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2004/12/23

虚無と無限の中間者としての人間

パスカルといえば、昔学校で習った「パスカルの原理」や、「人間は考える葦である」という有名なフレーズを思い出す。

今日たまたま、本をパラパラとめくっていたら、パスカルの「パンセ」の中の言葉がいくつか目にとまった。
なかなか含蓄のある言葉ばかりで、300年以上も昔に語られているのに、現代に十分通用するものが多い。

「悲しみは知識である。多く知る者は恐ろしき真実を深く嘆かざるをえない。知識の木は生命の木ではない」

「人間は偽装と虚偽と偽善にほかならない。自分自身においても、また他人に対しても」

「もしクレオパトラの鼻がもっと低かったなら、世界の歴史は変わっていただろう。人間のむなしさを知ろうとするなら、恋愛の原因と結果とをよく眺めるがよい」

「そもそも人間は自然のうちにあって何ものであろうか? 無限に比しては虚無、虚無に比しては全体。無と全体とのあいだの中間者。両極を把握することからは無限に遠く隔てられているので、事物の終局やその始原は、人間にとっては、しょせん、底知れぬ神秘のうちに隠されている。彼は自分がそこから引き出されてきた虚無をも、そこへ呑みこまれていく無限をも、ともに見ることができない」

僕は、パスカルにおける虚無と無限のとらえかたに強く惹かれる。彼は人間を、虚無と無限の2つの深淵の中間者として位置づけた。

これこそが、現代に生きる僕たちに最も必要な視点ではないだろうか。

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