« 2004年10月 | トップページ | 2004年12月 »

2004/11/30

ドラえもんとしずかちゃんと静御前

ドラえもんの声を25年間つとめてきた大山のぶ代さんが、テレビ局の方針で降板させられる、というニュースが波紋を呼んでいる。

それと全く無関係な話だが、日経BP社から「週刊・義経伝説紀行」全30冊の刊行が始まった。

今日のブログは、ドラえもんと源義経を結ぶ不思議な糸のような静御前について書いてみる。

のび太のクラスメイト、しずかちゃんは、本名を源静香という。そのお父さんは源義雄というのだ。

僕はしずかちゃんのお風呂シーンに必然性があるかどうか、といった問題よりも、なぜ義経伝説を彷彿とさせるような名前なのかに興味をそそられる。

義経は日本人の心をとらえている最大のヒーローだが、静御前との物語ほど日本人の心を揺さぶる悲恋もないだろう。

平家征討に活躍した義経に、不仲となった兄頼朝の追手が迫る。静の機転で夜討を逃れたものの、義経と静は雪の吉野山で行き別れになる。

やがて捕われた静は鎌倉・八幡宮に連れ出され、頼朝の目の前で、関東の繁栄を寿ぐ祝儀舞を舞うよう求められる。

ところが静は頼朝の要請に反して、義経への切々たる思いを歌にして舞った。

吉野山 峰の白雪 踏みわけて
入りにし人の あとぞ恋しき

静や静 しずのおだ巻き くり返し
昔を今に なすよしもがな

見守る人々はみな涙し、頼朝もまた卯の花襲の衣を褒美としてそっと静に差し出した、と伝えられている。

この静の舞いは命をかけた舞であり、それはどこかで生きているであろう義経へのメッセージだったに違いない。

白拍子だった静にとって、歌うことと舞うことは、唯一、自分の心のうちを世界に表現すことが出来るメディアだったのだ。

静が全存在をかけたメッセージは、800年という時空を超えて、日本人の心の中に入り込んでいる。

人の命は短く、はかないものだ。しかしすぐれたメッセージは、いつまでも生きつづけることが出来る。

ドラえもんのしずかちゃんは、義経と結ばれることのなかった静御前の生まれ変わりとして、作者が思い入れをこめてつけた名前なのかも知れない。

そのしずかちゃんの声をつとめてきた野村道子さんも、大山のぶ代さんらとともに交代するという。

これまた諸行無常なのだろうか。

| | コメント (2) | トラックバック (1)

2004/11/29

アラビアのロレンスの永遠の女性

「英国ニュースダイジェスト」の最新号が送られてきた。今回の号には、「時間の岸辺から」の67回目「働かざるもの」が掲載されている。

この号をなにげなく見ていて、英国在住の多胡吉郎氏が書いている「英国偉人伝」で、アラビアのロレンスについて書いている記事が目にとまった。

映画の「アラビアのロレンス」は、女優が一人も登場しない映画として知られているが、実在のアラビアのロレンスもまた、生涯を通じて結婚をしなかったばかりか、女性との肉体的交渉を持たなかった、という。

かといって同性愛ではなく、あらゆる欲望を封殺して修道士のような生き方に徹していた、というのだ。

そんなロレンスにも、たった一人、永遠の女性がいたことが、近年になってクローズアップされている、と記事は書いている。

ファリーダ・エル・アクリというロレンスより6歳年上のアラブ人女性で、ミッションスクールの教師だった。

2人は、アラブ独立の形態がどのようであるべきかをめぐって、心を許して話し合う仲になった。

ロレンスにとってファリーダは、母であり、姉であり、恋人であり、穢れなきアラビアそのものだったのだろう、と多胡氏は書いている。

そして、ファリーダは、ロレンスにとって至純の夢を昇華させた永遠の存在だったに違いない、と続けている。

僕は「アラビアのロレンス」の映画をビデオで観た時、ロレンスの過酷なまでの生き方はアラブへの情熱だけでは説明しきれないように感じていたが、この記事を読んでロレンスの心のよりどころがやっと分かったような気がする。

アラブ解放の夢と挫折。ロレンスの哀しみを、誰よりも感じて理解していたのは、アラブ人のファリーダだったのだろう。

ファリーダは、ロレンスと親交があったことを終生誇りにし続けて独身を貫き、1976年に94歳で生涯を閉じた。

出会いと理解、そして支えあうということについて、しみじみと考えさせられる話である。

(表の新着情報:「21世紀の歩き方大研究」の新世紀つれづれ草に、「宇宙のドラマを生む舞台としての、真空の正体を考える」をアップロード)

| | コメント (2) | トラックバック (1)

2004/11/28

駅の線路わきにススキの群れを見つけた

04-11-28_13-19.jpg僕が利用している駅で、線路と線路の間にたった1カ所だけ、ススキが群れているところがあることに気づいた。

毎日利用していて、なぜいままで目にとまらなかったかと、不思議に思う。

ススキが見えるかどうかは、心の目が開いているかどうかによるのかも知れない。

この駅を通過して走る中央線の快速電車を入れて、ススキをケータイで撮ってみようと、しばしホームでシャッターチャンスをうかがう。

家に帰ってから、ススキについて調べてみる。ススキの生息地は、日本のほかに中国、朝鮮とある。古来から日本文化に大きな影響を及ぼしてきた地域で、いま日本が最も仲良くすべき国々ではないか。

「山は暮れて 野は黄昏(たそがれ)の 芒(すすき)かな」 というのは蕪村の句だ。蕪村らしく、光景が絵画のごとく浮かぶ。

ススキを歌った曲では、失意のさなかの野口雨情が作った詩に、中山晋平が曲をつけて1921年に世に出した、「船頭小唄」が有名だ。

「おれは河原の枯れすすき 同じお前も枯れすすき どうせ二人はこの世では 花の咲かない枯れすすき」

この歌が大流行したさなかの1923年に関東大震災が起こり、幸田露伴が「このような退廃的な歌が流行ったから大震災が起こったのだ」と批判して話題になった。

それはともかく、ススキは枯れているのか生きているのか判然としないところが、どちらかに決めようとする二元論にそっぽを向いていて、なかなかいい。

ススキの花言葉は「生命力」。これはいかにもススキにふさわしい。ほとんど枯れているようでも、どっこい死んではいないのだ。

きっとススキをこよなく愛する人がつけたのだろうな、と思う。
 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2004/11/27

無からどのようにして宇宙が生まれたかを考える

20世紀最大の科学的発見は、この宇宙が無から生じたことの発見とされる。

1982年にビレンケン博士が発表して、世界中の科学者たちを震撼させ、宗教界から哲学界さらには一般の人々の間に、大きな衝撃と波紋を巻き起こした。

端的に言うと、宇宙は無の揺らぎによって誕生した。

宇宙物理学などまったく素人の僕でも、この驚くべき結論の意味するところを考えてみたいという希求にかられる。

ビレンケン博士のいう「無」とは、時間も空間も物質もエネルギーも全く存在しない状態のことだ。

この「無」の状態はたえずゆらいでいて、現実の存在になっていない仮想空間の中で仮想的な極微小の宇宙がたえず、ついたり消えたりしている、と説明される。

存在と非存在の間を揺れ動いている仮想宇宙は、量子論的効果によって、ある確率で「無」から「有」へのバリアを突き破り、素粒子よりもはるかに小さい極微の宇宙が空間や時間とともに誕生した。

時間も誕生していない中で、どうしてこのようなことが行われたのか。車椅子の科学者として知られるホーキング博士らは、この段階では虚数時間が流れていた、と説明している。

仮想空間や仮想宇宙、そして虚数時間。いずれも現実には存在していない、いわば虚構ないしは物語の中の世界を想起させられる。

僕が思うには、「無」のままだったら、それこそ何も始まらないし何も起こらない。「無」は「有」との対比でのみ意味を持ち、「無」か「有」かは、ある意味で裏表の関係にあって、どちらになるかは可能性の問題なのかも知れない。

誤解を恐れずに、極めて比喩的な言い方をすれば、「無」にとって自らが「有」すなわち宇宙になることは、一種の「夢」であり、さらにいえば「ロマン」だったのかも知れない。

虚数時間の中で、無がなんとかして「有」になろうともがいていた時、もし神がいたならばこんな会話があったかも知れない。

神 「自発的に宇宙になることなど、無理だよ。私が一撃を加えてあげよう」
無 「いえ、きっと自分の力で宇宙になってみせます。手を貸さないで下さい」
神 「強情なやつだな。どんな世界を生み出すことになっても、私は知らないぞ」
無 「分かっています。あなたに助けは求めません」
神 「では私はこれで消える。さらばじゃ」

神の手を振り切って、「無」が自ら姿を変えて自発的に創り出したこの宇宙は、ビッグバンを経て、現在も膨張の途中にある。

僕たちは、宇宙になった「無」が紡ぎ続ける壮大な物語の過程で、ほんの一瞬に発生した小さな粉粒のような存在だ。

いずれ、この宇宙は数百億年後には縮小に転じ、すべては小さな一点に凝縮されて、再び無に帰する、とみられている。

「無」がすべての源であり、すべてのものの生みの親である、と思うとなんだか心がやすらかになってくる。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2004/11/26

インフルエンザの予防注射をしたのは、学生時代以来かも

今日はインフルエンザの予防注射をしてきた。会社勤めをしていたころにも、予防注射はしなかったような気がする。

もしかすると学生時代以来かも知れない。

学生のころに、よくみんなで歌ったのに、「若者よ」という歌があった。

若者よ 身体を鍛えておけ
美しい心が たくましい身体に
からくも 支えられる日がいつかはくる
その日のために 身体を鍛えておけ

確かこんな歌詞だったと覚えている。

僕はあの当時、この歌の意味するところは、いつかきっと世の中を根っこのところから変える革命の日がやってくるので、その時に備えて身体を鍛えておけ、という意味だと信じこんでいた。 

やがて僕は就職し、この歌を歌うこともなくなった。
ソ連や東欧の社会主義は雪崩を打って崩壊し、日本の革新勢力も労働運動も学生運動も、すべて潮が引くようにあっけなく消えていった。

革命の日は来なかった。学生当時、身を投じて打ち込んだはずの社会正義と変革は、幻だったのだろうか。

そうかも知れない。アメリカも、それに追随し続ける日本の支配層も、あまりに強く、したたか過ぎた。

だが僕はいま別な意味で、自分の健康を大切にしなければと思っている。

社会変革にかけるパワーはとっくになくなっているが、かといって世界がどうなってもいいとは思わない。

これからの未来と希望のために、僕は途中で倒れてはならないのだ。

2035年9月2日の皆既日食の日までは。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2004/11/25

「ハウルの動く城」の元気な女たちに比べ、男の希薄なこと

File041125.jpg宮崎駿監督作品の「ハウルの動く城」を観てきた。

映画の感想は「表」のつれづれに書いたので、ここではヒロインの少女が恋したハウルという美青年について、感じたことを書いてみたい。

動く城の主で、若い女の心臓を食べていると恐れられているハウルという男は、とても分かりにくい存在だ。

戦時下のヨーロッパという舞台なのだが、ハウルは機械マニアの少年がこしらえたようなメカニックな城を拠点にして、ふだんは何をしているのかさっぱり分からない。

時々、猛禽類のような羽で戦火の中を飛び回ったりするのだが、戦争に加わっているでもなく、戦争に抵抗しているわけでもない。

僕の見た感じでは、典型的なオタク少年で、しかもやたらに髪の色を気にしたり、ちょっとしたことで自己嫌悪に陥ったりする。

実はこの存在感の希薄さは、現代の若い男たちに共通する希薄さではないだろうか。

映画のパンフレットの中で、養老孟司氏が「ハウルってだれ?」という文で、「ハウルというのは、男そのものであろう」と書いているが、なるほどと思う。

養老氏はこの中で、免疫学者の多田富雄さんの言葉として、「女は実体だが、男は現象である」というくだりを引用している。

なるほど、映画の中の女たちは、ソフィーも魔女たちも実に溌剌としていて生き生きしているのに対し、男がヤワで元気に乏しく、存在が希薄である理由が分かったような気がする。

それにしても、そんなハウルにソフィーが恋をしてしまうとは、男と女とはまことに不可思議な関係なのだと思う。

(表の新着情報:「21世紀の歩き方大研究」の新世紀つれづれ草に、「『ハウルの動く城』を観て思った、老いと恋と希望」をアップロード)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2004/11/24

「地球カレンダー」的に生きること

このところ、現在の人間はどこから来たのかという問題で、注目すべき発見が相次いでいる。

5日前の朝刊各社に載った記事によると、ヒト、チンパンジー、ゴリラの共通祖先である1300万年前の類人猿の化石が、バルセロナで見つかった。

これまで最古の猿人は、700万年前に類人猿から分かれた直後とみられるものが見つかっているが、それにつながる類人猿の化石はほとんど見つかっていない。

一方、今日の読売夕刊によると、20万年前にアフリカで原人から進化した現生人類が、5万年前にすでに北米大陸に住んでいた遺跡が見つかったという。
これまでは、1万3000年前に北米大陸に達したというのが定説で、今回の発見によって、シベリアとアラスカがまだ離れていた時代に、どうやってベーリング海峡を越えたのか、などさまざまな問題の検討を迫られているという。

世界が、アメリカの一国主義的な軍事暴走をとめることが出来ず、失望と憂鬱に包まれている中で、僕たちはあらためて「人類とは何者なのか」を見つめ直す時期にきていると思う。

それとともに、領土や国境という線引きが、人類にとって本当に必要なものなのかどうかについても、根本から考え直さなければならないだろう。

時あたかも、青森県三沢市の市立中学校の先生から、生徒たちに地球上の主なできごとを長い模造紙に書かせて、地球の歴史の長さを実感させる授業をやりたいとして、僕の「表」のサイトにある「地球カレンダー」のデータ(本にもなっている)を使わせてほしい、というメールをさきほどいただき、快諾の返事を出した。

遠く離れた三沢の中学生たちが、どのような思いで模造紙に地球の歴史のデータを書き綴っていくのかを想像すると、明日への希望はこのような地道で創造的な授業の中にあるような気がしてくる。

ほかにも、地球カレンダーのデータを使いたいというメールが、このところ僕のもとに続いている。

中国地方の医療生協の学習会、西日本の電力会社の機関誌、等々。

地球カレンダー的な考え方、地球カレンダー的な発想、そして地球カレンダー的に生きること。

こうしたことが、たとえゆっくりとでも少しずつ広がっていくことで、いま地球を身動き取れなくしている何かが、ちょっとでも変わっていけばいいのに、と願っているのだが。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2004/11/23

モブログで半角の-を連ねると、その後はカットされる

今月10日に、神戸・メリケン波止場の記事を、ケータイからモブログで投稿した際に、正常に送信終了されたことがケータイ画面に表示され、「投稿しました」のメールもココログから送られてきたのに、送った記事の後ろの部分がカットされるという予想外の事態を経験した。

ケータイから送った記事がそのまま反映されないというのは、考えてみれば非常に怖いことであり、モブログへの信頼が揺らぐほど重大な問題だと思う。

僕の場合は、ココモブという個人が作成したプログラムのおかげで、記事の後ろがカットされていることにすぐ気付いて、削られた部分を追加でモブログすることが出来たが、海外などからのモブログで確認が難しいような場合は、気付かないことすらあるだろう。

とりわけ、前半で書いた流れとは異なる結論を後ろの部分で書いている場合や、後ろに重要なデータや情報を置いている場合など、システムによって勝手にカットされることは非常に危険なことだ。

そこで、なぜカットされたのか原因を探るため、今日改めて、10日に送ったのと同じ原稿を、中身の言葉を少し変えてケータイからモブログで投稿テストをしてみた。

結果はやはり10日とまったく同様に、後ろの部分がバッサリとカットされていた。

カットされたのは、ケータイの文字入力で半角英字のハイフンを19個ならべて、文中の区切り線にしたところから以後の部分すべてである。

ちなみに、その区切り線を掲載しておく。

-----------------------------

念のため、文字をまったく入れないこの区切り線だけを本文として、モブログしてみたら、区切り線だけの本文のままでちゃんとテスト投稿が反映された。

ということは、文章の途中に、この区切り線があることで、ココログのシステムが勝手にそこまでで終了と判断し、区切り線以後をカットしてしまうのだ。

9月に西安からモブログをした時も、文中に区切り線を入れたことが何回かあったが、カットされることはなかった。この時は、半角の-ではなく全角の-を連ねて区切り線を作っていて、全角にすれば問題はないようだ。

ほかにも、文中に入れるとシステムでカットされるような文字列があるのかも知れないが、そこまでは分からない。

モブログで、文中に区切りの意味で文字や記号を連ねる場合は、くれぐれも要注意である。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

がんばれ、寒風に耐えて咲いた初冬の朝顔!

04-11-23_08-31.jpg今朝、ベランダにおいてある朝顔の鉢に、一輪の朝顔が咲いていた。

茎も蔓も葉も、ほとんど枯れてしまって荒涼としている中、寒風に耐えて必死に咲いている朝顔。

この鉢は7月初め、入谷の朝顔市で買ったものだ。その時からでさえ、もう4カ月半以上経っているのに。

去年までは、朝顔の寿命は長くてもせいぜい10月いっぱいが限度だった。

今年は、11月の立冬を過ぎても、思い出したように朝になると、ポツンと咲いているのが見られたが、二十四節気の小雪を過ぎて、勤労感謝の日になって咲いたのは、これが初めてだ。

葉っぱすら枯れはてている茎に、この朝顔は何のために咲いたのだろうか。種子を残すためだろうか。それとも人間をなごませるためだろうか。

僕は、晩秋を過ぎて初冬に入った中で咲いている朝顔を見ているうちに、確信した。

生きるとはこういうことなんだ!

なぜ咲いたのかの理由など、どうでもいいのだ。朝顔は、咲くことが出来るから、そして咲くことが出来る限り咲く。それでいいのだ。

人間の命も同じことなのだ。僕も、咲くことが出来る限りは、力みかえることなく自然のままで、与えられた生を咲いていきたいと思う。

いずれ、完全に枯れはてて、厳冬の中で消え行くことは避けられないとしても。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2004/11/22

一見して無関係に見える事象の、深いつながりに驚く

それにしても不思議だ。僕の周りで起きている、一見したところバラバラなはずの事象が、実は意外なところでつながっていたり、深い関連性があったりする。

なにかのパワーが、こうした意味づけと立体的な関連を、わざと集中させているのではないか、という気さえしてくる。

今日の日経夕刊の「名作の横顔」というコラムに、20世紀最大の美術家とされるマルセル・デュシャンの「泉」という作品の写真が載っていた。

これは、便器にニセのサインをほどこしただけの有名な作品で、1917年の独立芸術家協会の展覧会で、出品を拒否されたという、いわくつきの作品だ。

いろいろなところで紹介されている写真で、これだけなら僕は、とくに驚くことはなかったのだ。

0411222.jpgだが、この記事を読んでいくうちに、この「泉」という作品は、「彼女の独身者たちによって裸にされた花嫁、さえも」という通称大ガラスといわれる作品(右の写真はそのレプリカ)のための習作ないしは部分だったというのだ。

ちょっと待った~!と僕の胸は早鐘のように鳴り出す。この「彼女の独身者たちによって‥」という作品は、見覚えがある。というよりも、この作品そのものが、コンサートの一部を構成していたのではなかったか。

それは9月にICCで行われたクリスチャン・マークレーのコンサートだ。「リアクティヴィティ--反応=再生する可能性」という企画展の一環として開催された。

パンフレットを読むと、クリスチャン・マークレーは、フィラデルフィアにある自由の鐘のひび割れと、デュシャンの「彼女の独身者たちによって‥」の二つに触発されて制作した、とある。

なるほど、とあらためて、「彼女の独身者たちによって‥」を見直してみる。この作品のレプリカは、東京を含めて世界に3つしかないそうだ。

企画展に行ったときは、よく分からなかったが、僕が思っていたのとは逆に、上が裸にされた花嫁で、下が独身者たちなのだという。また上と下を隔てる3枚のガラス板は、脱がされた花嫁の衣装という。

そうして見ると、この作品はとても衝撃的だ。花嫁は限りなくエロティックで、独身者たちは息づまるような閉塞の中でもがいている。花嫁と独身者を隔てるものは、あまりにも強固で、そこを突破することは永遠に不可能なのだ。

現実と虚構、表現と創造、アートと時空。最近はこうしたテーマについて、共有し対話をかわす機会が多い。
そのことが、さまざまな事象の隠れたリンクと相関について、突然訪れた啓示のように目を開かせてくれ、新たな世界へといざなってくれているのかも知れない。

(表の新着情報:「21世紀の歩き方大研究」の新世紀つれづれ草に、『時間の岸辺から』第67回「働かざるもの」をアップロード。これは欧州の邦人向け日本語新聞「英国ニュースダイジェスト」に同時掲載)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2004/11/21

時間軸における「消え去る」と「現れ来る」のバランス

04-11-21_12-49.jpgお昼を食べたレストランに「ロンドンデリーの歌」が流れている。この懐かしさは、なんなのだろうか。

レストランを出て、東急ハンズをのぞいてみる。クリスマスグッズであふれている。美しいには違いないが、かりそめの人工美という風情で、はかなさを感じてしまう。

紀伊国屋南店で、来年の天文年鑑を買う。小学生のころから毎年買って、もう何年になるだろうか。

帰る道々、時間の流れとは何なのか、いろいろと考えてしまう。

この世界の本質は、もしかすると「消え去ること」にあるのではないだろうか。

星も、生物種も、個体も、もちろん人間も、消え去るという本質から逃れることは出来ない。

かつて現在だったさまざまな出来事が、すべて過去として消え去っていることは、とても重要なことのような気がする。

さまざまな人々の、あるいはさまざまな生き物や自然現象も含めて、それぞれの過去の累積が、たった一通りの現在という世界を規定している。

だれかの過去が、あるいは何かの過去が、ちょっとでも違っていたら、この世界もまた異なったものになっていたに違いない。

ここまで考えて、僕ははたと気付く。

「消え去る」という本質は、過去と現在をつなげて見た時に言えることであって、現在と未来の関係では逆のことが言えるのではないか。

現在から未来を見た時に、世界の本質は消え去るの反対で、「現れ来る」とでもいうことなのだと思う。

「現れ来る」とは、生成であり、誕生であり、出現であり、出会いである。それは無限の可能性を内包していて、進化を生み、飛躍を生み、発展を生む。

この世界は、「現れ来る」と「消え去る」の微妙なバランスと帳尻の上に、リズミカルに、そして希望と悲哀を伴って展開しているような気がする。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2004/11/20

人類が時間の意識を持ったのは、いつごろからだろう

静かな土曜日だ。誰もいない家にずっと一人でいると、時間が止まったような錯覚に陥る。

時計の針の位置が、少しずつ確実に変わっていることに気付いて、ようやく時間が流れていることを知る。

つるべ落としの秋の日というが、外をみればもう真っ暗だ。

今日一日が終わり、また明日がやってくる。人間が、時の経過を意識したのは、いつごろからだろうか。

20万年前に原人から進化した現生人類は、たぶん時の経過を意識し、人間は死によって生と区別される状態になることに気付いていたに違いない。

では原人たちは、時間の意識があったのだろうか。180年前に出現した新しい原人ホモ・エレクトスは、火をつかうことを覚え、言語もこの段階から少しずつ作られていったらしい。

昨日と今日の区別。今日と明日の区別。自分と相手の区別。自分でも相手でもない第三者の区別。人間と動物の区別。人間と植物との区別。こうしたことを仲間に伝えるためには、何か区別出来る音を発する必要があったのだろう。

火を使うことによって、火がつく、火が消える、火で熱い、水は冷たい、などの表現が必要になっていったのかも知れない。

時間の意識は、言語とともに発生したような気がする。

それより前の原人たちや、猿人たちは、一日の終わりや歳月の経過を、どのように意識していたか。

おそらくは、何かが変化し続けているこの世界の実相を、表現できないもどかしさで感じ、そこに流れている何かがあることを、息をひそめて見つめていたに違いない。

ではいまの僕たちは、時間の正体についてどれほど知っているか。猿人たちや原人たちが感じた漠たるもどかしさは、いまもそれほど変わっていないのではないか。

僕たちは、時間にがんじからめにされているようで、時間そのものについては何も知っていないに等しいように思う。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2004/11/19

青く輝くイリュミネーションは、宇宙でもあり脳でもあり

04-11-18_12-29.jpg新宿のマイシティに、不思議なイリュミネーションが登場している。

クリスマスないしは歳末商戦に向けてのムードづくりなのだろうが、商業主義が前面に出ることなく、ソフトな感じで一味ちがう飾りつけとなっている。

大きさが異なる白い球体が積み重なっている中に、さりげなくミラーボールが入っていてアクセントになっている。

目を引くのは、その回りに輝く青い小さな球体だ。点滅するわけでなく、ただ青い光を放っているだけなのだが、この落ち着いた感じが、さまざまなイメージを感じさせる。

この白い球体一つ一つが、独立した宇宙だとしたら、並行宇宙論や泡宇宙論のようでもある。青い球体は、無の揺らぎによって生まれたばかりのベビー宇宙なのかも知れない。

老いた宇宙は、ミラーボールのようにほかの宇宙の姿を反射光として投げ返しながら、やがてシャボンダマのように壊れて消えるのではないか、という気もする。

もうちょっと引いて眺めると、これは僕たちの脳のシステムそのものであるようにも見えてくる。

僕たちが自分の意識や感情、心、精神、思考、意思と思っているものの正体は、無数の脳細胞同士の間で絶えず起こっている、このイリュミネーションのような現象なのかもしれない。

それで思い出すのは、宮沢賢治の「春と修羅」序である。

わたくしといふ現象は
假定された有機交流電燈の
ひとつの青い照明です
(あらゆる透明な幽霊の複合体)
風景やみんなといっしょに
せはしくせはしく明滅しながら
いかにもたしかにともりつづける
因果交流電燈の
ひとつの青い照明です

愛も歓びも悲しみも怒りも苦しみも、意欲も希望もインスピレーションも決意も、このような反応と惹起の過程なのだと思うと、この青い輝きがいとおしくなってくる。

| | コメント (3) | トラックバック (2)

2004/11/18

「ピカソ 身体とエロス展」を観て

04-11-18_16-06.jpg東京・木場で開催されている「ピカソ 身体とエロス展」を観てきた。

同時代でありながら、前回観たマティスとは打って変わって、暴力的なまでの破壊と変貌を続けるピカソの作品は、良くも悪しくも観る者一人一人に、鑑賞を通じて挑戦状をたたきつけているような激しさがある。

「庭の中の裸婦」や「海辺の恋人たち」など、新聞やテレビで紹介されているよく知られた絵もよかったが、とりわけ感銘を受けたのは、中央の光るものをはさんで、双笛を吹く裸婦とそれを聴く裸婦の絵。怒涛のような破壊の勢いの中で、よくこんなに詩的で美しい絵を描いたものだと感嘆する。

浜辺でボール遊びをするデフォルメされた裸婦の絵も、小さな小屋に映ったデフォルメされない裸婦の影とともに極めて印象的で、僕は「この絵を欲しい!」と思ったくらいだ。この絵の続きのような感じで、浜辺の小屋に入ろうと、カギを差し込もうとしている裸婦の絵も、心に残る情景だった。

今回の展覧会は、身体とエロスというテーマでくくられているが、全体を通じてピカソは身体というものを、自分自身やモデルをひっくるめて、アートという怪物にとりつかれたように、あらゆる角度から描きまくっている。

身体をとことん追求していけば、性とエロスは避けることが出来なくなってしまうが、ピカソは迂回することなく真正面からこのテーマに激突している。男女の交接のやさしさ、激しさ、狂おしさ、醜さ、汚さ、こっけいさ、精神との違和感などを、ピカソは隠すことなく表現し続ける。

なぜピカソはこれほどまでに、エロスにこだわり続けたのか。僕は、この時期がちょうど1925年から1937年という、第二次世界大戦の不吉な足音が迫り来る時代であったことと、無関係ではなかったようにと思う。

戦争によって人間の身体は、ぼろきれのごとく引きちぎられ、バラバラにされて捨てられる。崇高なる精神が宿っているはずの身体は、こうしていとも無残に潰され、こなごなに粉砕される。

エロスとは戦争の対極に置かれるべき、最も平和な身体性の象徴であろう。エロスは美しいだけでなく醜怪さが付きまとうが、戦争には美のカケラもなく、醜悪さという点ではこれ以上に醜悪で愚劣なものはない。

戦争とは、直接的には身体への蹂躪であり、身体への冒涜そのものなのだ。

こうしてみていくと、ピカソが執拗にまでに描き続けたエロスによって、何を表現したかったのかが、分かるような気がしてくる。

表の「つれづれ」では、ピカソが描いた怪物ミノタウロスの目の悲しさについて書いたので、そちらも併せてご覧いただきたい。

(表の新着情報:「21世紀の歩き方大研究」の新世紀つれづれ草に、「ピカソのミノタウロスは、なぜ悲しい目をしているのか」をアップロード)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2004/11/17

首都圏直下型地震なら震度6か7の予測

幸せな時間を過ごして、家に帰って夕刊各紙を見たら、政府の中央防災会議の調査会が、首都圏直下型地震が起きた場合の想定震度分布をまとめた、というトップニュースが載っていた。

1都3県の大半が震度6、東京や神奈川の臨海部では震度7の地域も出る恐れがあり、調査会では来月、この予想をもとに死者数などの被害想定をまとめるという。

直下型地震が起こった場合に、僕たちはどういう対応をとることが出来るだろうか。交通機関の停止、幹線道路の大渋滞、火災の多発という中で、生き延びることは可能なのだろうか。

自分が、想定される死傷者の中に含まれないという保障は、何もない。

その時、家族とどのように連絡を取り合い、どうやって安否を確認し合えばいいのだろうか。

災害は忘れたころにやってくる、というが、首都圏直下型地震は忘れなくても必ずやってくることは間違いない。

パソコンもケータイも使えなくなった事態を想定して、そろそろ危機管理を真剣に考えなくてはならないことを痛感した。

| | コメント (2) | トラックバック (1)

2004/11/16

人生万事塞翁が馬、何が幸いするかは未知数

今日の毎日の夕刊に、作家の北村薫氏がこんなことを書いている。
花巻の駅でタッチの差でバスに乗り遅れ、それが結果として幸いして、「塞翁(さいおう)が馬」だったというのだ。

こうした経験は誰にでも覚えがあることだ。

「人生万事塞翁が馬」という言葉は、人間の禍福は測りがたいということわざだ。

昔、中国に、国境の塞(とりで)付近に住み、
塞翁と呼ばれる老人がいた。
その老人の馬がある日逃げてしまった。
馬は隣の国から駿馬を連れて帰ってきた。
老人の息子がその駿馬に乗って落馬して足を骨折した。
息子はそのために徴兵を免れ、戦によって命を落さずにすんだ。

僕の人生でも、さまざまな場面で「塞翁が馬」が姿を現している。

もう7、8年も前になる。勤めていた会社で、僕が配属されていた任務は97年1月末までで終わりと告げられたが、2月からの配属先が年が明けても決まらない。

長い会社勤めでも、こんなことは初めてだった。そこで僕は、自分で配属先を選択した。僕が選んだのは、「退社」という新しい職場だった。

このことが、ホームページを立ち上げる動機となり、さまざまな未開拓の道へとつながっていった。

今年の「塞翁が馬」は、前回本を出版したごま書房の電話がつながらなくなって、長い間連絡がとれなくなっていたことから始まった。

1月になにげなく日経新聞の図書広告を見たら、ごま書房の広告が載っていて、電話番号が書いてあった。
久々に電話してみたら、僕の知らない新しい社長が電話に出た。

この電話がきっかけで、やがて「地球カレンダー」出版の話へと発展していった。

「地球カレンダー」の出版は、僕がブログを始めるきっかけへとつながった。

そしてブログを始めたことによって、僕の人生は思いもよらなかった新たな展開へと動き、それがまた二転三転と流動している。

まさに、「人生万事塞翁が馬」である。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2004/11/15

雪女のふるさとは東京・調布という意外な説について

今日の読売夕刊に、小泉八雲の怪談「雪女」の話が載っている。雪女の話は、昔から僕が最も好きな話の一つだ。

去年12月に英国ニュースダイジェストに掲載した「時間の岸辺から」でも、僕は利雪・親雪についての話の書き出しに、この雪女の話を書いている。

これは去年12月8日の「表」のつれづれに同時掲載しているが、雪女のくだりだけを、ここに掲載しておく。

------------------
日本列島の各地から積雪の便りが聞かれる季節になると、ボクはいつも雪女のことを考えます。
さまざまな言い伝えがある中で、よく知られているのは、吹雪の中を小屋に避難した老人を凍死させ、目撃した若者に「決して他言しないこと」を約束させて、命を助けた雪女です。
若者はその後、お雪という美しい女性と出会って夫婦になり、10年の幸せな歳月が過ぎたある日、雪の小屋で見た出来事を、お雪に話してしまいます。
ボクが心引かれるのは、これに対してお雪がとった行動です。
お雪は、その雪女こそ自分だと明かして、約束を破った夫を殺そうとしますが、どうしても殺すことが出来ず、葛藤の末に寂しく去って行きます。
雪女とは、世界でも稀な豪雪地帯に生きる日本人が作り出した、雪のイメージの擬人化であり、恐ろしさと優しさは、雪が本来持っている両面なのでしょう。
------------------

ところで、この雪女のふるさとが、実は東京・青梅市であるという意外な話があるのをご存知だろうか。

英文に翻訳されなかった小泉八雲(帰化する前の名はラフカディオ・ハーン)の原作には、この話の舞台として「西多摩郡調布村」という地名が出てきており、これは現在の青梅市とみられることや、八雲に雪女の話をして聞かせた百姓がいたことが突き止められた、というのだ。

そこで、雪女のモデルが東京・調布村に実在したのか、という問題が地元の関心を呼び、ついに「雪女探偵団」という調査グループが結成された。

この探偵団は、雪女には実在のモデルがいたのか、調布村の百姓が語った雪女の正体とは何なのか、などについて考証・考察を続けているという。

僕の私見では、雪女伝説が生まれたのは、やはり北陸や東北などの豪雪地帯だろうと思う。
この話を豪雪地帯の人たちから伝え聞いた東京の百姓が、八雲に話して聞かせた可能性は大いにあるだろう。
ひょっとして、その百姓というのは豪雪地帯の出身だったのではないだろうか。

今年の冬は暖冬になるのか、厳冬になるのか。雪女ファンとしては、雪の深さが気になるところだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2004/11/14

君はフランシーヌ・ルコントを知っているか

ブッシュ再選を受けて、イラクのファルージャでは米軍が武装勢力1000人を殺害したとニュースが伝えている。

世界に漂う絶望感の中で、僕たちに出来ることは何なのだろうか。

File01401.jpg

今日たまたま、昔のレコードを見ていたら、ドーナツ盤のジャケットの中に、色あせた新聞記事の切り抜きがはさまっているのを見つけた。

1969年の、たぶん朝日新聞の記事を、僕が切り抜いてとっておいたもので、おそらく僕の手元にある最古(?)の切り抜きだ。

それは3月30日朝のパリで、フランシーヌ・ルコントという30歳の女性が、焼身自殺をした、というベタ記事である。
この女性は、ベトナム戦争やナイジェリア内戦に心をいため、自殺した時は、ビアフラの飢餓についての切り抜きを持っていたという。

フランシーヌ・ルコントという遠い国の、見知らぬ女性の死に、心を動かされた日本人がいた。作曲家の郷伍郎氏と、作詞家のいまいずみあきら氏だ。

二人はこの事件から受けた感動を、たちまち一つのフォークソングに書き上げた。

041114francine.jpegこれが新谷のり子が歌って大ヒットした「フランシーヌの場合」である。

一番の歌いだしの「フランシーヌの場合はあまりにもおばかさん」というところはよく知られているが、二番は次のようになっている。

ホントのことを云ったらオリコウになれない
ホントのことを云ったらあまりにも悲しい
3月30日の日曜日
パリの朝に燃えたいのちひとつ
フランシーヌ

三番はこんなふうになっている。

ひとりぼっちの世界に残された言葉が
ひとりぼっちの世界にいつまでもささやく
(以下繰り返し)

焼身自殺で何が変わるわけでもないことは、フランシーヌ・ルコント自身が一番よく知っていたに違いない。
にもかかわらず、彼女の死は、いつまでも僕たちの心に残り続けている。

世界がますます悪い方向に向かっているいま、フランシーヌの死の意味を考えてみるのも、決して無意味ではないだろう。

今日は「表」のつれづれ草に、ブッシュ再選によって呆然と立ちすくむ世界について書いた。この中で僕は、ブッシュを選んだアメリカの狂気を、宗教的トランス状態に陥った悪魔の国、と表現した。詳しくは、つれづれの方を読んでいただきたい。

(表の新着情報:「21世紀の歩き方大研究」の新世紀つれづれ草に、「グッバイ、アメリカ 宗教的トランス状態に陥った悪魔の国への決別」をアップロード)

| | コメント (22) | トラックバック (3)

2004/11/13

旅の終わりに見つけたオブジェ

京都・神戸の旅の終わりに、面白いものを見つけた。

「未来に行く者達へ」と題するブロンズのオブジェで、三宮センター街の小さな交差点の角にある。

一人の人間と一匹の犬がいる。その右脇には、一本の大きな木があり、左上には一羽の鳥がいる。

これは全体が、竪琴の形をした船になっている。

未知の荒海への、海図なき旅。豪奢な知の探険隊。

それは、デジャ・ヴュのようでもあり、予知夢のようでもあり、懐かしい未来のようでもある。

オブジェの後ろには、こんな一言が刻まれている。

「生命ある者達すべてが 仲間として未来へ進む。アルパ(竪琴)が2000年の時の流れに乗る船としてイメージしました」

このオブジェを見ながら、僕の旅もおしまいとなる。

BANYUU041112_0928.jpg

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2004/11/12

手塚治虫記念館と宝塚大劇場の雪組公演

今日は宝塚に行って、市立手塚治虫記念館と宝塚大劇場の雪組公演を観てきた。
写真は手塚治虫記念館入口にある火の鳥のモニュメントを前に、ケータイのセルフタイマーで撮ったもの。

入館時にもらったパンフに書かれている、手塚さんの言葉がなかなかいい。

「大宇宙の孤独に耐えて、ガラスのように壊れやすく、美しい地球に住む人間の小ささ、力を合わせていかねば生きられないこと、そして、人間がいちばん偉いのではないこと、地球に生きる動物も植物も人間も、みんな同じように生をまっとうし、子孫を生み続けていく生命体であるのだ…」

記念館の中のアニメ工房に、ハッとするようなことが書いてあった。

旧石器時代に描かれたアルタミラの壁画の中には、足が5本以上の牛がいて、これは牛が走る姿を表現したものだ、というのだ。
そしてアルタミラの壁画は人類最古の「動きのある絵」であり、アニメーションのルーツであるとされている、と書かれている。

僕はこのところ、アルタミラの壁画にアートと表現、虚構と現実の問題を探るカギがあるように感じていたのだが、アニメーションのルーツでもあるとは、なかなか奥が深いものがあると思った。

そのあと観た宝塚の雪組公演「青い鳥を捜して」初日は、タカラヅカ90年のラストを飾るにふさわしい素晴らしいステージだった。

神戸は明日が最後で、昼過ぎの新幹線で東京に帰る。


BANYUU041112_1230.jpg

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2004/11/11

関西ではエスカレーターの左開けがマナー

神戸・三宮の地下街「さんちか」で、なにげにエスカレーターの左に立っていたら、後の女性から「すみません」と道を開けるようせかされた。

そうだ、ここは関西なのだ、と気付く。関東とは逆に、エスカレーターでは右側に立つのがマナーで、急ぐ人のために左を開けておかなければならないのだ。

関東と関西のマナーが正反対なのは、いつころから定着していったのだろうか。

京都では地下鉄の駅もデパ地下も、ケータイは電波が届かずに圏外の表示になっていたが、神戸は「さんちか」もデパ地下もしっかりと電波が通じているので安心出来る。

今回の旅行ほどケータイがありがたいと思ったことはない。
モブログも出来るし、その記事もケータイから確認出来、コメントも読むことが出来る。

ここまでは西安に行った時と同じだが、今回はケータイでの通話やメールがとても重要な役目を果たしていて、僕にとってもはや欠かせないライフラインになっていることを毎日、実感している。

ケータイ一本で、何百キロもの物理的距離は瞬時に縮まり、街中からでもホテルの部屋の中からでも、すぐそばにいるのと変わらずに話をすることが出来る。これはコミュニケーションのツールとして革命的なことだと思う。

話は変わるが、昨日のモブログで、アップした記事の後半がなぜ切れてしまって反映されなかったのかは、ナゾのままである。
東京に帰ってから、テストをして検証してみたい。

BANYUU041111_1509.jpg

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2004/11/10

神戸・メリケン波止場の続き

さきほどのモブログは、なぜか後半が反映されなかった。いまから書き直すのも大変なので、写真を載せるだけにしておく。

アップした内容がそのまま載らないというのは、モブログの落とし穴かも知れない。

写真は、メリケン波止場の隣にある阪神大震災のメモリアルパークである。


BANYUU041110_1426.jpg

| | コメント (0) | トラックバック (0)

神戸・メリケン波止場の連凧

今日は昼前に、阪急電車で京都から神戸へ。去年秋に阪神−ダイエーの日本シリーズを見に甲子園に行って以来、1年ぶりの神戸だ。

去年はスケジュールがきつく、あまりゆっくり出来なかったが、今回は時間がたっぷりある。

幸い天気もいいし、のんびりと神戸港の方へ歩いていく。浜風が気持ちよく、海の香りをたっぷり吸い込んで陶酔する。

メリケン波止場で、長〜い連凧を揚げているおじさんがいる。一瞬、連凧を売っているのだろうか、と思う。

約60個もあろうかという凧の一つひとつに、文字が書いてある。なんだろうか。

「震災」という文字が読める。おじさんの手元から、空に向かって、凧の文字をつなげて読んでみる。

「大震災お見舞い申し上げます」
「亡くなられた方々のご冥福をお祈りいたします」
「神戸っ子は負けません」「みんなで元気を出して頑張ります」

なんという言葉だろうか。こんな凄い連凧は見たことがない。おおぞらに揺らめく文字を見ていると、なんだかジーンときて、涙が出そうになる。

メリケン波止場に憩う10組ほどのカップルたちは、時折、凧を振り返って見上げているが、文字まで読んでいるのかいないのか。

おじさんは、だれかが見てくれるかどうかには全く無頓着な様子で、黙々と凧を揚げ続ける。

約15分ほどのおおぞらのメッセージは、この世のものとも思えない優しい力に満ちていて、僕はこの連凧が現実のものなのかどうか、一瞬、分からなくなったほどだ。

おじさんは、ゆっくりと凧を回収すると、ていねいに箱にしまい、自転車に積んで、なにごともなかったように、どこへともなく去って行った。

まるで別の世界から、阪神大震災の被災者たちを見守り続けているような、不思議なおじさんだった。041110_1912.jpg

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2004/11/09

京都・哲学の道をそぞろ歩けば

京都の街を歩いていると、いたるところで二十歳前後の僕とすれ違うような気がする。

あっ、いますれ違ったのは僕だ、と思って振り返るともう幻影は消えている。時空がゆらめき、時間軸がショートして青い火花を飛ばす。

久しぶりに訪れたキャンパスには、当時の僕が四六時中、青春の拠点にしていたサークルボックスが、当時のままの姿で残っている。
闘い、団結、友情、愛、対立、矛盾、止揚、挫折、再起、別離、孤高、自立。そこには青春のすべての要素が満ちていた。

キャンパスを後にして、疎水べりの「哲学の道」へと足を延ばす。

西田幾多郎の石碑が目にとまる。
「人は人吾はわれ也とにかくに吾行く道を吾は行なり」

この石碑はいつ出来たのだろう。ここは何度か来ているのに、まったく気付かなかった。

先日、何十年ぶりかに聴いてみた45回転ドーナツ盤の黒人霊歌「我が道を行く」(I'M ON MY WAY)を思い出す。

哲学の道の途中に、真っ黒い哲学的な犬がいた。何か深く思索しているようだ。
犬さん、こんにちは。何を考えているの。

犬が僕の方を向く。目で言っていることが分かる。

「空と無。進化への志向。無秩序から秩序へ」

やっぱり! 僕の考えていることと同じだ。

哲学の道の犬さん、いつかゆっくりと話を聞かせてね。


BANYUU041109_1033.jpg

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2004/11/08

京都の紅葉に思う、赤く燃えることの意味

京都の紅葉は、このところの暖かさの影響で、例年より10日ほど遅れているようだ。
それでも今日は、比較的紅葉が進んでいる高峯のふもと、光悦寺を訪れて色鮮やかな紅葉をたっぷり楽しんできた。
落葉樹の葉はなぜ紅葉するのだろうか。
これは、一年の使命を終えた葉が、光合成を終えたことのサインであり、葉緑素をもはや生成しないという意思表示にほかならない。このため、葉っぱからは緑の色素が消えて、赤や黄色が前面に出てくる。
紅葉は、葉っぱにとって使命終了の達成感の表明であり、やがて来る落葉への死出の祝祭である。
その赤く燃えるような色は、光合成を無事に務めさせてくれた太陽への感謝であり、葉っぱたちが半年間という生涯の最後の最後に、念願かなって太陽と同化したことの証のようにも思える。
紅葉を見ていると、自分の人生と重なってくる。
自分は、なすべきことをきちんとなしたのだろうか。紅葉という祝祭は、自分にも訪れるのだろうか。
人生のたそがれを前にして、最後に赤々と燃えてみるのも、悪くないな、と思う。


BANYUU041108_1735.jpg

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2004/11/07

京都・鴨川べりからのモブログ

いま、京都の鴨川べりに来ている。四条大橋付近には、たくさんの水鳥が魚をねらって集まっている。
賀茂川の流れは絶えずしてもとの水にあらず。
僕の二十歳のころからずっと、この流れは続いているのだろう。
水鳥の白さ、川の流れる音は、あのころと変わらない。
鳥が好きな人なら、きっとこの光景をいつまでも眺めていることだろう。
そろそろ日が暮れるころだ。明日はどこへ行こうかな。


BANYUU041107_1554.jpg

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2004/11/06

赤々と燃える夕日に、古代の人たちは何を思ったか

04-11-06_16-13.jpg今日は珍しく、東京からも赤い夕日が沈みゆく様子が、きれいに見られた。

赤い夕日が沈む。
そのことは、人間をさまざまな感情にかきたてる。

歓喜、壮大、悲しみ、寂寞、愛おしさ。生きてることの不思議さ。いま存在していることへの感謝。

夕日は、人間の目の高さと同じにあり、自然な視線の先にあるから、人間と太陽とのかかわりを直感的に感じさせる。

夕日を見る時、人は太陽と一体になる。その一瞬、自分が宇宙の中にいることを感じる。

電灯などなかった数千年前、あるいは数万年前の古代の僕たちは、沈む夕日を見て何を思い、何を感じただろうか。

この世界は、なぜ存在しているのだろう。僕たちはいったい何者なのだろうか。この世界はこれからも続いていくのだろうか。

古代の人たちは、夕日を見ながら、こんな会話を交わしていたに違いない。

「これから数千年や数万年たっても、世界はあるんだろうか」
「あるとしたら、どんな世界になっているんだろう」

夕日が沈み、夜の帳が急速に落ちる。
闇の中、ところどころで、焚き火の灯りが揺れる。

その焚き火も消えたころ、人々は寝静まり、暗闇が訪れる。

空には満天の星。時がまだ、たおやかに流れていた時代であった。

(表の新着情報:「21世紀の歩き方大研究」の新世紀つれづれ草に、『時間の岸辺から』第66回「地域通貨」をアップロード。これは欧州の邦人向け日本語新聞「英国ニュースダイジェスト」に同時掲載)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2004/11/05

あさってから、京都と神戸へのあてのない旅

あさってから1週間、京都と神戸に行ってくる。

といっても、目的も行く先も、ほとんど定まっていないあてのない旅だ。

行く先が定まってないと書いたが、実はたった一つだけスケジュールが決まっている。

それは12日に、宝塚の手塚治虫記念館に行って、その後、すぐ近くにある宝塚大劇場で雪組の公演を観てくるのだ。

宝塚歌劇などまったく知らなかった僕だが、ちょうど10年前に遅い夏休みをとることが出来て、手塚治虫記念館に行くという話を職場でしたら、「宝塚に行くなら、歌劇を観てこなきゃだめですよ」と女の子に言われて、行って観たのが最初だった。

宝塚に行って知ったのは、幼少期から青年期の20年間を宝塚で過ごした手塚治虫が、宝塚歌劇から多大な影響を受け、作品のタッチから世界観にいたるまで、宝塚歌劇の世界が深く入り込んでいることだった。

それ以来、僕は関西に旅行する度に、手塚治虫記念館→宝塚大劇場のコースを入れていて、今回が4回目となる。

これ以外の日は、何のあてもなく、その日の風の吹くままに気ままに歩いてみようと思っている。

空が高くなるこの季節、寅さんならさしずめ、熱を上げたマドンナにふられて、そっと柴又をあとに、あてのない旅にでるところなのだろう。

木々の葉が色づき、北の国から冬のたよりが聞こえてくる、人恋しい秋。あえて一人旅をするのは、孤独だからではない。

明日のために、希望のために、前に進むために、あえてあてのない一人旅をする。

宝塚で観てくる雪組公演のタイトルは「青い鳥を捜して」だ。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2004/11/04

ブッシュ再選で世界は落胆、アメリカ国民は憎悪の標的に

041104_125200.jpg今日のブログも、「表」サイトの「つれづれ草」に連動して、ブッシュ再選について書いてみる。

「表」サイトで僕は、ブッシュ再選後の世界を言い表すキーワードは、「憂鬱」と書いたが、じつは別な意味で、アメリカ国民にとっても憂鬱がキーワードになるのでは、という気がしている。

なぜなら、アメリカ国民が今回、世界中の期待を裏切って、戦争犯罪人のジョージ・ブッシュを大統領に選んでしまったことで、アメリカ国民の責任は全世界にむき出しの形で露出し、ブッシュへの批判はアメリカ国民への批判になり、ブッシュへの憎悪はアメリカ国民への憎悪になるからである。

このことを考えた時、いかに頭の悪いアメリカ国民であろうと、自分たちがどういう状況に置かれているかが、一目瞭然となることであろう。

そう。アメリカに対するテロの可能性は格段に強まり、アメリカ国民は今回ケリーに投票しようが棄権しようがおかまいなしに、ストレートにテロ攻撃の標的にさらされることになるのだ。

テロとの戦いを前面に打ち出して、強硬な姿勢を取る大統領を選んだことが、いっそうテロの恐怖を煽り立てることになる、という皮肉な結果は、テロとの戦いの戦略が根本から間違っているということである。

恐怖におおのく日々の中からは、寛容や共存という思考は出てこない。恐怖は先制攻撃を容認し、アメリカ国民はますます一国主義の殻に閉じこもることになろう。

かくして世界は、そしてアメリカは、憎悪が憎悪を果てしなく招いてとどまらない悪循環から抜け出すことが出来ずに、ますます憂鬱の度合いを強めていくのである。

(表の新着情報:「21世紀の歩き方大研究」の新世紀つれづれ草に、「ブッシュ再選後の憂鬱な世界、アメリカの崩壊は始まるか」をアップロード)

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2004/11/03

高村光太郎の「火星が出てゐる」という詩から

今年はいろいろと、たった一度の人生について、考えさせられた年だった。

18歳の時に親元から離れ郷里から離れて、京都で下宿生活を始めた僕は、自分の人生をどのように生きるつもりでいたか。

青春時代の僕が、生きる指針にしようと傾倒していたのは、高村光太郎の「火星が出てゐる」という詩の一節だった。

手元にある詩集で、4ページにわたる長い詩だが、一部を抜粋してみる。
----------------------------------------------------
火星が出てゐる。
(中略)
予約された結果を思ふのは卑しい。
正しい原因に生きる事、それのみが浄い。
(中略)
おれは知らない、
人間が何をせねばならないかを。
おれは知らない、
人間が何を得ようとすべきかを。
おれは思ふ、
人間が天然の一片であり得ることを。
おれは感ずる、
人間が無に等しい故に大であることを。
ああ、おれは身ぶるひする、
無に等しい事のたのもしさよ。
無をさへ滅した
必然の瀰漫よ。
火星が出てゐる。
(以下略)
----------------------------------------------------
僕はこの詩の「予約された結果を思ふのは卑しい」という一節に、電撃を受けたようなものを感じて、何か重要な決断をしなければならない時には、この言葉を自分に言い聞かせてきた。

人生を振り返ってみて、自分が予約された結果を思わなかったと言い切る自信は、とてもない。

いまこの詩を読み返してみて、「無に等しい事のたのもしさよ」というくだりの方に共感を覚えるのは、年を重ねたせいだろうか。

「無をさへ滅した 必然の瀰漫よ」というくだりなどは、青春時代の只中の僕には、とうてい理解不能だったのかも知れない。

必然の瀰漫(びまん=一面に広がること)が無を滅した! それはたぶん、この宇宙が無のゆらぎから生まれたことと、関係がありそうな気がする。

無は、必然によって滅せられた。無が滅せられたというのは、無がゆらいだということだろう。

この宇宙が無から生まれたのは、必然だったのだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2004/11/02

心に残った記事から、陸の悲しさ、苦とは、待つこと‥

最近の新聞の切り抜きから、心にとまった一言をひろってみる。

31日日経朝刊より 「いさり火は身も世も無げに瞬きぬ 陸は海より悲しきものを」(与謝野晶子) 

陸は海より悲しきものを、という表現にグッとくる。陸に生きるものの孤独、人間という存在の逃げ場のない悲しみ、といったところだろうか。
ここで晶子は、海は悲しくないとは言ってない。海の悲しさは、いさり火の瞬きのごとくだが、陸はもっと悲しいのだ、といっているように、僕には思える。

1日毎日夕刊より 「苦しみとは、思うがままにならないことを、思うがままにしようとした途端に始まる」(女優の渡辺えり子さん)

含蓄深い一言だと思う。思うがままにならないことは、仕方のないことなのだ。
それは、何も努力しないで最初からあきらめてしまうこととは違う。なすべきことをすべてやって、それでもどうにもならないことが、人間にはあるのだ、ということなのだと、僕は思う。

1日朝日夕刊より 「待てないということ。それは相手が自然であれ、人間であれ、共に生きるのが下手だということだろう」(文化人類学者の辻信一さん)

辻さんは言う。「生きものたちの時間を、大地のゆったりとしたペースを、ぼくたちは待てない」。これはもちろん、反語である。
そして、こう続ける。「待つこと抜きの愛はありえない」と。

待つ、ということは、時間と一緒に進むということなのだ、と僕は解釈する。だからこそ、希望があり、明日がある。

愛とは、自然であれ人であれ、ともに流れる時間を大切に育んでいくことなのだと思う。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2004/11/01

銀行で交換した新札を手に思う、裕福と貧困

04-11-01_16-571.jpg今日から11月だ。朝、家の前の郵便局で、インクジェット用の年賀状を買う。

郵便局で新札交換が出来ると思っていたのだが、新札が「入荷」するのは2、3日後になると聞かされて驚く。

そこで銀行に行って、とりあえずカバンやポケット(僕はどういうわけか財布を持たないのだ)にあるお札を、新札に交換してもらう。

簡単に出来ると思っていたら、これがタイヘン。両替依頼書に金額と名前、電話番号を記入した上、番号札を引いて呼ばれるのを待つ。

依頼書と旧札を窓口に出して、こんどはプラスチックの札をもらい、15分ほど待つ。新札交換くらいで、なんでこんなに待たされるのだろうと思う。

僕が出した旧札が、ニセ札かどうかを鑑定しているのだろうか、と気になってくる。

ようやく、1万円、5000円、1000円の3種類の新札を手にする。当然のことながら、手の切れるような新札だ。

福沢諭吉のデザインは旧札と全く同じだが、野口英世と樋口一葉がいかにも新人っぽくて、好感持てる。

生前の樋口一葉の貧しさは、ハンパではなかったらしい。

借金を申し込んだのに、何の連絡もしてこない知人に憤慨し、一葉はこんなことを書いている。
「我に罪なければ天地恐ろしからず」

本当の大金持ちは、たぶんお札を手にすることなど、あまりないような気がする。金の出入りはすべて口座に振り込まれ、口座から振り込まれて出ていくのだろう。

お札をにぎりしめ、お札のありがたみに涙するのは、裕福ではない庶民なのだ。

1枚の野口英世、1枚の樋口一葉、1枚の福沢諭吉に、明日の生活と命がかかっている人たちも決して少なくないはずだ。

貧乏を恥じる必要はない、ただ不便なだけだ、といわれる。

それにしては、富めるものがますます富み、貧しいものがますます貧しくなっていく、この不条理。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

« 2004年10月 | トップページ | 2004年12月 »