シュレッダーが必需品の時代?
ロッキード事件のころ、事件の渦中にあった児玉誉士夫邸の前には連日大勢の報道陣が群れをなして待機していた。
いわゆる「児玉番」というやつで、24時間、記者やカメラマンが交代で張り込みをする。
どういう人が訪れてくるかをみんながピリピリしてチェックし、なんでもいいから情報を聞き出そうとする。
しかし、当然のことながら、ほとんど訪れる人のいない日が続き、児玉氏もその家族も中にいるのかどうか分からない。
動きといえば、たまにお手伝いさんが、ゴミ袋を外に出すくらいのものだ。
そのゴミ袋にいち早く目をつけた社があって、お手伝いさんが出したゴミ袋を丸ごと失敬して持ち去った。
ゴミの中から破り捨てられたメモや領収書などを取り出して、詳細に復元して独自に分析を始めたのだ。
このゴミあさりは児玉番の間で話題となり、ほかの社もゴミあさりをやろうかというころには、児玉邸の方でも気づいてゴミを出さなくなった。
そのころシュレッダーが普及していれば、すべての書類はシュレッダーにかけられて捨てられたであろう。
このところ、個人情報保護法が施行されてから、街の小さな文具店でもシュレッダーを店頭において売り出している。
オフィスなどでは必需品だろうが、個人でも買う人が結構いるのかも知れない。
僕はシュレッダーにかけるほど重要な機密は何もないのだが、不要な郵便物などを捨てる時には、名前の部分を細かくちぎってから捨てている。
いわばフィンガー・シュレッダーだが、まあこの程度でいいのではないか、と思っている。
(表の新着情報:「21世紀の歩き方大研究」の21世紀エッセイ「時間の岸辺から」に、「相次ぐオーバーラン、完全自動運転はなぜ出来ない」をアップロード)
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