自分の小学1年の通信簿が出てきた
押入れの中の本や資料を整理していたら、僕が小学1年の時の通信簿が出てきた。こんなものが残っていたとは驚きだ。
これを見ると、当時はプラス2からマイナス2までの5段階評価になっている。
僕は2学期の音楽の表現の項目が、マイナス1になっている。よほど歌うのがヘタクソだったのだろうか。
学校から家庭への通信欄を見ると、1、2学期は「真面目に学習しています」と書かれているが、3学期のところでは「融通性を持たないと成績がおさえられることがありますから、御留意願います」とある。
そのころから僕は融通性に欠けていたらしく、それは今もほとんど変わっていないような気がする。
1年の通信簿だけでなく、小学校6年間の通信簿が全部まとめて保管されていたのには驚いた。
これは僕が保管していたというよりは、親が封筒に保管しておいたものを、ずっと後になって僕に渡したもののようだ。
僕自身は今の今まで、渡された封筒を押入れの中にとっておいたものの、中身を見たことがなかった。
2年の通信欄には、「正しい鉛筆の持ち方を嫌っているので、家庭でも注意して下さい」とある。今でも正しいキーボードの打ち方を嫌って覚えようとしていないところはそっくりだ。
3年の1学期の通信欄には、担任の先生がこんなことを書いている。
「何か私に冗談を言われると右手、左手を交互に額の上にやり、髪の毛をモシャモシャとかくくせがあります。そしてお友達から『またやったわ』なんて笑われています。ただし、直せと申すのではありません。愛嬌があって一段と親しまれます。お伝言まで」
そのような記憶はまったくない。タイムマシンに乗って子どものころの自分を見に行ったような、不思議な気持ちだ。
当時の僕がいまの僕を見たら、未来の自分の姿であると納得するだろうか。
こうした対面が実現したとしたら、お互いに照れくさいだろうな。
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コメント
子どものころの写真を見るのとはまた別の感慨がありますね。書かれていることには全く覚えがありませんが、いまの自分の遥か遠くの原型を見るようで、なんともいえない気持ちになります。
投稿: BANYUU | 2005/06/15 09:42
笑える~。
もしゃもしゃするんですね。
わたしも、引越しのときにみて、一種感動しました。
もらう当時は嫌でたまんないものですけど。
投稿: 秋葉OL | 2005/06/15 00:53