ゲーテの『ファウスト』を読んで、メフィストに共感
ゲーテの『ファウスト』を5日かけて読み終わった。若いころに何度か読んだはずだが、年をくってから読むと、まったく新しい物語のように感じる。
全体を通して、僕はファウストよりも、メフィストフェレスの圧倒的な存在感にシビレてしまった。メフィストは悪魔とはいうものの、ファウストよりもはるかに賢く弁舌さわやかで、世界というものの現実と本質を冷静に見据えているという気がする。
ゲーテがこれを書いた頃とは比べ物にならないほど、現実の人間社会が悪魔化し、悪魔そのものをはるかに超えた悪の世界になってしまっていることが根底にあるのだろう。
いま世界で起きていることは、メフィストでさえも震え上がるほどの残虐・非道のきわみであって、僕たちは悪魔というものがどの国のどんな階層に巣食っているものなのかを、日々、見せ付けられて知っている。
『ファウスト』に登場するメフィストは、僕に言わせれば、この世界の真理を求めて苦悩するファウストの分身なのだと思う。だからこそ、僕はメフィストの方にはるかに惹きつけられ、言動のいちいちに共感を覚えてしまう。
もうひとつ、今回この物語を読んで感じたのは、美しいと言える「時」を求めて悪魔と契約を交わしたファウストが最も渇望し、捜し求めていたものは、つきつめていくと、理想の女性の愛情だったのではないかという点だ。
第1部では何も知らない無垢の町娘グレートヒェン、第2部ではギリシャ神話の伝説の美女ヘレナと、ファウストは全くタイプの異なる女に入れ込んで、それぞれ子供をはらませるが、どちらも悲劇的な結果となる。
ヘレナはファウストの夢の中、という設定にも読めて、現実感に乏しいが、グレートヒェンがファウストに恋焦がれて大罪を犯して破滅していくくだりは、この上なく悲しくて救いようがなく、この物語の白眉といっていい。
ファウストが最後の方で、「憂い」との対話で言うせりふが興味深い。「永遠を求めて何になろう」「求める限り苦しみがあり、幸せがある。ひとときも満ち足りることはない」
「時よとまれ、お前は美しい」という言葉を、ファウストは言ったのだろうか。そこのところを何度読み返しても、言っていないように読める。
ファウストが死んだ後、メフィストが「哀れなやつめ、とどのつまりはできそこないの空虚な時をにぎりしめようとした」と言っているのが、グサリと突き刺さる。
できそこないの空虚な時をにぎりしめようともがいているのは、いまに生きる僕たちの姿でもあるのだ。
(表の新着情報:「21世紀の歩き方大研究」の新世紀つれづれ草に、『時間の岸辺から』第69回「そろばん復権」をアップロード。これは欧州の邦人向け日本語新聞「英国ニュースダイジェスト」に同時掲載)
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コメント
ルーシーさん、はじめまして。「ファウスト」は何度読んでも難解です。「時よとまれ、お前は美しい」という名高いフレーズは、最初の方で悪魔と契約するくだりで出てきますが、最後にファウストがこの言葉を口にしたのかどうかという肝心のところが判然としません。また、この物語は悪魔が勝ったのかファウストが勝ったのかも、どのようにもにも読めてしまいます。
ブログ、拝見いたしました。ゲーテは奥が深く、その精神は現代に生き続けている、という感じがします。
今後ともよろしくお願いします。
投稿: BANYUU | 2006/06/03 22:06
はじめまして、私もゲーテに興味を持つひとりです。
「ファウスト」などはなかなか難しいのですが、彼の「格言集」は現代であっても時代を超えて共感できる素敵な言霊かと思います。
私も「ゲーテ」についてブログで記事にしました~、よかったら遊びにいらして下さいね~、ではまた!
投稿: ルーシー | 2006/06/03 03:28