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2004/11/02

心に残った記事から、陸の悲しさ、苦とは、待つこと‥

最近の新聞の切り抜きから、心にとまった一言をひろってみる。

31日日経朝刊より 「いさり火は身も世も無げに瞬きぬ 陸は海より悲しきものを」(与謝野晶子) 

陸は海より悲しきものを、という表現にグッとくる。陸に生きるものの孤独、人間という存在の逃げ場のない悲しみ、といったところだろうか。
ここで晶子は、海は悲しくないとは言ってない。海の悲しさは、いさり火の瞬きのごとくだが、陸はもっと悲しいのだ、といっているように、僕には思える。

1日毎日夕刊より 「苦しみとは、思うがままにならないことを、思うがままにしようとした途端に始まる」(女優の渡辺えり子さん)

含蓄深い一言だと思う。思うがままにならないことは、仕方のないことなのだ。
それは、何も努力しないで最初からあきらめてしまうこととは違う。なすべきことをすべてやって、それでもどうにもならないことが、人間にはあるのだ、ということなのだと、僕は思う。

1日朝日夕刊より 「待てないということ。それは相手が自然であれ、人間であれ、共に生きるのが下手だということだろう」(文化人類学者の辻信一さん)

辻さんは言う。「生きものたちの時間を、大地のゆったりとしたペースを、ぼくたちは待てない」。これはもちろん、反語である。
そして、こう続ける。「待つこと抜きの愛はありえない」と。

待つ、ということは、時間と一緒に進むということなのだ、と僕は解釈する。だからこそ、希望があり、明日がある。

愛とは、自然であれ人であれ、ともに流れる時間を大切に育んでいくことなのだと思う。

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