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2005/03/31

愛知万博、1日から手作りの弁当持ち込みはOKだが

愛知万博への弁当持ち込み禁止が大ブーイングを呼び起し(一昨日の記事参照)、ついに小泉首相のツルの一声で、一転、明日4月1日から手作りの弁当に限って持ち込みを認める方針に転換するという。

首相の一声でかくもやすやすと方針転換できるのならば、これだけ不評を買う前になぜ最初から弁当持ち込みを認めなかったのか、という気がする。

会場でレストランを出店している業者たちの「話がちがうじゃないか」というウラミ節が聞こえてきそうだ。

しかし、今度の新方針にもギモンは多いぞ。

そもそも何をもって手作りと判断するのか。コンビニで売っている弁当は不可というが、デパ地下で売っている弁当もダメなのか。

弁当というのは、どこで売っているものであれ、どれもこれも手作りではないのか。それとも機械作りの弁当というのがあるのだろうか。

デパ地下やコンビニの弁当に、買った人が自分でふりかけをまぶしたり、漬物を加えたりすれば、それは手作りといっていいのか。

自分の家の弁当箱や重箱に、買ったお惣菜や買ったお寿司を詰めた場合はどうなるか。

入り口で係員がすべて弁当の中身をチェックして、手作りでないと判定された弁当は捨てさせるのか。

テレビ局は、デパ地下などでせっかく買ったお寿司やサンドイッチを、ゴミ入れに捨てさせられる親子連れの泣き出さんばかりの様子を、ぜひカメラで撮って大々的にニュースで流してほしい。

そうすれば「愛・地球博」だの環境だのという仮面がはがされ、この大いなる地方博がいかに食糧や資源をムダにし、いかに入場客の心を踏みにじる儲け主義丸出しの場であるかが、もっとみんなに周知されることだろう。

食中毒防止のためなどというのが、こじつけの理由に過ぎないことはみんなが知っている。コンビニやデパ地下の弁当は食中毒を起こしやすいという科学的なデータはあるのか。

賞味期限内に食べれば、買った弁当であってもいいではないか。

遊園地やレジャーランド、野球場、公園などのほとんどは、買った弁当を禁止していない。それは、食中毒を起こさないように気をつけて早めに食べることは、個人の判断と良識に属する問題だからだ。

入場客をそんなに信用できないのならば、そもそも時代錯誤の万博など最初からやるべきでないのだ。

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2005/03/30

「表」のつれづれ草を「時間の岸辺から」に改題

「英国ニュースダイジェスト」の経営トラブル・発行停止(26日のブログ)によって、僕が連載していた時評コラム「時間の岸辺から」も自然終了となったが、僕はこのタイトルをかなり気に入っていた。

このタイトルは、3年前に連載がスタートする時、初代の編集担当者の提案で決まったもので、その直前の02年2月11日に僕が表サイトの中の「新世紀つれづれ草」に書いた、「時が川の流れなら、ボクたちは岸辺にいるのか流れているのか」と題するエッセイから採ったものだ。

連載が続いていた間は、「時間の岸辺から」も英国ニュースダイジェストと同時掲載で、つれづれ草に全文を掲載していた。

これから英国ニュースダイジェストへの掲載がなくなると、「時間の岸辺から」を新たに同時掲載することもなくなる。

そこでいろいろ思案した結果、「新世紀つれづれ草」のタイトルを4月から、「時間の岸辺から」と改題することにした。

「新世紀つれづれ草」は、97年2月にスタートした時点では、「大世紀末つれづれ草」というタイトルだったのを、21世紀が開幕した01年1月から改題したものだ。

こんどは2度目の改題となるわけだが、サブタイトルを「21世紀エッセイ」として最初につけようと思う。

「表」サイトのメニュー表示では、21世紀エッセイ「時間の岸辺から」となる。

これに伴って、スタイルも少し変えて、プログっぽい形にしてみるつもりだ。文章の長さは、これまでよりもやや短めにするつもりだ。

内容的にはこれまでと同様に、日記風エッセイあるいは時評エッセイでいくことは変わらない。

このブログともども、新装なる21世紀エッセイ「時間の岸辺から」の方にも、ぜひお立ち寄り下さい。

(表の新着情報:「21世紀の歩き方大研究」の新世紀つれづれ草に、『時間の岸辺から』第74回「回転ドアの顛末」をアップロード。これは欧州の邦人向け日本語新聞「英国ニュースダイジェスト」に送稿した最後の原稿)

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2005/03/29

愛知万博の飲食物持ち込み禁止は独禁法違反、と告発

 愛知万博の序盤の入場者が、予想を大きく下回っているという。

 これはそもそも何を見に行くための万博なのかが、はっきりしないことが大きい。物産展なのか、それとも環境を考えるイベントなのか、そのあたりが分かりにくい。

 冷凍マンモスは見てみたい気もするが、それ以外の目玉は何だろうか、と考えてしまう。

 春休みなのに、出足がにぶい理由の一つは、ペットボトルや弁当など飲食物の持ち込みが禁止されていることだ。

 安全確保のためというが、これでは家族連れとりわけ子ども連れの客が二の足を踏むのは当然である。

 会場の中のコンビニでは安い弁当もあるのだが、協会の指示で販売個数が大きく制限されているという。

 要するに、入場客には会場内のレストランに入って、おカネをジャブジャブつかって欲しい、という魂胆がミエミエだ。これが名古屋人のセンスと感覚か、と思われても仕方があるまい。

 世の中には、言うべきことをきちんと言ってくれる人たちがいるもので、今朝の新聞によると、名古屋、仙台、札幌の弁護士3人が28日、愛知万博での飲食物の持ち込み禁止は独占禁止法違反にあたるとして、公正取引委員会に告発した。

 それによると、「入場者は、指定した飲食物販売業者と取引するよう強制されている」として、独禁法が不公正な取引として禁じている「抱き合わせ販売」にあたるとしている。

 なるほど、抱き合わせ販売とはよくぞ言ってくれた。一日かかっていくつのパビリオンを回れるか分からないが、ペットボトルも弁当も持ってくるな、というのは、独禁法違反であることは明白だ。

 いやそれだけではなく、生存権の侵害で憲法違反ではないか、という気さえする。

  「愛・地球博」などというからには、ペットボトルや弁当の持ち込みのような、入場客のささやかな楽しみを奪ってはならない。レジャーやピクニック感覚で来る人たちがいて、何が悪いというのか。

 協会のお偉方たちが、入場客はみんながみんなカネにいとめをつけない勝ち組のセレブたち、と思っているとしたら大間違いである。

 これから入場者が伸びていくかどうかを決する大きなファクターは、飲食物持ち込み禁止を解除するかどうかにかかっているような気がする。

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2005/03/28

ボーダフォンで「パケット通信が利用できない」の表示

僕は外出先で最新のニュースを見たい時は、ボーダフォンのケータイで朝日かNHKの無料ニュースサイトにアクセスしている。

ところが今日はなかなかつながらず、そのうちに「パケット通信がご利用出来ません」というメッセージが出た。何度やってもこのメッセージになる。

このエラーを経験するのは2度目だ。

最初は去年の9月、西安に行く直前のことで、ケータイによる海外からのモブログをやろうとしていた矢先だったので、どうしていいか分からずにあわてた。

その時は、成田からボーダフォンのお客さまセンターに電話して(これがテープ応対になっていて、係りの人と直接話すのは容易ではなかった)、対処の方法を教えてもらった。

僕が使っているV801SHではよく出るエラーらしく、次のような手順で復元できる。

1.電源を落とす
2.電池カバーを開けて電池パックを取り出す
3.その奥に隠されているUSIMカード(小さな赤いカード)を取り出す
4.USIMカードをもとの位置にセットする
5.電池パックをもとの位置にセットして電池カバーを閉める
6.電源を入れる
7.画面に日付と時刻が表示されていることを確認する
8.左上のボタンを押してネットワーク設定を選び、自動調整をYESにする

これで、パケット通信はもとどおり利用できる状態に復元される。

今回は2度目だったので、あわてることなく、粛々とこの手順に従ってセットし直して事なきを得た。

このエラーについては、携帯に付属しているマニュアル類にはひと言も触れられていない。

ボーダフォンにとっては、このようなエラーが起こりうることをおおっぴらに書きたくないのだろうが、むしろ復元の手順についてはマニュアルに明記した方が親切ではないか。

故障やトラブルが起きない製品など世の中にありえない。故障やトラブルに備えて、どのような対応をとっているかが、企業の真価を決するように思う。

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2005/03/27

ちょうどいい時間帯の「午後のコンサート」

05-03-27_17-25東京オペラシティの「午後のコンサート」に行ってきた。

東京フィルハーモニーが年に4回組んでいる公演で、その名の通り、日曜の午後2時開演で日の明るいうちに終わる。

コンサートには行きたいが、夜はなかなか都合がつかないという人や、夜は帰りが大変で出不精になってしまうという人も、この時間帯なら気軽に行くことが出来る。

ヨーロッパなどでは夜9時開演というコンサートは珍しくないようだが、日本ではだいたい夜7時開演が多い。

これだと帰りは、酔っ払いたちと一緒の電車で帰ることになり、せっかくのコンサートの余韻もだいなしになることがしばしばだ。

今日の曲目は、「ローマの謝肉祭」や「展覧会の絵」など。「午後のコンサート」は、クラシックの中でもポピュラーな曲を中心に取り上げている。

演奏が終わったとたんに「ブラボー」と叫ぶような通は、最初から来ないようだ。

曲の合間に、ナビゲーターと指揮者のトークが入ることも多く、今日は指揮者の井上道義さんがヴァイオリンの古澤巌さんと掛け合いのトークをやっていた。

このホールはもともとマイクで音を拾うことを想定していないせいか、スピーカーの音がモゴモゴして聞き取りにくかったのが惜しい。

昼過ぎからのコンサートはほかにも東京芸術劇場の「マチネーシリーズ」などがあるのだが、僕にとっては家から近いオペラシティの方が行きやすい。

僕が次回行こうと思っている東フィル「午後のコンサート」は、来年3月の「華麗なるオペラ・アリアとロマンティック・チャイコフスキー」だが、1年も先のことなので、どうなることやら。

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2005/03/26

コラム連載中の英国ニュースダイジェストが発行停止

File01531世の中、一寸先は闇というものの、こんなことがあるだろうか。

僕が3年間に渡って連載コラム「時間の岸辺から」を執筆してきたロンドン発行の日本語新聞「英国ニュースダイジェスト」が、経営上のトラブルによって、発行停止に陥っている模様だ。

今日のブログは「表」の「つれづれ草」と連動して書いているので、ぜひそちらもご覧になっていただきたい。

企業の経営トラブルを記事にする場合は、ウワサの段階なのにその記事が引き金となって本当に倒産してしまうことがあるので、慎重に扱う必要がある。

今回の「英国ニュースダイジェスト」の件は、僕が確認を取りうる編集部の最も信頼できる筋の話であり、99.99%の確度があると思っている。

それにしても、あまりにも突然の事態に衝撃を受けている。「英国ニュースダイジェスト」の社員たちの心中はいかばかりかと察するに余りある。

本当ならばロンドンに飛んで、この目と耳で事態を確かめたいところだが、いかんせん日本からではこれ以上のことは分からないのがもどかしい。

僕が「時間の岸辺から」の連載を担当することになったのが02年3月。あれからちょうど3年が経過し、隔週で掲載してきたコラムは、今年3月10日号(=写真)で73回目となった。

つい先日の15日には、ロンドンの編集長から電話があって、今後の掲載についての打ち合わせをしたばかりで、その日のうちに74回目の原稿をメールに添付して送稿したばかりだ。

もはや新聞制作の流れは止まっていて、74回目の原稿が掲載されている3月24日号は、印刷は終わっているものの配布されない可能性が高いようだ。

思えばこの3年間、僕と「英国ニュースダイジェスト」編集部とのやりとりは、すべてメールとファクスで行われ、ときたま電話での打ち合わせがある程度で、僕は一度もロンドンの会社に顔を出す機会がなかった。

僕が連載をスタートした時には、とくにいつまでという期限も決めてなく、連載が終わる時にはどのような終わり方をするのだろうか、と想像してみたこともあった。

が、まさか、このような形での終了を余儀なくされるとは、思いもよらなかった。

まさに世の中すべては「無常」であり、一つところにとどまっているものは、何もないのだ。

「英国ニュースダイジェスト」の皆さん、このブログを読むことが出来ますか。3年間、本当にお世話になりました。心からお礼を申し上げます。

ヨーロッパの各地で、僕の「時間の岸辺から」を読んで下さった読者の皆さん、ありがとうございました。

またいつの日か、お目にかかることが出来る日まで、さようなら。

追記:この事態について、英国ニュースダイジェストのマネージング・ダイレクターから本日(4月11日)、手紙が送られてきて、今回のトラブルについて次のように書かれている。以下はその部分の抜粋である。
 

3月中旬より弊社の経営権の譲渡をめぐるトラブルが発生し、新聞の発行を停止せざるを得ない状況に陥りました。直後に管財人がオフィスを閉め切ったため、執筆者の方々に対してきちんとした形で説明もできないまま現在に至ったことを深くお詫び申し上げます。
 その後、トラブルは解消され、4月4日よりオフィスは正式に営業を再開致しました。現在は、4月14日に予定している再発行に向けて準備をすすめております。

(表の新着情報:「21世紀の歩き方大研究」の新世紀つれづれ草に、「英国ニュースダイジェストがまさかの発行停止」をアップロード)

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2005/03/25

夢の中で一度だけ行った大阪万博の懐かしさ

愛知万博「愛・地球博」が、今日から開幕した。

日本自然保護協会、世界自然保護基金ジャパン、日本野鳥の会の、環境3団体が不参加という、おおきな穴を開けたままの、片肺飛行といっていい。

もはや万博の時代ではないという、おおかたの声を押し切って、名古屋経済圏の地盤沈下防止と活性化のために、トヨタのメンツにかけて中央突破をはかったイベント、という印象が強い。

どうしても開催が避けられずに、僕がプロデュースする立場になったとしたら、地球の歴史の中で6度目となる生物大量絶滅が始まった、という認識を共有することからスタートするのに、と思ったりする。

地球の存続と相容れないほどに暴走を続け、完全に行き詰っている文明を、どうやって軟着陸させるのか。これ以上の消費文明を、どんなプロセスでストップさせるのか。それに向けての強い決意と緊張を欠いていては、「愛・地球博」とは言えまい。

愛知万博を語る時によく引き合いに出されるのが、35年前の大阪万博だ。

三波春夫が、この万博のために作られた「世界の国からこんにちは」を歌っていて、日本中が何の違和感も感じなかったのだから、時代がしのばれる。

歌詞の「1970年のこんにちは」というくだりも、ダサ懐かしい。

僕は大阪万博に行きたかったのに、ついぞ行く機会がなかった。

入社したてのドサ回りの最中で、それどころではなかったのだ。東京の本社から、続々と万博の応援に行く先輩たちの様子を、遠くから羨望のまなざしで見ているしかなかった。

たった一度だけ、大阪万博に行った夢を見た。不思議なほどリアルなカラーの夢で、きらびやかなパビリオン群も、太陽の塔も、そして長い行列をつくる人々も、すべて細部まで鮮明な夢だった。

夢も現実も、いったん記憶の中に入ってしまえば完全に等質で、一切の差異はない、というのが僕の持論である。

だから、僕が夢で大阪万博に行ったことは、まぎれもない事実だと思っている。

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2005/03/24

胃カメラ検査の時に行った生検結果は問題なし

一週間という時は、あっという間に経ってしまう。なんというか、二跳びくらいの速さで、ヒョイヒョイと過ぎてしまう。

今日は、先週の金曜日にうけた胃カメラ検査の時に行った生検の結果を、電話で聞く日だ。

胃が赤くなっているところがあったので、念のため組織を採取したというのだが、結果を聞くまではなんとなく落ち着かない。

この病院は、電話で聞くのにも、ちゃんと「予約票」というのをくれるのだ。「電話再診」と書かれていて、時間と担当医の名前が書かれている。なかなか合理的なやり方だ。

担当医は、毎年胃カメラ検査をしてくれている医師とは別の名前の医師名が書かれていて、僕はてっきり怖そうな男の医者だと思い込んでいた。

電話口に出たのが、とてもやさしそうな女の医師だったので、僕は面食らってしまった。

「軽い炎症ですね。悪性のものではないので、心配はありません。食道も十二指腸も問題ありません。また1年後に検査を受ければいいでしょう」

年に1回、胃カメラ検査を必ず受けるようになって20年。こうやって毎年受けていれば、また1年間安心していられる。

胃カメラ検査が終わると、いつも桜の開花時期となる。だから、毎年の胃カメラ検査が待ち遠しく、僕にとっては春の訪れに欠かせない季節行事となっている。

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2005/03/23

このところの異常気象は新たな文明を生むのか

今日の新聞記事の中で、最も考えさせられたのは、日経朝刊のコラム「大機小機」だ。

「気象変動は生態系や人間生活にも甚大な影響を与える」として、過去のケースについて次のようにまとめている。

1万2千年前の温暖化で縄文文化が開花した。

5千年前の寒冷化で四大文明が誕生した。

2千5百年前の温暖化が鉄器時代を生んだ。

3百年前の小氷期が産業革命をもたらした。

そしていま「地球温暖化は現代文明の限界を露呈させ、生活様式の転換を迫っている」というのだ。

具体的な兆候として、このところの異常気象の影響で商品価格相場が高騰していることを挙げている。

この激震の中から、どのような文明が生まれていくのか、コラムは問題提起をしているにすぎないが、極めて重要かつ興味深いテーマである。

何か新しい文明につながっていくのか、それとも文明そのものが音を立てて崩壊していくのか。

僕はどうも後者の方ではないか、という気がしてならない。

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2005/03/22

ラジオ放送開始から満80年に思う

今日は放送記念日。「表」の「つれづれ草」と連動して書く。

NHKの前身である東京放送局が、日本で最初のラジオ放送をスタートさせてから、今日でちょうど80年という。

僕が子どものころはテレビのない時代で、ラジオが唯一の放送メディアだった。

トランジスターが使われる前のラジオは、真空管を何本も使っていて、家庭用のラジオは5球スーパーが標準だったように覚えている。

真空管のラジオは、トランジスターの硬いキンキンした音ではなくて、ずいぶんとやわらかく暖かい音に聞こえた。

オーディオとかハィファイとかステレオなどという言葉もまだなく、レコードはSPで手回し蓄音機から電蓄への切り替えが始まっていた。

小学生のころ、鉱石ラジオを手作りしたことがある。極めて簡単な仕組みなのに、イヤホンから放送が聞こえてきた時は、小躍りして喜んだものだ。

「20の扉」や「3つの歌」などという番組もあった。

「3つの歌」では、生放送だというのに、こんなこともあった。

「♪向こう横丁のたばこ屋の‥」と歌うべきメロディーに、出場者が「♪たんたんたぬきの‥」と歌い出したのである。

司会者(宮田輝だったかどうかは分からない)が、「あっ、違います違います」と大慌てで制止し、会場は大爆笑となった。

僕は子ども心にも、アブナイところでよく止めることが出来たものだと、胸をなでおろしたものである。

テレビがデジタル化しつつあり、インターネットとの融合が展望される現代でも、ラジオの存在感は独自のものがある。

僕の私見であるが、いずれテレビとネットは融合・一体化される時代となり、新聞もやがてその融合に巻き込まれていくだろう。

だがラジオは、こうしたメディアの融合とは一線を画して、単独の道を進んでいくのではないか。

ラジオは小型で軽く、いつでもどこでも聴くことが出来る。

僕はいまだに、20年ほど前に980円で買った手のひらサイズのラジオを愛用している。

(表の新着情報:「21世紀の歩き方大研究」の新世紀つれづれ草に、「放送開始から80年、テレビも新聞も根本から変革すべき時」をアップロード)

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2005/03/21

最新版ネットスケープ7.1に手を出して大失敗

僕がふだん使っているブラウザは、Netscapeの7.02だ。

しかし、これに対応していないサイトも結構たくさんあるので、Netscape4.7およびInternet Explorer6.0を控えとしてインストールしている。

また最近話題のFirefoxもインストールして遊んでいる。

この状態で何一つ不便はなく、このままでいいのだが、最近、Netscapeのメールソフトを開くたびに、Netscapeの最新バージョン7.1を奨めるページが現れるようになった。

しばらくの間は無視していたのだが、最新の機能を備えていて快適、という宣伝文句につられて、今日の昼過ぎに、ダウンロードしてインストールしてみた。

これが大失敗の始まりだった。まずインストールした7.1を立ち上げようとすると、意味不明のエラーが出て、それを無視して立ち上げようとすると、Netscapeの面倒なユーザー登録を最初からやらなければならない。

それでなんとか立ち上がるものの、これまで使っていたNetscapeのメールソフトを認識できず、メールアカウントの設定を最初からやり直さなければならない。

しかも、こうして時間をかけてやった設定が定着せずに、次に立ち上げた時にはすべて消えていて、また最初からやり直さなければならないのだ。

こんなことでは、最新バージョン7.1は使えない。そこで、もとの7.02を使うようにしようとして、愕然となった。

もとの7.02を立ち上げようとすると、さっきと同じ意味不明のエラーが出て、Netscapeのユーザー登録を最初からやるように求められ、しかもNetscapeのメールソフトから、受信メールも送信メールもアドレス帳も、全てのデータが消えている。

要するに、インストールした7.1も、もとの7.02も、同じような状態で破壊されてしまったのだ。

7.1をアンインストールしようとしたが、それもエラーになって出来ない。WindowsXPの「システムの復元」で1日前、あるいは2日前の状態に戻してみると、7.1はなくなっているのに、もとの7.02は破壊された状態から回復しない。

ああ、なんてバカなことをしたのだろう。7.1をインストールしようなどと、つい色気を出したのが間違いだった。

ということで、この問題をどうしたら解決出来るか、ほかのブラウザを使ってネットであれこれ調べること4時間。

Netscape7.1のインストールによるトラブルはたくさん起きているらしく、それぞれの症状によって、対応の仕方もさまざまらしい。

僕の場合は結局、トラブルが起きてから5時間後に、ようやく次のようにして解決をみた。

C:\Documents and Settings\(ユーザー名)\Application Data\Mozilla\Profiles\(プロファイル名)\*********.slt\

というディレクトリの中から、prefsというファイルと、prefs.bakというファイルを見つける。prefsというファイルの名前をprefs.oldに変え、prefs.bakのファイル名をprefs.jsに変える。(ただし画面ではjsは表示されずにprefsとなる)

これでようやく、もとのNetscape7.02は、今まで通りに立ち上がり、いったんは消えたかに見えたメールソフトのデータも復元した。

7.1は、ディレクトリを別につくれば、インストールし直しても7.02に影響することはなさそうなのだが、今日のところはこれでコリゴリなので、もうやめておく。

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2005/03/20

仁義なきコンビニ戦争の夢の跡

05-03-20_16-55僕の家の前を通っている道路は、都内有数のコンビニ激戦区である。

数百メートルの間に、ローソン、サンクス、セブンイレブンが各2店ずつ。ファミリーマートは4店もあった。ほかに100円ショップと99円ショップ、さらに小さな食品スーパーや総合生鮮市場もある。

ファミマとサンクスの戦いは、食うか食われるかの壮絶な仁義なき戦いだった。

2、3年前、駅の東側にあったファミマから20メートルほど駅に近い場所に、サンクスが挑むかのようにオープンした。

その仕返しと言わんばかりに、こんどは駅の西側にあったサンクスから20メートルほど駅に近い場所に、ファマミがオープンした。

サンクスとファミマのデスマッチは、利用客にしてみれば大歓迎であった。品揃えがよくて安ければ、どちらで買おうが構わないのである。

このコンビニ大戦争のあおりを食らって、昔から地元にあった小さな食品店はバタバタと閉鎖に追い込まれていった。

しかし、いくらなんでも、これだけのコンビニは過密状態であり、過当競争であるのは誰の目にもはっきりしていた。

破綻は、最も店舗の多かったファミマから生じた。駅の東側のファミマが閉鎖になったのに続いて、西側のファミマも先ごろ閉鎖となった。

閉鎖した後は、どんな店になるのか明らかでないが、絢爛たる威勢を誇っていた店舗は、ガラス戸の内側をダンボールで覆っていて、廃墟のような無残さをさらしている(写真)。

こんな姿をさらさないでシャッターを下ろせばいいのに、と思うが、24時間営業で年中無休のコンビニには、そもそもシャッターというものがないのかも知れない。

シャッターなき不夜城の、夢の跡である。

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2005/03/19

めったに見かけなくなったグリーンの公衆電話

05-03-19_12-06最近、電話ボックスというものをほとんど見かけなくなった。

これまで設置されていたボックスもどんどん撤去されている。

そもそも公衆電話自体が急激に減ってきている。赤電話は完全に消えたようだし、ピンク電話もほとんど見かけない。

ICカードが使える茶色の公衆電話も、ひところはよく見かけたが、最近はこれも減ってきている。

最近のファッションビルには、公衆電話がないものも多い。

ケータイがこれだけ普及してくると、公衆電話はもはや採算の取れないやっかいものでしかない、ということなのだろうか。

しかし世の中には、ケータイを使わない人も少なくないはずだ。

そんな中で、あの懐かしいグリーンの公衆電話をみかけると、なんだかホッとする。

新宿の伊勢丹会館は、1階から8階まで多くのレストランが入っていて、いつも大勢の利用客でにぎわっているが、ここはどのフロアにもグリーン電話がある。

分厚い電話帳まで置いてあるところが、レトロな雰囲気さえ漂わせている。

なぜ伊勢丹会館には、どのフロアにもグリーン電話があるのか。

その理由が分かった。伊勢丹会館に入ったとたんに、僕のケータイはアンテナのマークが消えて「圏外」の表示になるのだ。

ボーダフォンだけが圏外になるのか、Docomoやauも同じなのかは分からないが、これだけ利用客の多い名の通ったビルで、ケータイが通じないのも珍しい。

ケータイの電波をあまねく入れれば、グリーン電話は撤去されるに違いない。

伊勢丹会館側は、どちらを優先すべきか、客層やグリーン電話の利用状況を見ながら、思案しているところなのかも知れない。

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2005/03/18

胃カメラ検査で胃の細胞組織を採取される

この20年間、毎年この季節になると欠かさずに受けている胃カメラ検査に行ってきた。

僕は、昔はイヤだった胃カメラ検査にもすっかり慣れてきて、苦痛もなくすんなりと飲めるようになっている。

今日は、胃カメラが胃に入っている状態で、先生が「セーケン」と言ってなにかを施して、それで終わった。

後で先生から聞いたら、「生検」つまり「生体検査」のことで、胃の中に少し赤くなっているところがあったので、その細胞組織の一部を採取したのだという。

「生検」は何年か前、大腸の内視鏡検査を受けた時にも、やったことがある。この時の結果は、炎症性のもので問題はなかった。

今日の胃の生検については、検査結果を何日後かに電話で聞くようにとのことだ。

どんな結果が出るのか分からないが、腫瘍の萌芽か何かで、除去したり焼き切るなどの処置が必要だとしても、たぶん内視鏡治療で済む範囲ではないか、とタカをくくっている。

それよりも、生検で組織を採取した後の胃を保護するための薬を飲むのがやっかいだ。

緑色のドロリとしたスライムのような液体を、1日4回、2日間飲まなければならない。

ヘンなにおいだし、まずいし、飲みたくないが、ダダをこねるわけにもいかないので、飲んでいる。

人間もシステムである以上、あちこちに故障や不調が生じるのは避けられない。

先手先手で早めに対応して、修復していけば、寿命分くらいまでは持つのではないかという気がする。

(表の新着情報:「21世紀の歩き方大研究」の新世紀つれづれ草に、「春分の日に太陽が真東から出て真西に沈むのは、どこでも同じか」をアップロード)

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2005/03/17

雨の中、今年は今日から彼岸の入り

「毎年よ彼岸の入りにさむいのは」 正岡子規

これは「彼岸だというのに寒いね」と子規が言ったのに対して、子規の母が言ったことばをそのまま句にしたものだそうだ。

子規にしては珍しい口語調の句なのは、母の言葉そのままだからだ。

彼岸の入りはいつだろうか。ネットで検索してみると、3月18日としているものが少なくないが、これは年によって違っていて、今年は今日17日が彼岸の入りとなっている。

僕は21日が春分の日かと思っていたがこの日は振替休日で、今年の春分の日は20日なのだ。今年の彼岸の入りが17日なのは、そのためだ。

昨日は暖かかったが、今日は雨がふって寒くなった。

東京の桜の開花予想は、前回の31日から27日に早まった。

この雨は、桜のつぼみをふくらませるための、春を呼ぶ雨なのだろう。

造幣局の桜の通り抜けの日程が今日発表になった。4月13日から19日までという。

12日に甲子園の阪神-巨人第1戦を観て、次の日に桜の通り抜けに行けばピッタリのスケジュールだ。

この両日はぜひとも晴れてほしいものだ。

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2005/03/16

よしもとが世界初の「水中漫才」だって

05-03-16_11-58お笑いのよしもとが、世界初の「水中漫才」を池袋のサンシャイン水族館でやっているらしい。

駅に張ってあるポスターを見ると、ゴーグルのようなものを着けた二人の漫才師が、魚たちの泳ぐ水槽の中で漫才をやっていて、観客はガラス越しにこれを楽しんでいる。

水中というのに、漫才師たちは背広に蝶ネクタイといういでたちだ。

マイクも水中に立っているが、これで本当に音を拾うとも思えず、ゴーグルの中にマイクがあるのかも知れない。

なんでまたわざわざ水中で、と思うが、話題性というか受け狙いなのだろう。水族館の入場料金だけで観れるというのも、ウリになっている。

ポスターの下に書かれている断り書きが傑作だ。

「荒天および出演者の体調や生物(お魚)の状態等によっては、公演が中止になる場合がございます」

出演者の体調というのは、もっともだ。風邪を引いたり胃腸をこわしたりしていれば、水に入るどころではない。

荒天というのが分からない。雨が降ろうが嵐が吹き荒れようが、水槽の中なんだから関係なさそうなものだが。

それよりもお魚の状態、というのはなんでやねん。魚の体調が悪いと、漫才がやりにくいのだろうか。

これを考え付いた人は最初、魚に漫才をやらせるつもりだったらしい。しかし、いろいろ検討したところ難しいということになり、人間を水に入れることにしたとか。

水中漫才が出来るのならば、水中落語だってあっていい。水中で座布団の上に座れるかどうかが問題だが‥

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2005/03/15

「夏の思い出」「花の街」の江間章子さん死去

「なつがくーれば おもいだす」の「夏の思い出」。その作詞者江間章子(えま・しょうこ)さんが亡くなった。91歳だったという。

「夏の思い出」もいい歌だが、僕の好きな「花の街」の作詞者が江間さんなのだ。

昭和22年にラジオから流れた「花の街」は、團伊玖磨さんのすばらしいメロディーとあいまって、これからの季節にぴったりの美しい歌だ。

七色の谷を越えて
流れて行く 風のリボン
輪になって 輪になって
かけて行ったよ
春よ春よと かけて行ったよ

美しい海を見たよ
あふれていた 花の街よ
輪になって 輪になって
踊っていたよ
春よ春よと 踊っていたよ

すみれ色してた窓で
泣いていたよ 街の角で
輪になって 輪になって
春の夕暮れ
一人さびしく 泣いていたよ

1番から2番へと流れる、はずむような歌詞は、3番でトーンが一転する。3番の歌詞の、なんと悲しく切ないことか。この歌のポイントは3番にあるのだと思う。

3番の「街の角で」は「街の窓で」となっている歌集も多いが、江間さんによるとここは「街の角で」なのだ。

江間さんは、この歌について、次のように書いている。

「花の街」は私の幻想の街です。戦争が終わり平和が訪れた地上は瓦礫の山と一面の焦土に覆われていました。
その中に立った私は夢を描いたのです。ハイビスカスなどの花が中空に浮かんでいる、平和という名から生まれた美しい花の街を。
詩の中にある「泣いていたよ 街の角で・・‥」の部分は戦争によって様々な苦しみや悲しみを味わった人々の姿を映したものです。
この詩が曲となっていっそう私の幻想の世界は広がり、果てしなく未来へ続く「花の街」となりました。
(教育芸術社音楽教科書より)

江間さんのご冥福を心よりお祈りいたします。

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2005/03/14

利用客の多い「みどりの窓口」を閉鎖、なぜだ!

05-03-14_13-12JR大久保駅の「みどりの窓口」が14日から廃止になった。

しばらく前から、廃止予告の張り紙が出ていたので、不便になると覚悟はしていたが、なんと今日から1箇所しかなかった窓口にシャッターが下りていて、みどりの窓口だけでなく窓口業務すべてを廃止してしまったのだ。

それに変わるものとして、指定券発売機を2台設置したのだが、指定券の発売というのは機械を置いておけば済む、というものではない。

新幹線と在来線の乗り継ぎの指定券などは、片方が取れなかった場合には別のルートで行くなど、窓口の担当者と話をしながらでなければ、日時も列車も決められないことだって少なくない。

それに、このあたりは外国人が紙に書いたメモを見せながら、片言の日本語に身振り手振りを合わせて、ようやくのことで指定券を購入している光景も日常茶飯事だった。

指定券に不慣れなお年寄りが、チンプンカンプンの問答のあげくに、ようやく指定券を購入することが出来たのも、窓口での対面販売があったからこそ出来たことだ。

大久保駅のみどりの窓口は、いつも列が出来ていて利用客が多かったのに、なぜ閉鎖したのだろうか。

単なる合理化ではなく、外国人相手の指定券発売でトラブルになりたくない、というようなほかの理由があるのかも知れない。

窓口閉鎖のあおりで、定期券などの業務もすべて機械での処理だけになった。学割など、学校の証明書が必要な人は、ほかの駅へ行け、ということなのだろうか。

国鉄が民営化されてJRになってから、4月で18年になるというのに、JRにはいまだに親方日の丸の体質が付きまとっている。

「民」なら「民」らしく、利用客本位に徹してほしいものだが、一片の張り紙で窓口をシャッターで完全閉鎖してしまうとは、やはり衣の下は「官」なのだなあと思ってしまう。

(表の新着情報:「21世紀の歩き方大研究」の新世紀つれづれ草に、『時間の岸辺から』第73回「偽札列島」をアップロード。これは欧州の邦人向け日本語新聞「英国ニュースダイジェスト」に同時掲載)

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2005/03/13

ランチに雪のように大量の塩をかけて泣く

ランチタイムに入ったレストランで。少し味が物足りなかったので、ほんの軽く塩とコショウを振ることにする。

まずコショウ。ビンをいくら振っても出ないので、よく見るとフタをはずしてから振るようになっている。

つぎに塩。さっきと同じように、何も考えずにフタをはずして軽く振る。

ドサドサドサと、ビンの中の塩が、大量に一気に料理を覆いつくす。一振りでビンはほぼカラになっている。

こ、こ、これは‥!!! 塩はフタを取らないで振る仕組みだったのだ。

料理にかかった塩の多さといったら、まるで雪がつもったようだ。

しばし唖然、呆然となる。しかし覆水盆にかえらずで、料理を覆った塩がビンに戻るわけでもない。

余分な塩を、というよりほとんど余分なのだが、ナイフで出来る限り取り除いて、皿の脇にどける。

そんなことをしても、塩は急速に溶け出して料理に染み込んでいく。

もうグチャグチャになった料理を食べてみる。ゲエッ、しょっぱーい!

頭が痛くなるほど、しょっぱくて、味も何もあったものでない。いまにも脳卒中になりそうな塩辛さに、クラクラしてくる。

しかし、もったいないから、意を決して水を飲みながら食べる。

なんだか1年分の塩分を1食で摂取したような感じで、当分の間、塩を見るのもいやだ。

たかが塩、されど塩。過ぎたるは及ばざるがごとしとは、まさにこのことである。

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2005/03/12

風雲急を告げる黒雲とともに寒冷前線が通過

寒冷前線が通過する時の空の様子を見ていると、わくわくする。

今日の東京地方は昼前まで、生暖かく湿った南風が吹いていたが、昼過ぎになって西から真っ黒な雲が横に広がって、ひたひたと迫ってきた。

東京でこれだけくっきりとした寒冷前線の雲が通る光景は、なかなか見られない。

風雲急を告げる、という言葉がぴったりの、おどろおどろしい空で、よく見ると黒い雲が逆巻くように、あるいは沸き立つように、絶えず姿を変えながら頭上に広がっていく。

カラスやハトだろうか。大小さまざまな鳥たちが、慌てふためいて、あっちへ飛んだりこっちへ飛んだりして、気象の急変をキャッチしている。

黒い雲が空を覆いつくしてやがて去っていくと、南風が強い北風に変わり、しだいに強風となっていく。温度も急激に下がって、空気がすっかり入れ替わる。

この前線の通過で、春めいていた天気は一変して冬に逆戻りだ。

寒冷前線の雲で凄かったのは、昔、宮城県の松島から仙台に戻る途中で見た雲が忘れられない。その逆巻く様子は、パニック映画のような迫力で、雲の下の部分は手を伸ばせば届きそうなほど、地面スレスレという感じで通過していった。

また、青森で見た寒冷前線の雲も、晴れていた青空に向かって、海側から分厚い黒雲軍団の襲撃のような形で近づいてきて、雲が沸騰するように激しく回転している様が、くっきりと伺えた。

今日の東京を通過した寒冷前線も、大都市上空に迫ってくる様子が、巨大な生き物のように生々しく、なかなか立派な寒冷前線の雲だった。

僕は雷を鑑賞するのも大好きだが、寒冷前線の雲もそれに劣らぬ迫力と味わいがある。台風の接近もワクワクするのだが、これは大きな被害が出るので、あまり大きな声では言えない。

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2005/03/11

モノを増やすのは簡単だが、減らすのは難作業だ

モノを貯め込んで、家中モノだらけにするのは、なんら難しいことではなく、面倒でもなければ疲れることもない。

なのに、モノを減らして家の中をスッキリと片付けることは、どうしてこんなに大変なのだろうか。

あまりにもモノがあふれかえって、必要なときに必要なものが取り出せなくなった時、だいたい2カ月に1回くらいの頻度であるが、僕は意を決して不要なモノを始末する。

この時に、45リットルのゴミ袋5、6個分のモノを捨てる。ほかに不要になった本や雑誌も縛って捨てる。

集中して片付けても、3、4時間はかかってしまい、半日がつぶれるだけでなく、あまりの面倒さに疲労困憊してしまう。

僕が思うには、モノを増やす行為は、毎日間断なく続けているために疲労感はないが、モノを減らすというのは、たまにしかやらないから、よけい大変に感じるのだということ。

もう一つは、モノを増やすのは、思考停止でも出来るのに対し、モノを減らすのは高度な知的作業だという点だ。

いわば、モノを増やすのは、エントロピー増大の方向と合致するため、放っておいても無秩序と乱雑さが増加していく。

これに対し、モノを減らすことは、人智によってエントロピーを減らす方向すなわち秩序立った方向に誘導する作業のため、莫大なエネルギーが必要なのだ。

さらに心理的な問題としては、モノを減らす作業は常に「もったいない」という精神との戦いなのである。

「捨てて勝つ」というのが整理・片付けの基本であることは分かっている。モノを捨てる時には、買った時の値段を思い出してはならない、という格言があるのも承知している。

だが、まだ使えるモノたちを、置き場がないから、家中が散らかって収拾がつかないから、という理由で捨てなければならないのは、やはり「もったいない」のである。

さきに日本を訪れたケニアの副環境相マータイさんが、「もったいない」という日本語にいたく感激し、「もったいない」を世界の合言葉として広めようと提唱していることを聞くと、ますますモノが捨てられなくなる。

要は、本当に必要なモノ以外は、安くても欲しくても最初から買ってはならないのだ。そして、必要と判断して買ったものは、寿命がきてボロボロになるまで大切に使う。

そうすれば、増大するエントロピーと格闘することもなくなるのだ‥と、わかっちゃいるけど。

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2005/03/10

ゲルニカ、重慶から東京大空襲へ、無差別爆撃の系譜

今日のブログは、表の「つれづれ草」と連動して書く。

東京大空襲60年でさまざまな新聞が特集を組んでいるが、昨日の毎日新聞朝刊が3ページに渡って組んだ「あの日を今に問う」が傑出している。

これを読んで僕は自分の無知を恥じ入るところが多々あったのだが、その一つが、市街地を狙った戦略爆撃の先例は、1938年から43年まで続いた日本軍による重慶大爆撃にあることを、知らなかったことだ。

重慶爆撃については学校で習った記憶もなく、かろうじて一昨年、サッカー・アジア杯が開催された重慶で、日本人サポーターに物が投げられるなど反日感情が噴出したことで、かつて日本がそのようなことをやったのだと初めて知った。

中国側の記録では、218回の爆撃によって、1万1885人が死亡した。

さらに、僕はピカソの「ゲルニカ」をマドリードの美術館で見ているのに、これがナチス・ドイツが行った人類史上初の無差別都市攻撃だったとは、毎日新聞の特集記事で初めて知った。

非戦闘員の一般市民に対する空からの無差別爆撃は、ゲルニカに始まって重慶で本格化し、東京大空襲を初めとする日本全土の都市への空襲に発展していく。

ヨーロッパではナチス・ドイツによる1940年のロンドン空襲、1945年イギリス軍とそれに続くアメリカ軍によるドレスデン大空襲へと、戦略爆撃は歯止めなくエスカレートしていった。

非戦闘員の一般市民に対する無差別爆撃は、戦時国際法に照らしても違法なのではないか、と僕は「表」のつれづれ草で書いたが、当事国は違法と知りつつも戦争の早期終結という大義名分によって、止めることが出来ないのだ。

ちなみに、「文民を攻撃の対象としてはならない」「無差別攻撃を禁止する」「攻撃は厳格に軍事目標に限定する」というジュネーブ条約第1追加議定書(1978年発効)に、日本が162番目の締約国として加盟したのは、なんと昨年のこと。

アメリカにいたってはいまだに締約国ですらないというから、驚くとともにあきれて開いた口がふさがらない。

(表の新着情報:「21世紀の歩き方大研究」の新世紀つれづれ草に、「東京大空襲から60年、都市への無差別爆撃の責任は」をアップロード)

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2005/03/09

大久保駅のガード壁に、鉄砲百人隊の大壁画

05-03-09_20-21JR大久保駅のガード壁面に、巨大な壁画が登場した。写真は数日前に、職人たちが描いている最中のものだ。

鉄砲を構えてまさに発射する瞬間の隊員たち。手を上げて号令をかけている司令官。足元に咲き乱れるツツジ。

まるで戦争画を思わせるようなリアルな壁画に、一瞬、ドキリとさせられるが、これは徳川家康の家臣で、武将の服部半蔵正成を領頭とする鉄砲百人隊である。

鉄砲百人隊は家康が江戸に入る際に、浪人たちの乱を防ぐなどの警備のために大久保に定住。将軍を警護しながら、内職としてツツジを栽培していたという。

あるとき、射撃の訓練に勤しんでいた鉄砲百人隊たちの夢に、稲荷大神が現れた。翌日、地元の神社にお参りしたら、射撃の弾は百発百中当たった。

それ以来、この神社は「皆中(あ)たる」という意味で皆中稲荷神社と呼ばれて、現在に至っている。また百人町という地名もこれに由来する。

皆中稲荷神社の秋の例大祭には、1年おきに鉄砲百人隊に扮した大勢の行列が、鉄砲をかつぎ法螺貝を吹いて大久保近辺を練り歩く。

途中、数箇所で鉄砲百人隊によって古式にのっとった空砲射撃が披露され、実際に火縄を使って火薬に点火しての射撃なので、すさまじい轟音が地域一帯に響き渡る。

今年は鉄砲百人隊行列が登場する年にあたるので、秋が楽しみだ。

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2005/03/08

甲子園での阪神-巨人第1戦のチケットが取れた!

File01511ずいぶん前に、東京ドームでの巨人-阪神戦を観にいったことがある。この時は確か、チケットを買うのに朝早くから並んだ記憶がある。

いまはチケットの販売もすっかり様変わりして、発売開始日に電話かインターネットで早い者勝ちで発売している。

昨日、チケットぴあから案内のメールが来て、甲子園での最初の阪神-巨人3連戦のチケットを8日朝10時から発売するとある。

もともと僕は、それほど熱心な野球ファンではないが、一昨年、18年ぶりに阪神タイガースが優勝した秋、甲子園での日本シリーズ第4戦を観に行って、いたく大感激したことが忘れられない。

そこで、僕はチケット申し込みのページをブックマークしておいて、今朝の10時にすぐアクセス出来るようにしておいた。

どうせアクセスしてもつながらず、発売から5分くらいで完売するに違いないと思っていて、本気で取れるとは考えていなかった。

さらに僕は、朝起きた時にそのことをすっかり忘れていたのだから、始末におえない。

ようやく、思い出した時には午後も1時を大きく回っているではないか。

もはやどの席も1枚残らず完売していることを確信しつつも、アクセスしてみると、なぜか4月12日の第1戦でオレンジシートの3塁特別指定席がまだ取れる!

即座に申し込んでデジポケに入れてもらい、近所のファミマに行って紙で発券してきた。

3500円で第1戦が観れるのならまずまずだと、しばしチケットに見入っていたが、ここでハタと現実に戻る。

ということは、僕は4月12日に甲子園球場まで行かなければならないのだ。日帰りは無理なので、少なくともその日はどこかに泊まらなければならない。

去年の11月に京都と神戸に行っているが、大阪を素通りしているので、こんどは大阪に泊まってみようか。

どうせなら腰をすえて、野球観戦をはさんで3泊くらいのスケジュールでゆっくりして来ようかな。

そのころ大阪の桜は見ごろなのか、散り始めなのか分からないが、季節もよさそうだし。

というわけで、一昨年の日本シリーズの時に着たタテジマのユニホームと応援バットを、押し入れの中から出して見たり、と僕の心は早くも六甲おろしモードになっている。

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2005/03/07

内視鏡検査の前に感染症検査の採血

僕は毎年1回、胃カメラの検査を必ず受けるようにしており、今年で20回目くらいになる。

この間、胃カメラも一段と細くなって、飲みやすくなった。僕にとっては、春先に胃カメラを飲むのがひそかな楽しみであり、愉悦でもある。

最初の頃と違うのは、何年前くらいからか、胃カメラ検査に先立って1週間か2週間前に、感染症の検査を受けなければならないようになったことだ。

ここでいう感染症とは病院の説明によると、エイズ、C型肝炎、梅毒の3つという。

胃カメラ検査に使う内視鏡は、検査ごとに消毒をほどこしているとはいえ、内視鏡を通して感染症にかかるケースを避けるため、万全を期すようになってきたのだ。

確かに、内視鏡は食道や胃など消化器の内部を映し出すだけでなく、ポリープを切断したり処置をほどこしたりといった治療にも使われるため、感染症を媒介するリスクが付きまとう。

今日、この検査のための採血に行ってきた。

いつも僕は、採血の時に腕の静脈がほとんど浮き出ないため、血を採るお姉さんが苦労する。

「血管、出ないですねえ」などと言いながら、お姉さんは盛んに僕の腕をこすったりしているが、採血できるほどに血管が浮いてこない。

「腕を下ろしてグー・パーを繰り返してください」と言われてその通りにするがダメ。

いったん左腕に刺した採血針を抜いて、こんどは右腕でやってみる。あまりにも血管が出ないので、お姉さんがあきれて笑い出す。

おっ、その困ったような笑顔がいいぞ。うん、かわいい。胸がキュンとなってコーフンしたせいか、ようやく血管が少し浮き出てくる。

すかさずお姉さんが意を決したように採血針をブスリと刺す。「痛くないですか。しびれたりしませんか」とお姉さんがしきりに気にしている。

そんなお姉さんをうっとり眺めているうちに採血は終わった。

僕の血管は、お姉さんにドキドキすれば反応してくるようだ。要するに単純なのかも知れない。

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2005/03/06

新宿駅コンコースでジャズの生演奏

05-03-06_17-282月27日の記事でも触れた新宿駅開業120周年記念イベントの一つとして、6日、東口コンコースでジャズバンドのコンサートが開かれ、大勢の乗降客が聞き入っていた。

ジャズはほとんど聴かない僕だが、このバンドはトラディショナル・ジャズを中心に演奏しているバンドだそうで、懐かしい調べの曲が多い。

トランペッターはまだ20歳を過ぎたばかりという女性で、この若い子がテナーサックスのオジサンと絶妙のかけあいで音色を響かせているところが凄い。

いま駅の役割が大きく見直されていて、エキナカという言葉が生まれるほど、駅そのものの中にエステから美容院、コンビニ、書店など、さまざまな機能を持つ空間が増殖している。

今回は昨日と今日2日だけのコンサートなのだが、これを機会に駅コンコースの一角をさまざまなバンドに解放して、自由にコンサートをやってもらったらどうか。

大勢の人たちの前で演奏する機会の少ないアマチュアバンドには、認められてもらえる格好の場になるだろう。

ボランティアで登場してくるプロのバンドもあるかも知れない。

国鉄が民営化されてJRになってから、この4月で18年になる。民らしく、もっともっと駅を大胆に生かしていく道を考えてもいい時期にきていると思う。

(表の新着情報:「21世紀の歩き方大研究」の新世紀つれづれ草に、「『食後のコーヒー』は死語になったか、先に飲む若者たち」をアップロード)

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2005/03/05

初めて耳にしたショスタコヴィチの「セカンド・ワルツ」

なにげなくラジオをつけたとたんに流れてきた曲。初めて聴く曲で、曲名も作曲者も分からないけど、一目ぼれならぬ一耳ぼれしてしまうことってある。

シューベルトのピアノ三重奏曲第2番がそうだった。釘付けになってしまう旋律。曲が終わって初めて曲名を知り、なぜこれまでこの曲を知らなかったのか、しばし呆然した。

今日は、めったに見ないテレビをたまたまつけた瞬間に、すばらしく綺麗なメロディーが流れてきた。

哀愁を帯びたワルツ。僕が初めて聴く曲だ。急いでDVDレコーダーのHDに録画するが、短い曲なので、あっという間に終わってしまった。

この曲は、ショスタコーヴィチ作曲のジャズ組曲の中の「セカンド・ワルツ」だと知る。こんな曲があることを、今まで知らないままよく生きてきたものだ、と思う。

指揮をしているのはアンドレ・リューというこれまた僕の知らない人で、彼がこの曲を一気に世界に広めたのだという。

ウィンナ・ワルツの華やかな宮廷舞踏会のイメージではなく、サーカスに流れる物悲しいジンタの3拍子のような感じがする。

昨日、ヨースタイン・ゴルデルの『サーカス団長の娘』を読んでこのブログに書いたせいか、なんだかこの物語のラストシーンに流れる曲のような気がしてきた。

キューブリック最後の映画「アイズ・ワイド・シャット」でも流れた曲だというが、僕は残念ながらこの映画を見ていない。

それにしても、ショスタコビッチはこのメロディーをどこからか採取したのだろうか。

ジプシーの踊りのような、あるいは東欧の民族音楽のような、悲しい歴史を背負った人々の深い嘆きが底に流れているように感じられてならない。

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2005/03/04

ゴルデルの『サーカス団長の娘』はお奨め

File0150新聞広告を見て小説を買う、ということを僕はめったにしないのだが、今回は違った。

ヨースタイン・ゴルデルの『サーカス団長の娘』の新聞広告を見た瞬間に、僕の脳内の何かが激しい反応を起こし、広告をハサミで切り取って紀伊国屋書店に行った。

作者は『ソフィーの世界』など、おもに少年少女向けの本で知られるが、この広告では大人向けの小説とわざわざ記してあった。

予感通りの不思議な魅力の小説で、昨日と今日の2日間で読み終え、本を読む楽しさをたっぷりと堪能させられた。

内容については、ネタバレになるので書けないが、オビの宣伝文句の範囲内で書くと、この小説には沢山の小さな物語が入れ子構造となって織り込まれている。

その中でも「サーカス団長の娘」という小説内物語がたびたび登場してきて、主人公の人生がいつしかこの物語と相似形になって展開していく。

文学作品としては荒削りの部分もあるが、息もつかせぬストーリー展開で、味わい深いゴルデルワールドが繰り広げられていき、面白い小説を探している人にはお奨めだ。

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2005/03/03

耐用年数が過ぎ、異常が続くエレベーター

このところ、うちのエレベーターの調子がおかしい。

ドアが開かなくなって出るに出られなくなってしまった、という話をこのブログに書いたのが2月12日で、それ以来、3回も修理に来ているのだが、直らない。

その都度、チップやコードを交換して行くようなのだが、依然として、ドアが半開きのまま突然閉まったり、開きかけてガタガタと開閉動作を繰り返すなど、尋常ではない。

今日も昼前、エレベーターから降りる時に、ドアが開いている途中で急に閉まって、僕の肩を強打した形になった。

昼過ぎから、また点検修理の担当者が来て、異常の原因を調べているのだが、もう5時間にもなるのに点検が終わらない。

各階のエレベーターホールに、点検中の札をはって、あれやこれやチェックをしているようだが、原因が特定できないらしい。

僕の素人的直感だが、これは部分的な故障などではなくて、老朽化そのものが原因ではないだろうか。

エレベーターの耐用年数は、20年から25年とされている。

ところが、このマンションのエレベーターは、建てられてから25年半も使われていて、大掛かりな交換は行われていない。

先月18日には、福岡市の市営団地で、改修工事中のエレベーターが12階部分から1階まで30メートル落下して、2人が死傷する事故がおきている。

ゴンドラ本体もワイヤも、各階のドアも、すべてを新品に取り替える時期にきているように感じる。

全部をそっくり取り替えると費用がかかるために、管理会社はためらっているのだろうか。

大きな事故がおきてからでは遅い。エレベーターに乗るたびに、どうか落下しませんように、と祈るようでは、生きた心地がしない。

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2005/03/02

里子に出した我が家の雛人形を想う

img0033今日のブログは、「表」のつれづれ草と連動している、というよりも、むしろその続きである。

3年前、長年に渡って我が家の娘たちの成長を見守り続けてきた雛人形たちを、千葉県勝浦市に里子に出した。

写真は、その年の「かつうらビッグひな祭り」の後、実行委員会から丁寧なお礼状とともに送られてきたものだ。

こうして見ると、雛人形というのはみな同じ姿形をしていて、顔つきもほとんど似通っている。

我が家から行った雛人形たちが、この中のどこにいるのかは分からない。

「かつうらビッグひな祭り」はその後も年々盛んになって、今年は市内6カ所の会場に2万体以上が3月6日まで飾られるという。

我が家にいた雛人形たちは、今年も全国のほかの家庭から寄せられた雛人形たちと仲良くやっているだろうか。

なにか粗相をしてみんなに迷惑をかけてはいないか。いじめに遭ってはいないか、などと心配してみる。

家庭での役目を終えた雛人形たちの、新たな人形人生。「がんばれよ」と声援を送りたくなる。

(表の新着情報:「21世紀の歩き方大研究」の新世紀つれづれ草に、「勝浦市に里子に出した我が家のお雛様たち」をアップロード)

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2005/03/01

首都直下地震に備え、5年保存の飲料水を買う

首都直下型地震が迫っているという報道を見るにつけ、最小限のサバイバル策を講じておこうと、東急ハンズの防災コーナーに行ってみた。

阪神大震災を経験したハンズ三宮店全従業員へのアンケート結果 にもとづいて、最も必要な21種類のグッズをセットにしたという緊急避難セット14,175円は、人気商品らしく入荷待ちの状態。

緊急避難セットよりも、まずは5年間の保存がきくミネラルウォーターの方がサバイバルに不可欠のような気がして、買っておこうと思ったが、これまた品切れで入荷待ち状態。やっぱり、備えあれば憂いなし派の人たちが増えているのだな、と実感する。

入荷待ちでもいいから、5年保存のミネラルウォーター1.5リットル入りを3ケース(1ケース8本)注文して、入荷しだい配送してもらうことにする。

都合24本で36リットルあれば、首都圏直下型地震で想定される断水期間の4日間は、しのげるような気がする。これで7,650円だから、保険と思えば安いものか。

5年の保存期限が過ぎた場合も捨てないで、歯磨きや水洗トイレ用として取っておき、飲用のものは新たに5年保存のものを買い足す。

ついでに、5年保存の「缶入り乾パン氷砂糖入り」というのを1ケース(24缶入り)買って、これも一緒に配送してもらうことにした。こちらは6,048円。

送料は全部で315円だった。ミネラルウォーターの重さを考えれば配送してもらうしかない。

ミネラルウォーターも乾パンも2010年で保存期限が切れる。その時、今回の買い物がムダになっていることを願うばかりだが、そうだとしても首都直下地震の発生確率はますます高まっているはずだ。

5年ごとに水の買い足しと乾パンの買い替えをしていくとして、何度目の時に「本番」に遭遇することだろうか。

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