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2005/03/15

「夏の思い出」「花の街」の江間章子さん死去

「なつがくーれば おもいだす」の「夏の思い出」。その作詞者江間章子(えま・しょうこ)さんが亡くなった。91歳だったという。

「夏の思い出」もいい歌だが、僕の好きな「花の街」の作詞者が江間さんなのだ。

昭和22年にラジオから流れた「花の街」は、團伊玖磨さんのすばらしいメロディーとあいまって、これからの季節にぴったりの美しい歌だ。

七色の谷を越えて
流れて行く 風のリボン
輪になって 輪になって
かけて行ったよ
春よ春よと かけて行ったよ

美しい海を見たよ
あふれていた 花の街よ
輪になって 輪になって
踊っていたよ
春よ春よと 踊っていたよ

すみれ色してた窓で
泣いていたよ 街の角で
輪になって 輪になって
春の夕暮れ
一人さびしく 泣いていたよ

1番から2番へと流れる、はずむような歌詞は、3番でトーンが一転する。3番の歌詞の、なんと悲しく切ないことか。この歌のポイントは3番にあるのだと思う。

3番の「街の角で」は「街の窓で」となっている歌集も多いが、江間さんによるとここは「街の角で」なのだ。

江間さんは、この歌について、次のように書いている。

「花の街」は私の幻想の街です。戦争が終わり平和が訪れた地上は瓦礫の山と一面の焦土に覆われていました。
その中に立った私は夢を描いたのです。ハイビスカスなどの花が中空に浮かんでいる、平和という名から生まれた美しい花の街を。
詩の中にある「泣いていたよ 街の角で・・‥」の部分は戦争によって様々な苦しみや悲しみを味わった人々の姿を映したものです。
この詩が曲となっていっそう私の幻想の世界は広がり、果てしなく未来へ続く「花の街」となりました。
(教育芸術社音楽教科書より)

江間さんのご冥福を心よりお祈りいたします。

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