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2005/04/30

サイゴン陥落から30年、何も学ばなかったアメリカ

今日4月30日で、ベトナム戦争に終止符を打ったサンゴン陥落から30年。

あの日、僕がテレビで見たのは、サイゴンの空港から先を争って逃げ出そうと航空機やヘリに殺到するアメリカ人と親米のベトナム人たちの、信じられない光景だった。

まさにアメリカの敗走する姿がそこにあった。世界は変わりつつあるのだという熱い思いがこみ上げてきた。

ベトナム戦争の実態について僕たちは、あまりにも知らなかった。新聞もテレビも、ほとんどが米軍の発表する大本営のものばかりで、この国で何が起きていたかは、全くといっていいほどニュースで伝えらなかった。

そのため、いきなりテレビで映されたアメリカの大敗走シーンは、衝撃的だった。

あれから30年が経つのか。30年といえば人生の半分である。10年で世界がすっかり変わる時代に、30年の歳月はあまりにも重く大きい。

はずかしながら、僕がベトナム戦争について、おぼろげながら思いをはせることが出来たのは、すべてアメリカ文化を通じてだった。

映画の「プラトーン」、「フルメタル・ジャケット」、「グッドモーニング・ベトナム」等々。

とりわけ、マイケル・J・フォックス主演の「カジュアリティーズ」はショッキングだった。

そして演劇の「ミス・サイゴン」。ここではサイゴン陥落時の混乱の中、脱出するヘリコプターのシーンが息をのむ迫力だ。

ベトナム人の側から描いたベトナム戦争も、さまざまなものが作られていると思うが、不覚にも僕はどんなものがあるのかよく知らない。

それにしても、30年も経つとアメリカの中でさえ、ベトナム戦争は過去のものになりつつあるのだろうか。

結局のところ、ベトナム介入の過ちと敗北から、アメリカは何も学んでいないのだ。力こそ正義であり、圧倒的な軍事力によって世界のすべてをアメリカの国益に従属させるのは当たり前、という傲慢の極み。

アメリカの支配が崩れるのは、いつのことだろうか。驕る平家は久しからず、のはずなのだが。

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2005/04/29

消された「未来に夢中です」の文字

尼崎のJR列車事故で、脱線車両を取り除く作業をしていた重機のアームに書かれていた「未来に夢中です」の文字。

これはテレビ中継や新聞などで大写しになり、26日のこのブログでも悲しいこの文字について触れた。

ほかのブログでも、ずいぶんとこの文字について触れたものがあった。

同じような指摘が相次いだのか、さすがにこの文字はまずいと思ったのか。いつのまにか、アームの部分に何かを貼るなどして、この文字が消されている。

重機が到着した段階では、救出活動が最優先で、アームの文字がどうのという段階ではなかったのだろう。

しかし文字を消したところで、命を絶たれた106人の未来は戻らない。これからも夢中で生きるはずだった未来は、こなごなに粉砕されて消滅した。

消されれば消されたで、覆い隠すしかなかった「未来に夢中です」が、ますます強い印象で迫ってくる。

(表の新着情報:「21世紀の歩き方大研究」の21世紀エッセイ「時間の岸辺から」に、「尼崎列車事故からGWへの時間の流れ」をアップロード)

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2005/04/28

夏日なのにヒノキ花粉が長引いてマスクが外せない

今日の東京都心の最高気温は27.9度で今年初の夏日となり、6月下旬の暑さだったという。

例年なら初の夏日を迎えるころには、花粉が収まって、晴れてすがすがしい空気を吸うことが出来るのに、今年はヒノキ花粉が長引いている。

気象庁によれば例年は5月上旬には収束するはずのヒノキ花粉が今年はまだ猛威をふるっていて、収束するのは5月中旬と10日ほど遅くなる。

なぜ長引いているのかは分からないが、去年の異常気象や温暖化と関係があるのではないか。

そもそもGWになるのに、街行く人々がマスクだらけという光景が続いていること自体、異様だ。

夏日の暑さの中で、上着を脱いで軽装になっているのにマスクが外せないというのは、これはもう拷問に近い。

風薫る5月は目の前だというのに、その空気を思い切り吸うことが出来ないなんて。

みんなスギ対策ばかりに目が向いているが、ヒノキ花粉こそ何とかしてくれえ。

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2005/04/27

深夜に外でカラスの鳴き声が‥

夜の12時を過ぎているのに、外でカラスの鳴き声がした。

カラスかどうかは、見て確かめたわけではないのだが、「カア」と2度ほど鳴いて、しばらくしてから、やや遠くでまた「カア」と鳴いた。

いずれにしても鳥であることは間違いないようだが、ここで僕は不思議に思う。

鳥って夜中に飛んだり鳴いたりすることがあるのだろうか。「鳥目」というからには、鳥は暗闇ではモノを見ることが出来ないのではなかったか。

ところが調べてみると、これはとんでもない誤解で、野鳥に関しては夜でも視力があるらしく、渡り鳥が夜間も飛行できるのは目が見えるからなのだ。

なかには、鶏のように本当に鳥目の鳥もいるが、これは少数派らしい。

ではカラスはどうかというと、カラスも人間と同じように夜はモノが見えにくくなるが、まったく見えないわけではなく、中には夜に寝付けないで飛び騒いで鳴いたりするカラスもいるのだそうだ。(このサイトなど参照)

なるほどねえ。では、シンデレラタイムを過ぎて鳴いていたのは、やはり夜遊びでもしていたカラスであったか。

人間たちを見ているため、カラスもしだいに夜更かしになっているのかも知れない。

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2005/04/26

脱線事故の恐怖まざまざ、新幹線は大丈夫か

高速走行中の電車がマンションに激突するという事態は、だれもが考えたこともない事態だった。

尼崎で起きたJR福知山線の大惨事は、列車事故の中でも最悪の状況といえる。

電車の沿線には、ほとんど線路ギリギリのところまで、マンションが立ち並ぶのが当たり前のようになっている現代で、ひとたび脱線すればどのようなことが起きるかを、初めて見せ付けた事故だった。

73人の死者。それぞれに、これから延々と続くはずの人生が、一瞬にして終わってしまう。

今日のこと、明日のこと、そして今年のプラン、これからの人生の目標。すべてがこの瞬間に終わって、自分が死者となるとは、だれもが思ってもみなかったことに違いない。

無残な姿をさらした脱線車両を取り除く重機の写真が、夕刊に載っている。

そのオレンジ色の重機のアームに、大きく書かれた文字が、「未来に夢中です」とは、悲しすぎる。

事故現場のカーブで、どのくらいの速度を出していたのかは、いずれ解明されるだろうが、速度×質量が運動エネルギーになることの恐ろしさが、改めて浮き彫りにされた。

250キロで走行する新幹線は大丈夫なのか。直下型地震による脱線はもちろんだが、さまざまな不運が重なって起きる脱線の可能性も皆無ではあるまい。

新幹線の沿線には、マンションやオフィスビル、工場などがひしめき合っている場所がいたるところにある。

そこに250キロで走行中の新幹線が突っ込んだら、死傷者の数は前例のないものになる恐れがある。

脱線を防ぐための補助レールや、線路から飛び出さないための防護壁など、費用はかかっても、万一の場合の策を講じておかないと、大変なことになる。

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2005/04/25

尼崎のJR事故はなぜ防げなかったのか

尼崎で起きたJR福知山線の事故は、死者50人、負傷者数百人という大惨事になったが、なぜこれほどの惨事になってしまったのか、大いに疑問だ。

昔はフェイル・セーフという言葉がよく使われていたが、最近はあまり聞かない。

要するに、人間系のミスであれ、ハード系のトラブルであれ、どのような失敗が発生しても、システムが必ず安全側に働くようにしておくという発想だ。

東海道新幹線を作る時には、このフェイル・セーフという原則が徹底され、たとえ走行中にいかなるトラブルが起きても、自動的に緊急ブレーキがかかって列車を止めるように設計された。

今回のJRの事故では、ATS(列車自動制御装置)が、赤信号での進入に対して停止させたり先行車両に近づき過ぎた時にブレーキをかけるだけで、スピードオーバーには対応しない最も古いタイプのものだったという。

このような古いATSがそのまま使われていたこと自体、大きな驚きだ。

今回の場合、運転士が遅れを取り戻そうとスピードを上げても、ATSがブレーキをかけなければならないのはもちろんだが、たとえ脱線しても線路から大きく逸脱しないようなバックアップが必要だったと思われる。

フェイル・セーフをあまりいわなくなったのは、技術への過信か慣れなのか。

よく引き合いに出されるハインリッヒの法則は、この事故にもあてはまる。

1つの重大事故の背景には、29の軽度の事故があり、さらに300のヒヤッとするニアミスがある。

こうしたニアミスを軽視せずにひとつひとつ手をうってつぶしていくこと、そしていまいちどフェイル・セーフの原点に立ち戻ることが必要ではないか、と思う。

(表の新着情報:「21世紀の歩き方大研究」の21世紀エッセイ「時間の岸辺から」に、「魔の日に起こる鉄道事故を避ける方法はあるか」をアップロード)

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2005/04/24

米朝のベスト3を挙げるとすれば

File01601今日の毎日新聞の「東西お笑いらいぶらりい」で、米朝を取り上げている。

アメリカと北朝鮮の関係も米朝と表されるが、ここでいうのは上方落語の桂米朝である。

僕は長い間、落語には全く興味がなかったのだが、10年以上も前、たまたまテレビでやっていた米朝の「七度狐」を見て、あまりの面白さにカルチャーショックを受けた。

それ以来、僕はすっかり米朝ファンになってしまい、まずはカセットテープに入った「七度狐」を買い、さらに探しまわってビデオのものを買った。

これは何度見ても素晴らしい。狐が姿を変え品を変えて人間をだましていく様子が絶品だ。僕の個人的な趣味からいうと、これがベスト1だ。

ついで、今日の毎日新聞の記事でも紹介されている「天狗裁き」が面白い。一人の男が見たという夢の内容を、さまざまな者がなんとかして聞きだそうとする、その聞き出し方が絶妙の芸術で、これがベスト2だと思う。

「算段の平兵衛」も凄い話だ。死体をつぎつぎとたらい回しにしていくキワドイ内容なのだが、話術の極みであり至芸。まさに米朝のいう催眠術にかけられたようになる。

これはまずCDを買った。なぜかビデオに収録したものがなく、あきらめていたところ、最近になってDVDで出ていることを知ってようやく購入した。これをベスト3にしたい。

ほかにも、「はてなの茶碗」「鹿政談」など、米朝は病みつきになる。いったん米朝のとりこになったら、なかなか米朝以外の落語に入っていく気にならない。

この際、DVDの米朝全集全30巻を全部そろえようかと思っている。

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2005/04/23

小さな神社の境内に、ツツジとアジサイ

05-04-23_13-22GWも間近というのに、なかなか4月本来の暖かさにならない。朝夕はとりわけ寒いくらいだ。

小さな神社に、つつじ祭りと書いてあったので、ふらりと境内に入ってみた。

増えられているつつじは少なく、鉢植えで値段のついたつつじが20鉢くらい並べられている。

その脇に、アジサイの鉢植えもある。つつじとアジサイで、この境内だけは初夏の空気だ。

奥の方でひっそりと、フリーマーケットが開かれている。

狭い境内なので、それでおしまいなのだが、そのまま帰るのはためらわれるので、参拝していくことにする。

こういうときには、気持ちだけの賽銭を箱に投げ入れる。

僕はいつもジンクスのように、小銭入れの中から100円玉、50円玉、10円玉、5円玉、1円玉を少なくとも1個ずつ取り出して、賽銭にしている。

深い理由はないのだが、いつの間にかそういう習慣が身についてしまったので、いつもの通りにしないと縁起が悪いような気がするのだ。

500円玉が入っていないのは、単にもったいないからで、初詣の時だけは500円玉があれば入れている。

お金は投げてはいけないものなのに、賽銭だけは投げ入れてもいいのはどういうわけなのか分からない。

賽銭を投げ入れるチャリンチャリンという音。そしてガラガラと鳴らす鈴。柏手の音。そんなものがまじりあって、願い事が聞き入れられるのかも知れない。

ちょっと立ち寄った神社や寺にお参りするのは、宗教というよりは、一種の生活習慣あるいは礼節のようなものかも知れない。

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2005/04/22

ユーザー登録などの個人情報は簡単に漏れる

みちのく銀行が、顧客131万人分の個人情報の入ったCD2枚を紛失したという。

最近、この手の話が多すぎる。紛失だけならいいが、関連会社の契約社員が故意に盗み出して、名簿業者の手に渡るなどのケースが後を絶たない。

そもそも個人情報というのは、どんなに管理に万全を期しても、ちょっとした悪意があれば、何万人分であろうが何百万人分であろうが、いともやすやすと漏えいするものなのだ。

僕の家の電話番号は、電話帳にも載せてないし104番でも非公開の扱いにしている。

にもかかわらず、マンション投資の話などで電話がかかってくる。

僕は、まず相手に「この電話番号をどうして知りましたか」と尋ねることにしている。

局番によって地域に狙いを定め、0000から順番にかけていて、こちらの名前は分からずにかけている、という説明も結構ある。本当かどうかは分からないが、迷惑な話である。

こうした番号総当りとは違って、明白にこちらの名前を知ってかけてくる勧誘の電話も少なくない。

「名簿業者から買ったのをもとにかけています」と、あっさりと言う相手もいる。その名簿業者が基にしているデータというのは、僕が以前勤めていた会社の社員名簿であったり、高校の同窓会名簿であったりするようだ。

さらに尋ねてみると、「お客さまが以前、何かのユーザー登録をされた時のデータを買っています」と、正直に打ち明ける相手もいる。

電気製品を購入した時に、「いまなら抽選でコレコレが当たります」と言われて、応募用紙を渡されるケースもよくある。

応募用紙には、住所氏名年齢から電話番号、メールアドレスなどを記入する欄があり、これは応募に見せかけて個人情報を集めるための手っ取り早い方法なのだろう、と思う。

今月から個人情報保護法が施行されてからは、さすがに勧誘の電話はまだかかってこない。

もしかかってきたら、情報の出所をはっきりと聞きただしてみたい。

何という名前の名簿業者から買った情報で、そこには僕のどんな情報が記載されているのか、電話をかけてきた側にははっきり開示する義務と責任があるはずだ。

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2005/04/21

歌舞伎座、老朽化で建て替えへ

東京・銀座の歌舞伎座が老朽化のため建て替えを検討している、という。

国の有形文化財なのに、もったいない、と思う。今の建物が出来てから50年ちょっとしか経っていない。

どうして日本の建築物はみな、50年や60年で取り壊されて新しいビルになっていくのだろうか。

ヨーロッパの建築物は200年や300年という時を経て、いまなお街並みに溶け込んで現役として使用されているのに、日本の建物は作り方が違うのだろうか。

老朽化がひどくて支障があるのなら、有形文化財の外観はこのままにして、内部だけを作り直せばよさそうなものだが、結局そのほうが費用も高くつくのかも知れない。

この歌舞伎座にはいろいろな思い出がある。

ロッキード事件に日本中が揺れるさなかのある日、僕は悠々と歌舞伎を楽しんでいた。

市川猿之助が主演で、「東海道中膝栗毛」をやっていて、けなげな姉妹が六木戸紅漢という悪の親玉をやっつけるという話だった。

六木戸紅漢とは、ロッキード高官のもじりで、前編がこの事件への痛烈な風刺だった。

翌日、改めて取材に行き、猿之助の話も聞いて、「歌舞伎の世界にもロッキード事件」として写真付きの大きな記事に仕立てあげた。

来日中のダイアナ妃が車に乗り込むところを偶然にも目撃したのも、歌舞伎座前である。ダイアナ妃はさん然と輝くばかりのオーラを撒き散らし、まわりは黒山の人だかりだった。

いずれも、もう遠い昔の話である。

(表の新着情報:「21世紀の歩き方大研究」の21世紀エッセイ「時間の岸辺から」に、「画家の長命と作家の短命、その違いに思う」をアップロード)

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2005/04/20

32インチのパソコン画面は使いやすいか

パソコンメーカーは春の新モデルとして、大画面のディスプレイを備えたパソコンを一斉に売り出した。

テレビやDVDレコーダーの機能も併せ持ち、これ1台あればほかのAV機器を買わなくても用が足りるという。

中には32インチの大型ディスプレイを持つ機種もあって、こうなると大画面液晶テレビにパソコン機能が付いたような感さえある。

しかしパソコン本来の使い方をする限りは、画面は大きければいいというものでもないと思うが、どうなんだろうか。

僕のパソコンは横長の17インチだが、ウェブサイトやブログを閲覧するには、このくらいがちょうどよく、サイトによってはもっと小さな画面でも十分だ。

32インチになったら、テレビやDVDを見るのにはちょうどいいかも知れないが、パソコンとしては過剰な大きさで使いにくいような気がする。

それに、もっと大切な問題は、ディスプレイからどれくらい離れて見るのか、ということだ。

パソコンとして使う場合の目と画面の距離は、40~50センチくらいのものだろうか。しかし32インチ画面でテレビを見る場合は、その2倍か3倍は離れて見る必要があるだろう。

逆にテレビを見る距離でパソコンとして使ったら、こんどは文字などが読みづらくて操作しにくいのではないか。

そのあたりは、さまざまなIT機器の融合に向けての試行錯誤なのかも知れない。

テレビやパソコンの画面が大型化していくのとは別に、ケータイがデジカメやビデオカメラの役目も果たすようになってきて、あとちょっとでモバイルパソコンとしても使えそうな勢いだ。

これに家庭用ロボットが入ってきて、さまざまなIT機器と融合していったら、人々の生活スタイルをガラリと変えることになりそうだ。実現は5年後から7年後くらいだろうか。

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2005/04/19

「どなたでしょうか?」という不思議なメール

「どなたでしょうか?」という不思議なタイトルのメールを、僕の記憶にない人からもらった。

よく読んでみると、その人はある文学団体の仕事に携わっていて、その人が団体名で検索していたところ僕の「表」サイトの昔の記述にたどり着いたらしい。

そこには、僕が10年以上前にその団体が関わった会合に参加したことを書いたくだりがある。

しかし、僕が誰なのか、なぜその会合に出席していたのかが分からず、サイトに書かれているメールアドレスを頼りに、「どなたでしょうか?」というメールを僕に出した、ということらしい。

個人ホームページやブログの内容が検索エンジンで簡単にヒットするようになって、検索で出てきたけれども誰なのか分からない、というケースはこれからも増えてくると思われる。

ネット時代には、想定の範囲外のコミュニケーションが起こりうる、ということかも知れない。

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2005/04/18

やっかいなCookie、許可か拒否か

今まで気づかなかったのかどうか不思議だが、ブラウザの右下に小さな目玉のようなアイコンが表示される。

これをクリックすると、「アクセスしたサイトは、プライバシー設定で要求されたとおりにCookeiを設定し、Cookie通知アイコンをここに表示しました」という窓が現れる。

目玉アイコンは、何者かが僕のパソコンをじっと監視しているようで、とても不気味だ。

さまざまなサイトでこの目玉アイコンが表示される。そこで、僕のパソコンにはいったいどれくらいのCookieが入りこんでいるのかを、ブラウザのCookieマネジャーで見てみた。

なんと200近いCookieが入っていて、しかもその大半は僕にとって知らないサイトからのものだ。

いつの間に、こんなに多くのCookieが入りこんだのかと驚くとともに、恐くなった。これでは個人情報もプライバシーも筒抜けではないか。

そこで、僕が承知していないCookieを軒並み削除して、さらにブラウザの設定でCookieの受け入れ条件をうんと厳しくしてみた。

そうするとこんどは、さまざまなサイトにアクセスするたびに、Cookieを許可するかどうかいちいち尋ねてきて、ニュース系サイトや検索サイトはいちおう許可にしているのだが、どんな情報を収集しているのか不安になる。

Cookieを許可しなくてもサイトは表示されるが、次にアクセスした時に同じことを尋ねてくるので、しょっちゅうアクセスするサイトはCookieを許可するしかない。

それにしても、こんなにさまざまなサイトが個人のパソコンにCookieをさりげなく侵入させていて、それがあたりまえのようになっているのは、なんとも解せない。

Cookieならまだチェックが出来るが、スパイウェアはどんなものが入っているのかチェックのしようもない。

さらにアクセス履歴に、まったく覚えのないサイトにどんどんアクセスした表示が連続して現れて、これはもうウィルスに近いプログラムがどこかに入り込んでいて、勝手にアクセスしているとしか思えない。ブラウザに表示されないのに、履歴にだけ表示されるというのは、極めて奇怪だ。

ネットは便利であるが、個人情報はむき出し同然といっていい。

追記:ここまでアップした後で、いろいろなブラウザでやってみたら、Cookieが入っているサイトで右下に目玉のアイコンが出るのはNetscape7.0だけで、Netscape4.7やInternetExplorer6.0では目玉は表示されない。目玉は不気味ではあるが、Cookieが使われているのに何の表示も出ない方がもっと恐い。

(表の新着情報:「21世紀の歩き方大研究」の21世紀エッセイ「時間の岸辺から」に、「これで当分中国旅行も出来なくなる」をアップロード)

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2005/04/17

スギよりもヒノキの花粉で症状がひどくなる

このところ、晴れて暖かいせいで、花粉の飛散は連日、「非常に多い」が続いている。

しかし、現在ではスギ花粉は下火になっていて、ヒノキの花粉がピークを迎えているのだ。

僕の場合は、スギ花粉に対しては、それほど症状が出ないのだが、ヒノキ花粉にはお手上げだ。

スギ花粉がピークの時には、鼻炎カプセルを朝1錠飲めば、24時間は症状を抑えることが出来るが、ヒノキが全面に出ている今は、朝夕に1錠ずつ飲まないと持たない。

花粉症対策として、スギ林の手入れや花粉の少ないスギを作り出るなどにスポットが当てられているが、ヒノキの対策についてはあまり聞かない。

僕としては、ヒノキの花粉の方をなんとかしてほしいと思う。

人によって、スギ嫌悪派とヒノキ嫌悪派があるのだろうが、根本対策として共通するのは、自動車の排ガスを根っこからシャットアウトすることではないだろうか。

排ガスと花粉症の関係について、なぜ根本的なメスが入れられないのかと歯がゆい思いがするが、日本経済は自動車産業で支えられているようなものだから、くしゃみや鼻水くらい我慢しろということか。

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2005/04/16

日本フォークの草分け、高田渡さん死去

日本のフォークソングの草分け、高田渡(たかだ・わたる)さんが亡くなった。56歳だった。

高田さんが活躍していた若いころのことは僕は知らないが、NHKの「フォークソング大全集」といった番組にはたびたび登場して、ひょうひょうとした風貌が印象的だった。

番組に出演中も、体調がよくないらしく眠ってしまいそうになったりして、司会の坂崎幸之助さんをはじめとするフォーク仲間たちががいつも気遣っていた。

高田さんがテレビでよく歌ったのは、「値上げ」と「生活の柄(がら)」だ。

この「生活の柄」は、山之口貘さんの歌詞に高田さんが曲をつけたものだが、高田さんの人生そのもののようで、とても胸にしみるいい歌だ。

高田さんへの追悼の気持ちを込めて、「生活の柄」の歌詞を載せておきたい。

「生活の柄」       歌詞・山之口貘 作曲・高田渡

歩き疲れては、夜空と陸との隙間にもぐり込んで
草に埋もれては寝たのです。ところかまわず寝たのです
歩き、疲れては、草に埋もれて寝たのです
歩き疲れ、寝たのですが眠れないのです

近頃は眠れない。陸を敷いては眠れない
夜空の下では眠れない
揺り起こされては眠れない
歩き、疲れては、草に埋もれて寝たのです
歩き疲れ、寝たのですが、眠れないのです。

そんな僕の生活の柄が夏向きなのでしょうか
寝たかと思うと寝たかと思うと
またも冷気にからかわれて、
秋は秋からは、
浮浪者のままでは眠れない。
秋は秋からは、
浮浪者のままでは眠れない。


テレビで見る高田さんは、白いひげのせいか、いつもとても老けて見えた。まだ56歳だったとは、ずいぶん苦労があったのだなあ、と思う。

高田さんのご冥福を心よりお祈りいたします。

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2005/04/15

大型旅客機が目の前で墜落した夢をみた

夢に出てくる光景というのは、奇想天外でシュールだが、夢の中の自分はそれを別におかしいとも思わないところが不思議だ。

昔はよく空中に浮かんだり空をフワフワと飛んだりする夢をみたものだ。

浮遊する高さも、床や地面から数十センチほど浮いてススーッと横に移動していく場合や、電柱くらいの高さまで浮いて一戸建ての家々の屋根を見下ろしながら浮かんでいることもある。

夢なのだから、飛んでいる自分の姿を見ることも出来そうなものだが、夢であってもやはり自分は自分という身体の中にあって、そこから外に出ることは出来ないようだ。

最近は、浮遊したり空を飛んだりする夢を見ることは少なくなった。

そのかわり、よく見るようになった夢は、僕の目の前で大きな飛行機が墜落する夢だ。墜落というよりは、失速しながら地面に激突するようなシーンが多い。

今朝がたも、大型旅客機が上空でゆっくりと旋回しているうちに、しだいにキリモミ状態となって、やがて僕のいる場所から500メートルほどの目の前で、仰向きになって地面に落ちた夢をみた。

落ちた瞬間に、機体が大爆発を起こして、スペースシャトルの爆発の時のように、機体のカケラや燃料が無数の白い尾をひいて四方八方に飛び散る様子は、夢とは思えないほどリアルだった。

まわりにいた人たちは、あまりのすさまじさにしばし呆然としていたが、やがて機体の中にいる人たちを助けるために機体に駆け寄って行く。

こういう時は僕も助けに行くべきだろうか、と躊躇しているうちに目が覚めた。

新潟で自衛隊の航空機が墜落して4人が死亡というニュースに影響されたのかも知れないが、夢で落ちたのは200人乗りくらいの大型のジェット機だった。

正夢にならなければいいが。

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2005/04/14

この銀河系に130億歳の星がある驚き

 僕たちの太陽があるこの銀河系に、130億年前に誕生したとみられる最古の星が見つかった、とニュースが伝えている。

 宇宙が無から生まれてビッグバンによって形成されたのが137億年前とされているから、この星は宇宙が出来てからわずか7億年後に生まれ、それ以来ずっとこの銀河系を見守ってきたといっていい。

 太陽くらいの大きさの星の寿命は、100億年ほどとみられている。わが太陽は、誕生したから46億年ほどになり、まだ寿命の半分にもきていない。

 もっと大きな星になると寿命が短くなっていって、1億年程度の星もあり、巨大な星では寿命が100万年という短命のものもある。

 小さな星ほど寿命が長くなっていって、1兆年という超長寿の星もある。

 寿命が尽きた星は、赤色矮星となって大爆発を起こし、大部分のガスを吹き飛ばして、核が白色矮星になる。この時に重い元素が作られる。

 あるいは超新星爆発を起こして中性子星やブラックホールになり、その過程ではささらに重い元素をたくさん作り出して宇宙空間に撒き散らす。

 こうして寿命が尽きた星が残したガスが集まって、次の世代の星が誕生していく。

 後から作られた星ほど、重い元素を含む割合が大きくなるため、いつごろ出来た星かが推定できる。

 今回見つかった星は、太陽から4000光年程度の距離にあって、質量は太陽の7割くらいという。

 この星に惑星があって、地球と同じような条件だったならば、生命が発生して知性や文明が生まれていたかも知れない。

 しかし、おそらく太陽や地球が誕生するよりもはるか以前に、その惑星の生命も文明も滅びてしまったに違いない。

 僕たちのこの銀河系に限っても、少なく見積もっても100から200くらいの文明がすでに存在したか、いま存在しているとみられる。

 宇宙全体では、このような銀河系が数千億も存在することを考えると、すでに終わった文明の数は無数といっていいくらいあったと思われる。

 僕たちの文明も、そのようにして終わっていく文明の一つなのだろう。

 宇宙全体からすれば、一つの文明が終焉することなど、あまりにも日常茶飯事な出来事で、とりたてて大騒ぎするような出来事ではないような気がする。

(表の新着情報:「21世紀の歩き方大研究」の21世紀エッセイ「時間の岸辺から」に、「『愛国無罪』を黙認する中国当局の危険なカケ」をアップロード)

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2005/04/13

14日はタイタニックの日、SOSの日

明日4月14日は、タイタニックの日だそうだ。タイタニックが氷山と衝突して沈没したのが、1912年のこの日だった。あれから93年が経つことになる。

また、この日はSOSの日にもなっている。このときタイタニック号が出したSOS信号が世界で初めてのSOS信号とされている。

このSOS信号は90キロ離れた海上を航行中のカルパチア号に受信され、タイタニック号に乗っていた乗客約700人を救うことができた、という。

SOSとは「Save our ship」の頭文字だと聞いたことがあるが、いくつかのサイトを見ると「Save Our Souls」の略だとしているものや、単に聞いて分かりやすいために採用された、としているものもある。

モールス信号でSOSは …---… 、この音をカナで表せば トトトツーツーツートトト で、聞いて分かりやすいのは確かだ。

ピンクレディーの「SOS」では最初のうち、イントロにこのモールス信号が入っていたが、本物のSOS信号と誤認されることを防ぐために削除された、という話がある。真偽のほどは分からない。

ネットやケータイなど、さまざまな音声や映像がリアルタイムで地球のスミズミまで駆け巡っている現代でも、モールス符号はデジタル信号の原点として重要な位置を占めている。

アマチュア無線技師の国家試験3級以上では、モールス符号の理解が必修となっている。これとは別にアマチュア無線連盟ではモールス電信技能認定試験を行っている。

ウェブサイトやブログなどで、モールス符号だけで記事を書いたりコメントをつけたりしているところは、あるのだろうか。

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2005/04/12

2月上旬の寒さに逆戻り、花散らしの雨

桜がようやく開花したのが先月31日で、満開になったのが先週の後半だった。

電車の窓から見ると、ふだんは何の木か分からなかった木に桜の花が咲いていて、こんなところに桜があったのか、と驚いたりする。

開花から10日ちょっとというのに今日はもう、冷たい雨に打たれて、ソメイヨシノの花びらはほとんどが無残に地面に散っている。

今日の東京の最高気温は10度ほどと2月上旬の寒さだった。寒さと雨は明日も続く予報で、あとは葉桜になるばかりだ。

満開の桜を見ることができる期間は、わずか2、3日しかない。

「花の命は短くて、苦しきことのみ多かりき」という林芙美子の言葉が身にしみる。

なにごとも、準備や修行のための時間がほとんどで、その成果を享受できるのはほんの一瞬でしかないのだ。

準備、修行、苦しきこと。それこそが、この世の本体であり、人生の大部分なのだという気がする。

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2005/04/11

今月は新聞休刊日がないことを初めて知った

あれれ、新聞休刊日って、毎月1回あったんじゃなかったっけ。

4月はいつが休刊日かと思ったら、今月は休刊日がないのだそうだ。

さらに、祝日が2つもある11月も休刊日がないとは驚いた。

ネットで調べてみると、2001年までは毎月1回、年12回の休刊日があったのだが、朝刊がないのはさびしいという読者の声を受けて2002年は年9回にすることになった。

この年は、某1社が抜け駆けで新聞を発行することが分かり、他社もあわてて休刊日を返上して新聞を発行するなど、大騒ぎだったらしい。

現在では、年10回の休刊日ということで落ち着いているようだ。

もともと新聞休刊日(翌日の朝刊が休み)は、元日、こどもの日、秋分の日、文化の日(ないしは勤労感謝の日)と、年4回の時期が長く続いていた。

それが、日本の高度成長とともに新聞配達員の確保が難しくなってきて、「新聞少年に休みを」の掛け声によって、だんだん増えてきた。

僕は、テレビやインターネット、ケータイなどでニュースに手軽に接するこの時代に、朝刊がない日が毎月1回あっても不便は感じたことがない。

年12回を年10回に減らすなんてミミッチイことをやらないで、年12回休刊日制に戻したらいいのに、と僕は思う。

それとも、新聞の来ない朝でもとくに不自由を感じないということを、読者が知ってしまうのが恐いのだろうか、と思ったりする。

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2005/04/10

広域避難場所と一時避難場所の違いは?

大地震の時に避難する場所として、広域避難場所が決められている、ということはうすうす知ってはいる。

しかし、自分はどこの広域避難場所に行くべきかを正確に知っている人はどれくらいいるだろうか。

僕の場合は、新宿中央公園だったように覚えていたのだが、ネットで確かめてみて驚いた。

ネットでは役所や警察などさまざまな組織が、広域避難場所一覧を掲げていて、書いてあることがマチマチで統一されていない。

僕の住所をあてはめてみると、新宿中央公園になっているサイトもあるが、全く思いもしなかった百人町三丁目地区となっているサイトもある。

百人町三丁目地区などという漠然とした書き方では、目安となる広場はどこなのかも分からず、また何を目指して行けばいいのかも分からず、かえって不安が募る。

どちらが正しいのかは分からないが、自分が行くべき広域避難場所を知らない人や、間違えて覚えている人は結構多いのではないか。

その理由の一つは、区画整理や都市計画事業の進展によって、前に作られた広域避難場所の地域割りが頻繁に変更されていて、それが住民に浸透していないのではないか、と思われる。

さらに驚いたことには、広域避難場所とは別に一時避難場所というのが決められていて、どういう場合にどちらに行くのかの基準は示されていない。

僕の住所でみると一時避難場所は、広域避難場所が百人町三丁目地区が正しいとした場合は、正反対の方向になってしまう。

平時からこのように分かりにくいようでは、イザという時の大混乱は必至だろう。

震度6や震度7の地震に見舞われて、ライフラインがすべて止まり、あちこちで建物が倒壊して火災が発生し始めた時に、まずはどこに避難すべきか。

おそらくその段階では、役所や警察・消防の広報などによる誘導はほとんどないものと思わなければならない。

結局はその時の自分のとっさの判断だけが頼りとなり、さまざまな組織が机上で策定しているプランはほとんど意味をなさないような気がする。

(表の新着情報:「21世紀の歩き方大研究」の21世紀エッセイ「時間の岸辺から」に、「外交不在の小泉内閣、世界の孤児に」をアップロード)

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2005/04/09

1本の木に白、紅、ピンクの花を咲き分けるゲンペイモモ

05-04-09_15-59桜が開花してからずっと暖かい好天が続いている。

たいていの年は、開花してすぐに雨嵐に見舞われて、おちおち花見をする間もないうちに散ってしまうことが多い。

上野公園の桜もいいが、僕は新宿御苑の広くて落ち着いた雰囲気が好きだ。

ここでは、飲酒禁止が建前なので、おおっぴらに酒盛りをして放歌高唱する光景はほとんど見られない。

おかしなことに、苑内の売店では堂々と缶ビールを売っていて、「ビールは店の休憩所でお飲み下さい」と張り紙がしてあるが、守らない人もいるのではないだろうか。

この季節、地面スレスレに届きそうなほど枝を伸ばしている大木の桜も見ごたえあるが、僕が楽しみにしているのは、ソメイヨシノの開花のころに見ごろとなっているゲンペイモモだ。

これは名前のとおり、モモの一種なのだが、新宿御苑のゲンペイモモは、1本の木が白、紅、桃色の花を咲き分けているのが感動ものだ。

よく見てみると、花びら自体が白と紅、白とピンクが混じったものもあり、どうして一つの木がこのようにさまざまな色の花を咲かせるのか、不思議な気がする。

ゲンペイモモの前で写真を撮る人たちも多く、アマチュアカメラマンたちも凝りに凝った構図を狙いながらシャッターを切っている。

毎年、季節がくれば見事に多色の花を咲き分けるゲンペイモモに比べたら、人間が出来ることなどあまりにも小さい、という気がする。

お花見の季節は、人間は植物たちの前に謙虚にひれ伏すしかないということを、悟らせてくれる格好の季節だと思う。

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2005/04/08

「砂の器」の野村芳太郎監督死去

「砂の器」の野村芳太郎監督が肺炎のため死去、85歳だった。

松本清張の小説を映画化した「砂の器」は、日本映画屈指の名作だった。(以下、ネタバレなので、まだ観てない方はご注意を)

とりわけ後半は圧巻だ。

捜査網がしぼられてきているのも知らずに、満員のコンサートホールでオーケストラをバックに、「宿命」をピアノで引き続ける加藤剛。

捜査会議で、刑事の丹波哲郎が朗々と解き明かす天才音楽家の過去。

「宿命」の音楽をバックに描かれる、加藤嘉と子役の春日和秀の言語に絶する辛い放浪の日々。

この3つが、渾然となって進行していくさまは、それまでの日本映画には見られないダイナミックな構成で、観客を釘付けにする。

父子の放浪シーンは、原作の小説ではほんのひと言しか書かれていないのだが、野村監督はこの部分を素晴らしい映像美で丁寧に描いた。

背景にあるハンセン病と差別は、現代でも解決されていない重いテーマである。

コンサートの成功を確信しつつ、ピアノを引き続ける加藤剛の姿は、人間が引きずっている宿命の重さ、消すにも消せない過去の厳しさを、余すところなく表している。

人間は、善か悪かで2分出来るほど単純ではない。暗い過去を内に閉じこめながら、過去の人生と戦いながら、それでも現在を生きていかなければならないのが、人間だ。

映画の冒頭の、子どもが砂で作った器が波であっけなく崩れてしまう映像は、きわめて象徴的だ。

この映画で野村監督が描こうとしたのは、人が生きていくことの危うさであり、辛さであろう。

野村監督のご冥福をお祈りいたします。

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2005/04/07

ココログにようやくトラックバック一覧機能

ココログが今日からバージョンアップした、というメールがニフティから来た。

バージョンアップの内容はかなり多岐に渡っているが、僕にとって最もありがたいのは、トラックバック一覧機能が新設されたことだ。

ていうか、これまでコメント一覧はあったのに、トラックバック一覧がなかったことの方がおかしい。

一覧がなかったために、トラックバックしてもらったことがトップページに表示されて、トラックバックした人の記事を見ることは出来るのだが、僕のどの記事にトラックバックしたのかが、とっさには分からない。

内容から判断して、この記事ではなかろうかとあたりを付けて、記事の編集画面を開き、その段階でやっとトラックバックされていることを確認するほかなかった。

新設されたトラックバック一覧を使って見てみると、相手のIPアドレスも表示されていて、スパム対策としてもいいかも知れない。

次のバージョンアップではぜひ、ケータイからココログ記事にコメントを書き込める機能をつけてほしいところだ。

(表の新着情報:「21世紀の歩き方大研究」の21世紀エッセイ「時間の岸辺から」に、「日本人の平均寿命は82歳で世界最長寿国」をアップロード)

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2005/04/06

探し物はなんですか? ホームでみかけたこんな光景

050406_110800人生いろいろ、人はさまざまだが、不思議な格好をしている人がいるものだ。

駅のホームで、さっきから自販機の下を覗き込んで、何かを探している人がいる。

屈伸運動をするように思い切り前かがみになって、頭をホームの床スレスレに垂らし、両足の間から自販機の下を覗いている。

よく観察してみると、覗いているだけでなくて、ビニールの傘を下に突っ込んで、何かを掻き出そうとしている様子なのだ。

お金でも落として、自販機の下に転がっていったのだろうか。

それにしても、右から左から、前から後ろからと、自販機の四方からこの格好をして傘を突っ込んで、何かを掻き出そうとしている。

一箇所の自販機をあらゆる角度から除いて、ひとしきり傘を突っ込んだ後は、また別の自販機のところへ行って、同じことをやっている。

自販機の下から、傘を使って掻き出そうとしているものは、この男にしか見えないものなのかも知れない。

どこを探しても見当らなかった、大事なもの。それはこの男の失われた過去か。それとも明日への希望なのか。

僕の乗る電車がきたので、いつまでもこの男に付き合っているわけにはいかない。

この後、男は探し物を見つけることが出来たのだろうか。

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2005/04/05

小学1年生がなりたい職業のベスト3は

クラレが新小学1年生に聞いた、なりたい職業のトップは、男子はスポーツ選手、女子はパン・ケーキ・菓子屋だった。

男子は2位が運転手・運転士、3位が警察官。女子は2位が花屋、3位が看護師。このトップ3は男女とも去年と同じという。

ほどほどに夢があって、これからがんばれば手の届く職業が多く、意外に現実的という気もする。

サラリーマンやOL、教師、医者、アナウンサー、芸能人、タレント、政治家などがトップ3にないのは、子どもたちなりによく大人を見ているのかも知れない。

僕が小学生から大学生までの間は、夢物語のようないろいろな職業にあこがれたものだ。

漫画家、作曲家、指揮者、天文学者、ロケットの設計者、革命家。

本気でコマ割りをして漫画を書き始めたこともあるし、五線譜を買って作曲を始めたこともある。ロケットの設計図を書いたこともあれば、革命理論に夢中でかじりついたこともある。

だが社会に出て、自分で生活していかなければならない時期を迎えると、こうしたすべての夢は霧の中に消えていった。

就職活動は予想外に厳しく、ようやく納得して決めた意中の会社も面接ではねられて、その会社を翌年受けるためにあえて留年した。当時は、卒業してしまうとこの会社の入社試験を受けられなかったのだ。

その会社も、4つの部局を変遷して一段落ついたところで退社した。

もし人生をやり直すことが出来たら、僕はどんな職業に就きたいか。あれこれ考えてみても、なりたい職業というのは思い浮かばない。

強いていえば、映画監督だろうか。それかレストランの経営者。僕がやったら、どっちも大赤字で破産しそうな気もするが。

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2005/04/04

痴漢防止でJR埼京線に女性専用車両

痴漢被害ワーストワンのJR埼京線に、今日から女性専用車両が登場したという。

各紙の夕刊は、女性専用車両の搭乗記のようなものを、女性記者たちが書いている。

隣の車両よりゆったりしているとか、香水のにおいが立ち込めているとか、ほぼ書いてあることは同じだ。

僕は女性専用車両が出来たことはいいことだと思うが、専用でない車両に乗った女性たちは、あいかわらず痴漢の被害に遭うのではないか、と懸念する。

いやむしろ、女性専用車両に乗れない痴漢どもが鬱憤晴らしに、男性と混乗している女性たちを集中的に狙いはしないか。

完全に痴漢を防ぐためには、女性専用車両をもっと増やすか、それでなければ乗客同士がぎゅう詰めにされて互いの体が密着してしまうようなラッシュをなくするしかない。

それにしても、埼京線がなぜ痴漢被害ワーストワンなのだろうか。駅と駅の間が長いため、というが、埼玉在住東京都民のストレスや欲求不満が関係しているのだろうか。

夕刊の女性専用車両搭乗記に、「私にはどこか居心地の悪さが残った」と書いていた女性記者がいたが、この居心地の悪さとは何なのだろうか。

女性専用車両とはいうものの、つまりは「隔離」である。女性を隔離しているのか、男性を隔離しているのか、そのあたりはあいまいだ。

隔離という物理的な手段をとるしかないのは、すべての男性は痴漢になりうる、ということが前提にあるのかも知れない。

これから暖かくなって女性たちが薄着になっていく季節。やっぱり隔離やむなしか、とも思う。

(表の新着情報:「21世紀の歩き方大研究」の21世紀エッセイ「時間の岸辺から」に、「新札への切り替え進む中、2千円札はどうなった?」をアップロード)

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2005/04/03

新宿のホコテンにパフェーマンス取締り部隊

05-04-03_18-003日の東京は一日中曇りという天気予報がはずれて、暖かい日差しが降り注ぐ春らしい好天となった。

新宿通りの歩行者天国も、春を待ちわびた大勢の買い物客らでにぎわった。

ここのホコテンは、パフォーマンスや大道芸などを禁止する看板が出ているのだが、たいていはそれを無視してゲリラ的にバンド演奏や曲芸などを披露する光景があちこちでみられ、それもまた一種のホコテン風物詩であった。

ところが今日は一転、青い帽子に青いジャンパーを着込んだ取り締まり部隊が登場して、ものものしく巡回を実施。歌舞伎町の呼び込みが禁止されたのに呼応して、ホコテンも浄化しようという狙いか。

取り締まり部隊は、腕に「防犯」の腕章を付けていて、警察なのか商店会の人たちなのかは判然としない。

パフォーマンスの準備を始めたグループを見つけては、チラシを渡しながら準備をやめて店じまいするように指示して回っている。

規則は規則なのでそれを徹底するまで、というのだろうが、そもそもホコテンでパフォーマンスや大道芸が行われると、誰が迷惑するのだろうか。

商店の営業の邪魔になるのだろうか。ホコテンに来る客の多くは、そこで何か面白いことや珍しいことが行われることを、期待してきているのに。

「芸に自信のある者のみ、大道芸やパフォーマンスをやっても構わない」というような看板を出して、黙認したらどうだろうか。

浄化されすぎて、ハプニングも遊びもなくなったホコテンなんて、気の抜けたビールのようなものだ。

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2005/04/02

いまが花粉のピーク、使い捨てで効き目のあるマスクは

File01571今年の花粉は史上最大などといわれているが、その花粉も今がピークのようだ。

電車の中でも街中でも、やたらマスク姿が行き交っている。

こうなると男も女もあったものじゃない。ただ、どういうわけか子どもとお年寄りには、マスク姿は少ない。

デパートの女の店員さんで、マスクをして立っている人もいる。お客の目の前でクシャミを連発するよりは、マスクの方がまだ見苦しくない。

欧米では花粉の季節といえども、マスクはほとんど見られないというが、日本ではこの季節にマスクをしていて何の違和感もない。

マスクにもピンからキリまであって、1枚600円から700円もする立体マスクをつけている人も少なくない。

僕も何を隠そう、15年くらい前から花粉症の仲間入りをしていて、マスクなしでは街に出れない。

花粉症に最も有効なのは立体マスクだろうが、カラス天狗のような異様なサマは抵抗があるし、値段も高い。

2、3年前から僕が愛用しているのは、不織布の使い捨てマスクで、ガーゼのマスクに比べて花粉をカットする働きが強いと感じる。

僕の場合、近所の99円ショップで、6枚入り99円のものを買い込んで、毎日使い捨てにしている。

家の中ではマスクをしないが、昨日今日のような花粉のピーク時には、ドアを閉めていても花粉が家の中に入って来る。

そこで、鼻炎カプセルのお世話になる。かつては、抗ヒスタミン系のパブロンの鼻炎カプセルをのんでいたが、抗ヒスタミン剤はすばやく効くかわりに、眠くなる、のどがカラカラに乾く、などの副作用も強い。

いまは、非抗ヒスタミン系の「鼻炎ソフトGカプセル」(販売元・日邦薬品、製造元・米田薬品)を、症状が出そうな日だけ服用している。

薬は人によって効き目が違うので、いちがいにお奨めは出来ないが、僕にとっては副作用もなく、花粉症を確実に止めるので、ありがたい薬だと思っている。

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2005/04/01

ASAHIネットのブログがアサブロとは、小原庄助さん?

ブログサービスは、大手のプロバイダーや検索サービスなどが立ち上げていて、日本のブロガーは150万人ともいわれる。

これに出遅れた大手の中には、いまごろになってブログサービスに参入するところも出ている。YAHOOしかり、そしてASAHIネットがそうだ。

ASAHIネットはまだテスト版を公開している段階で、会員といえども開設できるところまで至っていない。

傑作なのはそのネーミングで、ASAHIネットのブログなので、アサブロだそうな。なんと、そのイメージロゴは、逆さクラゲの温泉マークになっている。

ここまできたら、いっそのことアサブロをさらに一ひねりして、アサユにしちまったらいいのに。

ASAHIネットは略してアサネだから、あとちょっとで小原庄助さんだ。

アサザケと呼べるようなサービスは何かないか。あった。ASAHIネットの電子フォーラムの中に、「居酒屋百薬」という酒好きの人たちの集まる場がある。これぞアサザケだ。

「会津磐梯山」の後囃子に歌われている小原庄助さんは実在の人物で、本名久五郎という塗師だった。

安政5年6月に没し、白河市の皇徳寺に、杯と徳利の形をした墓がある。表に「会津塗師 米汁呑了居士」、裏には「朝によし、昼はなほよし、晩もよし、飯前飯後其間もよし」と刻んである。

米汁呑了居士という戒名のとおり大変な酒豪で、連日連夜のように酒盛りをしていたのは事実のようだ。

朝によし、昼はなほよし、晩もよし、飯前飯後その間もよし、とネットやブログにドップリはまっていると、シンショウをつぶすかも。

(表の新着情報:「21世紀の歩き方大研究」の「新世紀つれづれ草」を今日から、21世紀エッセイ「時間の岸辺から」に改題、スタイルも一新して新装開店)

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