ドラえもんとしずかちゃんと静御前
ドラえもんの声を25年間つとめてきた大山のぶ代さんが、テレビ局の方針で降板させられる、というニュースが波紋を呼んでいる。
それと全く無関係な話だが、日経BP社から「週刊・義経伝説紀行」全30冊の刊行が始まった。
今日のブログは、ドラえもんと源義経を結ぶ不思議な糸のような静御前について書いてみる。
のび太のクラスメイト、しずかちゃんは、本名を源静香という。そのお父さんは源義雄というのだ。
僕はしずかちゃんのお風呂シーンに必然性があるかどうか、といった問題よりも、なぜ義経伝説を彷彿とさせるような名前なのかに興味をそそられる。
義経は日本人の心をとらえている最大のヒーローだが、静御前との物語ほど日本人の心を揺さぶる悲恋もないだろう。
平家征討に活躍した義経に、不仲となった兄頼朝の追手が迫る。静の機転で夜討を逃れたものの、義経と静は雪の吉野山で行き別れになる。
やがて捕われた静は鎌倉・八幡宮に連れ出され、頼朝の目の前で、関東の繁栄を寿ぐ祝儀舞を舞うよう求められる。
ところが静は頼朝の要請に反して、義経への切々たる思いを歌にして舞った。
吉野山 峰の白雪 踏みわけて
入りにし人の あとぞ恋しき
静や静 しずのおだ巻き くり返し
昔を今に なすよしもがな
見守る人々はみな涙し、頼朝もまた卯の花襲の衣を褒美としてそっと静に差し出した、と伝えられている。
この静の舞いは命をかけた舞であり、それはどこかで生きているであろう義経へのメッセージだったに違いない。
白拍子だった静にとって、歌うことと舞うことは、唯一、自分の心のうちを世界に表現すことが出来るメディアだったのだ。
静が全存在をかけたメッセージは、800年という時空を超えて、日本人の心の中に入り込んでいる。
人の命は短く、はかないものだ。しかしすぐれたメッセージは、いつまでも生きつづけることが出来る。
ドラえもんのしずかちゃんは、義経と結ばれることのなかった静御前の生まれ変わりとして、作者が思い入れをこめてつけた名前なのかも知れない。
そのしずかちゃんの声をつとめてきた野村道子さんも、大山のぶ代さんらとともに交代するという。
これまた諸行無常なのだろうか。
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僕が利用している駅で、線路と線路の間にたった1カ所だけ、ススキが群れているところがあることに気づいた。
宮崎駿監督作品の「ハウルの動く城」を観てきた。
今朝、ベランダにおいてある朝顔の鉢に、一輪の朝顔が咲いていた。
だが、この記事を読んでいくうちに、この「泉」という作品は、「彼女の独身者たちによって裸にされた花嫁、さえも」という通称大ガラスといわれる作品(右の写真はそのレプリカ)のための習作ないしは部分だったというのだ。
お昼を食べたレストランに「ロンドンデリーの歌」が流れている。この懐かしさは、なんなのだろうか。
新宿のマイシティに、不思議なイリュミネーションが登場している。
東京・木場で開催されている「ピカソ 身体とエロス展」を観てきた。
これが新谷のり子が歌って大ヒットした「フランシーヌの場合」である。







今日は珍しく、東京からも赤い夕日が沈みゆく様子が、きれいに見られた。
今日のブログも、「表」サイトの「つれづれ草」に連動して、ブッシュ再選について書いてみる。
今日から11月だ。朝、家の前の郵便局で、インクジェット用の年賀状を買う。

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