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2004/11/09

京都・哲学の道をそぞろ歩けば

京都の街を歩いていると、いたるところで二十歳前後の僕とすれ違うような気がする。

あっ、いますれ違ったのは僕だ、と思って振り返るともう幻影は消えている。時空がゆらめき、時間軸がショートして青い火花を飛ばす。

久しぶりに訪れたキャンパスには、当時の僕が四六時中、青春の拠点にしていたサークルボックスが、当時のままの姿で残っている。
闘い、団結、友情、愛、対立、矛盾、止揚、挫折、再起、別離、孤高、自立。そこには青春のすべての要素が満ちていた。

キャンパスを後にして、疎水べりの「哲学の道」へと足を延ばす。

西田幾多郎の石碑が目にとまる。
「人は人吾はわれ也とにかくに吾行く道を吾は行なり」

この石碑はいつ出来たのだろう。ここは何度か来ているのに、まったく気付かなかった。

先日、何十年ぶりかに聴いてみた45回転ドーナツ盤の黒人霊歌「我が道を行く」(I'M ON MY WAY)を思い出す。

哲学の道の途中に、真っ黒い哲学的な犬がいた。何か深く思索しているようだ。
犬さん、こんにちは。何を考えているの。

犬が僕の方を向く。目で言っていることが分かる。

「空と無。進化への志向。無秩序から秩序へ」

やっぱり! 僕の考えていることと同じだ。

哲学の道の犬さん、いつかゆっくりと話を聞かせてね。


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