「カルミナ・ブラーナ」の運命の女神フォルトゥナ
去年大晦日の「紅白」冒頭、松井秀喜選手の開会宣言に続いて流れた音楽は、なんと1937年にドイツのオルフが中世の詩集に基いて作曲したカンタータ、「カルミナ・ブラーナ」の第1曲だった。この意外性のある演出に驚いた人は少なくないのではないか。
「カルミナ・ブラーナ」は、20世紀音楽とは思えぬほどに親しみやすく、一度聞いたら忘れられない強烈な旋律で、カルミナ中毒という言葉があるほど多くの愛好家が世界中にいる。
とりわけ、運命の女神フォルトゥナを歌う第1曲は極めて印象的で、さまざまなテレビドラマや映画に使われている。
僕が覚えているのは、深作欣二監督の「忠臣蔵外伝四谷怪談」の冒頭にこの曲が使われていて、これから起きる忠臣蔵と四谷怪談(この2つの物語は、表と裏の関係にある)の波乱を暗示する音楽としてピッタリだった。
今日の日経新聞夕刊に、総合地球環境学研究所所長の日高敏隆氏が、カルミナ・ブラーナについて書いている。
運命の女神フォルトゥナの意のままを受け入れていた中世の人々と、今の日本の人々の気分は近いのではないか、と日高氏はいうのだ。
なるほど、昨年の紅白冒頭でこの曲が使われたのも、そんな中世気分が関係しているのかも知れない、と僕は思ったりする。
おぉ、フォルトゥナ
汝はかの月の面の
変るにも似て、
欠けては満ち
満ちては欠くる。
人の世の、情なく、
喜びも苦しみも
意のままにして、
人の心を弄ぶ。
しかし、と僕は思う。運命の女神フォルトゥナの気まぐれな仕業を甘受しているだけでは、それこそ運命に流されてしまうのではないか、と。
人は生まれ合わせた時代から逃れることは出来ない。
が、その時代の中で、自分で選択肢を切り開き、自らが運命に流されない方向を決めていくことは、充分に可能なのではないか、という気がする。
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コメント
「器楽と魔術的映像を伴う独唱者と合唱のための世俗的歌曲」というサブタイトルのついている「カルミナ・ブラーナ」は、本来踊りを伴った舞台形式の作品として書かれたもの。オルフの構想した「カルミナ・ブラーナ」を求めて活動して10年、私たちO.F.C.は年末にオルフの劇的三部作を一挙上演致します。是非、舞台をご覧頂き、「カルミナ・ブラーナ」の世界を堪能してみてください。
投稿: O.F.C. | 2005/11/02 05:41
中世は、抑圧を変えていこうという時代じゃなかったのだと思います。今の日本がこれに近いというのは、極めてゆゆしいことですが‥‥
投稿: BANYUU | 2004/10/19 15:53
日本語訳のプリントを
配られたんですよ。
何か抑圧された世界だったような。
今度、その先生の指揮する音楽会へゆきますっ。
バッハだけど。
投稿: 秋葉OL | 2004/10/19 14:33
その先生、読み上げようとしないで、曲に合わせて歌えばよかったのに。
投稿: BANYUU | 2004/10/19 13:42
音楽の時間に
先生が、はずかしくて歌詞を
読み上げられないといってたなー。
投稿: 秋葉OL | 2004/10/19 09:09