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2005/05/31

月が変わる時、カレンダーはいつめくる?

明日から6月だ。今年ももう5カ月が経過した。あと1月で1年の折返し点となる。

月が変わる時、これまでの月のカレンダーを切り取って、新しい月のカレンダーを出すのは、なんだかワクワクする。

こんどの月は、どんな写真や図柄のカレンダーなのだろうかと、ときめくような思いもある。

過ぎた1カ月は、本当に短いものだが、それでもカレンダーを切り取って、しげしげと眺めてみれば、あんなこと、こんなこと、いろいろな出来事が満載だったことに気づく。

あらたな1カ月も、多分猛スピードで過ぎていくのは確実だが、それでもきっと、さまざまな出来事に満ち満ちているに違いない。

月の最後の日は晦日であり、三十日(みそか)のことである。晦日は太陰暦のなごりで「つごもり」とも読み、月が見えなくなることを意味する。

この月変わりにあたって、カレンダーをめくって新しくするのは、いつやるのが正しいのだろうか。

みんなそれぞれに、気づいたときに切り替えているのだろうが、僕はたいてい月の最後の日すなわち晦日の夕方に、切り替えている。

晦日の朝に切り替えてしまうのは、まだ1日が始まったばかりの晦日に申し訳ないような気がする。

かといって、翌日に月が変わったのに、まだ前の月のカレンダーになっているのを見るのも、だらしない感じがしてイヤだ。

そんなわけで僕の場合、いつしかカレンダーをめくるのは、晦日の夕方5時ころというのが習慣になってしまった。

カレンダーを新しく切り替えて、明日からの新しい月への気持ちを新たにする。新年を迎える気持ちのミニ版のようなものであろうか。

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2005/05/30

安くて美味しいステーキ丼のお店は

05-05-30_11-41年齢が進むにつれて肉よりも魚の方を好むようになる、というが僕はまるで逆のコースをたどっている。

かつての僕は、お刺身やお寿司のような生魚が大好きで、肉類は重過ぎる感じがして食指が動かなかった。

こうやって年をとっていくのだな、とそのころは思っていた。

それが5、6年くらい前からすっかり嗜好が変わってしまい、どういうわけか生魚類が苦手になって、肉料理それも牛肉に目がないようになってしまった。

僕が好きなのは、醤油味をベースにしたステーキ丼である。

お昼どきに、安くて美味しい牛ステーキ丼がランチメニューにある店を、このところずいぶんと探し回ってきた。

A店 ロースステーキ丼にサラダ、ドリンクつきで1800円。これはサラダが貧弱な上、高すぎる。

B店 ヒレステーキ丼に和風サラダ、ドリンクつきで1575円。サラダにも丼にも野菜をたっぷり使っていて食べごたえがあるが、いささか高い。

僕が最近見つけたC店は、ヒレステーキ丼にサラダと温泉卵がついて(写真)、ドリンクつきで1100円。

サラダのドレッシングは洋風・和風を選ぶことが出来、ドリンクはアメリカンコーヒーもOKというのが有難い。

リーゾナブルな値段で内容も充実していて、僕にとってこの店は大発見なのだが、難を言えばこのメニューはいつもあるわけではない、という点だ。

2週間ほど続けてこのメニューを出して、次の2週間ほどは別のメニューになり、つぎに行ってみるとヒレステーキ丼のメニューになっている、という具合だ。

ステーキ丼愛好者の会というのがどこかにあってもいいと思うのだが、すでに結成されているのだろうか。

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2005/05/29

神輿のルーツはどこにあるのだろうか

050529_125000新宿のデパート脇の路上に、これから担ぐらしい神輿がおいてあった。

どうやら花園神社の例大祭らしい。

神田祭にしても三社祭にしても、また普段は目立たない地域の神社の祭りにしても、お神輿は祭りの中心だ。

祭りで神輿を担ぐのは、日本だけかと思っていたら、以前見たテレビでチベットでも日本とよく似た神輿をかつぐということを報じていた。

チベットでは、日本と同じように山車を引いたり、年越しうどんを食べる風習もあるという。

このあたりに日本人のルーツを探るカギがありそうだ。

神輿に乗っているのは、神霊とされている。祭りでは神霊を担いで地域一帯を回るわけだ。

ということは、日本全国津々浦々、大小を問わず神社のあるところには、どこにも神霊が鎮座していて、祭りの時に神輿に乗り移って、その地域を回っていることになる。

日本の神様は、神道という概念で括れないほど、広くて茫洋としていて、土着の信仰や習俗と深く結びついているようだ。

まさに八百万の神々で、中には喧嘩神輿で激しくぶつかりあったり、川や海を渡る神輿もあり、こうしたことは一神教の世界では考えられないことだろう。

一つの神社の祭りに、複数の神輿が出ることも多い。子ども神輿や、女の神輿などもある。

これからが各地の夏祭り本番の季節。それぞれの神輿に乗る神霊たちも大忙しだ。

(表の新着情報:「21世紀の歩き方大研究」の21世紀エッセイ「時間の岸辺から」に、「一寸先のことですら知ることが出来ない理由は」をアップロード)

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2005/05/28

仰向けに乗って走る自転車にびっくり

05-05-28_16-12交差点で信号待ちしている人たちにまじって、奇妙な自転車が目にとまった。

ハンドルが大きく後ろに伸びていて、乗っている男性はサドルにちょこんとお尻を乗せて、後ろのバッグを背もたれにほとんど仰向けのスタイルなのだ。

いうならばリクライニングシートの背を、めいっぱい後ろに倒したような感じで、ペダルはハンドルよりも前方の高い位置にある。

乗りにくいだろうにと思うが、男性は信号待ちの人々の視線を浴びて、まんざらでもない様子だ。

信号が青に変わって、自転車はこの仰向けスタイルのままペダルをこいで走り出していく。

おいおい、前がちゃんと見えるのかい、見えているのはビルのてっぺんと空だけではないのかい、と心配になる。

この自転車は、タルタルーガという仰向け乗りの自転車で、結構人気を呼んでいるらしい。

愛用者のサイトを見ると、仰向け乗り自転車のメリットとして、「爽快な気分で景色が楽しめる」「空気抵抗が少ない」「目立つ」などをあげている。

デメリットとしては「おしりが痛くなる」ことという。

小さな子どもが道路に飛び出してきたとしても、このスタイルでは見えないような気がするけど、大丈夫なのだろうか。

ま、ともかく目立ちたがり屋さんには、うってつけの自転車に違いない。

全然関係ないけど、僕は普通の自転車に後ろ向きに乗って走ることが出来る特技を持っている。

後ろ向きだから、両手を後ろに伸ばしてハンドルを持ち、進行方向が見えないスタイルで走るのだ。

これは、僕が少年時代に、人の少ないグラウンドなどで執念で身につけたワザである。うまく出来るようになるまでに、何度転倒して体中にキズやアザを作ったか知れない。

もっとも、後ろ向きで自転車に乗っても、メリットは何もない。きっと目立つに違いないと心待ちにしているのに、見ている人たちはみな、「危ないからやめなさい!」と言う。

後ろ向き乗りに比べれば、仰向け乗りなどははるかに安全な乗り方といえる。

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2005/05/27

「西域のモナリザ」の魅惑的な視線

「モナリザ」の本家はパリ・ルーブルにあるダ・ヴィンチの絵画だが、「○○のモナリザ」と賞される各地の美術品も、本家にひけをとらないくらい魅力的なものが多い。

まずは「オランダのモナリザ」。デン・ハーグのマウリッツハイス美術館にあるフェルメールの「真珠の耳飾りの少女」で、微笑んでいるわけではないが、青いターバン姿で振り返っている表情の美しさは、比類がないほどだ。

つぎに「東洋のモナリザ」。これは、カンボジア・アンコール遺跡の中のバンテアイスレイの中央神殿に刻まれた彫像で、作家のアンドレ・マルローがあまりの美しさに惹かれて盗み出そうとしたことで世界的に有名になった。

「敦煌のモナリザ」といわれるのは、莫高窟259窟の「禅定仏像」で、これはまさしく謎めいた微笑みを浮かべている。

莫高窟では57窟に敦煌一の美菩薩とされる菩薩の壁画があり、作家の井上靖さんや画家の平山郁夫さんが「敦煌の恋人」として惚れ込んだほどだが、「モナリザ」の名は259窟の方に譲っている。

0505271さて、僕が今日、見てきたのは世界初公開とされる「西域のモナリザ」である。

江戸東京博物館で開催されている「新シルクロード展」の目玉であり、4月17日に放送されたNHKの「新シルクロード」4回目で取り上げられた(僕はこの回を見なかったのだが)。

西域南道のかつての王国ホータンの都ダンダンウイリクから発掘された壁画の如来図だそうだが、かわいらしい女性の顔で、目つきがとても印象的だ。

ふっくらとした丸顔で、口元はうっすらと微笑んでいるようにも見える。何を見ているところなのだろうか。

こういう顔の女性は、現代の日本でも見かけるような気がする。いつも静かになぞめいた微笑みを浮かべていて、ときどきこんな表情で何かを見る女性。

あなたの周りにもいませんか。

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2005/05/26

昨日の「ためしてガッテン」のアスパラ鶏飯を食べてきた

05-05-26_16-401昨日のNHK「ためしてガッテン」で紹介された「アスパラと温泉卵の鶏飯」を、今日のお昼に食べてきた。

番組に登場した加藤道久さんが料理長をつとめているお店。加藤さんが番組の中で山瀬まみちゃんに料理法を手ほどきしていたとおりに作ったホカホカの鶏飯が、おひつに盛られて出てきて大感激。

うん、おいひい~~っ! アスパラの甘みと鶏挽肉がとけあっていて、それに温泉卵がほどよく混じりあって絶品。 

アスパラは小口切りにして、炊き上がったご飯の上にかけて10分間蒸らしただけで、固からず軟らかからずのほどよい歯ごたえになっている。

また食べた~いけど、これは今日からの限定メニューなのだそうだ。

「ためしてガッテン」のサイトにレシピが書かれている。

これを見ると誰にでも作れそうに書いてあるが、ご飯を炊く時に加える「合わせ出し汁」というのが、なかなか作れないような気がする。

おいしいアスパラの見極め術として、穂先が締まっていて紫色の強いものがいい、と書かれているが、この見分け方もシロウトには難しそう。

やはり「和の達人」ならではの味なのかも知れない。

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2005/05/25

固定IPアドレスって何をするためのもの?

「表」の「時間の岸辺から」にも書いたのだが、NTT東日本の光ファイバーサービス「Bフレッツ」のコースを、月9000円とメッチャ高いベーシックコースから、月4100円のハイパーファミリーコースに切り替えた。

ベーシックは1人で100MB独占だが、ハイパーファミリーは最大8人で1GBを分け合う。なんだかハイパーファミリーの方がいいような気がするが、一人で使う最大速度はどちらも100MBという。

違いは、一人のユーザーが同時に接続出来る端末が、ベーシックは5台なのに対して、ハイパーファミリーは2台まで、ということのようだ。僕は最大でも2台までしか接続することはないので、こちらで十分だ。

これによって、プロバイダーの料金も安く設定出来た。ここで違うのは、ベーシックなら固定IPアドレスを自動的にもらえるのが、ハイパーファミリーの場合は月額無料のオプションになり、525円の初期費用がかかることだ。

固定IPアドレスは、どういう時に必要となるものなのか、僕はまったく理解していないが、これまでももらっていたはずなので、とりあえず申し込んで取得した。

プロバイダーの説明を読むと、固定IPアドレスがあれば自宅にサーバーを設置できるとある。またWebカメラを利用して遠隔地から自宅を監視できるとある。

ほかには、 固定IPアドレスを必要とするオンラインゲームなどのサービスを利用できる、とある。

ふーん、分かったような分からないような。

何年先のことになるか分からないが、インターネットと融合した家庭用ロボットに出先からケータイなどを使って指示を出して、ロボットに見えている家の中の様子を確認したりする時に、固定IPアドレスが役に立ちそうな気がする。

いずれにしても当面は、豚に真珠、猫に小判なのだが、ま、月額無料なので、あっても邪魔にはならないか。

(表の新着情報:「21世紀の歩き方大研究」の21世紀エッセイ「時間の岸辺から」に、「光ファイバーのコースを変更、無事に切替工事終わる>」をアップロード)

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2005/05/24

ウィンダムのSF「トリフィドの日」みたいな植物

05-05-24_13-51新宿西口の花屋で、奇妙な植物をみつけて衝動買いした。

「カジュマル」という名前の植物で、どういう意味なのか店員に尋ねたが分からないという。

僕が興味を持ったのは、この植物の3本の根が、ウィンダムのSF「トリフィドの日」に登場する肉食植物のイメージそっくりだったからだ。

このSFは「人類SOS」というタイトルで映画化もされているが、僕は映画の方は見ていない。

小説では、ある日、何日間も続く前代未聞の大流星雨を世界中の人たちが眺めるところから始まる。

この大流星雨を見た人は、一人のこらず視力を失い、そこへ3本の根で歩行する植物「トリフィド」が繁殖を始めて、目の見えない人類に襲いかかる。

宇宙からきた植物が人間を襲う話は、ほかにもいろいろあり、ミュージカルや映画で大ヒットした「リトル・ショップ・オブ・ホラーズ」も忘れがたい。

こちらでは、皆既日食の日に宇宙からやってきた鉢植え植物が、人間の生き血を吸って成長して手に負えない怪物となっていく、という話だ。

買ってきた3本足の「カジュマル」をしげしげと見ていると、こいつも動き出して人間に反抗しそうな気がしてくる。

そうなったらいいのに、という期待が僕の心のすみにある。「カジュマル」はいまのところ、じっとおとなしくしている。

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2005/05/23

煙草がやめられる地蔵、都市計画で立ち退きか

05-05-23_16-03お参りすれば必ず煙草が嫌いになり、禁煙することが出来る、と昔から言い伝えられているお地蔵様が、新宿新都心から少し北に行ったところにある。

北新宿の大久保通りと小滝橋通りとの交差点の角にある「金塚地蔵」がそれである。

地蔵堂は、車の交通量の多い二つの通りにはさまれた金物屋の壁にかろうじてくっつくように、ひっそりと建っている。

ここには庚申塔や地蔵など5つの石造物が並んでいて、そのうちの右から2番目の一番背の高いのが金塚地蔵で、このお地蔵様が煙草を嫌いにしてくれるとされている。

写真では、一番右はほとんど隠れて見えにくいが、その隣の赤い布が上の庇のあたりまであって頭が隠れているノッポのお地蔵さまがそれである。

さて、今日このお地蔵さまのことを取り上げるのは、この区域の都市計画によって地蔵堂の建てられている一角の建物が取り壊しとなり、立ち退かされるお地蔵さまはどうなるのだろうか、と地元で話題になっているのだ。

これはまだ、どのマスコミにも取り上げられてなく、僕が地域の情報通とのオシャベリを通じてキャッチしたばかりのマル秘情報で、このブログの「完全独占スクープ!!」なのである。

それによると、大久保通りには20年以上も前から拡幅の計画があるのだが、ほとんど進展しておらず、この交差点では大型バスが曲がる時に難航して時間がかかり、ほかの車の通行が止められて大渋滞の一因となっていた。

道路の拡幅にはまだ相当な年月がかかりそうなことから、とりあえず交差点の空間を広く取って、バスがスムーズに曲がることが出来るようにする。

そのため、地蔵堂を含む数軒の商店に立ち退いてもらうことで話がまとまって、近々、立ち退きと建物の撤去が行われる、というのだ。

金塚地蔵はもとは、現在地より南にあった百八塚の一つ、金塚の脇に建っていたが、塚が崩されたため、明治20年に今の場所に移されたという。

都市計画によって、118年間住み慣れた地を追われるお地蔵様の行く先は決まっているのだろうか。

煙草をやめたいがやめられなくて困っている人は、いまのうちにお参りしておいた方がいいかも知れない。

【注】この記事には続報があります。
   08年4月18日付け
   08年7月15日付け
   08年7月23日付け
   08年7月24日付け
   08年7月26日付け
   09年7月29日付け
   10年7月23日付け

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2005/05/22

15分間の作業停電予告、生活への影響は

teiden「停電のお知らせ」というチラシが入っていた。26日未明に15分間停電する、とある。

このような予告停電は、実に久しぶりだ。もう10年ほど前にも、1時間くらいの大規模な予告停電があったが、この時はまだ、タイマーを内蔵した機器は家庭内にそれほど多くなかった。

しかし現在は、僕の家をざっと見回しただけでも、前の停電の時とは比較にならないくらい、電気が止まると作動しなくなるものが増えている。

パソコンはこの時間帯に使わなければ問題はなさそうだ。

心配なのは、ビデオやDVDの時計がどうなるか。15分程度の停電でも時計が影響を受けないものもあるが、機種によっては時刻設定をやり直さなければならないかも知れない。

さし当たって最も影響を受けるのは、電話機一体型のファックスだ。ファックスは使えなくても構わないが、停電すると電話機としても使えなくなり、電話をかけることも受けることも出来なくなる。万一の時にはケータイだけが命綱になる。

うちのファックス一体型電話機はわずかでも停電してしまうと、通電後は自動的に元に戻らず一度受話器を手で持ち上げて下ろさなければならないので、やっかいだ。

15分とはいえ、エレベーターが止まることの影響も大きい。未明のこの時間は、新聞配達の人たちがエレベーターを使って、各階の購読家庭に配達しているころなので、配達に支障が出るのではないか。

さらに玄関から廊下、非常階段などの灯りも消えるので、防犯上も心配になる。

チラシには「配電線切替のため」と書かれているが、電気が途切れないよう臨時のバイパスに電気を流して、それから切り替えるというようなことを考えてもいい時代なのではないかという気がする。

電気をつかう医療用機器を家庭で24時間使っている人などもいると思うのだが、どうするのだろうか。

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2005/05/21

怒れサダム、パンツ写真を世界に流した米を許すな

このところ、あり得ないような写真や映像が世界を驚かせている。

まず、さまざまな説が渦巻いている「沈黙のピアニスト」。世界中から1000件の情報が寄せられているというが、いまだに身元が分かっていないらしい。

つづいてこれと話題を二分したのが、千葉市動物公園の直立レッサーパンダだ。昨日の東スポの1面には、「直立レッサーパンダ密着取材!」の大見出しが最大級の文字で踊っていた。

もっと衝撃だったのは、フセイン元大統領のパンツ姿の写真が英大衆紙「サン」を通じて、世界中に流されたことだ。

この写真が掲載された「サン」の表紙の写真を見ると、フセイン元大統領はパンツ1枚のみじめな姿で自分のスボンを洗っている。

僕は、サダム・フセインが独裁者としてやったと伝えられるクルド人への弾圧や化学兵器の使用などについては、それが本当ならば厳しく糾弾されてしかるべきと思う。

しかし、かりにも一国の大統領だった人間に対して、このような屈辱的な写真を撮影し、スキャンダラスなメディアを通して世界に流すというのは、アメリカであろうが誰であろうが許されるべきことではない。

そもそもアメリカが強行したイラク戦争の根拠だった大量破壊兵器が存在しないことが明らかになってからは、いまアメリカがイラクに軍を置いていることの正当性は崩れ、サダム・フセインを捕らえたこと自体いかなる根拠に基づくものかさえもはっきりしない。

「サダムは悪者だから先制攻撃は正しかった」などという論理がまかり通ったら、世界は常にいたるところで戦争をし続ける状況が続く。

僕は、アメリカの鼻持ちならない傲慢と無責任そしてブッシュの愚劣さを見せ付けられるにつれ、このようなアメリカによってパンツ写真を世界のすみずみにまでばら撒かれたサダム・フセインに同情を禁じえない。

フセイン元大統領の弁護団は、この写真は戦争捕虜の扱いを定めたジュネーブ条約に違反するとして、「サン」紙と写真提供者を相手取って、100万ドルの損害賠償を請求して訴訟を起こす方針という。

世界で最も危険な国アメリカに屈しないサダムは、この憂鬱な世界にあっては貴重な存在だ。

がんばれサダム、屈辱的なパンツ写真を許すな。アメリカの国際法違反のイラク侵略をとことん糾弾しろ。

(表の新着情報:「21世紀の歩き方大研究」の21世紀エッセイ「時間の岸辺から」に、「指定券発売機は不便、JR窓口の新入社員にホッとする」をアップロード)

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2005/05/20

ラ・トゥール展とマグダラのマリア

050520上野の国立西洋美術館で開催されているラ・トゥール展の会期が29日までと迫ってきたので、今日は思い切って行ってきた。

先日行ったゴッホ展の混みようとはうって変わって、こちらは気の毒なほど閑散としている。

僕のお目当ての絵は、たったひとつ。名高い「ダイヤのエースを持ついかさま師」ではなく、「書物のあるマグダラのマリア」である。

「いかさま師」の前には人だかりが出来ていたが、「マグダラのマリア」は人も少なく、ゆっくり鑑賞することが出来た。

ラ・トゥールは「光と闇の画家」といわれるように、暗い部屋の中でロウソクの微かな光を浴びたマリアの姿に息をのむ。

両手で持った頭蓋骨をじっと見つめるマリアは、その横顔のほとんどが長い髪に覆われていて、見えるのはわずかに鼻と口元だけに過ぎない。

しかし、そこからはマリアの万感の思いが伝わってくるようだ。

清らかさが強調される聖母マリアとは対照的に、マグダラのマリアは娼婦に身を落としていた女だったが、キリストの弟子となって罪を深く悔い改めたとされている。

僕はキリスト教には疎く、聖書の話を聞いてもほとんど無感動なのだが、マグダラのマリアには心を突き動かされるものがある。

ラ・トゥールのこの絵では、マリアは着衣を腰のあたりで広げていて上半身は裸だ。

エロチックともいえるマリアが頭蓋骨を手に感じているのは、人間のはかなさと弱さ、生きることのつらさと切なさであろうか。

そう考えるとこの1枚の絵には、キリスト教という1宗教を超えて、仏教の無常観や「色即是空」の世界観にもつながる普遍的なものが流れているような気がする。

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0505201ラ・トゥール展から話がとぶが、マグダラのマリアを描いた絵では、数年前にやはり上野で見たティツィアーノの「改悛するマグダラのマリア」が強く印象に残っている。

これはフィレンツェのパラティーナ美術館蔵のもので、赤く泣きはらした目とあらわな胸が、見るものの心をひきつける。

ラ・トゥールにしてもティツィアーノにしても、描かれているマグダラのマリアは、煩悩からの解脱に苦しむ生身の人間の飾らない姿を感じさせ、それが時代や国や宗教を超えて多くの人に親しまれている所以であろう。

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2005/05/19

謎深まる「沈黙のピアニスト」

新聞やテレビで報じられている「沈黙のピアニスト」は、実に不思議な話だ。

 英国南東部の海岸で約1カ月前、ずぶぬれの黒いタキシード姿で見つかった男性が話題を呼んでいる。入院先の病院では人におびえた様子で口を閉ざしている。だが、鉛筆を持たせるとグランドピアノを描き、鍵盤に向かうとプロ級の演奏を披露する。「沈黙のピアニスト」。英メディアを通して、男性の身元捜しが広がっている。
 男性は20~30代で身長約180センチ。4月7日にケント州シアネスの海岸をさまよっているところを保護された。着衣のラベルはすべて切り取られ、身元の手がかりになるものはなかったとされる。精神的ショックを受けたためか記憶を失い、精神が不安定な状態が続いているという。
 病院側は身元を特定しようと、鉛筆と紙を渡したところ、細かい筆致でグランドピアノといすを描いた。ピアノの前に座らせると、一転してリラックスした様子となり、チャイコフスキーの白鳥の湖や自作と思われる曲を2時間以上にわたって演奏したという。
 英メディアが男性の写真を報じた後、行方不明者を捜す電話サービスなどに、欧州全域から160件以上の問い合わせがあったという。(18日付け朝日朝刊)

英メディアを皮切りに世界中のメディアが、この男の身元捜しをしているが、いまのところ確たる情報には至っていないようだ。

映画「シャイン」に似ているという声も多く、さらにハリウッドがこの男をモデルに映画化に動き出したという報道も伝えられている。

2ちゃんねるでも、この話で持ちきりだ。狂言説や演出説まで飛び出している。

僕も報道されている以上のことは分からないが、もっとも不思議なのは、これだけ世界中のメディアが男の写真を流しているのに、なぜ身元が判明しないのか、ということだ。家族や知人が全くいないのだろうか。そうだとしても、ピアノを演奏するという話から「あの人だ」という声が上がってもおかしくないはずだ。

その写真は、なよなよとした感じで、内股気味に膝をやや曲げている姿で、おびえているようでもあり、自分が誰なのかを問いかけているようでもある。

保護されてから40日にもなるのに、なぜこの1枚の写真だけしか公表されていないのかも不思議だ。

ピアノを見事に弾きこなすというが、その映像はなぜないのだろうか。あるのに何らかの理由で公表されていないのだろうか。

この男が記憶も言葉も失うことになったのは、どんな出来事があったのだろうか。よほどのショックと恐怖だったのだろうか、と思ってみたりする。

僕がとっさに頭に思い浮かべたのは、この男の目の前で、家族か恋人が痛ましい殺され方をしたのではないか、ということだ。それも信じがたいほどに残酷なやり方で。

さもなくば、この男はどんな言葉をもってしても説明できない恐ろしいものを見たか。身も心も精神も凍りつくほど恐ろしいものとは、何だろうか。

などと心配しているうちに、世界中が「なあんだ」と拍子抜けするような単純な解決で終わってくれればいいのだが。

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2005/05/18

いつの間にか50000アクセス

50000このブログのアクセスが、いつの間にか50000を超えた。

去年の6月25日に開設して、10000を超えたのが10月14日、20000を超えたのが12月15日だった。

その後はアクセス数をあまりチェックしなかったので、30000や40000がいつだったのかは分からない。

ブログはアクセス数が多ければいいというものではないが、それでも50000となると感慨がある。

時々アクセスしてくれる皆さんをはじめ、キーワードによる検索でたまたま訪れた方々を含めてすべての皆さんににお礼を申し上げるとともに、これからもよろしくお願いいたします。

一日当たりの平均アクセス数は、去年の秋で90から100、去年暮れで110くらいだった。開設からこれまでの平均アクセスは150ほどで、最近は200から230くらいの日が多い。

キーワードによるアクセス解析の累計がないので、はっきりしたことは分からないが、アクセス解析でいつも目立つのは「いくたびも雪の深さを尋ねけり」「カルミナ・ブラーナ」「さくらんぼの実る頃」「フランシーヌ・ルコント」だ。

「しずかちゃん」「源静香」も多い。

今朝の新聞によると、日本でブログを開設している人は延べ335万人にのぼるという。

ひところの勢いがなくなった個人ホームページに代わって、ブログが全盛を極める時代が間もなくやってくるのだろうか。

そんなうねりの中、ブログにはどんなことを書いたらいいのか、僕はいまだに試行錯誤の日々である。

(表の新着情報:「21世紀の歩き方大研究」の21世紀エッセイ「時間の岸辺から」に、「個人ホームページの退潮とブログの隆盛」をアップロード)

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2005/05/17

少女首輪監禁事件と「萌え」ブームの関係

少女首輪監禁事件は、逃れた少女がミサ中の教会に駆け込んだことなどが伝えられ、ますます猟奇的な色彩を強め、マスコミの関心は「イケメン男」小林泰剛容疑者の異様な行動に集中している。

僕はこの事件にはさほど興味はなかったのだが、今日の毎日新聞の夕刊の「特集WORLD」で、「萌え」市場を考える、というほぼ1ページの特集を組んでいて、その最後に「萌え」市場と今回の少女首輪監禁事件に触れているくだりに目がとまった。

この特集記事を読むまで僕は、事件と「萌え」ブームが何か関係があるかも知れないとは、考えもしなかった。

記事は、経済アナリストの森永卓郎さんの話として、「事件が一番傷つけたのはアキバ系の人たちだ。なぜなら、容疑者が監禁系のゲームに夢中になり、自らをご主人様と呼ばせたことが明らかになったことで、まるで『萌え』が犯罪の温床であるかのような印象を世間に与えてしまったからだ」と書いている。

そうか、世間はそんな印象を持って監禁事件と「萌え」を結びつけて見ているのか、と僕は驚く。

森永さんの話は、「メード喫茶のメードさんは、確かにお客さんを『ご主人さま』と呼ぶ」と続く。森永さんは、この後でメード喫茶が犯罪を生むことはない、と強調しているのだが、森永さんの意図とは逆に、メード喫茶ではメードたちが客を「ご主人さま」と呼んでいるということを初めて知って、僕はますます驚く。

メード喫茶とは、そういうところだったのか。なぜ、そんなところに行く客が増えているのだろうか。少女に自分を「ご主人さま」と呼ばせたい男が増えているのだろうか。

特集記事の中では、「萌えは宗教の代わりとして世界文化にもなり得る力がある」「(萌えは)ラストリゾート」などの言葉がどんどん出てくる。

「萌え」はすでに2~3兆円市場であるという指摘もあるとする一方で、記事は「この市場が成長していくということは、この国の何を映し出しているのだろうかという気もするのだが‥‥」と歯切れの悪い疑問を投げかけて結んでいる。

「首輪」「ご主人さま」「メード喫茶」「萌え」‥‥なんとなく雰囲気が共通していて、ひとつの世界を作り出しているような感じがしないでもない。

いずれにしても、僕の理解を超えた、全く違う世界の話のようだ。

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2005/05/16

昨日の「新シルクロード」に懐かしの石坂浩二の声

25年前に放送されたNHK特集「シルクロード」シリーズは、一昨年再放送されたものをビデオに録って何度も見た。

その印象が強烈過ぎたせいか、今年のNHKスペシャル「新シルクロード」はいまひとつ、チャンネルを合わせる気にならなかった。

だいいち、喜多郎のあの音楽は、ヨーヨーマの音楽がいくら優れていても、世界が違うという感じなのだ。それに石坂浩二の語りは、あまりにも巣晴らしかった。

昨日、たまたま新聞のテレビ番組欄で、この日放送の回は、シルクロードのアオシスに生まれた鳩摩羅什(クマラジュウ)が主人公で、インドの仏典を大量に漢訳して「色即是空 空即是色」という名訳で知られる、と書いてあったのに引かれて、初めてこの新シリーズを見てみた。

語りの松平定知アナウンサーは、落ち着いた張りのある声ではあるが、何か物足りない、と思って見ていたら、途中から主人公の鳩摩羅什が自分の物語を語り出した。

その声の主がなんと、誰あろう、石坂浩二なのだ。しかも番組の半分以上は、石坂浩二による鳩摩羅什の独白・回想の物語になっている。

この声、これこそがシルクロードの声なのだ。一生懸命がんばっている松平アナには気の毒だが、こうやって交互に声を比較される構成になると、格調というか味わい深さが全然違う。

石坂浩二は毎回誰かの声の役で登場しているのか、それとも昨日の鳩摩羅什役として特別に登場したのかは分からない。

鳩摩羅什のドラマと、懐かしの石坂浩二の名調子。その両方が相乗して、昨日の「新シルクロード」は極めて感銘深い内容だった。

次回以降も見てみようかとも思うが、石坂浩二は登場するのか、内容もこれほど深いドラマになるのか、かえって心配になってくる。

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2005/05/15

雷鳴が近づきパソコンを落とすと、こんどは地震

東京では夕方になって空が急に黒くなり、雷が鳴り始めた。大粒の雨も降ってくる。

雷が鳴った時に、パソコンは大丈夫か、いつも気になるが、これまでは大丈夫だろうと思って、いつも電源を切ったことはない。

しかし今日は、雷がしだいに上空に近づいてきて、強烈な雷光とほとんど同時に近くに落雷したので、あわててパソコンの電源を切った。

パソコンの雷被害は年々増えていて、いったんやられてしまったらデータの回復が出来ないくらいパソコンの心臓部が破壊されるものらしい。

落雷に伴う高電圧は電気回線から入り込むだけでなく、通信回線などからも入り込む危険がある。本来ならば光ファイバーもパソコンから外すべきなのだろうが、面倒なのでこれはネグる。

雷雨が激しくなる中で、こんどは部屋がグラリと揺れる。地震だ。震源はどこなのか、規模はどれくらいなのか、これは雷鳴の中でもテレビをつけないと分からない。

テレビへの雷被害は、電源に加えてアンテナ線を通じて高電圧が入る恐れがあるのだが、テレビがやられてもデータ破壊などの被害はないので、雷鳴の中をテレビをつける。

地震速報によると震源は北関東らしく、栃木の一部で震度4と出ている。

世の中の恐いものは、地震、雷、火事、おやじ、と言われているが、このうちのトップ2つが同時に発生したことになる。これで近所に火事でも起きたら、あとはおやじだけだが、最近のおやじは、ヤラシイかサモシイかで、ちっとも恐くない。

今風に言い換えるならば、地震、脱線、医師、少年、というところか。

あ、いやなにも、すべての医師や少年が恐いといっているわけでなくて、ごく一部がコトを起こしているだけなのだが、このところとめどなく悪質な事犯が続いているもので‥‥。

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2005/05/14

「二十四の瞳」の商標登録、認めた特許庁の非常識

「二十四の瞳」が、小豆島の化粧品製造販売会社によって商標登録の申請がなされ、特許庁がこれを認可したという(ニュース元はここを参照)。

これによって、この会社の化粧品や食品、玩具など約200品目について「二十四の瞳」を商標として使えることになり、ほかの者がこれを使えば商標権の侵害になる。

小豆島の商工会や観光関係者は、「二十四の瞳」は島民の共有財産だ、として特許庁に登録の無効審判を請求するという。

地元の反発を覚悟で商標として登録申請した化粧品製造販売会社の商魂には舌を巻くが、これを認可した特許庁の非常識には驚く。

おそらく特許庁の担当官は、法律などの認定基準を満たしていると判断したのだろうが、世間には世間の常識あるいは良識というものがあり、これと異なる判断を下すことは許されないのではないか。

そもそも、何のために特許庁というものがあって、商標申請に対して審査をやっているのだろうか。

かつて、個人によって「阪神優勝」が商標登録されたことが問題になり、結果としてこれは阪神タイガースのものとして認められたが、こういうものを許可する審査官の社会的常識に問題があると思う。

問題になりそうな商標申請に対しては、第三者機関の意見を聞くなど良識による歯止めが必要だ。

国民の大多数がなりたくないとしている裁判官制度を無理強いするくらいなら、「二十四の瞳」のような言葉を商標として認めることの是非について市民から意見を聞くことの方が先決だと思う。

(表の新着情報:「21世紀の歩き方大研究」の21世紀エッセイ「時間の岸辺から」に、「長い間車を運転していないのに、免許証は必需品」をアップロード)

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2005/05/13

モブログの写真拡大が修正された

ココログに携帯からモブログで写真を投稿した時に、画像が異常に拡大されてしまうトラブルが続いていたが、ようやくバグが修正されたようだ。

これは異常拡大が発生しないかどうか、テストの意味でモブログで投稿してみた。

写真は、新宿3丁目の歩道に埋め込まれている新宿元標。ここが追分で、甲州街道と青梅街道の分岐点であることを示す。


BANYUU050513_1833.jpg

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2005/05/12

地下通路の床から天井まで同一商品の広告

05-05-11_17-18今日はもうこんな時間になってしまって、ブログを更新している時間がない‥‥

そこで写真1枚でお茶を濁すことにする。

新宿の東口と西口を結ぶ地下通路。ここはいつも、壁だけでなく円柱の柱にも広告ポスターが貼られていて、空間を目いっぱい利用して人目を引いている。

その地下通路が数日前から、壁と柱はもちろんのこと、通行人が行き来している床にも、さらには天井にも、同じ商品の広告で占領されている。

この光景は壮観ではあるが、どこを向いても広告から目をそらすことが出来ず、広告という名の強制収容所に入れられたような息苦しさすら感じる。

広告地獄から抜けるとむしろホッとする。

どれくらいの費用をかけているのだろうか。それに見合う効果はあるのだろうか。

通っている時の圧迫感は強烈だが、さて、あれは何の広告だったのかと思い出しても、印象に残っていない。

ガムか清涼飲料かアルコール類か、はたまた夏用の化粧品なのか。

それに、どこのメーカーの広告なのかも思い出せない。過ぎたるは及ばざるがごとしか。

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2005/05/11

ゴッホ展は入場までに50分待ち

05-05-11_17-151東京国立近代美術館で開催中のゴッホ展は、まだ期間に余裕があると思っていたら、残り10日余りになってしまった。

そこで今日は意を決して行ってきた。平日の午後ならそれほど混雑してないのでは、と思ったのだ。

行ってみて驚いた。入り口前には、万博の人気パビリオン並みの長蛇の列が蛇行していて、最後尾のプラカードには「入場まで50分待ち」と書かれている。

いや、すごいものだ。入場までこんなに待つのは、11年前に上野で開催されたバーンズコレクション展で2時間待ちの行列に並んで以来のことだ。

ようやく入館できても、館内は大変な混みようで、雑踏の流れについていたのでは、いつになったら進むのかも分からない。

そこで順路に従って進むのをあきらめ、今回の展示の目玉とされている作品を重点的に鑑賞することに目的を絞る。

「芸術家としての自画像」「花魁」「種まく人」「夜のカフェテラス」「黄色い家」「糸杉と星の見える道」等々。

これらの作品の前に行って、人だかりの一番後ろで辛抱強く待つ。人だかりは少しずつほぐれていって、時間がくればいつかは自分が一番前で鑑賞することが出来る。

「黄色い家」はゴーギャンとの関係を思い浮かべながら見ると、空の異様なほど濃い青が、希望の中に不吉なものをにじませている。

「糸杉」は、あまり前で見るよりは、少し離れて見たほうが、絵全体が揺れるような感じがして強烈だ。

それほど人だかりがしていないものでは、「ピエタ」と「善きサマリヤ人」がよかった。ゴッホの宗教画は5点しかないというが、宗教臭を感じさせずに直接心に訴える静謐な絵だ。

22日の最終日に向けてますます混雑していくかも知れないので、前売り券を買っていてこれから行く方は、どうぞお早めに。

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2005/05/10

ウィキペディアの編集合戦と記事保護

今日のブログは、「表」の21世紀エッセイ「時間の岸辺から」の関連である。

「表」では、フリー百科事典「ウィキペディア」の「女性専用車両」という項目が、編集合戦などの理由によって「保護」がかけられた状態になっていることについて触れた。

編集合戦というのは、考え方や見解の異なる複数の執筆者が、一つの記事の記述をめぐって変更と差し戻しを繰り返すことで、ウィキペディアではほかにも、移動合戦、削除合戦について、やらないように求めている。

編集合戦になった場合には、管理者がその記事に「保護」をかける場合があり、また一般ユーザーから保護依頼を出すことが出来るとしている。

それでは、現在、日本版ウィキペディアで、どれくらいの記事に保護がかけられているのだろうか。「編集保護中の記事」というページがあって、それを見ると40項目に保護がかけられている。

立場や思想によって判断や見解が対立しそうな項目が多いが、なかには「折り紙」「山田邦子」「品川駅」など、どのような理由で保護がかけられているのか、ちょっと見ただけでは不思議な気がする項目もいろいろある。

事物を客観的に記述するということが、いかに難しいことかということだが、保護がかけられている項目が40しかないとは、ちょっと意外でもあった。

ほかにも記述をめぐって意見が分かれそうな事項はたくさんあると思うのだが、異なる見解を併記するなどして切り抜けているのだろうか。

(表の新着情報:「21世紀の歩き方大研究」の21世紀エッセイ「時間の岸辺から」に、「ウィキペディアの『女性専用車両』で編集合戦か」をアップロード)

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2005/05/09

ケータイが真っ暗になって電源も入らず

夜寝る前にケータイを充電器にセットすれば、朝起きた時にフルチャージの状態になっているのが当たり前だ。

今朝も当然、いつも通りと思ってケータイの画面をよく見もしなかったのだが、出かける時にケータイを見て驚いた。

画面が真っ暗になっている。電源が切れているのかと思って入れ直そうとしても、電源が入らない。

充電器にセットしても、充電開始のランプがつかない。完全に死んだ状態になっていて、お手上げである。

去年の8月にこのV801SHを買ってから、こんなことは初めてだ。

買った店に電話すると、最寄のボーダフォンショップに行くように言われ、保証書や契約書を探す。

ところが、一箇所にまとめて重要書類扱いにしていたはずの書類がない。一部はマニュアルの間にあったり、一部は棚の奥にあったりバラバラで、しかも基本契約書の控えは見つからない。

保証書だけでもあればなんとかなるだろうと、とりあえずボーダフォンショップに行く。

ショップの担当者は、電池を取り出し、USIMカードを取り出して、いろいろチェックをしたり、何かの機械にかけている。

そして数分後、再びセットすると、あーら不思議、死んでいたのがウソのように生き返ったではないか。

「フリーズですね。たまにこういうことがあります。大きな故障でなくてよかったですね」と言われる。

ケータイがフリーズするなんて、初めて聞いた。この機種だけなのか、ほかのケータイでもよくあるのかは分からない。

旅行中などにフリーズしてしまったら、うろたえてしまうに違いない。

フリーズと言われると、ボーダフォンが悪いのではなく、IT機器なんだからフリーズするのも仕方ないか、という気になってしまうから不思議なものだ。

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2005/05/08

イカ釣り船のいさり火に青色発光ダイオード

新しい科学技術が思いがけない分野で思いがけない効果をあげていることがある。

胃カメラに代表される内視鏡がいい例だ。

もともとは医療用に開発された内視鏡だが、いまや考古学や古美術の分野に欠かせない。

発掘したり掘り返すのが難しい石室や墳墓、あるいは解体出来ない貴重な仏像などの、内部を調査するのに内視鏡は絶大な威力を発揮している。

昨日の新聞に載っていたイカ釣り船のいさり火の話にも驚いた。

これまでは海岸などからも見える白色の集魚灯を使ってきたが、これを青色発光ダイオード(LED)に切り替える準備が進んでいるというのだ。

巨額の発明の対価をめぐって社会的関心を呼んだ青色LEDが、街のイリュミネーションを大きく変えたと思ったら、こんどはいさり火とは、その応用範囲の巨大さとインパクトの強さをうかがわせる。

イカが泳ぐ水深100メートル以下までなら、これまでの灯りよりも青色LEDの方が届きやすく、消費電力は30分の1以下、しかも従来の灯りのように船上の温度が10度以上も上昇することはない、という。

水産庁は07年度から実用化を始め、全国の5000隻のイカ釣り漁船のいさり火を、青色LEDに順次切り替えるよう融資面などでも支援していくという。

夜中に水面で火をたくと、集まってくる習性を持っているのは、イカのほかに、イワシ、アジ、 サバ、イサキなど。逆にアユ、サワラなどは逃げる習性がある。

いさり火は電気のない時代には、アセチレンガスやカーバイドが使われていた。さらにその昔は、船の先端で松明を燃やす時代が長く続いていた。

いさり火に河鹿(かじか)や浪の下むせび 芭蕉

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2005/05/07

光ファイバーの訪問販売に閉口する

土曜日の夕方だというのに、玄関のチャイムが鳴る。

こんな時間に来るのは、宅配便以外には考えられないと思いながら、ドアホンに出てみる。

「光ファイバーのサービスをやらせていただいている○○と申します。本日は光ファイバー導入のご案内に伺いました」

そこで僕は、つとめて冷静に言う。「結構ですけど」

相手はすかさず聞いてくる。「いま現在はADSLをお使いでしょうか」

「いえ、あの光ファイバーは結構です」と僕は言うのだが、相手はたたみかけて聞いてくる。「当社の光ファイバーは高速で、料金もお安くなっており、この機会にぜひ‥なんたらかんたら」

あまりいろいろと一方的に説明を始めるので、僕もイライラしてついに言ってしまう。「うちは光ファイバーをすでに使っていますので」

言った後で、しまった、余計なことを言わなきゃよかった、と後悔したがもう遅い。こちらにパソコンがあってインターネットをしていることを白状してしまったと同じだ。

相手は機関銃のように矢継ぎ早に聞いてくる。「どこの社の光ファイバーでございますか。いつから導入されておられますか。1カ月の料金はどれくらいお払いですか。プロバイダーはどちらでしょうか」と一歩も引き下がらない。

「いえ、詳しいことはともかく、今の状態で何も問題はないので結構です」と断っているのに、「インターネットはどういう使い方をされておられますか。当社の光ファイバーへの変更お手続きは簡単です。当社はプロバイダーとしても実績を積んでいて‥うんぬん」と止まらない。

「はあ、いずれにしても、プロバイダーを変更するといろいろと大変なので‥」と言っても、「プロバイダーの変更は簡単に出来ます。当社で全部手続きいたします。ぜひ当社の光ファイバーへのお乗り換えを、ご検討いただきたく‥」

「すみません。今、ネットで作業中なもので」と遮ると、「そうでございますか。では機会がありましたらまたよろしく願います」と言って帰って行った。

ADSLから光ファイバーへと、顧客争奪戦争の軸足が移ってきているのだろう。

光ファイバーの飛び込み訪問販売をやらせられる営業マンも、必死なのは分かるが、それにしても気が小さい僕などは断るのに四苦八苦だ。

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2005/05/06

シュレッダーが必需品の時代?

ロッキード事件のころ、事件の渦中にあった児玉誉士夫邸の前には連日大勢の報道陣が群れをなして待機していた。

いわゆる「児玉番」というやつで、24時間、記者やカメラマンが交代で張り込みをする。

どういう人が訪れてくるかをみんながピリピリしてチェックし、なんでもいいから情報を聞き出そうとする。

しかし、当然のことながら、ほとんど訪れる人のいない日が続き、児玉氏もその家族も中にいるのかどうか分からない。

動きといえば、たまにお手伝いさんが、ゴミ袋を外に出すくらいのものだ。

そのゴミ袋にいち早く目をつけた社があって、お手伝いさんが出したゴミ袋を丸ごと失敬して持ち去った。

05-05-06_13-04ゴミの中から破り捨てられたメモや領収書などを取り出して、詳細に復元して独自に分析を始めたのだ。

このゴミあさりは児玉番の間で話題となり、ほかの社もゴミあさりをやろうかというころには、児玉邸の方でも気づいてゴミを出さなくなった。

そのころシュレッダーが普及していれば、すべての書類はシュレッダーにかけられて捨てられたであろう。

このところ、個人情報保護法が施行されてから、街の小さな文具店でもシュレッダーを店頭において売り出している。

オフィスなどでは必需品だろうが、個人でも買う人が結構いるのかも知れない。

僕はシュレッダーにかけるほど重要な機密は何もないのだが、不要な郵便物などを捨てる時には、名前の部分を細かくちぎってから捨てている。

いわばフィンガー・シュレッダーだが、まあこの程度でいいのではないか、と思っている。

(表の新着情報:「21世紀の歩き方大研究」の21世紀エッセイ「時間の岸辺から」に、「相次ぐオーバーラン、完全自動運転はなぜ出来ない」をアップロード)

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2005/05/05

モブログの写真が異常拡大しないための設定

先月ココログのシステム変更が行われてから、ケータイからのモブログで投稿した写真が、縦サイズであっても横サイズであっても、目いっぱい拡大されて掲載されてしまう異常が続いている。

この不具合については、多くのユーザーがニフティに訴えて、以前のようにケータイから投稿したサイズのまま表示されるようにシステム改善を求めているが、一向に改善される様子がない。

さまざまなユーザーが独自に原因を究明して、改善策を見つけているが、僕は「此処録」というブログに書かれていた方法でテストしてみて、この方法でとりあえずモブログ画像の異常拡大は回避されることが分かった。

設定方法は、「此処録」の「モブログで写真が拡大されないようにする《解決編》」に詳しく書かれていて、それに従って設定していけばいい。

一つ前の記事は、そのテストとしてケータイからダミーの画像を投稿してみたものだ。

それにしてもニフティはなぜ、この期に及んでもモブログ画像の異常拡大を放置し続けているのだろうか。

前の状態に戻すだけのことなのに、システムを修正するのはそんなに難しいことなのだろうか。

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モブログの写真が異常拡大しない設定テスト

05-04-23_13-22

ココログのシステムが先月から変わってしまい、モブログで投稿した写真が異常な拡大画像になって掲載されてしまい、多くのユーザーが困っているようだ。

これは、モブログの画像が異常拡大されないように設定するテストとして、ケータイから投稿してみたものだ。


BANYUU

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2005/05/04

飛行機雲がきれいに撮れるのは一瞬だけ

05-05-03_13-511街を歩いていて、ふと空を見ると、飛行機雲が出ている。

飛行機雲など、珍しくもないのだが、これを写真に撮るのは意外に難しい。

ケータイを写真モードにしているうちに、飛行機雲はどんどん白いラインを引いていく。

この出来立ての白いラインは、まさに一瞬の光景で、すぐに撮らないと見る見る間に形が変わっていく。

何枚か撮っても、あとから撮ったものはみな形が崩れていて、空に定規で引いたようなくっきりしたラインはなくなっている。

飛行機雲がきれいな形を保っているのは、ほんの数秒でしかない。

それにしても、飛行機雲というのは、どうしていつも上から下に描かれるのだろうか。場所によっては下から上に描かれているように見えているのだろうか。

飛行機雲を描いて飛んでいるのは、どんな飛行機なのだろうか。飛行機に乗っている人や操縦士には、出来立ての飛行機雲が見えているのだろうか。

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2005/05/03

改憲読売の高笑い、歯切れの悪い朝日や毎日

憲法記念日の5月3日は、新聞を読み比べるのが年ごとに憂鬱になってきた。

年々、世論調査のたびに改憲賛成が増えてきて、いまでは護憲の意見よりも多くなっている。

これまで憲法改正試案を発表するなど、改憲ムード作りの斬り込み隊を自認してきた読売は、今年は余裕しゃくしゃくで、社説には高笑いすら読み取れる。

それに対して、10年前には明確に護憲を打ち出していた朝日、毎日の今年の社説は歯切れが悪く、敗北ムードを通り越して、改憲の世論に理解を示しておもねる態度すら見せている。

とりわけ朝日の社説の最初の方に、「護憲ってダサいし、就職にも不利っぽいかも」という大学生の話を載せているのは、論説委員室の意図はどうあれ、改憲でなければ日本人にあらず、といった雰囲気づくりに一役買うようなものだ。

世の中を見回してみても、護憲だけが取り柄のようだった社会党の姿はなく、その名残は一部は自民党よりも改憲に積極的な民主党内に移り、それ以外は数えるのも気の毒なほど少数党になった社民党にかろうじて残るだけになった。

共産党の護憲ははっきりしていて分かりやすいが、なにせ数が少なすぎる。

こんな調子で、結局は日本の社会全体が改憲ムードに取り込まれて正気を失い、とりかえしのつかない結果になるのではないか。

カギをにぎるのは、民主党よりもむしろ公明党だろう。

公明党は、9条については1項、2項とも変えずに、環境権やプライバシーなどを書き加える「加憲」の立場を表明しているが、憲法前文を変えるかどうかについては、態度がはっきりしていない。

僕は、そもそも現行憲法を変えることには強く反対ではあるが、流れが改憲に傾いて行って押しとどめることが不可能ならば、せめて公明党には、9条はもちろんのこと前文にも手をつけないことを、党の基本方針として国民に約束すべきだと思う。

マスコミはもはや歯止めにはならないので、市民の側から「草の根護憲」を積み上げるなどして、21世紀の今こそ世界に誇る日本国憲法を生かすべき時であることを、内外にアピールしていかなくてはならない。

一足飛びに国民投票法を制定して改憲ムードを決定的なものにしようという動きが出ているが、護憲派は浮き足立つことなく、緻密な戦略を立てて衆参の国会議員の3分の2による改憲発議をつぶすことに、全力で立ち向かう必要があろう。

そのためには、改憲勢力の中に亀裂を作り出し、どこをどのように改正するかでそれぞれの勢力同士で収拾がつかなくなるように、さまざまな働きかけをしていくことが大切だ。

また3分の2を早く獲得したいために、改憲タカ派にとって受け入れ難いほどの、妥協改憲案しか作れない状況にして、改憲タカ派の意気込みをくじいてしまうことも重要だ。

いまですら、最も強硬な改憲カタ派の中には、3分の2のために独自色を大幅に薄めるくらいなら、そんな改憲は認められないとして、究極の「護憲」に近づいている部分さえある。

こうした改憲タカ派の気勢をそぐことは、全体の流れを左右していく重要なファクターであり、決して軽視してはならない。

中国や韓国などで高まる反日の機運は、日本国内の改憲の底流と深く関わっていて、極めて敏感に相互反応している。

国際社会とりわけアジアの国々が、日本における改憲の動きを厳しく見守っていることを、忘れてはならない。一歩間違えば、改憲した日本は国際社会から総スカンを食らいかねないことも心しておきたい。

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2005/05/02

GWの谷間といわれる八十八夜

GWの中の1日であるのに5月2日はなんとも不思議な雰囲気を持つ日である。

土日でもなければこの日はGWの谷間として、奇異の目でみられ、人の姿がまばらなオフィス街の写真が新聞に載ったりする。

胸の谷間ならぬ谷間ならではの微妙な陰影と、なんともいえない五月の色気のようなものがあって、僕はこの谷間を結構気に入っている。

だいいち、祝日でもなくメーデーでもなく国民の休日ですらないこの日は、八十八夜という絶妙の日であることを忘れてはなるまい。

立春から数えての言い方なのに、二百十日や二百二十日のように「日」ではなく、八十八夜は「夜」であるというそのことの中に、楚々とした色香を感じないだろうか。

この5月2日こそ、春から初夏への分岐点であり、だから「夏も近づく」と歌われる。

GWの中で、歌になって親しまれている日がほかにあるだろうか。あるとすれば「聞け万国の労働者」のメーデーくらいだろう。

八十八夜の別れ霜、というしっとりした言い方もある。遅霜が降りるのもこのころまでで終わりとなるが、しかし霜への注意を怠ってはいけないという、デリケートな時期なのだ。

GWの中の最も美しい日。それが5月2日ではないだろうか。

(表の新着情報:「21世紀の歩き方大研究」の21世紀エッセイ「時間の岸辺から」に、「いまこそ日本国憲法を21世紀の世界に生かす時」をアップロード)

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2005/05/01

無観客のサッカー試合は、人類滅亡後の世界を予感

6月8日に平壌で行われる予定だったサッカーW杯アジア最終予選の北朝鮮-日本戦が、第三国で、しかも無観客試合になる可能性が高くなっている。

多くの日本人にとって、無観客のサッカー試合というのは初めての体験だ。

どのスポーツでも、観客あるいは応援団に見てもらうことを前提にして成り立っており、これはスポーツとはそもそも何かを考えるいい機会かも知れない。

なぜスポーツはプロ、アマを問わず観客に見られることを前提にしているのだろうか。

体を鍛えるだけなら、ジムに通うという手もあるし、自宅にこもってトレーニングマシンで体力づくりをすればいい。

しかし、スポーツというものは、体を鍛えたり身体能力を伸ばすだけではない、何かがある。それは競走であり、勝ち負けを伴う勝負だということだ。

この勝ち負けを競うというところで、観客という存在が不可欠になってくるような気がする。

それは観客も選手と一体化して、勝負を楽しむことであり、ひいきする選手やチームへの応援がスポーツの一環として重要な要素になってくる。

こうして選手たちも、観客を意識してよりスポーツに集中し、ふだんの自分の力以上のものを出すことが少なくない。

大試合になればなるほど、選手たちはすでに自分自身を超えたもっと大きな存在になり、それは観客が憑依したとてつもない存在になってしまうのだ。

これは、大晦日の「紅白」で歌う歌手たちの絶唱が、全身全霊ですべての力を出し切ることによって、ふだんとは違う素晴らしい出来栄えになることが多いのと似ている。

さてそこで、無観客で行われる日本-北朝鮮の試合であるが、テレビ中継の比重が格段に大きくなる。

だれもいないガラガラのスタンドを背景に行う試合は、選手たちにとっても、やりづらかろう。

自分たちを見ているのはテレビカメラだけであり、電波を通じてのみ日朝両国をはじめ世界のサッカーファンとつながっている。

僕は、人類滅亡後に残ったロボットたちが集まって、何もやることのなくなった地球で何かをやるとしたら、サッカーの試合をやるのではないか、という気がする。

たぶん、観客席はガラガラで、ほかのロボットたちの観戦はないだろう。

試合の結果は、たぶんどうでもいいことなのだ。白昼夢のようなシュールなサッカーは、ロボットたちにとっても面白くも何ともない、時間つぶしでしかないのだ。

僕は、無観客で行われる北朝鮮-日本戦のことを思うと、いつか訪れる人類亡き世界への予知夢のような、ねじれた空疎感を感じてならない。

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