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2004/12/18

「負け犬」と「オニババ」議論の中、女の選択と男の責任

このところ新聞などでは、「負け犬」と「オニババ」をめぐる議論が盛んだ。

もとはといえば「おひとりさま」が流行ったあたりから、結婚しない女、あるい男に頼らずに自立して行動する女が、なにかと脚光を浴びていたのだが、それがここにきて極まれりという感じなのだ。

それぞれ、酒井順子さんの「負け犬の遠吠え」と、三砂ちづるさんの「オニババ化する女たち」が「原典」で、すでに言葉そのものが一人歩きして止まらない。

こうした言葉に対しては「女つぶしの常套手段」として批判・反発する人たちも少なくない。

僕はどちらの本も読んだわけではないので、著者の真意については分からないが、「負け犬」や「オニババ」の持つ語感が、現在の日本に漂っているある種の危機を、歪んだ形にせよ反映していることは確かなのではないか。

女性が多様な生き方を選べる時代になったことは、本来は肯定されるべきことなのに、それが現実には女の選択の結果としてではなく、さまざまな社会的事情や制約によって、はからずも「負け犬」として気丈に生きていかざるを得なくなっている。

「おひとりさま」→「負け犬」→「オニババ」のコースに、女たちを追い詰めているものの正体を見据えることも、また大切なことのように僕は思う。

「負け犬」の大量出現や「オニババ化」には、男の責任が大きい、という女の側からの指摘はその通りだと思う。

これは、女の問題であるとともに、実のところは男の問題なのだ。

女にだけこうしたレッテル的な言葉があって、男にはないことが、問題の本質を見えにくくしている。

規制緩和と能力主義の導入の中で、いま日本の社会は急速にむき出しの競争社会となりつつある。少数の勝ち組みと、大多数の負け組みとに、社会が二極化しつつあるのだ。

女ももちろんだが、男もまた経済的に自立することが困難を極めていて、結婚難の以前に恋愛難の時代といわれる。厳しい経済状況の中で、男と女の出会いのチャンスが激減しているという指摘も多い。

「負け犬」や「オニババ」をマスコミが面白がって揶揄している社会で、どうして少子化を食い止めることなど出来ようか。

(表の新着情報:「21世紀の歩き方大研究」の新世紀つれづれ草に、「情報過多の洪水を嫌気し、『ファウスト』をじっくりと読み始める」をアップロード)

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