遊泳中の少女らをサメの襲撃から守ったイルカたち
少女3人と海難救助隊員が遊泳中に、体長3メートルのサメが近づいてきた。その時、イルカの群れが現れて、4人を取り囲むようにして一緒に泳ぎ続け、サメの襲撃から守ってくれた。
10月30日にニュージーランドであった出来事で、今朝の朝日新聞が伝えている。
オークランド大学の博士の話として、「イルカには弱者を助ける習性がある」というコメントが載っている。
このニュースは妙に心に残る。イルカが高い知性を持ち、イルカ同士で会話を交わしているだけでなく、人間ともコミュニケーションを取ることはよく知られている。
だが、弱者を守る、というのは単に知性が高いだけでは出来ることではない。
それは、弱い立場にいる者を守ってあげたいという、強い倫理観に裏打ちされた「心」がなければ出来ないことだろう。
イルカに倫理観や心があるのだろうか。僕は、あるのだと思う。
もともとイルカは陸上に住んでいた哺乳類のなかの一部が、再び海での生活を選択して進化していったもので、海の中で高度な知性や感情や心を発達させてきた生き物なのだと思う。
人間とイルカは、1億年もかけて別々の進化の道をたどって、現在に至っている。
人間は知性を過度に発達させてテクノロジーを生み出し、1万年前に自然を征服して生きていく方法を身につけた。
農耕牧畜とは、種としての優位と繁栄を保証する代わりに、生活の場としての自然を切り刻んで消費し続けることにほかならない。
文明とは、自然への支配を前提として成り立っていて、遅かれ早かれ行き詰る宿命を、文明内部に宿している。
イルカは、テクノロジーを生み出す必要性に迫られることなく、自然を征服しない道を選択した。
どちらが幸せな道だったのだろうか。人間はテクノロジーがなければ、せいぜい500万人程度しか地球上に存在できない、とされている。
それでもよかったのではないか。というよりも、その方がよかったのではないか、とつくづく思う。
少女らをサメの襲撃から守ってくれたイルカたちは、人間に伝えたいメーッセージがいろいろあったに違いない。
いや、何も言わずに、黙々と、少女らと一緒に泳ぎつづけてくれたという、そのこと自体に、僕たちはイルカが最も言いたかったメッセージを読み取るべきではないか。
弱いものを守る‥‥。この当然のことを、すっかり放棄して、強者の論理に振り回されている人間たち。
そのことを、そっと諭すようなイルカたちの優しさとともに、海の底よりも深い悲しみが伝わってくる。
(表の新着情報:「21世紀の歩き方大研究」の新世紀つれづれ草に、『時間の岸辺から』第68回「安否情報」をアップロード。これは欧州の邦人向け日本語新聞「英国ニュースダイジェスト」に同時掲載)
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