マティスの「豪奢Ⅰ」で、しゃがんだ女性は何をしているのか
上野の国立西洋美術館で開かれているマティス展を見てきた。
全体の感想は、「表」の「つれづれ草」に書いたので、ここではとても印象に残った1枚の絵のナゾについて、書いてみたい。
「豪奢Ⅰ」と題する絵。遠くの山と湖を背景に、3人の裸の人物が描かれている。
左の方に、スラリと立つ裸婦。右のやや向こうに、両手で花束のようなものを持って、大きく歩みを進めようとしているもう一人の裸婦。
そして、ここがナゾなのだが、手前にもう一人、裸でしゃがみこんだポーズで下を向いている人物がいる。表情はうかがえない。
僕は最初、男かとも思ったが、髪や胸からしてやはり裸婦のようだ。
このしゃがみこんでいる裸婦だけは、ほかの二人と違って、肌が青っぽい色をしていて、髪もほかの二人が黒なのに、黄色だ。
左に立つ裸婦の足元にある、青っぽい布のの中をのぞきこんで、何かを探しているようにも見える。
これは何をしているところなのだろうか。
いま思うに、これは永遠に絵の探求を続けるマティス自身の投影であり、みつからない探し物を探し続ける現代の人間の姿なのではないだろうか。
それは、この絵画の前にたたずむ僕自身であり、あなた自身であるのかも知れない。
(表の新着情報:「21世紀の歩き方大研究」の新世紀つれづれ草に、「マティスの絵で味わった幸福感は、肘掛け椅子の優しさ」をアップロード)
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