がんばれ、寒風に耐えて咲いた初冬の朝顔!
今朝、ベランダにおいてある朝顔の鉢に、一輪の朝顔が咲いていた。
茎も蔓も葉も、ほとんど枯れてしまって荒涼としている中、寒風に耐えて必死に咲いている朝顔。
この鉢は7月初め、入谷の朝顔市で買ったものだ。その時からでさえ、もう4カ月半以上経っているのに。
去年までは、朝顔の寿命は長くてもせいぜい10月いっぱいが限度だった。
今年は、11月の立冬を過ぎても、思い出したように朝になると、ポツンと咲いているのが見られたが、二十四節気の小雪を過ぎて、勤労感謝の日になって咲いたのは、これが初めてだ。
葉っぱすら枯れはてている茎に、この朝顔は何のために咲いたのだろうか。種子を残すためだろうか。それとも人間をなごませるためだろうか。
僕は、晩秋を過ぎて初冬に入った中で咲いている朝顔を見ているうちに、確信した。
生きるとはこういうことなんだ!
なぜ咲いたのかの理由など、どうでもいいのだ。朝顔は、咲くことが出来るから、そして咲くことが出来る限り咲く。それでいいのだ。
人間の命も同じことなのだ。僕も、咲くことが出来る限りは、力みかえることなく自然のままで、与えられた生を咲いていきたいと思う。
いずれ、完全に枯れはてて、厳冬の中で消え行くことは避けられないとしても。
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