無からどのようにして宇宙が生まれたかを考える
20世紀最大の科学的発見は、この宇宙が無から生じたことの発見とされる。
1982年にビレンケン博士が発表して、世界中の科学者たちを震撼させ、宗教界から哲学界さらには一般の人々の間に、大きな衝撃と波紋を巻き起こした。
端的に言うと、宇宙は無の揺らぎによって誕生した。
宇宙物理学などまったく素人の僕でも、この驚くべき結論の意味するところを考えてみたいという希求にかられる。
ビレンケン博士のいう「無」とは、時間も空間も物質もエネルギーも全く存在しない状態のことだ。
この「無」の状態はたえずゆらいでいて、現実の存在になっていない仮想空間の中で仮想的な極微小の宇宙がたえず、ついたり消えたりしている、と説明される。
存在と非存在の間を揺れ動いている仮想宇宙は、量子論的効果によって、ある確率で「無」から「有」へのバリアを突き破り、素粒子よりもはるかに小さい極微の宇宙が空間や時間とともに誕生した。
時間も誕生していない中で、どうしてこのようなことが行われたのか。車椅子の科学者として知られるホーキング博士らは、この段階では虚数時間が流れていた、と説明している。
仮想空間や仮想宇宙、そして虚数時間。いずれも現実には存在していない、いわば虚構ないしは物語の中の世界を想起させられる。
僕が思うには、「無」のままだったら、それこそ何も始まらないし何も起こらない。「無」は「有」との対比でのみ意味を持ち、「無」か「有」かは、ある意味で裏表の関係にあって、どちらになるかは可能性の問題なのかも知れない。
誤解を恐れずに、極めて比喩的な言い方をすれば、「無」にとって自らが「有」すなわち宇宙になることは、一種の「夢」であり、さらにいえば「ロマン」だったのかも知れない。
虚数時間の中で、無がなんとかして「有」になろうともがいていた時、もし神がいたならばこんな会話があったかも知れない。
神 「自発的に宇宙になることなど、無理だよ。私が一撃を加えてあげよう」
無 「いえ、きっと自分の力で宇宙になってみせます。手を貸さないで下さい」
神 「強情なやつだな。どんな世界を生み出すことになっても、私は知らないぞ」
無 「分かっています。あなたに助けは求めません」
神 「では私はこれで消える。さらばじゃ」
神の手を振り切って、「無」が自ら姿を変えて自発的に創り出したこの宇宙は、ビッグバンを経て、現在も膨張の途中にある。
僕たちは、宇宙になった「無」が紡ぎ続ける壮大な物語の過程で、ほんの一瞬に発生した小さな粉粒のような存在だ。
いずれ、この宇宙は数百億年後には縮小に転じ、すべては小さな一点に凝縮されて、再び無に帰する、とみられている。
「無」がすべての源であり、すべてのものの生みの親である、と思うとなんだか心がやすらかになってくる。
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