スマトラ沖大地震になすすべがない神とは
スマトラ沖地震の死者は15万人を超え、さらに15万人が死の危機に瀕している、とニュースは伝えている。家を失った被災者は500万人以上にのぼると見られている。
最大級の惨事となったこの地震に関連して、英国国教会のローワン・ウィリアムズ・カンタベリー大主教が、「感覚がまひする規模のこのような苦しみを容認する神を、どうして信じられようか」という異例の手記を、サンデー・テレグラフに寄せた、という。
どの宗教の神であれ、まさしくこのような時に現れて、苦しみ悶える人々を救うことこそ、神の役割ではないのか。
こうした時に、神が出現して大津波による死者たちを蘇らせ、負傷者の傷を癒し、流されたり倒壊した家をたちどころに復元させる奇跡を見せてくれたならば、世界中の人々が、頑固な無神論者も含めて、すべてが神の存在を信じることは間違いない。
なのに、神の存在を人々に知らしめる格好の機会というのに、なぜ神は沈黙を続け、姿も現さずに、この惨劇を放置しているのだろうか。
20世紀においても、神はいつだって、何もしなかった。アウシュヴィッツで、ヒロシマ、ナガサキで、空襲で炎上する世界各地の都市で、みんなが神に救いを求めながら炎の中で死んでいくのを、神はただ横目で見ているだけだった。
人間たちが最もその存在を必要としている時に、何もすることの出来ない神というのは、神の名に値するだろうか。
現世で苦しんで死んでいく者は、必ず天国で救済されるから、それで我慢しろ、とでもいうのだろうか。
キリスト教、ユダヤ教、イスラム教だけではない。仏教もまた、このような大惨事に対して、無力を露呈している。
スリランカの信心深い仏教徒たちが、今回の地震で各国から届けられた救援物資を、われさきに奪い合っている、と今日の夕刊が伝えている。
こうした諸々のことがらは、神の存在や仏の教えが、現実の地獄に対して有効に機能せず、絶望的なまでに非力であることの証明ではないのか。
神はもともと存在しないか、存在しているのだが面倒なことは人間に責任転嫁しているか、どちらかに違いない。
僕は神なるものの無責任に憤りを感じつつ、この際、世界各国は地上で繰り広げられているすべての戦争と戦闘行為を即時に終了させ、スマトラ沖地震の被災者の救援に専念すべきだ、と考える。
イラクに駐留している米軍もただちにイラクから完全撤退し、すべての米軍は国連の指揮下に入って、地震被災者の救援と被災地の復興にあたるべきだ。
もちろん米国に追随しているイギリス、オーストラリア、日本などの軍隊や自衛隊も、すべてイラクを出て、そのまま被災地に向かうべし、である。
人間を救うことが出来るのは、神ではなくて人間しかいないのだ。
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コメント
Rough Toneさん、TBとコメントありがとうございます。こちらからも2つの記事にTBさせていただきました。
神の慈愛なんてものは、ウソっぱちだと思います。神は恐ろしく尊大なくせに、何一つ愛を行動で示そうとしないのですね。
神の仮面を剥いでみれば、俗世の権力欲にかられた亡者どもが、汚い薄笑いを浮かべて、舌を出しているのではないでしょうか。
投稿: BANYUU | 2005/01/07 13:09
古いふたつのエントリなのですが、トラックバックさせていただきました。
神は世界に無関心で不遜で冷酷です。
そんな神なんて価値はないと、私も思っています。
投稿: Rough Tone | 2005/01/07 00:22