2004年はアナス・ホリビリスだったか
アナス・ホリビリスとは、ラテン語で「ひどい目にあった年」という意味だ。
エリザベス女王は、1年を回顧するクリスマス・イブの演説で、ときどきこの言葉を使う。
今年は、アナン国連事務総長が「アナス・ホリビリスが終わるのでほっとしている」と先週語ったばかりだ。
そのアナス・ホリビリスの最後の最後に、とんでもない大惨事が待ち受けていようとは、アナン事務総長にとっても予想外であったろう。
スマトラ沖地震・津波の被害は日増しに増えて、死者は7万人超、被災者は数百万人に及ぶ、と今日の夕刊が報じている。
何事もなく経過していた平穏で安寧な日常が、一瞬にして破壊される。まさにこの世は、一寸先は闇、なのだ。
だれもが、自分を襲う明日の災難を予測するすべもなく、とにもかくにもこの平凡でささやかな安逸が、明日も明後日も続くに違いないと信じて、今日の一日を懸命に生きる。
僕にとって、今年はどういう年であっただろうか。初めてのブログ、初めてのカメラ付きケータイ、初めての海外一人旅、初めての中国語での会話、と初体験づくめだった。
少なくとも、アナス・ホリビリスではなかった、といっていい。が、一方では流砂のような時の虚無と空しさを、今年ほどかみしめた年もない。
この世には、何か確固たる絶対的なものなど存在しない。すべての物事は恐ろしく流動的で変わりやすく、磐石の信頼に足る恒久普遍のものなど、そもそも最初からありえないのだ。
流れにさからわず、たゆたうように、漂うように、自然体で生きていくうちに、道がひとりでに開けていくか、そこでおだぶつになるか、人間にはそのどちらかしかない。
なせばなる、というのは一面の真理ではあろう。
が、なるようにしかならない、というのもまたそれ以上の真理なのだ。
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