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2005/03/11

モノを増やすのは簡単だが、減らすのは難作業だ

モノを貯め込んで、家中モノだらけにするのは、なんら難しいことではなく、面倒でもなければ疲れることもない。

なのに、モノを減らして家の中をスッキリと片付けることは、どうしてこんなに大変なのだろうか。

あまりにもモノがあふれかえって、必要なときに必要なものが取り出せなくなった時、だいたい2カ月に1回くらいの頻度であるが、僕は意を決して不要なモノを始末する。

この時に、45リットルのゴミ袋5、6個分のモノを捨てる。ほかに不要になった本や雑誌も縛って捨てる。

集中して片付けても、3、4時間はかかってしまい、半日がつぶれるだけでなく、あまりの面倒さに疲労困憊してしまう。

僕が思うには、モノを増やす行為は、毎日間断なく続けているために疲労感はないが、モノを減らすというのは、たまにしかやらないから、よけい大変に感じるのだということ。

もう一つは、モノを増やすのは、思考停止でも出来るのに対し、モノを減らすのは高度な知的作業だという点だ。

いわば、モノを増やすのは、エントロピー増大の方向と合致するため、放っておいても無秩序と乱雑さが増加していく。

これに対し、モノを減らすことは、人智によってエントロピーを減らす方向すなわち秩序立った方向に誘導する作業のため、莫大なエネルギーが必要なのだ。

さらに心理的な問題としては、モノを減らす作業は常に「もったいない」という精神との戦いなのである。

「捨てて勝つ」というのが整理・片付けの基本であることは分かっている。モノを捨てる時には、買った時の値段を思い出してはならない、という格言があるのも承知している。

だが、まだ使えるモノたちを、置き場がないから、家中が散らかって収拾がつかないから、という理由で捨てなければならないのは、やはり「もったいない」のである。

さきに日本を訪れたケニアの副環境相マータイさんが、「もったいない」という日本語にいたく感激し、「もったいない」を世界の合言葉として広めようと提唱していることを聞くと、ますますモノが捨てられなくなる。

要は、本当に必要なモノ以外は、安くても欲しくても最初から買ってはならないのだ。そして、必要と判断して買ったものは、寿命がきてボロボロになるまで大切に使う。

そうすれば、増大するエントロピーと格闘することもなくなるのだ‥と、わかっちゃいるけど。

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コメント

うちのテレビは18年間も使っていて、耐用年数をとっくに終えているのですが、これだけ頑張ってくれるとかえって捨てることが出来ません。
最近のプリンターやスキャナーは2年くらいで壊れてしまい、情がうつる間もありません。
もったいない、というのは愛着の度合いにもよるのでしょうね。

投稿: BANYUU | 2005/03/13 10:30

とっておくほど捨てられない。
情がうつらないうちに捨てればいいのかも・・。
もったいない、のかもしれないけど。
「今の若い人なのにもったいないなんていうんだ」と言われてがっかりしたことがあります。

投稿: 秋葉OL | 2005/03/13 01:14

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