夢の中で一度だけ行った大阪万博の懐かしさ
愛知万博「愛・地球博」が、今日から開幕した。
日本自然保護協会、世界自然保護基金ジャパン、日本野鳥の会の、環境3団体が不参加という、おおきな穴を開けたままの、片肺飛行といっていい。
もはや万博の時代ではないという、おおかたの声を押し切って、名古屋経済圏の地盤沈下防止と活性化のために、トヨタのメンツにかけて中央突破をはかったイベント、という印象が強い。
どうしても開催が避けられずに、僕がプロデュースする立場になったとしたら、地球の歴史の中で6度目となる生物大量絶滅が始まった、という認識を共有することからスタートするのに、と思ったりする。
地球の存続と相容れないほどに暴走を続け、完全に行き詰っている文明を、どうやって軟着陸させるのか。これ以上の消費文明を、どんなプロセスでストップさせるのか。それに向けての強い決意と緊張を欠いていては、「愛・地球博」とは言えまい。
愛知万博を語る時によく引き合いに出されるのが、35年前の大阪万博だ。
三波春夫が、この万博のために作られた「世界の国からこんにちは」を歌っていて、日本中が何の違和感も感じなかったのだから、時代がしのばれる。
歌詞の「1970年のこんにちは」というくだりも、ダサ懐かしい。
僕は大阪万博に行きたかったのに、ついぞ行く機会がなかった。
入社したてのドサ回りの最中で、それどころではなかったのだ。東京の本社から、続々と万博の応援に行く先輩たちの様子を、遠くから羨望のまなざしで見ているしかなかった。
たった一度だけ、大阪万博に行った夢を見た。不思議なほどリアルなカラーの夢で、きらびやかなパビリオン群も、太陽の塔も、そして長い行列をつくる人々も、すべて細部まで鮮明な夢だった。
夢も現実も、いったん記憶の中に入ってしまえば完全に等質で、一切の差異はない、というのが僕の持論である。
だから、僕が夢で大阪万博に行ったことは、まぎれもない事実だと思っている。
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