赤々と燃える夕日に、古代の人たちは何を思ったか
今日は珍しく、東京からも赤い夕日が沈みゆく様子が、きれいに見られた。
赤い夕日が沈む。
そのことは、人間をさまざまな感情にかきたてる。
歓喜、壮大、悲しみ、寂寞、愛おしさ。生きてることの不思議さ。いま存在していることへの感謝。
夕日は、人間の目の高さと同じにあり、自然な視線の先にあるから、人間と太陽とのかかわりを直感的に感じさせる。
夕日を見る時、人は太陽と一体になる。その一瞬、自分が宇宙の中にいることを感じる。
電灯などなかった数千年前、あるいは数万年前の古代の僕たちは、沈む夕日を見て何を思い、何を感じただろうか。
この世界は、なぜ存在しているのだろう。僕たちはいったい何者なのだろうか。この世界はこれからも続いていくのだろうか。
古代の人たちは、夕日を見ながら、こんな会話を交わしていたに違いない。
「これから数千年や数万年たっても、世界はあるんだろうか」
「あるとしたら、どんな世界になっているんだろう」
夕日が沈み、夜の帳が急速に落ちる。
闇の中、ところどころで、焚き火の灯りが揺れる。
その焚き火も消えたころ、人々は寝静まり、暗闇が訪れる。
空には満天の星。時がまだ、たおやかに流れていた時代であった。
(表の新着情報:「21世紀の歩き方大研究」の新世紀つれづれ草に、『時間の岸辺から』第66回「地域通貨」をアップロード。これは欧州の邦人向け日本語新聞「英国ニュースダイジェスト」に同時掲載)
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