ドストエフスキー「悪霊」、登場人物をメモしながら読了
ドストエフスキーの「悪霊」を半月かかって読み終えた。
この小説の感想は、「表」のつれづれ草に書いたので、ここでは「読み方」についてちょっと触れてみたい。
先に、同じ作家の「白痴」を読んだ時に、僕には大きな反省点があった。
それは、読み進むにつれて、前に出てきたはずの人物がしだいに分からなくなり、何度も何度もページをさかのぼって、その人物が最初に出てきたところを探し出しては、どういう人物なのか確認しなければならなかったことだ。最初に登場したページを探していくのは、非常に時間がかかり、なかなか見つけることが出来ない。
ドストエフスキーに限らず、トルストイでもそうなのだが、ロシアの長編小説は登場人物をいかに把握しながら読み進むことが出来るかが、理解のカギを握るといっていい。しかも、小説の中では同じ人物が、ムイシュキンと書かれていたり、レフ・ニコラエヴィチと書かれていたり、あるいは単に公爵とだけ書かれていたりする。
昔、全集もので読んだ「罪と罰」などは、冒頭のページや栞などに、登場人物一覧が書かれていてそれを照合しながら読んだような記憶があるが、文庫版には登場人物一覧はない。
そこで僕は、今回「悪霊」を読むにあたって、新しい人物が登場するたびに、ノートに人物の名前とページナンバーを鉛筆でメモしていくようにした。フルネームが後になってから書かれることもあるので、その場合は、フルネームが登場したページナンバーも追加していく。肩書きは、数文字で書けるものは「小役人」「商人」などと簡単に書く程度にする。
これをやったおかげで、人物が分からなくなった時には、まずノートで最初に出てきたページを確認し、そのページに戻ってどういう人物なのかを直ちに確かめることが出来た。
読み終えて、改めて数えてみたら、名前が出てくる登場人物だけで、ノート4ページ分、総勢97人にも上っていた。
インターネットでは、ドストエフスキーとトルストイの主要な長編小説について、登場人物一覧を記載しているサイトもあるが、人物についての親切な説明がかえって先入観となる恐れがあり、ネタバレの危険もあるような気がして、あえて見なかった。
面倒ではあるが、自分でノートに名前を書いていく方が、頭に入るように思う。
読書とは、作者と読者のデスマッチであり、精神の格闘なのだ。
(表の新着情報:「21世紀の歩き方大研究」の新世紀つれづれ草に、「ドストエフスキーの『悪霊』を読了、その現代性と神について」をアップロード)
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