餌不足のクマへのドングリ差し入れ、賛否の声に思う
「表」の「新世紀つれづれ草」に、英国ニュースダイジェスト誌に連載している「時間の岸辺から」の「クマの出没」を、同時掲載した。
そこで今日は、「裏」でもクマの出没をテーマにしてみる。
「表」でも書いたように、今年のクマの出没は、相次ぐ台風の襲来で、ドングリなど奥山の木の実が落ちて、餌が足りなくなったことが直接の原因だ。
冬眠を前にして、餌がないことほどクマにとって切実な問題はない。
そこで、自然保護団体の「日本熊森協会」が、クマにドングリを贈ろう、と呼びかけたところ、全国から段ボール箱などに入れられて、4トンものドングリが協会あてに送られてきた。
ところが、これに対しては、研究者らを中心に「生態系を乱す」と批判の声が上がり、協会は集まったドングリは山に届けるものの、これ以上の募集は中止した、というのだ。
これはなかなか難しい問題だ。学者たちの主張していることは、学問的にはまさにその通りだろう。「自然に干渉し過ぎ」という意見も、その通りだろう。
だが、それを言うなら、生態系はすでに人間の身勝手によって、大きく乱されているのがいまの姿ではないのか、という気がする。
もうすでに人間は、経済発展のためだとか、国際競争力をつけるだのといって、自然にこれでもかこれでもかと干渉を続け、それが知り返しのつかない過干渉となって、クマを追い詰めてしまったのではないか。
もちろん、ドングリを贈ろうとしている人たちだって、それが焼け石の水であることは百も承知だろう。僕も、そんなことでは、問題の解決にはならないと思う。
しかし、餌を求めて人里に下りたクマたちを射殺するよりは、たとえさらに生態系を乱すとしても、せめてもの人間からのおわびのしるしに、ドングリくらい差し入れたって、構わないではないかと僕は思う。
クマだけでなく、リスなどほかの動物たちも、このドングリで一時的に餓えをしのぐことくらいは出来るかも知れない。
ドングリ差し入れを批判する人たちは、緊急の策としてほかにどんな方法があると考えるのか、対案を聞きたいものだ。
(表の新着情報:「21世紀の歩き方大研究」の新世紀つれづれ草に、『時間の岸辺から』第65回「クマの出没」をアップロード。これは欧州の邦人向け日本語新聞「英国ニュースダイジェスト」に同時掲載)
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