すべての存在をしばりつける重力とは何だろう
師走に入った新宿駅東南口。ルミネ2の壁面に、2人の忍者が張り付いている。
屋上につながれた1本のロープにぶら下がって、ビルの壁面を自在に上下左右に移動していく。
プレステ2の巨大な広告ボードの取り付け作業らしい。下では、サラリーマンやOLたちが足をとめて見上げている。
この作業は重力に抗している、というよりは、重力とうまく折り合いをつけ、重力と仲良くしていかないと、決して出来ないのではないか、という気がしてくる。
重力って何だろう。万有引力によると一言でいわれるが、どうやって離れた物体同士が力を及ぼし合うのか、不思議な気がする。
最近読んだ本には、重力とは時空のさざなみである、と書いてある。物質の質量によって、時空がゆがむ。
そのゆがみが、さざなみとなって光速で伝わっていく。波を伝える海水にあたるものは、真空それ自体なのだ。
時空のさざなみは、真空のさざなみとも言い換えられる。真空は時間と切り離すことが出来ず、真空と時空はイコールなのだ。
僕たち人間も、動物たちも植物も、海水も雲も大気も、そして地球それ自身でさえも、時空のさざなみによって、地球の中心方向に絶えず引き寄せられている。
時空のさざなみがあるからこそ、太陽も地球も丸く固まってばらばらになることがない。時空のさざなみは、地球の進化を促し、無数の命をはぐくんできた。
物質は重力の縛りから逃れられないが、精神や思考や感覚や愛は、時空を自由に飛翔してまわることが出来る。
脳や心は、重力から解放された宇宙なのだ、と僕は思う。
冒頭の写真の下には、都心では数少ない大階段がある。階段下の広場は、バンド演奏をするグループやティシュなどを配る人たち、イラク撤退を呼びかける市民グループなどで、いつもごった返している。
待ち合わせの人たち。手をふって別れる人たち。ここには人生のさざなみが、幾重にも重なって渦となっている。
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