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2005/06/30

仙台七夕飾りに想う、遠い夏の日

05-06-30_12-02今日は1年の折返し点だ。今年も半分が終わって、明日からは後半に入る。

新宿のタカシマヤタイムズスクエア2階の玄関に、仙台七夕飾りが登場した。

この飾りを見ると、はるか遠くの記憶に中におぼろに浮かぶ仙台を想いだす。

どれくらい遠い昔のことなのか見当もつかないが、僕が仙台にいたころ七夕の夏が2度めぐってきた。

記憶の中の七夕飾りがゆれて、当時のことが断片的な静止画のように、つぎつぎにコマ送りされていく。

青葉城、伊達政宗、東北大学、青葉通りのケヤキ並木、エンドーチェーン、七十七銀行‥‥

いまでも夢の中に、当時住んでいたマンションの周辺が、極端にデフォルメされて出現する。

そのマンションの裏手には市場などなかったのに、なぜか夢の中ではいつも同じ市場が出てくる。

仙台にいた時、僕の人生の中でたった1度きりとなった出来事を体験した。

当時、仙台市長を巻き込む大問題となった談合事件のレポーターとして、地元テレビに出演したことだ。

生出演ではなく、夜のニュース用に2時間ほど前にビデオ収録したのだが、4回も5回もトチってNGを出したあげくにようやくOKとなった。

当時は僕もまだ30代(!)の若さで、怖いもの知らずだったから、こんな大それたことが出来たのかも知れない。

揺らめく仙台七夕飾りを見ていると、青葉城恋歌のメロディーがどこかから聞こえてくるような錯覚に陥る。

  季節はめぐり また夏が来て
  あの日とおなじ 七夕祭り‥‥

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2005/06/29

ゴキブリとの2度に渡る大格闘の結末

ゴキブリの話を読んだだけで気持ちが悪くなる方は、この記事を読まない方がいいかも知れない。

僕の家では、ここ数年、大きなゴキブリは発生していなかった。

それが一昨日の夜、部屋の中に丸々と太った一匹のゴキブリが現れた。体長5、6センチほどはあり、見るからに憎たらしい。

僕は、ゴキブリに右のスリッパを投げつけて部屋の中央に誘い出し、隠れ場のないところへ追い込んで、左のスリッパで踏みつけようとした。

その時、まさかのことにゴキブリが奇声を発して僕を威嚇したのである。それは、「ハーッ」というようにも、あるいは「シャーッ」というようにも聞こえた。僕はこの威嚇を受けてすっかり動転してしまった。

昔、やはり今回のようにゴキブリを追い詰めたところ、ゴキブリが羽を広げて空中を飛び、僕の首のあたりに飛びついてきたことがある。

その恐ろしい記憶が蘇って、僕は一瞬、ひるんでしまい、ゴキブリはそのスキにさっと食器棚の下あたりに逃げこんでしまった。

思いもよらない捕り逃しに茫然となっているところへ、それから1時間ほど経ってこんどは壁面にゴキブリが現われた。

さっきと同じヤツかどうかは分からないが、気のせいか、こんどの方が大きいようにも見える。

僕は失敗を繰り返さないように、目はコキブリから離さずに、そっと片方のスリッパを手に持ち替えて、渾身の力を込めてゴキブリを一撃でぶっ叩いた。

コキブリの体は4つに分かれて飛び散り、これで完全に息の根は止まったかに見えた。

僕はティシュを重ねて、敵の残骸の始末にとりかかった。バラバラになった破片を拾うのは、気持のいいものではない。

最後に、最も大きな破片を拾おうとしたところ、その破片がバタバタと狂ったように動き始めた。まさにゾンビのごとくである。

僕は心臓が止まりそうになりながら、動く破片をビニール袋に包んで、これでもかこれでもかと握り潰して、ようやく塵入れに捨てた。

05-06-29_15-202度に渡って僕が格闘した相手は、同じヤツだったのか、別なヤツなのか。同じだとしても、こんなに大きなものがいるということは、まだほかにもいる可能性がある。

ということで、僕は久しぶりで、「ごきぶりホイホイ」を買ってきた。

ゴキブリとまともに格闘するのは疲労困憊するものだ。

粘着シートで静かに捕獲するというのは、知性を武器に繁栄の道を歩んできた人間の知恵なのだな、といまさらながら感心しているが、まだシートには一匹も捕まっていない。

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2005/06/28

自分が裁判員なら、林真須美被告は死刑か?

05-06-28_16-28和歌山カレー事件の控訴審判決で、大阪高裁は一審に続いて林真須美被告に死刑を言い渡した。

僕はこの事件の発生当初から、林真須美被告が真犯人であることを自明の前提としたマスコミ報道や、その流れに乗ったかのような審理のあり方に、どこか危ういものを感じている。

今回の二審でも、最もナゾに包まれている動機部分の解明が出来ておらず、動機目的不明のままの死刑判決となった。

この問題について、僕は「表」サイトの「つれづれ草」に去年6月18日付けで「カレー事件の林被告は本当にクロなのか、3つの大きな疑問」という記事を書いた。

その要旨をここに再掲しておきたい。

週刊誌が「平成の毒婦」とまで呼んだ林被告の性格や人格が、たとえいかに社会常識をはずれたものであったとしても、それとシロクロとは別物だ。
僕は、事件の調書などを読んだわけでもないが、おおざっぱに言って、3つの疑問を感じる。
第1は、カレーにヒ素を入れた動機だ。近所の住民から冷たい態度をとられて激高した、というのは、4人も殺す動機としては弱すぎる、というのが常識的な印象ではないだろうか。
第2は、カレー鍋にヒ素を入れることが出来た人間を一つ一つ消去法で除いていって、最後に残ったのが林被告であり、林被告以外にヒ素を入れることが出来た人間はいない、というのは死刑を宣告するだけの説得力を持つだろうか。
第3は、そしてこれが最も大きな問題だと思うのは、カレー事件が発生しなければ、林被告による保険金詐欺事件はおそらく永遠に明るみに出ることもなく、また保険金目当てとされるヒ素による殺人未遂事件も決して疑われなかっただろう、という点だ。
これらの事件が発覚する危険を犯してまで、一時の激高からカレー事件を引き起こすことは、犯罪者の心理からいってもあり得ないように思う。
もしも、林被告をワナにはめて地獄に突き落としてやろうとたくらむものがいたならば、これほど完璧な状況設定はない。林被告がヒ素を入れたという証拠もないけれども、林被告にはアリバイがなく、圧倒的に不利な立場に置かれているのだ。
ヒ素を入れることが出来たのは林被告しかいない、という論理に落とし穴はないか。まさかと思うような人物が、決定的なウソをついているか何かを誤魔化している、ということはないのか。

この事件が、裁判員制度の導入後に審理がされていたら、裁判員たちは林被告に死刑を言い渡すことが出来るだろうか。

僕が裁判員だったら、林被告が犯人である可能性が大きいとしても、そうでない可能性がわずかでもある以上は、疑わしきは無罪という裁判の大原則を貫くほかはない。

あなたが裁判員だったら、死刑判決を出せるだろうか。

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2005/06/27

スイカとフンドシ、そして高校応援歌

050626_122500三題話のようなタイトルになったが、今日のブログは表のサイトと単に連携するだけでなく、ブログの続きをそのまま表のサイトに書くという、初めての試みをやってみたい。

梅雨の中休みの猛暑を避けて、デパ地下を歩いていたら、紋様のまったくない真っ黒なスイカを売っているのを見つけた。

その名も「ダイナマイトスイカ」だそうで、「うまさ爆発」とシールがはってあり、ヘタのところにはご丁寧に導火線をかたどった飾りまでついている。

値札には1個、10500円とある。スイカ1個が1万円とはお値段爆発だ。僕はケータイでそっと写真を撮るだけにする。

ダイナマイトスイカは、北海道月形町の農業協同組合が、コメに代わる農作物として開発したものだという。こちらを参照。

ここの農協では、ほかに「ゴジラのたまご」と名づけた楕円形のスイカも開発している。

どちらも、ネット通販で買えないことはないが、ダイナマイトは7キロのものが5200円、ゴジラは7200円で、送料が1個につき1000円かかるので、やはり僕には手が出ない。

05-06-27_13-24というわけで、僕は近くの生鮮食品店で、税込み1個500円の小玉スイカを買ってきた。僕には分相応で、これでも十分過ぎるくらいだ。

ここから話が大きく飛躍するのだが、今日の新聞に、デパートでフンドシが人気を呼んでいる、という記事が載っていた。

ふんどしがクラシックパンツとして若い人たちの注目を集めているというのは、もう数年前からあちこちで取り上げられていることで、この記事は旧聞といっていいくらいだ。

「知らぬは新聞記者ばかりなり」という言葉があるが、最近の新聞記者は街を歩くことがほとんどなくなっているので、ますますその傾向が強まっている。

買ってきたスイカを食べながら、フンドシの記事を読んでいると、僕は高校時代の応援歌の替え歌を思い出す。

ああ、あの替え歌。女子生徒たちは歌ったことがあるのだろうか。

この続きは、表のサイトの「時間の岸辺から」へ。

(表の新着情報:「21世紀の歩き方大研究」の21世紀エッセイ「時間の岸辺から」に、「スイカとフンドシ、そして高校応援歌-続き」をアップロード)

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2005/06/26

「8時だヨ!全員集合」DVD第2弾

05-06-26_13-46ドリフのお化け番組「8時だヨ!全身集合」のDVDセット(3枚組み)第2弾が、宅配便で届いた。

第1弾は、「ザ・ドリフターズ結成40周年記念盤」として去年発売され、30万セットが売れたという。

この第1弾の限定版には、番組の冒頭でドリフのメンバーが着たのと同じ法被(はっぴ)が付録として付いている。

僕は去年、この発売に気づくのが遅れ、DVDショップなどの店頭ではすべて法被の付いていない通常版しかなく、仕方なしに僕はヤフオクで、法被付きの限定版を手に入れた。

今回の第2弾の限定版には、番組冒頭でゲストたちが着たのと同じピンクまたはブルーの陣羽織が付録として付いてくるというので、僕は早めにネットで予約申し込みをしておいた。

僕のところに送られてきたセットには、女性のゲストたちのピンクの陣羽織が入っていた。

思い返せば、この番組が放送されていた1969年から85年までの16年間というのは、僕の人生の中でも最も忙しかった時期とピッタリ重なっている。

土曜日の夜8時というのは、家に帰っていたためしはなく、この番組は仕事をしている最中に、時として職場や出先のテレビに映っていたのを、断片的に見聞きしたような覚えしかない。

にもかかわらず、僕はこの番組の熱気とエネルギーをいつも全身で感じ取っていた。「8時だヨ!全身集合」は、70年代という時代とともに全力疾走を続けていた。

DVDセットの第1弾もそうだが、この第2弾を見ると、放送当時は俗悪番組という批判も絶えなかったこの番組が、いかに質の高い笑いを追求し続けていたのかに驚嘆する。

803回すべてを、やり直しのきかない生放送で通したことは驚愕に値し、ドリフと番組を支えるスタッフたちの、命がけの真剣さがヒシヒシと伝わってくる。

今のお笑いタレントたちの、トーク中心の笑いとは全く異なって、ドリフの笑いはメンバーの体全体を極限まで駆使(あるいは酷使)する職人芸で、これこそが本物のエンターティンメントなのだと実感する。

DVDセットに収録されている、ドリフのメンバーは加藤茶も志村けんも、みな若くて一途だ。松田聖子、小柳ルミ子、桜田淳子、ジュリー、布施明ら多彩なゲストの若い姿もまぶしい。

少年少女合唱隊の早口言葉に、世界のミフネとまで言われた三船敏郎が楽しそうに挑戦しているシーンも感動ものだ。

僕はどのシーンもこのシーンも、涙が出るほどに笑いころげてしまうのだが、この笑いを仕切っているいかりや長介さんが、もうこの世にいないのだと気づいて、笑いながら新たな涙をこらえることが出来ない。

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2005/06/25

おかげさまでブログ開設1周年

0506251このブログを開設してから、今日でちょうど1年となった。

去年の今日の記事(右の写真)には、「本日ようやく、ブログの正式開設にこぎつける。どんな展開になっていくのか、自分でも分からない」と書いている。

スタンスも方向も定まらないまま、漂うがごとくにスタートしたブログだが、1周年を迎えることが出来たのは、これまで見にきていただいたすべての皆さんのおかげであり、心から感謝したい。

コメントをいただいたりTBをしていただいた方々、ブックマークをして時々のぞいてくれる方々、「表」サイトの「21世紀の歩き方大研究」から入って来てくれた方、キーワード検索によってたまたまたどり着いてくれた方々。ありがとうございました。

この1年の間に、掲載を休んだのが1日。それ以外は連日更新を続け、複数の記事をアップした日があるため、記事の総数は384本になっている。

また、このブログへのコメントの総数はここまでちょうど300。トラックバックの総数は121になっている。

1年間やってみて思うのは、ブログの真髄は、自由度と手軽さにあるということだ。肩肘をはることなしに、思うがままに書いていくだけでも、すぐに記事として発信できるというのは、とても使い勝手がいい。

ブロガーによってはコメントが1日に何百もつくような巨大ブログも少なくないが、僕のブログはさりげなく毎日更新を続けられるような、身の丈に合ったブログでいいと思っている。

2年目に入るこのブログが、どんな展開になっていくのか、やはり自分でも分からない。ブログには、こうあるべしという筋書きがなく、新たな記事はいつも白紙から始まるところが面白いのかも知れない。

ともあれ、みなさま、今後ともよろしくお願いいたします。

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2005/06/24

エアコンの水漏れ、1年後の顛末

去年7月18日のこのブログで、「エアコンの水漏れにメーカー逃げ腰、感電覚悟で自力修理」という記事を書いた。

あの記事を書いてからこれまでの1年の間に、メーカーと僕の間で、どのようなことが行われたかを、続報としてまとめておきたい。

まず、去年の記事のポイントを整理しておく。

① 去年の夏前、エアコンの室内機から激しい水漏れが起こり、作業員に2度来てもらったが、排水パイプを掃除する吸引機などは持参して来ず、簡単な処理で終わった。
② 作業員は、「メーカーが修理できるのはエアコン本体までで、排水パイプの途中に問題がある場合は、対応のしようがない」「この次に水漏れが起きたら、パイプ洗浄業者に頼むか、あるいは自分で乾湿両用クリーナーを購入して、ベランダ側の排水口からパイプの中のものを吸い取るしかない」と言って行った。
③ 翌日、また水漏れが起こり、僕は自分で家庭用クリーナーを使って排水パイプに溜まった水を吸い出した。防水仕様ではないため感電を覚悟の作業で、ユーザーにこのような危険を強いるメーカーの姿勢に疑問を感じる。

この記事の後、さらにもう一度夜中に水漏れが発生し、僕は同じように家庭用クリーナーを使って、感電の危険にさらされながら、排水パイプの水を吸い出した。

そうこうするうちに、大阪のダイキン本社からアンケート用紙が送られてきた。次のような趣旨のものだ。

「先日、お客様が当社のサービスセンターに依頼されました修理・点検の結果はいかがでございましたでしょうか。電話に出たものの対応はいかがでしたか。修理にうかがった作業員の態度はいかがでしたか。修理結果はお客さまにとって満足のいくものでしたか」等々。

そこで僕は、去年7月18日のブログ記事を同封し、「配水パイプが詰まって水漏れした場合はメーカーの対応外というのは、ダイキンの社としての方針なのでしょうか」と質問を書いて送付した。

途中のやりとりは省略するとして、去年の暮れ近くになって、この地域を担当するサービスセンターの責任者が僕の家を訪ねてきて、水漏れへの対応が不適切だったことを深くお詫びしたい、と話した。

排水パイプについてはメーカーの対応範囲外というのは、ダイキンの方針ではなく、会社の方針はあくまで配水パイプを含めて対応することにしている、というのだ。

そして次に冷房を入れる季節になる前に、排水パイプを無料点検をさせてほしい、ということだった。

そして先月、この申し出通りに、この時の責任者を含めて3人の作業員がやってきて、こんどは強力なバキュームを使って排水パイプの中の汚れやホコリを洗い出してくれた。

こんないい装置があるのなら、最初から持ってきてくれれば何の問題も起きなかったのに、と僕は言ったのだが、とにかく責任者も作業員も平謝りだった。

もしまた水漏れが発生することがあったら、いつでも言ってください、ということだった。

今回の教訓としては、ユーザーはメーカーに言うべきことをきちんと言う必要がある、ということだ。

ただ、ブログに書いたからきちんと対応することにした、というのでは、なんとなくすっきりしないのも事実だ。

ブログに書く書かないとは別の次元のこととして、メーカーにはユーザーからの申し立てを処理する窓口が必要だという気がする。

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2005/06/23

いしいしんじ「ポーの話」を読んで

img0081いしいしんじの2年ぶりの長編小説「ポーの話」(新潮社)を読み終えた。

現代小説をほとんど読まない僕が、いしいしんじの世界に引き込まれたのは、「麦ふみクーツェ」(理論社)によってだった。

その時は、たまたま新聞の書評が目にとまり、その中で「どこか宮沢賢治の世界を思わせる。宮崎駿のアニメを思い出したりもする。あるいはブラッドベリのファンタジーも」と書かれていたことから、即座に買ってきて読んだ。

以来、僕はいしいしんじにすっかりはまってしまい、「ぶらんこ乗り」(理論社)、「トリツカレ男」(ビリケン出版)と、作品を立て続けに読んでみた。

今回の「ポーの話」は、これまでの作品の中で最も読み応えがあり、「麦ふみクーツェ」のメルヘンのような世界をもっと広げて、川の流れに沿ったようなダイナミックな物語展開が、読むものをぐいぐいと引き込んでいく。

主人公のポーは、泥の川の中で働くおおぜいのうなぎ女たちに育てられた少年である。

舞台は、どこにも存在しない無国籍の奇妙な街なのだが、その光景やポーと出会う人々は、夢の中で出会ったことがあるような不思議な懐かしさを帯びている。

この街にある日、500年ぶりの大豪雨が襲い、ポーは次々と数奇な体験を重ねていくことになる。

ポーの体験するさまざまな出来事は、それぞれが独立した物語にもなっているのだが、全体の流れは終盤にかけて意外な展開となっていく。

底流に流れるものは、生きるということの漂流性であり、清濁がまじりあったこの世界へのいとおしさ、のようなものだろうか。

最後にポーはどうなったのか。これは読む人それぞれの解釈が成り立つくらいに、幅を持った不思議な書き方になっている。

読み終えた後もしばらくは、切ない気持ちと救われた気持ちが交錯しながら、余韻にひたってしまう。

現実世界のリアリズムを離れて、あり得ない世界の中を主人公たちとともに漂流してみたいという人には、イチオシでお奨めの本だ。

この本についてのほかの方の読後感: みつまめ&たけのこ読書日記 みきにっき

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2005/06/22

ウサギの数え方は羽、蝶は頭、では幽霊は?

長野県千曲市の山中でウサギ70匹が死んでいた、と新聞に書かれている。

あれっ。たしかウサギの数え方は、1羽、2羽とするんじゃなかったっけ。

仏教の教えによって、四足の動物の肉食を殺生であるとして禁じられてきた昔の人たちは、それでも「薬食い」と称してこっそりと食べていた。

ウサギの数え方が匹でなく羽なのは、いろいろな説があるが、耳を羽に見立ててこれは鳥であるとして食べていたという説や、ウサギは「鵜」「鷺」と読めるから鳥だとして食べていた、という説などがある。

ウィキペディアではこんな説明をしている。

日本語では、モノの数え方が非常に繊細でややこしい。

蝶々を1頭、2頭と数えるのは僕たちには実感がわかないが、そもそも昆虫を昔は頭で数えていて、いまでも昆虫学者にはどの昆虫でも1頭、2頭で数える人たちが少なくないようだ。

ネットでは、日本の助数詞ものの数え方などが一覧になっていて分かりやすい。

バイオリンを丁で数えるのはどこかで聞いたことがあるが、チェロを面で数えるというのは初めて知った。

僕は、幽霊の数え方が気になって仕方がないのだが、ネットで調べてみても分からない。1体、2体か、1柱、2柱あたりではないかと思うのだが、知っている方は教えてほしいものだ。

ビル・マーレイが主演した映画に「3人のゴースト」というのがあったが、「3体のゴースト」ではどうもヘンな感じがする。

幽霊というのは、複数で出てくることはほとんどなく、たいていは単独で出現するため、数詞はないのかも知れない。

「出た~っ」だけで、何が出たかすら言わなくても通じるくらいだし、恐ろしさに数詞どころではない、ということか。

(表の新着情報:「21世紀の歩き方大研究」の21世紀エッセイ「時間の岸辺から」に、「署名不要でカード決済が出来るネットの仕組みが甘い」をアップロード)

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2005/06/21

新潟駅前に花で出来たサッカーボール

05-06-21_09-21新潟駅前の柳の木々の下に、真ん丸い形に切りそろえられた花の球が続いている。

赤、ピンク、紫、白。見事なまでに丸い。

これは、サッカーボールなのだ、とすぐに気づく。

しばらく前には考えられなかったことだが、新潟はいつの間にかサッカーの街になっている。

02年の日韓共催サッカーW杯は、新潟スタジアムが公式試合会場の1つとなり、地元のアルビレックス新潟は03年11月にJ1昇格を実現させた。

新潟の街を歩くと、いたるところでサッカー熱気が感じられて、驚ろかされる。

豪雪とコシヒカリ、そして田中角栄くらいしか全国に名をはせるものがなかった新潟も、サッカーを中軸にすえて新しい中核都市としての生き方を模索しているかに見える。

夏の全国高校野球では、僕の出身高校は一度も甲子園に行ったことはなく、ほかのチームもなかなか上位には入れない。

大相撲も、昔は羽黒山という名横綱がいたことは聞いているが、その後はほとんど地元勢の活躍を聞かない。

こうした中でサッカーは、越後人の粘りと底力を見せ付けることが出来る格好のスポーツなのかも知れない。

新潟駅の土産物店には、サッカーまんじゅうやサッカーせんべいなど、丸いお菓子が何種類も並んでいた。

サッカーチームの名称のアルビレックスは、白鳥座の二重星「アルビレオ」からきていて、「飛翔する白鳥の王」というような意味らしい。

地方都市の衰退が進む中、新潟は独自の道を模索して、天まで飛翔していくことが出来るだろうか。

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2005/06/20

郷里の新潟にラーメンを食べに来た

新幹線に乗って、故郷の新潟までラーメンを食べに来た。

いま新潟の街を歩きながら、ケータイからモブログで書いている。

「新潟うまいものの店」などというグルメ本にはたいてい載っている三吉屋という小さな店で、ここは相席でも18人くらいしか入らない。

「昔そのものの味」と店の入口に小さく書いてあるとおり、僕が子供のころに食べた新潟の支那そばの味を頑強に守り続けている唯一の店といっていい。

メニューはラーメン500円とチャシューメン650円しかなく、あとはそれぞれの大盛りがあるだけ。

麺は極細の縮れ麺で、スープは醤油が僅かに入った薄い塩味。メンマと刻みネギ、チャーシュー、それにナルトが乗っている。

僕はこれまで、東京でもいろいろなラーメン屋を回ってみたが、この三吉屋のラーメンにかなう味はないことが分かり、それ以来、年に一度だけ新潟にやってきて、ここのラーメンを食べることにしている。

もちろんのことだが、店に向かう前には、墓参をするのを欠かしたことはない。


BANYUU050620_1328.jpg

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2005/06/19

遠近法の原理を実感する場所

05-06-08_13-40遠近法というと、ルネサンス期の絵画を想像する。とりわけ、ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」は見事な遠近法の例として、よく引き合いに出される。
 
日常生活では、遠近法などあまり意識する機会は少ないが、僕はいつもJR恵比寿駅から、恵比寿ガーデンプレイス方面へと延々と続く「動く歩道」の前に立つと、ああこれぞ遠近法の原理、とめまいがするような感覚にとらわれる。

なぜこの「動く歩道」の空間が、遠近法を実感出来る場所なのだろうか。

思うに、ここは平行している直線の数が非常に多い。この写真でざっと数えただけでも、36本ほどの直線が平行している。

もう1つの大きな理由は、はるか遠くまでさえぎるものがなく、平行する直線たちが1点に収束する様を、鮮やかに見通すことが出来ることだろう。

ではなぜ、遠近法で見た時に数多くの平行線は1点に収束するのだろうか。遠くのものは小さく見えるから、では説明できないような気がする。

ネットで、ウィキペディアや、この説明などを読んでも、なかなかのみ込めない。

さらに不思議なのは、自分の目の高さや、カメラの高さを変えるにつれて、収束点の位置が大きく変わっていくことだ。

しゃがんだ位置では収束点はうんと下に移動し、もっと低い地面スレスレの位置で見れば収束点も地面スレスレまで下がる。

収束点というのは、つまり自分の目の高さ、カメラの高さそのものなのだと分かるが、なぜそうなるのかは、いよいよもって不思議な気がしてくる。

ここで僕は、哲学的に考えてみる。まず、この空間自体は、遠近法など内包していない。

遠近法というのは、ある主体がその空間を認識しようとした時に、その主体のみが持つ認識のあり方として初めて生じるものなのだ、と。

そして、多くの平行線が収束せずにてんでんバラバラに拡散したのでは、空間の認識が出来ない。収束するのは、認識に必要だからだ、と。

ここでまた疑問が生じる。森の中や、空の雲、星空などでは、1点に収束していないのはなぜか。

遠近法とは、平行線があって初めて成立するものではなかろうか。

ということは、遠近法は人工物(建物やモニュメント、モノリスなど)があって初めて生じるものなのだ。

ルネサンスと深い関係があるのは、そのへんに理由がありそうだ。

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2005/06/18

回ってきた「音楽ねずみ講」を断ち切る

「音楽ねずみ講」あるいは「ミュージックバトン」なるものが、ネットの世界を駆け回っているらしい。

音楽についての4つの質問に答えた上で、次の5人に回すというもので、受けた人たちがまともに回していったら、大変な数に膨れ上がってしまう。

僕にも今日、この「音楽ねずみ講」が回ってきたが、受け取った上で、僕のところで断ち切ることにした。

最初の発信者は、単なる遊び心から、面白いことをやろうと始めたのかも知れないが、これは「不幸の手紙」のネット版であり、チェーンメールのブログ版といっていい。

5人のバトン受け人を探すのは、意外に大変なことだ。

かりにバトンを受けた人たちが、律儀に新たな5人に回し続けたとすると、わずか5世代後には15000人を超え、10世代後にはなんと日本の人口の半分にあたる4800万人を巻き込む計算だ。

他愛のない遊びだとしても、11世代目には日本の人口の2倍以上の受け手が必要となって、バトンの流れは破綻する。

金銭がからんでいないから、「無限連鎖講の防止に関する法律」には抵触しないとはいえ、健全なネットの流れを阻害し、システム全体に過大な負担となる恐れは大きい。

このようなねずみ講は、受けた上で断ち切ることも必要だ。

回ってきて困っている人たちは、無理に回そうとしないで、自分のところで止めてしまっても全く構わないと思う。

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2005/06/17

何年ぶりかの畳替え、すぐ下は発泡スチロール

05-06-17_17-072、3年前から畳の張替えをしなければと思っていたのだが、なかなか踏み切れず、今回ようやく張り替えてもらった。

前回の張替えの時は、僕が仕事の都合で家にいることが出来なかったため、畳の下がどうなっているのかは知らなかったが、今回初めて、畳のない状態をまじまじと見てビックリ。

畳の下は、いきなり大きな発泡スチロールが隙間なく敷かれていて、畳はその上に乗っているのだ。

こうしてみると、発泡スチロールというのは、すごい強度があるものだと思う。

畳の上には、大の男が二人がかりでやっと動かすことが出来るタンスがあるのだが、タンスが乗っている場所でも、発泡スチロールにはわずかな凹みすら生じていない。

発泡スチロールの98%は空気で、そのため下に敷いても断熱性に優れ、冬はあたたかく夏は涼しく、畳との相性は抜群のようだ

それどころか、いまでは畳そのものが発泡スチロールを真ん中にして、表と裏からワラでサンドウィッチのように挟んでいる構造になっているという。

日本の住文化の象徴のようにいわれる畳は、石油のおかげで成り立っているというのは、僕にとって目からウロコの新発見であった。

(表の新着情報:「21世紀の歩き方大研究」の21世紀エッセイ「時間の岸辺から」に、「留守電のテープは、空き巣に留守を知らせるサイン」をアップロード)

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2005/06/16

水溜りの中の、さかさまになった東京

05-06-16_12-23梅雨本番。しとしと降り続く雨で、都心にも水溜りが出来る。

子どものころ、僕は水溜りをわざわざ踏んで歩くのが好きで、親からよく注意されていた。

長靴だったから、踏みたくて仕方なかったのかも知れない。

歩道の途中に大きな水溜りがいくつもあると、歩行者たちは水溜りのない部分を石蹴りのように飛びながら歩いている。

雨が降っている最中の水溜りは、落ちてくる雨滴によって絶えず表面がさざめいていて、黒っぽいただの水溜りだ。

しかし、雨が途切れた時には、水溜りの中に、逆さになったもう1つの世界が見える。

新宿西口の地下道をくぐりぬけて、パッと視界が開けたあたりの水溜りの中に、東京都庁の第1庁舎が逆さになっている。

窓の一つ一つまで、きれいに見えているのは、うつつか幻か。

設計者の丹下健三さんは、水溜りに写る光景までも計算に入れて設計したのではないか、と思うほどだ。

鏡でもない水溜りが、なぜこんなに実世界をくっきりと写し出すことが出来るのか、僕には不思議な気がしてならない。

水溜りの中の世界が虚像だと、言い切ることが出来るのだろうか。

僕たちが実世界だと信じているこの世界も、やはりある種の虚像であり、僕たちは移ろいゆく現象の断片を、個々人の水溜りを通して見ているだけのような気がする。

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2005/06/15

45年目の6.15、樺美智子さんの2枚の写真

05-06-15_15-12もう60年安保を知らない世代が、現役では圧倒的に多くなってしまった。

6.15といっても、ピンとくる人たちがどれだけいることだろうか。あれから45年が経つ。

僕の手元に、2冊の本がある。1960年6月15日の、樺美智子さんが写った2枚の写真が載っている。

1つは、「エコノミスト別冊 安保にゆれた日本の記録」であり、国会デモへと向かう樺さんの最後の姿が写っている。

この写真の時刻は、午後3時。記事によると、樺さんは黄色いカーディガンに濃紺のズボンで、左手に何かを握り締め、右手で男子学生とスクラムを組んでいる。

樺さんはそれから4時間後に自分に降りかかる恐ろしい出来事を、まだ知るよしもない。

もう1つは、「ゆるせない日からの記録」で、午後7時すぎに起きた警官隊とデモ隊の激突の直後、血まみれの学生たちがつぎつぎと国会構内に敷かれた毛布の上に運び出されてくる凄惨な写真だ。

この写真では、仰向けの形で両手を引きずられている女子学生の姿が、ひときわ凄まじい印象を受けるが、これは樺さんではない。

樺さんは、写真手前に横たわる2人の学生の向こう側で、女子学生に左手を抱えられている。この時、樺さんはすでに息絶えていたとされている。

午後7時5分すぎからの惨劇については、つぎのように記されている(以下は抜粋)。

第四機動隊の隊列から異様な叫びが起きたと思うとワァーッというかん声とともに警棒をふれかざした黒いカタマリが学生の群に向かって突き進んだ。たちまち南通用門入口付近は大混乱となった。学生たちは崩れるようにトドッと押し返され、悲鳴があちこちに起こった。 警棒はマキをたたき割るように学生たちの頭や肩に打ち落とされていた。学生があちこちで頭から血を浴びて倒れた。倒れた学生を警官が二、三人がかりで引きずっていく。逃げまどう女子学生の後からも警棒が襲いかかり、倒れた女子学生を私服が傘の先で突っついた。 血みどろになって倒れる学生に片っ端から私服が手錠をかけ、構内の大きな樹の下へ引きずり込んでいく。

有事立法が出来て、日本は戦時への国内態勢を着々と整備しつつある。「かかってくるなら、いつでも来い」といわんばかりの姿勢である。

それだけではない。日本を、他国と戦争が出来る「普通の国」にしようという勇ましい流れに対しても、国民はまったく抵抗力を失い、催眠術にかけられた羊の群れのように、従順について行こうとしている。

改憲に対しても、世論調査では賛成が反対を上回っている状態では、もはや憲法9条は風前のともし火だ。

60年安保とは、6.15とは何だったのか。僕たちは、樺さんの遺志をきちんと受け止めてきたのだろうか。

2枚の写真の向こうから、樺さんが問いかけているような気がする。


【このブログの、この後の関連記事】

とっておき号外に見るあの時(7)-樺美智子さんの死(2006年3月6日)

60年安保の6・15から半世紀、樺美智子さん忘るまじ(2010年6月12日)

6.15と樺美智子さん 1960年-2014年(2014年6月15日)


ほかの参考ブログ記事:6月15日

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2005/06/14

個人情報保護法で人間ドックが様変わり

毎年、この季節に受けている人間ドックに行ってきた。

検査そのものは去年までとほぼ同じだが、個人情報保護法の施行によって、やりかたが大きく変わっていた。

去年までは、検査を受ける人たちは、検査衣の胸にフルネールが書かれた名札を付け、それぞれの検査室の前で待っていると、名前を呼ばれて入るやり方だった。

これだと、あちこちの検査室のあたりで一緒になっているうちに、ほかの人の名前を自然に覚えてしまったりする。

さらに何年か前までは、その日にドックを受ける人の氏名が、所属企業ごとに受付のところに掲示されていて、「ほほう、あの女の人は日本航空か」などと簡単に知ることが出来ていた。

今回は、名札の代わりに番号札をつける方式に変わっていた。検査室の前にいると、番号を呼ばれる。もはや、どの人がなんと言う苗字なのかお互いに分からない。

しかし、番号札は検査衣の胸元にクリップでとめておくため、ほとんどの人が自分の番号を覚えていない。

「87番の方、どうぞ」と呼ばれても、みなが自分でないと思っている。「87番の番号札の方、87番を付けていらっしゃる方」と何度も呼ばれて、ようやく「あっ、わたし?」と気づいて立ち上がる。

僕の番号は「31番」だったが、何度覚え込もうとしても、呼ばれる度に自分の番号だと気づかない。

検査室によっては、胸の番号をチェックした後、「○○さんですね」と苗字でも確認しているが、「6」と「9」の間違いなどないのだろうか。

数字で間違えて、苗字を確認された時に、難聴などで聞き取れないまま「はい」と返事してしまうケースもないとはいえないだろう。

僕の場合は、いくつかの検査室では「31番」の照合だけで苗字の確認なしだった。

番号で呼ばれ続けていると、自分がなんだか製造番号で呼ばれているロボットか、身元を明かさないまま番号で呼ばれている未決囚のような気分になってくる。

ドックの現場で、これほどまで個人情報保護に神経を使っているからには、くれぐれも個々人の医療データや検査結果が外部に漏洩することのないよう、管理には万全を期してほしいものだ。

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2005/06/13

自分の小学1年の通信簿が出てきた

img0071押入れの中の本や資料を整理していたら、僕が小学1年の時の通信簿が出てきた。こんなものが残っていたとは驚きだ。

これを見ると、当時はプラス2からマイナス2までの5段階評価になっている。

僕は2学期の音楽の表現の項目が、マイナス1になっている。よほど歌うのがヘタクソだったのだろうか。

img0061学校から家庭への通信欄を見ると、1、2学期は「真面目に学習しています」と書かれているが、3学期のところでは「融通性を持たないと成績がおさえられることがありますから、御留意願います」とある。

そのころから僕は融通性に欠けていたらしく、それは今もほとんど変わっていないような気がする。

1年の通信簿だけでなく、小学校6年間の通信簿が全部まとめて保管されていたのには驚いた。

これは僕が保管していたというよりは、親が封筒に保管しておいたものを、ずっと後になって僕に渡したもののようだ。

僕自身は今の今まで、渡された封筒を押入れの中にとっておいたものの、中身を見たことがなかった。

2年の通信欄には、「正しい鉛筆の持ち方を嫌っているので、家庭でも注意して下さい」とある。今でも正しいキーボードの打ち方を嫌って覚えようとしていないところはそっくりだ。

3年の1学期の通信欄には、担任の先生がこんなことを書いている。

「何か私に冗談を言われると右手、左手を交互に額の上にやり、髪の毛をモシャモシャとかくくせがあります。そしてお友達から『またやったわ』なんて笑われています。ただし、直せと申すのではありません。愛嬌があって一段と親しまれます。お伝言まで」

そのような記憶はまったくない。タイムマシンに乗って子どものころの自分を見に行ったような、不思議な気持ちだ。

当時の僕がいまの僕を見たら、未来の自分の姿であると納得するだろうか。

こうした対面が実現したとしたら、お互いに照れくさいだろうな。

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2005/06/12

絶滅危惧植物展

新宿御苑で「絶滅危惧植物展」が開催されている。環境月間特別企画で、今日は入苑料が無料だ。

これは新宿御苑からのモブログで投稿している。

絶滅危惧植物は苑内のあちこちで展示されているが、大温室では、すでに野生の状態では絶滅している3種類をはじめとして、多くの絶滅危惧種を集中的に展示していて見ごたえがある。
この絶滅危惧植物展は26日まで。


BANYUU050612_1233.jpg

(表の新着情報:「21世紀の歩き方大研究」の21世紀エッセイ「時間の岸辺から」に、「愛知万博のアンチテーゼとしての絶滅危惧植物展」をアップロード)

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2005/06/11

阪神の金本がセパ全12球団から本塁打

阪神の金本が、昨日の日本ハム戦で2本の本塁打を放ち、これでセパ12球団すべてのチームからホームランを打った、と今朝の新聞にある。

昔から気分的・心情的・情緒的な阪神ファンではあるが、野球のことなどまるで知らない僕は、この新聞の見出しは誤りではないか、と一瞬思った。

金本がセパ交流試合でパリーグ6球団すべてからホームランを打ったとしても、11球団から本塁打が正しいのではないか。

ところが、これが無知ゆえの浅はかな愚問であったことを僕は知る。金本は阪神に移籍する前は広島にいたのだ。

その時期に金本は、阪神から40本ものホームランを打っている。

昨日の金本のサヨナラ本塁打で、僕は一昨年の日本シリーズ第4戦を甲子園球場で観戦した夜のことを思い出した。

白熱した試合は5対5のまま延長に入ることになり、時計の針はその時点で10時を回った。

球場のアナウンスが、この後の梅田方面行き電車の時刻を繰り返し告げる。もはや電車の本数は多くない。満員の観客の一部が、さみだれのように帰り始める。

僕は迷いに迷った結果、帰りの電車がパンク状態になる前にと、後ろ髪を引かれる思いで、球場から抜け出して駅に向かった。

そして乗った阪神電車には、同じように試合途中で球場を出てきた人たちがほとんどだった。

電車が動き出してまもなく、携帯ラジオを聞いていた乗客が叫んだ。「金本がサヨナラホームランや!」

車内にどっと歓声が上がり、拍手がわいた。あちこちから、「しもたな。帰るんやなかった」という声が聞こえた。

僕もその瞬間は、もうちょっと辛抱して球場にいたら、という後悔でいっぱいだった。

しかし、冷静になってからいろいろ考えてみると、あの時、もしも僕が途中で帰らずに球場にいたら、金本のサヨナラホームランを目の当たりにすることが出来たかというと、それは疑問だという気がする。

金本の劇的なホームランは、10時を過ぎて、僕を含めた観客の一部が帰り始めたという、すべての事実の総和の上に起こった出来事であって、あのときの観客たちの行動が少しでも異なっていたならば、試合展開もまた微妙に違っていただろう、と思うのだ。

ラッキーな出来事も、不幸な出来事も、すべてはそれまでに起こったあらゆる出来事(無関係に思える遠くのことであろうが、些細なことであろうが、風の吹きかたのような自然現象であろうが)の、総合的な積み重ねの結果であり、それらすべての相互作用の結果である、というのが、日本シリーズでの金本のサヨナラ本塁打を見逃した僕が悟った哲学である。

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2005/06/10

ヤフーの無料動画「インターネットの夜明け」は凄い!

0506101
ブロードバンド時代が喧伝されて久しいが、僕はこれまで、これぞブロードバンドと叫びたくなるコンテンツにお目にかかったことがなかった。

さまざまなポータルサイトやマスコミ系サイトなどで、動画サービスが提供されてはいるが、小さなサイズで、それもせいぜい2、3分程度の長さで、満足感どころか、いらいらが募るようなものがほとんどだった。

ところが、Yahoo!JAPANが先月23日から今月末まで無料で公開している「ニッポンの挑戦 インターネットの夜明け~前編」を見て、僕は「これぞブロードバンド!」と叫んでしまったのである。

何が凄いかというと、これは予告編や短縮版のようなハンパな動画ではなく、NHKエンタープライズが制作した本格的な長時間ドキュメンタリーで、現在公開されている「前編」は全12回に分かれていて、それぞれが10分程度の長さを持つ。

つまりは「前編」だけでゆうに2時間になる大長編ドキュメントなのだ。

各回の内容もまた、インターネットやメールを空気のように享受しているのを当たり前と思っている僕たちにとっては、驚きの連続だ。

20年以上も前、コンピューター同士をつなぐ経験すらなかった中で、日本で初めて300メートル離れた2つのコンピューターを接続するまでの先駆者たちの汗と苦闘。

これはタイトルにあるように、日本のインターネットの夜明けを切り開いた男たちのドラマであり、まさにプロジェクトXの特別編といっていい。

東大のコンピューターと企業のコンピューターを接続する試みが、大学サイドからの抵抗や異論で座礁しかけた時、中継役として自分の会社のコンピューターシステムを提供したのが岩波書店だった、というような話は、非常に興味深い。

さらにこの動画は、56K、300K、1Mの3つの回線速度を選べるようになっていて、僕は1Mで見たのだが、中規模サイズの画面を右クリックして全画面表示にすると、パソコンのフル画面いっぱいにテレビのような鮮明な動画で見ることが出来る。

僕はこれまで、豆粒のようなネット動画を見て、ブロードバンドといってもこんなものか、と諦観していたのだが、ネットでこれだけくっきりと迫力ある動画を、長時間たっぷりと見ることが出来るのは、夢のようだ。

1Mが使える環境にある方は、ぜひ全画面表示で見ることをお奨めする。

この「インターネットの夜明け」の「後編」は7月1日から無料公開、と予告されていてこれも見逃せない。

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2005/06/09

ブログの欠点は、全体像が見えないことか

最近は、調べたいことがあってネット検索をしてみると、めぼしいヒットとして上位に表示される中に、ブログが占める割合が多くなっている。

優れた内容のブログ記事に辿り着いて、そのブログの作者がこれまでどのような内容の記事を書いているのか、全体を見たいと思うことがある。

ところが、ブログというのは、全体を見通すことにおいて極めて不向きになっていて、ウェブ・ログという仕組みからしてそもそも全体の俯瞰には向いていないような気がする。

ブログサービスにもよるが、カテゴリーか、月別のバックナンバーか、いずれかから入って一つ一つ見て行かなければ、そのブログがこれまでどのようなことを書いてきて、どんな情報が蓄積されているのかが、つかめない。

非ブログのサイトいわゆるホームページでは、トップページにさまざまなメニューが一覧になっていて、メニューをたどって見たいページに容易にたどり着くことが出来るが、ブログの場合は過去の記事になればなるほど、たどり着くのが困難になってくる。

これは僕自身のブログについてもいえることで、過去に書いた自分の記事を探すのに、非常に回りくどく見ていかなければならず、いかにも効率が悪いという気がする。

こうしたブログの不便さに慣れた目で、検索でヒットした個人ホームページを見てみると、その一覧性、俯瞰性、全体の構成の分かりやすさに、ほっとすることがある。

世の中の大勢は、ブログの爆発的な広がりによって、非ブログの個人ホームページはしだいに退潮しつつあるような印象を受ける。

こうした中で、ブログにもそろそろ第2世代のブログが登場してもいいような気がする。

それは、トップページから全体の内容をつかめるようにし、ページ構成も日記スタイルだけでなく通常のホームページのようなレイアウトや編集が出来るようになるといいと思う。

とりおえずは、過去分の記事のタイトル一覧が、ワンクリックで表示されるようにしてほしいものだ。

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2005/06/08

鳴かぬなら それでいいじゃん ほととぎす

織田信長、豊臣秀吉、徳川家康の3人の個性を言い表した有名なたとえに、「鳴かぬなら‥‥」の不如帰(ホトトギス)の句がある。

信長の「鳴かぬなら殺してしまえほととぎす」
秀吉の「鳴かぬなら鳴かせてみしょう(みせよう)ほととぎす」
家康の「鳴かぬなら鳴くまで待とうほととぎす」

これに対して、いずれにもあてはまらない現代風の言い方があることを知って、僕は表の「つれづれ草」に書いたことがある(01年1月26日)。

それは、「鳴かぬなら 替えてしまおう ほととぎす」だ。大競争時代に突入したシビアな現代社会の実相を、良くも悪くも言い当てている言い方として、僕は感心したものだ。

「替えてしまおうほととぎす」は、容赦なく広がるグローバル化の中で、市場経済にとって価値あるものと無価値のものとが厳しく選別されて当然という論理であり、子どもも大人も企業も国家さえも、鳴かなければすべてふるい落とされリストラされるのが当たり前、という強者の論理であり、端的に言えばアメリカ型の競争原理といっていい。

これに対して、鳴かないほととぎすへの、全く異なる対応の句が、いま静かな広がりを見せていることを、僕は最近の新聞の投書欄で初めて知った。

「鳴かぬなら それでいいじゃん ほととぎす」

これは、信長、秀吉、家康のいずれとも異なり、「替えてしまおう」の対極の発想といっていいだろう。

「鳴かぬなら それでいいじゃん」という言葉は、鳴かないほととぎすにも立派な価値があり、かけがいのない存在理由があることをはっきりと認めるものだ。

鳴かないことを責めたてられて、いまどれだけ多くの子どもたちが苦しみもがいていることだろうか。

子どもたちだけではない。大人たちの多くが、一生けいめい頑張っているつもりでも、成果主義・能力主義がはびこる中で、鳴くことが出来ずに希望を失い、自信を喪失している。

これからの社会に求められるのは、自己責任を強調する冷酷な競争社会ではなく、鳴かないほととぎすたちを「それでいいじゃん」と包み込む懐の深い社会ではないだろうか。

追記:「鳴かぬなら それでいいじゃん」は、信長の子孫でフィギュアスケート選手の織田信成さんが報道陣の質問に対して、とっさのアドリブで答えた内容だそうだが、これがオリジナルなのかどうかははっきりしない。また松下幸之助氏はかつて、「鳴かぬなら それもまたよし ほととぎす」と詠んだという話もあり、このあたりが原点かもしれない。

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2005/06/07

絶えず物質が入れ替わっている自分の実体とは

僕は、ずっと以前からの僕と同じ存在なのか、それとも何かが入れ替わっているのか。

もっと言えば、幼少時の僕と、小学生の僕と、中高生の僕、そして学生時代の僕、20代の僕、これは今の僕と同じものなのか、まったく別物なのか。

不思議に思いはじめると、ますます不思議になってきて、2、3年前に買った本のページをめくってみる。

人間の体をつくっている物質=原子は、1年で4分の3が入れ替わっている、とある。

もっともひんぱんに入れ替わっているのは、皮膚、胃、腸などで、3、4日ですべて新しい物質になる。

目の角膜も、1週間で入れ替わる。

赤血球は平均125日で、また肺、肝臓、すい臓、脾臓は400~500日で入れ替わる。

比較的ゆっくりと入れ替わるのは、骨で約5年、筋肉は約7年かかる。

人間の体の中では、1分間に2億個の細胞が死に、あらたに1分間に2億個の細胞が作られている。

心臓と脳については、細胞の入れ替わりはまったくないか、あっても遅いペースというが、それでも細胞の内部では絶えず物質が入れ替わっている。

過去から確実に継続していると思われている記憶そのものも、毎晩欠かさず作り直されていて、昔の記憶と今の記憶とは別物である。(以上、東京書籍刊の「私のからだは世界一すばらしい」から)

こうしてみると、誕生してから現在までに至る自分というものの継続性は、思っているほどには強固なものではないような気がしてくる。

自分というもののアィデンティティーは、どこによりどころがあるのだろうか。

体を構成している物質の総体が自分ということならば、自分であって自分でないという状態の連続だ。

やはり、僕が前からウスウス感じているように、人間というのは(というより、生命全体がそうなのだが)、実体ではなくて現象なのではないかという気がしてくる。

免疫学者の多田富雄氏が言った「女は実体だが、男は現象である」という言葉は有名で、僕もちょっとふれたことがある。

しかし突き詰めていけば、男も女も現象に還元されていって、実体は残らないか、強いて言えば「空」こそが実体なのではないだろうか。

(表の新着情報:「21世紀の歩き方大研究」の21世紀エッセイ「時間の岸辺から」に、「複数の情報家電をいかにうまく接続するか、配線がカギ」をアップロード)

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2005/06/06

ポケットティッシュの意外な使い道

img0051街角で配っているポケットティッシュといえば、ほとんどが消費者金融の広告で、ほかにはパチンコ屋、ゲームセンター、テレクラなどが目立つ。

この間もらったティッシュに、献立の写真が載っていたので、思わず手にとって、しげしげと眺めてみた。

定食チェーン店の新献立のPRで、配っている地域の店舗の地図も書かれている。

さらにティッシュの広告チラシを持っていくと、ソフトドリンクをサービスします、と書かれている。

広告メディアとしての街頭配布ティッシュは、日本独自の文化なのか外国にもあるのか。

新聞の報道によると、去年春、ニューヨークで牛丼の「吉野家」の割引クーポン付きティッシュ1万個が街頭で配られ、10人のうち8、9人が受け取った、という。

この後、地元のTV局がこの手法をまねたのか、番組宣伝のポケットティッシュを街頭で配布した、という。(04年7月4日毎日新聞)

ポケットティッシュは意外なところで役に立つことがある。僕の経験から、ティッシュがあって良かった、と痛感したケースを書いてみると‥‥

まずティッシュは、書くための紙がない時に、とっさのメモ用紙になる。観光地の社寺などを見学中に、書きとめておきたい説明文や故事があった時、ボールペンさえあればティッシュにかなりの文章を書きとめることが出来る。

ケータイの裏面など固いものを下敷きにして、ティッシュがたゆまないように少し張り気味にして書くと、ちぎれたりすることなく、うまく書ける。

こんなケースもある。お彼岸でもお盆でもないのだが、郷里に帰ったついでに墓参をすることがある。そこへ、頼んだわけではないのだが、お坊さんがたまたま現れて愛想よくお経を読み始めた‥‥

さあ、お布施をあげないわけにはいかない。しかし、いかにとっさのこととはいえ、裸銭では失礼だろう。

そういう時には、さりげなく千円札1枚を折りたたんで、すばやくティッシュで包む。お経が終わったら、なにごともないような様子をして、お布施として渡す。

ほかには、海外旅行の時、スーツケースのあちこちに、それまでたまったポケットティッシュを全部使って隙間を埋め、緩衝材として使う、等々。

ティッシュについては、秋葉OLさんがさまざまな側面から考察した「ティッシュ業界・・・?」という記事が大変な力作で面白い。僕のこの記事も、それに触発されたものだ。

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2005/06/05

ホコテンに迷い込んできた車はどうするか

05-06-05_17-16都心の幹線道路での歩行者天国は、交通渋滞解消などの理由からしだいに縮小されてきているが、新宿通りのホコテンはいまも日曜日ごとに健在だ。

ここのホコテンは荒天でない限りは、ほぼ正午からスタートとなる。

ほぼ正午からというのは、ホコテンの開始は、新宿通りの交通信号の電源を落とし、赤も黄も青も全てののランプが消えた時が合図らしく、この信号を消して回るのがたった一人のお巡りさんの仕事なのだ。

一部の信号は消えているのに、そのほかの信号はまだ点いていたりして、全部が消えるまでに7、8分の時間差が生じる。

全部の信号が消えて、だれからともなく歩行者たちが車道にわらわらと出始めると、その時点がホコテンの成立である。

ホコテンになることを知らずに、車道には多くの車が駐車している。

たいていのドライバーは、いつの間にかホコテンになっていることに驚き、バツが悪そうに運転席に座ると、ノロノロと車を動かし、車道を散策する歩行者の邪魔にならないよう細心の注意を払いながら、脇道へと右折か左折して、ホコテンから脱出しようとする。

ドライバーたちは、恐縮して小さく身を縮めているように見える。

こともあろうに、信号が消えているのが目に入らないのか、わざわざ外からホコテンに迷い込んでくる車も少なくない。

「あれえ、おかしいなあ」という表情のドライバーたちが、懸命に抜け道を探そうとノロノロ運転をしているのを見るのは、なかなか面白いものだ。

カッコいい高級車などで、助手席にカノジョを乗せている場合は、要注意だ。

運転しているオトコは、自分がホコテンに気づかずに入り込んだことに、すっかり腹を立てていて、顔が真っ赤になっている。

こういうケースはえてして、歩行者であふれる車道を、怒りに満ちてぶっとばす。脇道に曲がるのはメンツにかかわるといわんばかりに、ホコテンが途切れる反対側の端まで、歩行者を威嚇しながら通常速度で走ろうとする。

歩行者天国というからには、歩行者は車に気をつけなくてもいい場所のはずだが、ホコテンでもぶっとばすヤカラが後を絶たないのは困ったことだ。

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2005/06/04

フラッシュなしでホタルの写真を撮る

昔のことになるが、入社したての駆け出しのころ、ホタルの写真を撮る仕事が僕に回ってきた。

ちょうど今ごろの季節だったように思う。

厳しく言われたのは、絶対にフラッシュをたいてはならない、ということだ。

何よりも、フラッシュの強い光はホタルそのものに致命的な打撃となる。さらにほかの鑑賞者への大迷惑となる。

そして、実際問題としてフラッシュをたいてもホタルの発光は決して写真に撮れないのだ。

ホタルの名所となっている川に行くと、あっちにもこっちにも、ゲンジボタルの幽玄の光が空中に舞っている。

ほかの鑑賞者の邪魔にならない場所を選んで、カメラを三脚に固定する。絞りをうんと絞り込み、シャッターを開放にして切る。

そのまま、どれくらい待てばいいのか見当もつかない。10秒、30秒、1分といろいろ撮ってみる。

ユカタ姿で鑑賞する女性の姿でも入れたいところだが、露出時間が長いので動く人物は写らない。

ていうか、そもそもユカタ姿で来ている人など見回してもいない。

ホタルが発光して飛んでいる時間は、1時間半ほどしかなく、この間にフィルム3本くらい撮りまくる。

すぐに戻って自分で現像する。光の軌跡はなんとか写っているものの、ほとんどがそれだけで、背景も人物も写っていない。

それでも、ヘタな鉄砲も数撃ちゃ当たるで、シャッターが開放している間にもほとんど動いていない人たちが、それなりに写っているのが、2枚か3枚あった。

光の軌跡もたっぷり写っている。これを焼いて、電送機(懐かしい響きだ)にかける。

その間に、記事を作り上げる。写真主体の絵解きなので、記事は20行ほど。

ホタルの写真と記事は、無事に本紙に載ったのだったと思うが、記憶は定かではない。

いまでもあの川では、駆け出しの新人たちが毎年、ホタルの写真を撮るために悪戦苦闘しているのだろうか。

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2005/06/03

もう梅雨入りといっていいのでは

ここ数日、うっとうしい空模様が続く。厚い雨雲が空を覆い、いつとはなしに雨になって、やんだようでもいつでも降り出す態勢だ。

ハシリ梅雨などと言っているが、これって実質的に梅雨入りしているのではないか。

湿度の高さといい、雨雲の様子といい、雨の降り方といい、さらには天気図の形といい、これはもう梅雨そのものだ。

なぜ気象庁は梅雨入りと言わないのか。今週末に晴れてくるかららしいが、梅雨入りした後に晴れることなどいくらでもあり、梅雨の中休みはむしろあって当然なのだ。

東京の梅雨入りの平年値は8日だそうだが、テレビも新聞も気象庁が梅雨入り宣言をしてないので、まだ梅雨入りとは報じていない。

が、梅雨になったかどうかは、お役所の宣言を待つべきものでもなかろうと僕は思う。

でもって、このブログではすでに梅雨入りしたことにする。梅雨入りしたかどうかくらい、それぞれが勝手に判断して何が悪いか。

♪アカシヤの雨にうたれて このまま死んでしまいたい‥‥

西田佐知子の歌声とともに、安保闘争がヤマ場を迎えていたのは45年前のことだった。

雨の中の国会デモ。戦後15年の若い日本は、反戦平和と民主主義への情熱に燃えていた。

そして、まもなく45年目の6.15がやってくる。

♪朝の光のその中で 冷たくなったわたしをみつけて‥‥

冷たくなったわたし。それは、いまの日本国民の姿であり、いまの日本そのもののような気がする。

♪アカシヤの雨に泣いてる 切ない胸はわかるまい‥‥

フィリピン沖にある台風4号が北上しそうな気配。本土に接近か。来週から6.15にかけては大荒れの予感が。

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2005/06/02

出生率減を覆い隠す数字のトリック

厚生労働省が発表した04年の出生率(合計特殊出生率)は、前年と同じ1.29で横ばいだという。

この「横ばい」という政府の発表にマスコミは安心しきって、去年のように「1.29ショック」を大きく取り上げることなく、危機感もさほど感じられない。

しかし、この「横ばい」は数字のトリックである。

小数点以下3位を四捨五入しているから、1.29で同じに見えるが、実際には出生率は減少を続けている。

去年発表された1.29は、より詳しくは「1.291」である。

しかし今回発表された1.29は、より詳しくは「1.289」であり、初めて1.28台となっている。

厚生労働省は02年に、出生率は07年に1.306で底を打ち、2050年にかけて1.39にまで回復する、と説明していた。

去年、1.29になった時も、ミレニアム婚による出産ブームが一段落したことによる一時的な減少に過ぎない、と厚生労働省は説明していた。

出生率低下が一時的どころか、歯止めのかからない雪崩現象の様相を呈しているのに、政府も政治家もそして経済界も危機感は薄い。

日本の人口は06年がピークで07年から減少に転じるといわれてきたが、実際には今年がピークあるいは去年がピークですでに減少を始めている、という見方も出ている。

自己責任が強調され、格差が広がって2極化しつつある日本。国家としての覚悟を勇ましく語り、戦争すら辞さない強い国家を目指そうという動き。このような中で、女性たちが子どもを生む気持ちになりにくいのは当然だ。

GDPを上回る700兆円を超す国債を抱え込んで、もはや世界でも最悪クラスの財政破綻国となっている日本は、少子化と人口減によって、国家消滅への道を加速度的に進んでいるような気がする。

(表の新着情報:「21世紀の歩き方大研究」の21世紀エッセイ「時間の岸辺から」に、「喫煙大国日本の狙いは、年金支給前の肺がん死か」をアップロード)

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2005/06/01

クールビズで冷房の効きすぎは変わるか

政府の音頭とりで、クールビズ運動がスタートした。

夕刊に、上着やネクタイなしで通勤するビジネスマンたちの写真が載っているが、どことなくサマにならない。

一見したところ、男子高校生の夏服姿のようで、頼りなく幼稚な感じに見える。

こんな姿で、取引先の人と商談をしたりするのは、やはりバツが悪いと感じる人も多いのではないか。

日本人の男性は、背広とネクタイを着用することによって、中身の乏しさをかろうじて覆い隠してきたのではないか、と思ったりする。

クールビズ運動が成功するためには、オフィスの室温が寒過ぎてはならない。肌寒いようでは、たちまちにして上着が復活し、ネクタイも逆戻りしてしまう。

OLたちのひざかけが必需品となっているほどの過剰冷房の元凶は、背広とネクタイを話さない部長や局長レベルの幹部たちである。

会議などから戻ってきて、席についたとたん、「この部屋は暑いな」とだれにともなく言う。そこで、せっかく適正温度に設定していたエアコンを、部下が調整してボスの背広に合った温度に下げる。

クールビズ運動の趣旨はもっともだが、実際にはこれがなかなか難しい。

背広にネクタイなら、同じ背広を毎日着ていても違和感はないし、ネクタイを替えるくらいですむ。

が、背広もネクタイもなしでは、ワイシャツやベルト、スボンのセンスが日々、厳しく周りからチェックされる。

腹の出た中年体型を、上着でごまかすことも出来なくなる。いつも同じ無地の白ワイシャツとばかりもいかない。

日経の夕刊によると、クールビズ運動のために今年の夏、サラリーマン一人にかかる出費は平均3万円という。

日本全体では1000億円の特需になる、という試算もある。

これで温暖化防止に向けた省エネになるのかどうか。なんだか無駄遣いを強いられているのでは、という気がしないでもない。

まずは冷房の下限を28度として、どの企業も厳守することに主眼を置き、クールビズルックにするかどうかは個人の判断でいいのではないか。

そういう僕は、会社務めをやめてから毎日がノーネクタイ生活だから、影響はないのだが‥‥

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