学生時代に歌ったロシア民謡『一週間』
なぜだかこのごろ、学生時代に歌った歌を思い出すことが多い。
その一つが、ロシア民謡の『一週間』だ。
日曜日に市場へ出かけ 糸と麻を買ってきた
テュラテュラテュラテュラテュラテュララ テュラテュラテュラテュラテュララ
月曜日にお風呂をたいて 火曜日にお風呂へ入り
テュラテュラ・・・・
水曜日にあなたとあって 木曜日は送っていった
テュラテュラ・・・・
金曜日は糸巻きもせず 土曜日はおしゃべりばかり
テュラテュラ・・・・
恋人よこれが私の 一週間の仕事です
テュラテュラ・・・・
この不思議な歌詞について、M君とこんな話をした記憶がある。「この2人は水曜日に何をしたんだろう」と僕。「そりゃ、アレに決まってるだろう」とM君。
そうなのかあ。夜通し未来について語り合ったり、星を見て過ごしたり、なんて想像するのはやっぱりウブ過ぎるか。
いまは某大学のトップの地位にいると風のたよりに聞くM君は、僕とこんな話をしたことを忘れていることだろう。
1日は長いようで短い。1週間は短いようで長い。1カ月は長いようで短い。
そして1年は、長くて短い。過ぎてしまえば、1年も7年も13年も30年も、否、40年でさえも、同じ長さのように思える。
記憶に入ってしまえば、どの過去も等価値であり、時系列による優劣はなくなってしまうのだ。
タイムマシンはなぜ作ることが出来ないのか。その単純な理由が最近になってようやく分かった。
未来はまだ何も決まっていないから、行こうにも行くことが出来ない。
過去がどこかに存在していると思うのは幻想で、過去はどこにも存在していないから、行くことが出来ない。
僕たちがよって立つことが出来るのは、常に現在というカミソリの刃先のような、厚さも幅もゼロの一瞬のうつろいだけなのだ。
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