米調査団最終報告 ブッシュ政権非難強まる(毎日)

旧イラク政権 「核計画、証拠なし」 大量破壊兵器否定 米調査団最終報告が最終報告(日経)

イラク戦争を始めた米英の責任はいったいどうなるのだ。

戦争で殺され、傷ついた幾万人のイラクの人々への謝罪と償いは、どのように行われるのか。

根拠のない開戦を支持した国々の指導者たちの、国際的責任はどうなるのだ。

とりわけ、率先してイラク戦争支持を打ち出し、自衛隊を強引にイラクに派兵し続けている日本政府の責任は重大だ。

「フセイン大統領が見つからないからといって、フセイン大統領が存在しなかったとはいえない」という、詭弁によって、大量破壊兵器が見つからないことを言い逃れし続けてきたコイズミさんは、どう国民に説明し、責任を取るのか。

各国が続々と、イラクから撤兵している中で、日本政府はそれでもイラク戦争は正しかったと言い張って、自衛隊派兵を続けるつものなのか。

ことは極めて重大であり、この点をあいまいにしたままでは、もはや21世紀に希望も未来もないといっていい。

ブッシュは大統領候補を辞退し、ブレア内閣と小泉内閣は総辞職して国際社会に陳謝すべきは当然だ。

これら3国の指導層は、僕が前からつねづね言っているように、国際軍事法廷でA級戦犯として最も重い刑に処すべきである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2004/10/06

1月2日の年賀状配達、なぜ32年間もやめていたのか

 郵便局がいつの間にか1月2日の年賀状配達をやらなくなって久しい。2日は配達をしないことになりました、という国民への説明もなかったような気がする。

 2日の配達がないと、年賀状の流れは非常にギクシャクしてくる。郵便局は毎年、年賀状はお早めにと呼びかけていて、12月20日ころまでに投函すれば、元日配達が出来るとしている。

 ところが、師走のあわただしい中、だれもが年賀状を書くのがついつい年の瀬ギリギリになり、仕事納めが終わってから、あるいは大晦日の直前に書く、という人は非常に多い。

 そうすると、これらの年賀状は元日配達に間に合わなくなり、次に配達されるのは3日になってしまうのだ。

 こちらが出してない人から賀状が来た場合、かりに2日に配達されれば、すぐに一筆添えて相手に投函して、三が日のうちに相手に届けられる公算は大きい。

 しかし、2日の配達がなくて3日に届いた場合は、すぐに投函しても相手に届くのは、仕事始めの4日以降になってしまう。

 この違いは、単なる1日早いか遅いかではすまされない、決定的なものがある。

 日本郵政公社は、来年から1月2日の年賀状配達を再開する方向で、労働組合などとと調整を進めている、という。

 郵政民営化に向けてサービス向上を印象付けたい狙いのようだが、実現すれば1973年以来、32年ぶりというから驚きだ。

 僕はかつて、郵便局からのアンケートに、1月2日の年賀状配達を実現してほしいと書いたことがある。そしたら、「長年に渡る経緯があり、郵便局がお答え出来る問題ではありません」という回答がきた。

 デパートやスーパーの1月2日営業あるいは元日営業があたりまえになっている中、郵政公社も組合も、既得権の上にあぐらをかいているわけにいかなくなった、ということなのだろう。

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2004/10/05

ヒチコックの「サイコ」、ジャネット・リーさん死去

ヒチコックの映画「サイコ」で、最もショッキングなシーンは、ラストもさることながら、ベイツ・モテルでの、あのシャワーのシーンだ。

日本で公開されたのは、60年安保の年だった。有楽町の映画館では「結末はお話にならないで下さい」というチラシが観客に渡され、上映の途中からの入場を禁止して入り口を封鎖するという、ものものしい措置が話題を呼んだ。

会社の金を着服して逃げる途中のマリオン(ジャネット・リー)が、ノーマン・ベイツ(アンソニー・パーキンス)が経営するモテルでシャワー中に、包丁でメッタ刺しにされて死ぬ。

映画史に残るこの惨劇は、45秒間であるが観客には非常に長く感じられる。これだけの撮影に7日間もかかっていて、ヒチコックは短いカットをすさまじいテンポでつなげて、観客を恐怖の頂点に追い詰める。

シャワーシーンなので、マリオンは全裸なのだが、乳房の露出もないのに、この惨殺シーンは非常にエロチックである。

このシーンの影響で、出張先のホテルでシャワーを浴びるのが怖い、という人たちは世界中に無数にいる。僕もその一人で、そもそもシャワーの口の形を見ただけでも怖い。

今から7年ほど前に、当時70歳だったジャネット・リーさんが、あのシーンのおかげで自分もシャワー恐怖症になり、撮影以来37年間というもの、一度もシャワーを使ったことがない、と打ち明けていた。(1997年10月27日付け日刊スポーツ)

そのジャネット・リーさんが、3日、カリフォルニアの自宅で亡くなった。

結局、あの撮影以来、リーさんは死ぬまでシャワーを使うことはなかったのではないか、と僕は思う。

「サイコ」の惨劇を背負った人生に幕を閉じて、リーさんは天国でゆっくりとシャワーをあびることが出来るだろうか。

ご冥福をお祈りします。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2004/10/04

週刊ココログガイドで紹介、アクセスも1万突破!

このブログが、「週刊ココログガイド」に紹介された。今日4日から1週間掲載され、その後さらに1週間は「最近紹介したココログ」として掲載される。

まずは、これまで「裏・21世紀の歩き方大研究」に声援を送って下さった皆さん、あたたかいコメントをつけて下さった方々、トラックバックして下さった方々、そしてアクセスして下さったすべての皆さんに、心からお礼を申し上げたい。

cocolog041004.jpg

このブログは表の「21世紀の歩き方大研究」の裏サイトとして、表からも裏からもどちらにでも回れる構成になっていて、裏では表とは一味違ったカジュアルでリラックスできる空間になれば、と思ってきた。

「週刊ココログガイド」では、「壮大な規模の本体に比べ、身近な話題が綴られています」と書かれていて、まことに的確な紹介文にうれしい限りだ。

せっかくの紹介も、2週間後には消えてしまうため、その部分を画像ファイルとして、ここに掲載した。

cocolog041004-2.jpg今日は奇しくも、この紹介に合わせたかのように、ブログのアクセス数が10000を超えた。これもすべて、みなさんのおかげであり、深く感謝したい。

ところで僕はいままで、ホームページやブログの画面をテキストも画像も含めて、ひとつの画像ファイルとして保存する方法を知らなかった。

今日は、ココログガイドの紹介や、10000アクセス突破を画像ファィルにしたくて、試行錯誤しているうちに、やっと分かった。

WinXPの場合は、AltキーとPrtScキーを押し、あとは画像処理が出来るソフトを立ち上げて、上のメニューないしは右クリックで「貼り付け」するだけ。

なにごとも、必要に迫られて覚えていくものだ。

(追伸:「21世紀の歩き方大研究」の新世紀つれづれ草に、「宇宙では円周率よりも素数が、知性存在の信号になる理由」をアップロード)

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2004/10/03

マイシティ新宿の地下2階が、全面リニューアル

04-10-03_12-17.jpgマイシティ新宿の地下2階が、これまでの食料品売り場から全面リューアルして、個性的な店が並ぶおしゃれなフロアに生まれ変わっている。

なんの店だろうかと立ち止まりたくなる店も少なくない。

真っ赤な自転車に乗る犬。この店は、DOG CLUB ISTという、犬のための専門店だ。

この店のインテリアや品揃えは、ペットショップという概念をはるかに超えている。

犬のためのジーパンやジーンズの帽子、ハンチング、タイ付きシャツ、ベストなどは、人間がほしくなるくらい洗練されていて、それなりのお値段だ。

ちなみに、ジーパンは8000円、ベストは7000円、帽子は4000円だから、ほぼ人間のものと同じくらいだ。

乗降客数が日本一の新宿は、日々に変貌を重ねつつあり、永遠に完成をみることのない都市なのではないか、とさえ思われる。

いまは新宿三越が、百貨店であることをやめて大改装工事中で、オープンすればマイシティ新宿と競い合う個性的なテナントが数多く出現しそうだ。

新宿のデパートの中で、最も新宿らしいカラーと時代を先取りする前衛性で、大きくリードしているのは伊勢丹だ。

伊勢丹のデパ地下は、OLたちに圧倒的に支持されているが、これに負けていないのが、小田急のデパ地下で、おそらく新宿で一番の規模だろう。

8年前に華々しくオープンした南口の高島屋は、地下街に接続されていないのが弱みで、現在大工事が進む南口周辺と甲州街道の整備に、どれだけ一体化されるかがカギになりそうだ。

京王は、阪神タイガースグッズをおくなど工夫はしているのだが、小田急のように南口に通じるモールがないため、人の流れがストップしてしまうという構造的な問題がある。

新宿の街はいま、JRの線路によって東西に分断されていて、地下でしか行き来することが出来ない。

新宿のさらなる発展のためには、一日も早く、広くて使い勝手のいい東西自由通路を設置することが急務だろう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2004/10/02

イチローが84年ぶり大リーグ新記録達成!

04-10-02_14-08.jpgイチローがやった! 大リーグ記録を84年ぶりに塗り替える年間最多259安打。

まずは、この歴史的な偉業達成を前にして、故意死球の多発で妨害することなく、真っ向から勝負に挑んだメジャーの投手たちに、敬意を表したい。

日本だったら、あいまいな四死球を連発して、なんとか記録達成を阻止しようと、見苦しいことになっていたのではないか。

イチローの偉業は、100年に一度あるかないかと言われるほどの、超人的な大記録だ。

すさまじい重圧の中で、これを達成したイチローの集中力は、まさに驚嘆としかいいようがない。

イチローと松井秀樹は、何かにつけて対照的な性格が話題になる。

イチローが極端なマスコミ嫌いであるのに対し、松井秀樹はどんなに不振が続く時でもマスコミに笑顔で対応する。

イチローは「氷の仮面」と言われるのに対し、松井秀樹は「太陽の仮面」と言われる。どちらも、精神的な辛さは決して表に出すことはない。

イチローのマスコミ嫌いは、かつての貴乃花のマスコミへのそっけなさに共通するものがある。

勝負の鬼に徹すれば徹するほど、マスコミ用の浮いた言葉を口にすることがいかに無意味であるかを、身にしみて感じているのかも知れない。

イチローにとってのメディアは自分自身であり、自らの打撃こそが最大の表現内容であり伝達手段なのだ、と僕は思う。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2004/10/01

東京オリンピックからまもなく40年

「表」のサイト「21世紀の歩き方大研究」に、今日が東海道新幹線開業40周年であることに関連して、僕の新幹線初乗車のハプニングについて記した。

新幹線が開業したのは、1964年10月1日だった。東京オリンピックはその9日後に開幕した。

ということは、今年の10月10日は東京オリンピック開幕40周年ということになる。

40年前、僕はいったい何を考えながら、何をしていただろうか。

通りがかりにたまたま目にした、聖火リレーの白煙を上げる白い炎のまぶしさが、一瞬、目に浮かぶ。

この聖火の白い炎は、僕の心にいまも鮮やかに焼きついている。

女子バレー決勝の、日本対ソ連。僕はどっちを応援していただろうか。日本だったかも知れないし、どちらも応援していたような気もする。

その瞬間は、テレビの実況アナウンサーも、状況がとっさにはのみこめなかったらしい。

審判の手が上がって笛が鳴り、ソ連のネットタッチによって日本の金メダルが決まったと分かっても、そのあっけなさに、なんだか拍子抜けしたものだ。

40年といえば、人生の半分だ。この間に、時代は大きく変転した。

ベトナム戦争、オイルショック、バブルの崩壊、ソ連の消滅と東欧社会主義の崩壊、9.11テロ、アフガン戦争、イラク戦争。

当時、人生はこれからだった僕も、いまや人生の残り時間を数えた方が早くなっている。

若い頃に戻りたいとは言わない。

時間がこのまま止まってくれたら。このまま老いることなく、いまの時間の中で生きていけるなら‥‥。

それがもしも叶うのならば、悪魔に魂を渡したっていいではないか、という気がしてきた。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2004年9月 | トップページ | 2004年11月 »