« 2005年7月 | トップページ | 2005年9月 »

2005/08/31

期日前投票に行ったが、最高裁裁判官審査はダメとは

05-08-31_12-189月11日は投票に行くことが出来ないので、期日前投票に行ってきた。

小選挙区と比例区の投票をした後、つぎに最高裁判所裁判官国民審査の用紙を渡されるものと思っていたら、何も渡されない。

「最高裁の方は?」と係りの人に尋ねたら、「それは4日からになります」という。

えーっ? せっかく期日前投票の投票所まで足を運んだのに、一緒に出来ないとは思ってもみなかった。

決まりで、というか法律で、衆院選の期日前投票は公示日の翌日から出来ることになっているのに対して、最高裁判所裁判官国民審査の期日前投票は、投票日の7日前から、となっているらしい。

それを知らないで、一緒に出来ると思って31日から3日までに期日前投票に行っても、最高裁の方は出来ないのだ。

まったくお役所仕事というか、縦割り行政の弊害の典型のようなもので、どうして最高裁の方の期日前投票も衆院選と同じ期間にすることが出来なかったのだろうか。

もっとも、最高裁判所の裁判官については、どんな考え方の人でどんな事件でどんな判決を下してきた人なのか、何のデータもないため、僕などは実際に用紙を渡されても判断出来ないのが実情だ。

だれに×印をつけたらいいのか分からず、白紙にしたいと思っても、白紙のまま投票すると全員について信認したという扱いになるので、それまた困るのだ。

多くの有権者にとって、この国民審査は判断のしようがなく、今回のように早めに行って期日前投票が出来なくても、クレームは少ないだろう、という判断がお上にあるのかも知れない。

しかし、判断のしようがないからといって、早めに期日前投票に行った人が国民審査の権利を行使出来なくても構わない、ということにはならないだろう。

投票所の係りの人に、「4日以降にまた来れば出来ます」といわれた。それが無理なので今日、行ったのに、なんだか損をした気分だ。

| | コメント (0) | トラックバック (3)

2005/08/30

ようやく総選挙公示、解散からずいぶんと長かった

これまで衆院解散から公示まで、こんなに間が空いたことはなかったような気がする。

郵政法案の否決と衆院解散は、まだ夏の甲子園大会の開幕3日目の8月8日のことだった。

あれから、かれこれ22日も経過してようやくの公示だ。

まさかの解散から冷酷非情の「刺客」ドラマ、さらには新党が3つも誕生するなどいろいろあり、ホリエモンの出馬など意外なハプニングも加わって、長い長い22日間だった。

公示を待ちわびていたかのように、僕のところには投票所整理券が郵送されてきた。

週刊誌や夕刊紙などが、さまざまな選挙結果の予想を派手に書きたてている。

「自民の圧勝で単独過半数確保」という予想がある一方で、「自公合わせて過半数届かず、小泉退陣」の予想もある。

小泉自民の勢いをどう見るかによって、予想が大きく異なるのは当然だが、哀しいかな民主の単独過半数を予想する向きはない。

民主が最も伸びると予想するものも、比較第1党にはなるが、政権には届かない、というものだ。

もっとも、こうした選挙予想はあくまで調査した時点で態度を明らかにしたサンプルの動向がベースになっているので、投票日までに大きく雪崩を打って変わっていく可能性がある。

選挙は最後の2日間が勝負といわれ、しかもこの間の無党派層の動向が、大勢を左右する。

無党派層は不安定で、移ろいやすく、浮気も転向もへっちゃらである。そして、政党やマスコミの調査にひっかからないところで、いつの間にか決定的なうねりを形成して、投票日のどんでんがえしを演出することがしばしばだ。

解散直後に急上昇した小泉内閣支持率が、そのまま選挙結果に結び付くとは考えないほうがいいように思う。

僕はまだ、どこの政党の候補者に投票すべきか決めていない。たぶん、期日前投票をすることになると思うが、明日の日本をどこに託したらいいものやら‥

| | コメント (0) | トラックバック (3)

2005/08/29

ハリケーンと原油高騰とカマボコ

まずはタイトルを書いてみたものの、いったいどのカテゴリーに入れるべきなのか、判断にまよう。

ニューヨークの原油価格が、1バレルあたりで初の70ドルを突破したという。

中国での旺盛な原油需要など、さまざまな要因に投機筋の思惑などが絡んで、このところ原油の高騰が止まらない。

それに追い討ちをかけるように、超大型ハリケーンの米メキシコ湾岸直撃で、需給が切迫する懸念がいっそう高まっているためという。

このハリケーンそのものについては、「表」の「時間の岸辺から」に書き分けているので、そちらもご覧いただきたい。

さて、僕自身はもう車を運転することもないので、原油高といっても、直接的にはピンとこない。

が、このところ日本でも、原油高の影響がジワジワと押し寄せている。

その一つが、かまぼこ、ちくわ業界だ。

漁船の燃料代が上がっているため、紀文はさきごろ、カマボコやチクワ、ハンペンなどの価格を10%上げたばかりだ。

総選挙への影響を恐れてか、細田官房長官は今日の会見で、「国内総生産に占める原油価格の比率は小さく、日本の物価を大きく上昇させ、成長の勢いをとどめるようなものではない」と述べている。

だが、カマボコなどの値上げはまだ序の口であって、これから本格的に電気、ガスをはじめ、運賃や輸送費に波及していくならば、あらゆる物価がその影響を免れず、日本経済の屋台骨を大きく揺るがせかねない。

待望のデフレ脱却どころか、経済不況とともにインフレが襲うスタグフレーションという最悪の事態すら、現実味を帯びてきている。

総選挙では、どこもあまり触れたがらない1000兆円を超えている国と地方の借金は、金利の上昇によって返済不能になりかねない。

原油の高騰くらいたいしたことないと、たかをくくっていると、気が付いたときには日本経済は火だるまになっているような予感がする。

(表の新着情報:「21世紀の歩き方大研究」の21世紀エッセイ「時間の岸辺から」に、「風速70メートルのハリケーンは、温暖化とは無関係か」をアップロード)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005/08/28

人気の街頭占い、受付終了のカード無視する行列

どうということではない話なのだが、ちょっと気になった光景。

新宿・伊勢丹の角で行われている「新宿の母」の運勢鑑定。順番を待つ若い女性たちの行列は、伊勢丹の地下に通じる階段に沿って伸びている。

この行列のわきを通っていくと、たいてい最後尾に並んでいる客の一人が、「本日の新宿の母の受付は終了いたしました」と大きく書かれたカードを持たされている。

普通は、このカードを持った人の後ろに並ぶ人はいない。一人で鑑定をやりながら、列がいつまでも伸びていくのを避ける方法として、なかなかうまいやり方だと僕は日ごろから感心していた。

ところが今日は、このカードを持った女性の後ろに、10人、15人とどんどん列が伸びているのだ。

カードを持っている女性は、泣きそうな顔で、後ろに並んだ女性たちに一生懸命説明しているのだが、だれも行列から去ろうとしない。

そうこうしていくうちに、その列の後ろには、また新たに来た人たちがどんどん並んでいく。

たまたまこのカードを持つ役目をになうことになってしまった女性にとって、カードを無視して並ぶ人たちへの説得は、重すぎる任務だ。

僕は遠巻きで眺めていただけで、なぜこのようなことになったのかは分からないが、一番悪いのは、受付終了のカードを無視してその後ろに最初に並んだ女性だ。

一人ではなく、グループ連れなのかも知れない。「大丈夫、並んでいればやってもらえるわよ。せっかく来たんだから‥」という言い分なのだろう。

しかし、カードの後ろに並んでいる人がいるのを見れば、後から来た人たちも「みんな並んでいるじゃない」とカードを無視して並んでいく。

ルールとか約束事は、無視する人がわずかでもいると全体が崩れてしまうという典型的なケースだ。

その後どうなったのだろう。新宿の母本人が裁断を下して、カードより後ろに並んでいた人たちに帰ってもらったのかどうか‥。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005/08/27

日経の「愛ルケ」、ついに冬香を殺しちゃった!?

05-08-27_16-07日経新聞の朝刊掲載小説、渡辺淳一氏の「愛の流刑地」(通称、愛ルケ)が昨日から大変なことになっている。

どう大変かというと、これはまあ一言でいうのもなかなか困難なのだが、これまで毎朝の紙面で延々と繰り返されてきた不倫の情事の最中に、愛ルケ愛読者の意表を突く衝撃のストーリー展開となったのだ。

作家の菊治が、これまでの情事の時と同じように、ヒロインの人妻冬香の首をたわむれに締めたところ、明らかにこれまでの首絞め遊びとは様子が違う。

昨日の最後の3行は、渾身の力をふり絞って締め付けると、突然、「ごわっ」という音とともに声が途切れて、冬香の顎がかたんと沈む、というところで終わっている。

今日はどうなったかと、はやる思いで読んでみると、昨日までは「花火」という章だったのが、今日からは「風死す」という暗示的な不吉な章に変わっている。

菊治は、まだ冬香に話しかけてみたり呼んだりしているが、身動き一つしない冬香に不安な気持ちがつのってくる。

今日の最後は、「風死す」という瞬間が、いま冬香の上に訪れたのか、というなぞめいた問いかけで終わっている。

愛ルケのサイトやブログはいろいろ作られているが、このブログに寄せられているコメントは、本当に死んだ、という見方と、死にまねをしているだけ、という見方に分かれている。

まあともかく、前回の「失楽園」とは全く異なる結末にしたい、というのが作者の意気込みのようなので、どうやら本当に死んでしまった、という見方に僕は一票を投じる。

ベッドシーンにいい加減に飽き飽きしてきたところなので、このあとどんな展開になっていくのか、そのほうがむしろ興味津々だ。

タイトルの「流刑地」という言葉から察するに、菊治も、そして死んだ冬香すらも、これから厳しい流刑の道を歩むことになるのだろうか。

あるいは、菊治の逮捕とそれに続く裁判というところまでいく前に、破綻と絶望の不条理の極みで、余韻と未練を残しながら終わっていくのかも知れない、と思ったりする。

| | コメント (4) | トラックバック (2)

2005/08/26

最近よくみかけるようになった電動車椅子

05-08-24_12-14車椅子というと介護の人が押して歩くイメージが強いが、最近はスクーターのようなおしゃれな電動車椅子を時々みかけるようになった。

電動車椅子にはさまざまなタイプがあるが、4輪のスクーターのような形で、介護の人なしで自在にスイスイと動き回るものもみかける。

スピードはあまり出ないようになっているらしいが、それでも普通に歩く速度よりはかなり早い。

地下連絡通路で見かけた電動車椅子の人は、デパートでたくさん買い物をしてきたらしく、紙袋を後ろに吊り下げている。

どうやって地上から地下に入れることが出来たのだろうか。もちろん階段やエスカレーターは通れないから、エレベーターをうまく使って上下の移動をしているのだろう。

地下から地上に出るには、やはり地下から入れるデパートやビルのエレベーターに乗るのだろう、と想像する。

電動車椅子は、地下鉄やJRの電車に乗ったり降りたりすることが出来るのだろうか。

JR東日本のこのページを見ると、利用出来る駅は設備の整った駅に限定されるが、電車に乗ることは可能だ。

ただ、新幹線や在来線の特急などデッキ付きの電車では利用できないことになっていて、それをめぐってこんなページもある。

バリアフリーの社会をつくるのは、インフラの整備や一般の人たちの理解など、まだまだ超えなければならないバリアがたくさんあるようだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005/08/25

台風のエネルギーの源は太陽

また台風が近づいてきている。

昔は台風といえば、九州や四国が通り道の定番だったようが、このところ東海・関東地方を狙う台風が多くなっているように感じるのは、気のせいだろうか。

台風はある日突然に発生するのが不思議だ。南の海上にあった熱帯低気圧が、温かい海水のエネルギーを蓄えて台風として発展する、というのは理屈として分かっても、無から有が誕生するようでなんとも不思議だ。

南の海上には、初夏から秋にかけて、台風の卵がウヨウヨと発生し、そのほとんどは熱帯低気圧のまま衰退していく。

台風に大化けするのは、そのうちのほんの一部だ。どんなきっかけで台風への道を進むことになるのか、何か必然的な要因があるのだろうか。それともまったくの偶然か。

いったん台風になると、雪だるま式に海水のエネルギーを吸収していって、どんどん大きくなっていく。

上陸・接近で多大な被害をもたらす台風のエネルギーは、もとを正せば海水を暖め続ける太陽の膨大なエネルギーなのだ。

大雨も同じように、太陽で温められて蒸発した海水などが地上に降り注ぐもので、これも太陽エネルギーの変形だ。

人間が台風をコントロールして、荒々しいエネルギーを電力に変換し、水不足の地方に適度な雨をもたらすように誘導していくことが出来るのは、いつころのことかと思いをめぐらせる。

あと20年たった2025年には、技術の力で台風を手なづける世の中が実現しているだろうか。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005/08/24

ペット連れの入店お断り、文字より効果的な標識

05-08-24_12-49近所のお惣菜屋さんの入り口に、ワンちゃんは入っちゃダメ、ということをイラストだけで示す標識が貼ってある。

文字は何も書かれてないのだが、アピールする力は強力だ。

かつては、「その筋のお達しによりペット連れでの入店はご遠慮下さい」などと書いた札を入り口に貼っている店をよくみかけた。

しかし、文字による注意書きというのは、読まれないだけでなく、読んでも無視されやすい。

揚げたてのフライやコロッケなどが、剥き出しのまま並べられている売り場で、ペットを抱えた女性が品定めしていても、店の人が注意出来ない光景はよくある。

道路標識のようなイラストには、交通ルールを守るのは当然のマナー、というような雰囲気があって、いかにずうずうしい人(あえてオバサンとは言わないが)であっても、これを無視して入る度胸はないのでは、と思う。

05-08-24_12-50別な店でも、似たような標識が入り口のドアに貼ってあるが、こちらは、「ペットの入店はご遠慮ください」と文字も書かれている。

イラストが使われる大きな理由の一つは、ここ数年、日本に住む外国人が多くなっていて、外国人がペット連れでお惣菜屋やコンビニに来るケースが増えていることではないか、と推測する。

無用のトラブルを防ぐためにも、言葉の壁を越えて、どの国の人でもたちどころに意味が伝わるイラストは効果的なのだろう。

これらのイラストは、一種のアイコンといっていい。

外国人だけでなく、日本人にも文章よりアイコンの方が直感的に受け入れられる時代なのかも知れない。

(表の新着情報:「21世紀の歩き方大研究」の21世紀エッセイ「時間の岸辺から」に、「8月の終わりの寂しさと空白感はなぜだろう」をアップロード)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005/08/23

政府予測より2年早く今年から人口減少、の衝撃

05-08-23_17-36これは日経のスクープなのか、ほかの社でもつかんではいたが総選挙に与える衝撃を考慮して掲載しなかったのか。

政府は長い間、日本の人口は2006年をピークにして2007年から減少に転じる、という予測をたてていて、それがさまざまな経済政策とりわけ社会保障や税制などの基本になっていた。

ところが今日の日経夕刊1面トップの記事によると、厚生労働省の人口動態速報値で今年上半期の人口は、出生数が死亡数を初めて下回って、3万1000人の自然減になった、というのだ。

下半期で一挙に、出生数が減少数を3万1000人上回ることがない限り、今年1年を通した人口は初めて自然減となり、日本の人口のピークは去年で、政府の予測より2年も早く人口減少社会を迎えたことになる。

このことの持つ衝撃度は、郵政民営化に賛成か反対かという、こんどの選挙で小泉首相が仕掛けている問いかけを、一気にご破算にしてしまう破壊力がある。

もはや郵政だけを論じている場合ではないのだ。

いつもいつも人口動態についての政府の予測は、あまりにも政治的配慮を働かせすぎて、実態を無視した甘い数字になってきた。

出生率について政府は去年まで、07年に1.31で下げ止まり、その後は上昇して1.39程度が長く続く、と説明してきた。それが去年は初めて1.3を割り込んで1.29となり、今年も四捨五入した数字には表れない減少が続いている。

人口減少が始まる年が、政府の予測より2年も早まっているとすれば、僕たちはあらためて人口減少社会について根本的に考えてみる必要がある。

政府のこれまでの予想では、2050年に日本の人口は1億59万人になっている、とみていたが、急激な人口減の結果、1億人を切るのはもっとずっと早いのではないか。

出生率がこのままでいくと、孫の世代で人口は半分以下になり、その孫の世代では今の人口の5分の1にまで縮小してしまう。

総選挙の争点は、まずこうした予測を超えた少子高齢化社会の進行と、急激な人口減少社会の到来の中で、限られたお金と働き手をどのように生かしてどんな社会を作っていくのか、ということだ。

高負担・高福祉の社会か、低負担・低福祉の社会か。それとも低負担・高福祉の道があるのか。

所得税も法人税もこれからますます減っていくことが明らかな中で、国と地方を合わせて1000兆円を超している借金をどうするのか。

もはや返済は不可能である旨を政府が宣言して、国家としての破産を内外に認めてしまうというのは、十分にありうる方法だ。

そこまで恥をさらす前に、唯一、合法的に借金を帳消しに出来る超インフレに流れをゆだねてしまう、という方法は最も現実的かも知れない。

僕は、すでに始まった人口減少社会の到来にどのように対応するのかを、候補者選びの大きなポイントとしたい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005/08/22

903SHにしたらタイトルがわずか13文字とは

ボーダフォンの903SHにして、何から何までいいことづくめのような気がしていたが、大きな問題があるのに気づいた。

それはメールの件名の文字数が、全角でわずか13文字しか入れられないことだ。

僕はこれまで、DOCOMOの時もボーダフォン801SHの時も、メールの件名に文字数の制限があるとは思ってみたこともない。

というか、これまで件名を書いていて行数制限にひっかかったことがない。

そこで、これまで使っていた801SHの説明書を見直してみたら、件名の文字数は全角で253文字まで、となっている。

いくらなんでも、こんな長い件名をつける必要に迫られたことはなく、どんなに長くても20文字前後がいいところなので、これまでは制限がなかったと同然だったのだ。

903SHの13文字という制限は、通常のメールを書く場合には、それほど窮屈でもない。

が、問題なのは、このメールを使ってモブログをやる場合に、ブログのタイトルが13文字に制限されてしまうことだ。

僕のブログのタイトルは、たいていが15文字くらいから20文字くらいになっていることが多い。

昨日のライオンの記事のタイトルは、20文字ちょうどになっている。

何を基準にこの文字数になっているかといえば、ニフティの新着情報などでタイトルを見た人が内容を推測しやすいようにしたいということと、タイトルが2行に渡ることは見づらいので避けたい、という兼ね合いだ。

これまでに書いたモブログの場合も同じで、たとえば去年9月の「西安は今日も快晴、5日目のモブログです」は19文字だ。

昨日のもう一つのモブログテストの記事は、もうすこし長いタイトルにしたかったのだが、14文字目からは入力が出来なくなって、結局ギリギリの13文字で「厳しい残暑でも空は秋の気配」とするしかなかった。

メールの件名が13文字というわずかな文字数に制限されているのは、ほかのケータイでも最近はみな同じなのだろうか。

モブログの可能性を考えるならば、せめて20文字程度にしてほしかった、という気がする。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005/08/21

ライオンにかまれて死亡というから、僕はてっきり‥

ジンバブエのサファリパークで、日本人女性観光客がライオンにかまれて死亡。

いやあ僕はてっきり、日本の今の騒ぎのことかと思った。

最近のライオンは激しく凶暴化して、人を人とも思わずに襲いまくっているからなあ。

襲ったライオンの名前は、ユーセーとかミンエーとかジュンとかでなかったか。

明日からの党首たちの演説で、この事件が引き合いに出されるかも知れないな。

小泉ライオンはこの事件を何というのか、番記者たちはちゃんとチェックしてほしい。

ライオンに襲われた日本人といえば、1986年、ナイロビの動物保護区での松島トモ子が記憶に新しい。

彼女は、ライオンにかまれた10日後に、こんどはヒョウにかまれて大けがをした。

松島トモ子は目が大きいので、猛獣が敵と思ったかエサと思ったかで、襲ったという説もあった。

猛獣が松島トモ子に一目ぼれして、可愛がるつもりでかんだりひっかいたりしたのではないか、なんて説もあったような、いやなかったか。

ともあれ、サファリパークでも動物保護区でも永田町でも、生身のライオンには決して油断をしてはいけないということだ。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

厳しい残暑でも空は秋の気配


今年は立秋を過ぎてからの残暑が厳しい。

連日の真夏日、連夜の熱帯夜にもう、うんざりだ。

とはいえ空はすでに秋。こういうのを秋の空ではなくて、空の秋というのだろう。

ボーダフォンの903SHの操作にもだいぶ慣れてきたが、今日は横サイズの写真のモブログテストを兼ねてアップしてみる。
BANYUU050821_1756.jpg

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005/08/20

今年の流行語大賞は「刺客」で決まりか

05-08-20_14-19新聞に「刺客」の文字が躍らない日はない。夕刊紙などが超特大の見出しでこの文字を入れていると、ド迫力がある。

これは正しくは何と読むのだろうか。

辞書を見ると正読みは「しかく」で、広辞苑では「せっかく」という読みも正読み扱いになっている。副読みとして「せきかく」「しきゃく」がある。

テレビなどでは「しきゃく」と言っている人が多いような気がする。「しかく」では聞いてピンと来ないのかもしれない。

意味をみると、「暗殺を行う人」(広辞苑)、「『暗殺者』の意の漢語的表現」(新明解)だそうだ。

では暗殺とはどういうことか。「ひそかにねらって人を殺すこと」(広辞苑)、「〔おもに政治上・思想上の対立から〕(無防備の)反対派の人を、すきをねらって殺すこと」(新明解)とある。

この「無防備の」というくだりは泣けてくるなあ、亀さん、綿さん。ほんとに同情しちゃうよ。

いま次々と送り込まれている刺客は、「ひそかに」とか「すきをねらって」どころか、白昼堂々と殺し屋を名乗って乗り込んでいるので、小泉劇場というステージの上での真剣による殺し合いになっている。

英訳では "Shikaku" (Assassin)となっている。assassinだけでは文字通りの暗殺者となって、日本的な独特のニュアンスが出ないからか、両方を並べてどちらも頭を大文字にして、固有名詞なみに扱っている。

刺客のねらいは、相手を殺すことが第一で、当選を妨害することに尽きる。自分が当選すれば、それはそれで上出来くらいに構えているのだろう。

小泉粛清テロ選挙がらみで、今年の流行語大賞の候補が続々と出てきた。

「白組・青組」「ひからびたチーズ」「くノ一」「殺されてもいい」等々。大賞はやはり「刺客」で決まりか。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2005/08/19

903SHからのモブログテスト


一昨日新しく買い増ししたボーダフォンの903SHから、モブログのテストをしてみる。

写真は昼に飲んだジンジャーエールだが、ブログにどのように反映されるかを見るためのもので、あまり意味はない。

こうして打ち込んでいる最中に、画面の上には文字数の合計とサイズ(バイト数)が表示されていく。

これで約200文字30KBになる。いちおうこれで送信して、どんな具合になっているか見てみたい。
BANYUU050819_1113.jpg

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005/08/18

総選挙で郵政民営化だけを問うのはおかしい

総選挙という国民にとっての最大の主権行使の場が、いとも軽々と弄ばれているのではないだろうか。

いまから思うと小泉首相は最初から、郵政民営化法案の衆院可決・参院否決という流れになるように巧妙に挑発し、かつ誘導してきたような気がする。

小泉首相がねらっていたのは、郵政法案をいったん廃案にして衆院を解散し、それによって自民党内の抵抗勢力の一掃をはかることだったのだ。

反対した議員の非公認と刺客の送り込みは、残暑の中の格好の小泉劇場として、マスコミが面白おかしく連日トップ扱いで報じ、日本中が完全に小泉マジックにはめられた感がある。

このあたりで少し冷静になって、こんどの選挙で国民は何を基準にして一票を投じるべきかを考えて見る必要がある。

郵政民営化に賛成か反対か、という小泉首相の単純な争点提起は、それ自体がとても乱暴である。

今日の日経夕刊の「十字路」というコラムに、国定浩一・大阪学院大学教授が「郵政改革は必要だと考えるが、今回の法案は形だけの改革で、四事業の完全分離が確保されるかなど旧態が温存されるのではないかとの思いを払拭できない」と書いている。

このように、郵政改革は必要だと思うが、骨抜きになってしまった今の法案ならば反対、という人は決して少なくないと思うのだが、小泉首相はこういう人たちにも民営化反対派のレッテルをはるのだろうか。

さらに郵政改革の位置づけは最も重要なところだ。小泉改革の基本は、アメリカ流の市場主義経済を日本社会のすみずみまでいきわたらせ、競争原理と効率優先原理によってムダで不経済の部分を切り落とそうというものだ。

この流れの中で小泉改革が進んでいくと、勝ち負けのハッキリした社会となる反面、格差の拡大と貧困層の増大が大きな問題となってくる。

国と地方の借金の合計が1000兆円を突破している状況の中で、公費の大幅削減はもはや喫緊の課題だ。

総選挙では、こうした破綻に瀕した財政のもとで、どのような社会をつくっていくのか、という基本的な理念とプロセスを国民が考え、選択する場でなければならない。

郵政民営化に賛成か反対か、という争点の矮小化は、こうした最も大切な問題での国民の選択を妨げるのではないだろうか。

(表の新着情報:「21世紀の歩き方大研究」の21世紀エッセイ「時間の岸辺から」に、「何でも入力変換に頼って、難しい漢字が書けなくなった」をアップロード)

| | コメント (0) | トラックバック (2)

2005/08/17

ボーダフォンの801SHから、903SHに買い増し

ドコモの携帯からボーダフォンの801SHに乗り換えたのが、ちょうど1年前の昨日だった。

801SHはネットのBBSなどを見ると、すぐに電源が落ちる、フリーズしやすい、などかなり悪評が高い機種だったが、僕はこれまでさほど大きなトラブルも少なく、それなりにいい機種だと思っていた。

何よりも126グラムという軽さが気にいっていたし、海外ローミングの使い勝手も悪くなく、去年の9月にはこれで西安からの写真付きモブログを、8日間に渡って続けることが出来た。

ところが、1年も経つとアラが出てくるのだろうか。2週間ほど前に突然、サブディスプレイが正常に表示されているのに、メインディスプレイが真っ暗で何も表示されず、電源を落とすことも出来なくなった。

この時は、電源を切れないまま、電池パックを取り出して差し込み直したら回復した。

昨日、また同じようなトラブルが発生し、こんどはメインディスプレイが真っ暗になったと思うと、突然、充電中のランプが点灯したり、サブディスプレイもすべて消えてしまったり、もうケータイそのものが錯乱状態のようになってしまった。

ボーダフォンショップに持って行ったら、修理が終わるまで1週間から10日、預かることになるが、同じ機種の代替機が近辺の店も含めてすべて貸し出し中で、違うメーカーのものなら貸し出せるという。

050817そこでネットなどでいろいろ見てみたところ、ボーダフォンでは同じシャープから903SHという3Gの最新機種が発売されたばかりで、使ってみた人たちの評判もなかなかよさそうだ。

僕にとっての難点は、重さが148グラムとやや重いことと、メモリー媒体が、801SHで使っていたSDメモリーではなく、ミニSDになってしまうことだ。

801SHを修理して使い続けるか(その場合は10日間ほどケータイなしになる)、思い切って903SHに買い増しするか。

迷いに迷ったのだが、903SHはボーダフォンショップでは早くも品切れで、追加予約も受け付けていない、ということを聞いて、いまなら在庫がある量販店で買うことを決断した。

まだ、マニュアルを読むのもこれからというところだが、とりあえずテスト的にカメラを操作したり写真添付のメールを自分あてに送ってみたりした結果では、操作性は801SHと比べると格段に向上している。

サブディスプレスがついていないのを不便と感じる人もいるようだが、ディスプレイを回転させて閉じると、デジカメのような使い方が出来る。

330万画素の性能があるので、このケータイだけでデジカメの機能を兼ねることも出来そうだ。

メールの入力もずっと楽になり、この機種にして正解だったかも知れない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005/08/16

チンドン屋の奏でる音楽は、なぜに物悲しい

05-08-16_11-30駅前の通りを歩いていたら、チンドン屋にでくわした。

子どものころはチンドン屋が楽しくて、どこまでもついて歩いたものだ。

最近は見かける機会はうんと少なくなったが、それでも商店の開店や大セールなどの宣伝で、たまに見かける。

チンドン屋は、いつころから存在していたのだろか。

これについては、チンドン屋のルーツを分析したこのサイトに詳しい。

それによると、江戸時代に鉦や太鼓を鳴らして愉快な口調で飴を売る飴売りがルーツの一つで、これがその後、「とざいとーざーい」という口上や三味線などの音楽とともに、ほかの商売の宣伝を請け負う「東西屋」に発展していく。

もう一つのルーツは、明治の文明開化のころに、軍楽隊を退役した演奏家たちが、小編成の楽隊を編成して、催事などで西洋音楽を演奏する商売を始め、この楽団が「ジンタ」と呼ばれた。

飴売り-東西屋の流れと、ジンタの流れが合体・融合して日本独特の広告宣伝業であるチンドン屋として発展していった、という。

チンドン屋の演奏する音楽は、にぎやかで軽快のようでいて、物悲しく哀愁を帯びているのはなぜだろうか、と僕は考える。

ジンタが西洋音楽を日本に広めていった時から、すでに短調の曲を中心に演奏していたのか、あるいは日本の大衆には短調の曲ばかりが受けたのか。

いずれにしてもジンタといえば、サーカスなどでおなじみの「美しき天然」のように、旅芸人の悲哀を漂わせたようなメランコリーな音楽そのものを意味するようになっている。

暑さの中、チンドン屋が演奏している曲は、華々しい宣伝内容とはうらはらに、ジンタの悲しさそのものだ。

3人のチンドンマンたちの目つきも、なぜか泣き出しそうに見えるのは、気のせいだろうか。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005/08/15

南方の戦線で、食糧が止まって餓死した僕の叔父

敗戦から60年目の8.15。

僕には、顔を知らない叔父さんがいた。

叔父さんは、南方の戦線で戦死した。

南方とはどこで、何という部隊に所属していたのかなど、詳しいことは知らない。

叔父さんは、職業軍人ではなく、赤紙1枚である日突然に徴用されたごく普通の日本の青年だった。

僕が両親から知らされたところでは、叔父さんは敵との戦闘で死んだのではなく、前線に食糧が一切送られて来なくなったために、部隊全員で餓死したのだった。

最前線の兵士たちにとって、食糧が送られてこなくなった状況というのは、どのようなものなのか、想像を絶する。

日本はミッドウェーでアメリカに大敗を喫したあたりで、彼我の軍事力の圧倒的な落差に気づき、みっともなかろうが国内で責任を問われようが、そこで戦争をやめるべきだったのだ。

ところが日本の指導者たちは、むしろ戦線を拡大し、勝算も収拾の算段もないまま、すべての民間人を巻き込んだ総力戦に突き進んだ。

ガダルカナルで、アッツ島で、サイパンで、壊滅的な敗戦をこうむりながら、大本営は皇軍の快進撃と連戦連勝を発表し続けた。

こうした状況では、前線への武器弾薬の補給や食糧の補給が行き詰ることは、当然の帰結であった。

最前線の兵士たちにとって、武器弾薬が断たれるのも地獄だが、食糧が送られてこないことは、生死に直結する。

僕の叔父さんたちの部隊は、食糧が尽きて、本国からはもう送られて来ないことを知った時、どのような状況に陥ったのだろうか。

軍歌の歌詞にあるように、おそらく叔父さんたちは、草を噛み泥水をすすって生き延びようとしたに違いない。

兜も焦がす炎天の中、餓死していく時に叔父さんは何を考えただろうか。

補給線を断たれ、いわば本国から見捨てられ見限られた形で、戦うことなく命を落としていった兵士たちは、あちこちの戦線で膨大に数に上るのではないか、と思う。

戦争指導者たちは、本国の安全な地下壕にこもって世界が見えず、まして前線で起きている地獄図のことなど想像することも出来なかっただろう。

僕は、空腹とのどの渇きに悶え苦しみながらなすすべなく、やがて意識がかすれて死んでいったであろう叔父さんの無念を思うと、悔しくてたまらない。

| | コメント (0) | トラックバック (2)

2005/08/14

反対する人々を徹底殲滅する時代思潮

僕は自民党支持者ではないのだが、小泉首相による郵政法案反対議員への徹底的な叩き潰しには、これからの日本が進む息詰まるような時代の色が見え隠れするように思う。

小泉首相はこれを機会に、自民党という一つの党組織を、多彩な色彩が渾然となったアバウトな集合体から、一つのはっきりした色彩を鮮明にした戦闘集団に変えようとしているのだろう。

それはいわば、自民党の「民族浄化」作戦であり、反対者への容赦ない粛清による反対の芽の掃討である。

このいわば異様な雰囲気を伴った「右向け右」の組織強化は、自民党の中だけのコップの争いならば、笑ってみていられる。

しかし、僕の感じでは、どうもこれは日本の国民全体の中にあるもやもやとした鬱積を背景に、社会全体に伝染していく時代の病のようなものになりつつあるような気がする。

その一つが、NHK受信料不払いの人は、NHKの公開番組に応募しても参加させないという、NHKが打ち出した驚くべき決定だ。

まったく異なる次元の話であるにもかかわらず、刺客を差し向けて郵政反対議員の殲滅をはかることと、受信料不払い者を公開番組から締め出すこととは、あまりにもその精神構造が似通っていて気味が悪いほどだ。

それは、お上のやること、政府の方針、法律が定めたこと、等々に反対し続けたり従おうとしない一般市民に対し、国や公的機関からの支援や恩恵を受ける道を断ち切り、徹底的に締め出しをはかっていくことに道を開きかねない。

例えばこんなことが考えられる。年金未加入の者については、災害時の避難所生活を断る。学校など公的行事の場で君が代斉唱をしなかった者は、公営住宅に入居させない。

生活保護を支給する時には、政府の基本方針に反対するような行動や言論は慎むという誓約書にサインさせる。

有事の際に国防に協力する意思表示をしなかった者は、敵国からの侵攻に対して保護の対象からはずす、等々。

権力を信奉する者にとって、反対する邪魔者どもを一掃することほど魅力的なことはない。

その誘惑にとりつかれて、越えてはならない水域に入り込んでいるのではないか。そんな危惧が募ってくる。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005/08/13

お盆で郷里に墓参

墓参りのため新幹線で新潟に帰省した。

未明まで大雨だったらしいが、昼過ぎには時折、薄日もさす天気となっている。

うちの墓にはすでに3組くらいが墓参にきたらしく、花が供えられている。
僕も花と缶ビールを供えてお坊さんからお経をよんでもらう。

お盆の8月13日は不思議と雨だった記憶がない。朝まで降っていても、墓参りをするころには、やんでいるか悪くても小降りになっていることが多いような気がする。

これは新潟の街の中からのモブログでアップしている。いまから街をぶらぶらと散歩してみる。


BANYUU050813_1356.jpg

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005/08/12

日航ジャンボ機墜落20年と、タラップを上る後姿

日航ジャンボ機墜落から20年。今日のブログは、表の「時間の岸辺から」に連動して、このテーマについて書き分けてみたい。

事故の後、亡くなった乗客の1人が搭乗直前にジャンボ機をバックに記念に撮った写真が、遺族の了解を得て新聞に掲載された。

その写真を見て、さる女性作家が新聞に、こんな内容のことを綴っていたのが忘れられない。おおよそ、づぎのような趣旨だったと思う。

「私は、記念写真に写っている本人よりも、その後方でジャンボ機のタラップを上っている何人かの乗客の姿にひきつけられた。自分が写真に写っていることも知らず、あと30分後の自分の運命も知るよしのないまま、無心にタラップを上っていく人たちの後姿は、実は私たち自身の後姿でもあるのだ」

この洞察の鋭さは、人の運命の本質を突いている。

重い病で死期を迎えている患者ならともかく、この世界で生きている僕たちは通常、30分後に自分が死ぬかも知れない、などということは考えないで生活している。

交差点を渡る時に左右を見て気をつけるとか、作業中のクレーンの下を通る時は上を注意しながら歩くとか、そのくらいのことはするが、それを超えた不測の事態にはなすすべはない。

飛行機に乗る時は、だれもが一抹の不安を抱くはずだが、それでも飛行機はほかの乗り物に比べてはるかに安全だという統計があるのだという。

この統計はなかなか難しいのだが、よくたとえられるのは交通事故との比較だ。

世界で1日に交通事故で死ぬ人は3242人(2002年の統計)に上るが、ジャンボ機は1日に6機も落ちていない、という比較もよく行われている。

交通事故は歩いていても遭遇するが、飛行機事故は飛行機に乗らなければ遭遇しない。この違いをどうみるか。

また、1日の比較ではなく、飛行機に乗っている時間当たりの事故遭遇確率ではどうなるのか、という問題もある。

いずれにしても、現代の社会で日常的に生きていくということは、常になんらかの事故に遭遇するクスクを織り込んでおかなければならない、ということだ。

飛行機に乗らなくても、列車や地下鉄に乗っていても運が悪ければ惨事に遭う。

横断歩道を渡っていても、居眠りや酒酔いの車が突っ込んでくればそれまでだ。

家の中に閉じこもって一歩も外に出なくても、阪神大震災のようなことも起こるし、世田谷一家4人殺害事件のようなこともある。

ジャンボ機のタラップを上る後姿は、僕たち一人一人の後姿であることを、僕も最近は悟るようになっている。

(表の新着情報:「21世紀の歩き方大研究」の21世紀エッセイ「時間の岸辺から」に、「ついこの間のように思い出す、日航ジャンボ機墜落事故」をアップロード)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005/08/11

デジカメプリントがこんなに便利になっているとは

05-08-11_13-42デジカメは便利だが、プリントするのが面倒で、というのが僕のこれまでのイメージだった。

いままで何度かデジカメの写真を量販店でプリントしてもらったが、SDカードやスマートメディアなどの記録メディアを、カメラから取り出して渡すことになる。

出来上がるまでに1日か2日かかり、この間、デジカメは記録メディアのない状態となって不便きわまりない。

しかも、印刷する写真を選択し、枚数を指定するのは、カメラの操作によって、記録メディア自体に書き込んでおく必要があった。

自分のパソコンでプリントする方法もあるが、画質も色もメーカー純正プリントに比べて大きく劣る。

そんなわけで僕はつい最近まで、デジカメはプリントに向いていないのだと思い込んでいた。

今日、たまたまデジカメで撮った写真をプリントする必要に迫られて、量販店のプリント受付コーナーに行ってみた。

「記録メディアを差し込むだけで、簡単に出来ますよ」と言われ、ジュークボックスのような装置の前に行く。

SDカード、スマートメディア、メモリースティックなど5種類の記録媒体に対応していて、僕はデジカメのSDカードを取り出して、差し込む。

すると画面に次々に、撮影された写真が現われ、プリントする写真を選んで枚数を指定する。

僕は、こうやって注文したら記録メディアをデジカメに戻し、何時間か後にプリントされた写真を受け取りに来るものとばかり思っていた。

ところが画面には、「ただいまプリントしています」と表示されている。

約5分ほどすると、指定した写真の枚数分のプリントが、ボックスの下方にそっくり出て来たではないか。

駅構内などにある3分間写真並みのスピードだが、フジフィルムの純正プリントで、デジカメとは思えないほどきれいに出来上がっている。

いつの間にこんなに便利になったのだろう、とテクノロジーの進む速さには驚く思いだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005/08/10

何のポスターかと思ったら、なんと‥

05-08-10目の玉をむき出した異様な男の顔。ギョッとするポスターが、地下通路に貼ってある。

親と歩いている子どもが「コワーイ!」と声を上げるほどの迫力だ。

近寄って見ると、目は洋服のボタン、口はファスナーで、顔は布切れのようなものを配している。

このポスター、なんと今日から始まった歌舞伎座の八月納涼歌舞伎のポスターである。

僕は、お芝居のことは何も知らないので、歌舞伎のポスターがなぜこんなにサイケでアングラ演劇風なのか、不思議な気がしていた。

今日の朝日新聞夕刊の芸能欄を読んで、ようやく分かった。

この八月納涼歌舞伎の話題は第三部の「法界坊」で、演出家の串田和美と中村勘三郎のコンビによって、これまでシアター・コクーンと平成中村座で上演されたものを、新たな演出によって初めて歌舞伎座で上演するのだという。

この記事を読むと、主人公の法界坊は、女好きで強欲で、平気で残酷な殺人もする破戒僧なのだという。

異様なポスターは、法界坊のイメージを現代風にアレンジしたものなのだろう。

昔は歌舞伎座にも行ったものだが、最近は出不精になってすっかりご無沙汰している。

行けば面白いだろうとは思うが、いまからチケットを取るのも面倒だし、このポスターを見て楽しむこととしよう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005/08/09

民営化反対の37人公認せず、有権者はどう動く?

自民党は衆院で郵政民営化に反対した37人を公認せず、全選挙区に候補者を立てる。

小泉首相のこの方針は、郵政民営化の是非を国民に問う総選挙と位置づけた論理からは、当然の帰結かも知れない。

公認されない37人の多くは、いまのところ無所属で出馬する意向で、新党の動きには慎重だ。

政治の世界は非情なものというが、今回の反対派切捨てほど小泉首相の冷酷さを示すものはないであろう。

僕は、郵政はいずれ現在の公社から民営化すべきだと思うが、民営化の前提としてなすべきもっと大きなことがいっぱいあると考える。

みんながほとんど気づかないうちに、日本は世界でもまれに見る格差の激しい国になってしまった。

8月1日の朝日新聞夕刊に橘木俊詔京大教授が書いているところによると、OECDが最近発表した数字で日本は、アメリカとアイルランドに次いで先進国で3番目に高い貧困率となっている。

それを示すさまざまなデータの一つとして、生活保護世帯の急増が挙げられている。

10年前は60万世帯・90万人程度だった生活保護受給者は、現在、100万世帯・140万人に膨れ上がっている。

郵政民営化をはじめとする社会改革は、貧困率の拡大や貧富の格差の拡大を食い止めるものとして、行われなければならない。

ところが今、小泉首相が何が何でも断行しようとしている改革は、基本的には郵政3事業にも市場原理を導入し、厳しい市場原理にさらす中で勝ち負けをはっきりさせていこうというものだ。

当然、民営化された後の郵便保険や郵便貯金に対しては、アメリカの金融資本が軒並み、舌なめずりをして狙っている。

こうした中で行われる民営化では、郵便貯金もアメリカ資本の餌食になって、ズタズタの状態にされるのでは、という不安を拭い去れない。

小泉構造改革の本質は、アメリカ流の市場原理を日本社会に徹底させることによって、社会の隅々にまで競争原理をいきわたらせ、競争に敗れたものたちを排除していくことにある。

郵政民営化に反対した議員たちを、バッサリ切り捨てるやり方に抵抗を感じるのは、こうした基本的な問題がほとんど議論されていないことにある。

無所属で選挙に臨むこれらの反対議員に、日本人特有の判官びいきが加わって、同情票が雪崩を打って集まらないとも限らない。

ガリレオを気取っているコイズミさんは、ふたを開けてみたら裸の王様になっていた、ということだって、あるかも知れない。

選挙は水物である。無党派層の怖さをあなどってはいけない。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2005/08/08

小泉自爆解散、これで政治が面白くなってきた

050808_134200郵政法案の参院否決で衆院解散・総選挙。自民は分裂選挙で政権を失う可能性もでてきた。

小泉首相の公約だった「自民党をぶっ潰す」が本物になるかも知れない。

郵政法案の衆院5票差可決から、今日の参院否決にいたるまでのさまざまな人間模様は、なかなかのドラマだった。

流れが決定的に変わったのは、参院亀井派会長の中曽根弘文議員が、反対を表明した5日の時点だったといえる。

中曽根議員は、中曽根康弘元首相の長男だ。

2年前の総選挙で、中曽根元首相は、小泉首相によって終身比例1位の座を追われ、泣く泣く屈辱の引退を余儀なくされた。

この時、中曽根元首相が「非礼だ」と怒ったことは記憶に新しい。

長男の弘文議員は、この父の屈辱を胸にとどめ続け、参院での首班指名には抗議の欠席をした。

このため小泉首相からは疎まれて、約束されていたとされる参院議長の座も手に入れることなく、扇千景議員に先を超されてしまった。

復讐の機会を虎視眈々と狙っていた弘文議員は、郵政法案への対応をめぐって多くの議員が揺れている決定的な時点で、流れを大きく変える反対表明を行って、父の無念に一矢を報いたといえよう。

今回の解散は、郵政民営化解散といわれているが、自民党にとっては小泉自爆解散といっていい。

総選挙の争点は、郵政民営化はもちろんだが、外交から財政再建、経済、人口減、年金、医療、増税、環境など、山積しているさまざまな問題に渡る。靖国参拝問題も大きな争点だ。

平和憲法を世界に向けて発信し続けていくのか、それとも戦争が出来る普通の国へと憲法を変えるのか。これは底流を貫く最大の争点といっていい。

古い自民党と、コイズミ的自民党とは、選挙でどのように折り合い、敵対していくのか。

政治が面白くなってきた。これは小泉さんの最大の功績といっていいだろう。

| | コメント (2) | トラックバック (2)

2005/08/07

新編・サラダバーのあるレストラン

05-08-06_11-41サラダバーのあるレストランは、いろいろありそうでいて、なかなか手ごろなお店を見つけることは難しい。

去年7月23日のこのブログに、「1回きり」という制限付きのサラダバーがある新宿のレストランの話を書いた。

このレストランはその後、店内を改装して、それとともにサラダバーも消滅した。

ほかにサラダバーのあるいいお店はないか、僕はそれとなく探してきて、最近ようやくいいところを見つけた。

JR新宿駅新南口を出たすぐのところにある、JR系列のレストランだ。

ランチタイムのほとんどのメニューに、サラダバーとドリンクバーがついていて、ここは1回限りという制限もなく、サラダもドリンクも何度でも自由に取ることが出来る。

サラダバーの内容も充実していて、各種の生野菜のほか、マカロニサラダやフルーツポンチなどもある。

ドリンクはコーヒーのホット・アイスのほか、テイー、ウーロン茶などがフリー。

定番のメニューは、これらがついて1000円から1200円程度。ほかに、ドイツフェア、ハワイフェアなど、その時々の企画メニューがあって、これらは1000円。いずれもパンまたはライス付き。

店内が広く、天井も高く、ひろびろとした感じの店で、1人でも気軽に入れる。

禁煙席はあるのだが、完全な分煙ではなく、喫煙席からの煙がときに流れてくるのが惜しまれる。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2005/08/06

広島原爆投下60年と、一つの数式

0508061今日は広島への原爆投下60年で、ヒロシマを中心にさまざまな式典や行事が行われている。

これについての僕の感慨は、表の「時間の岸辺から」に書いたが、ここでは関連して別な話を書く。

僕が初めてヒロシマの原爆ドームや平和記念資料館を訪れたのは、ちょうど10年前の1995年、阪神大震災と地下鉄サリン事件があった年の秋だった。

その時、平和公園周辺のさまざまな慰霊碑やモニュメントなどを見てまわったが、僕が驚きを持って見たのは、平和大橋のところにある広島市立第一高等女学校原爆慰霊碑だ。

第一高等女学校の1、2年生は、この日、建物疎開作業中に被爆して、職員と生徒679名が死亡した。

0508062僕が強い印象を受けたのは、慰霊碑のレリーフだ。中央のモンペ姿の女学生が「E=mc^2」(注:実際には2乗をあらわす2は、cの右肩上に小さな文字で書かれている)という、あのアインシュタインが発見した質量とエネルギーの関係式を手に掲げ、両側の女学生が中央の女学生を慰めている。

この碑には、あなたは原子力の世界最初の犠牲として人類文化発展の尊い人柱になったのです、という意味の説明が書かれている。

僕は、核兵器廃絶に関するさまざまな特集記事を見回しても、核エネルギーの本質についての、こういう冷静で科学的なとらえかたというのは、ほとんどお目にかからない。

なぜ核兵器を使用してはならないのか。それは、この関係式の持つ重大性にある。

c^2というのは、光速×光速である。それに質量をかけたものがエネルギーに変わるわけで、ごくわずかな質量が戦慄すべき多大なエネルギーに変わり得ることを示している。

E=mc^2は、人類が決して弄んではならない究極の関係式なのだ。

(表の新着情報:「21世紀の歩き方大研究」の21世紀エッセイ「時間の岸辺から」に、「人類初の原爆投下から60年に思う、地獄の姿」をアップロード)

| | コメント (2) | トラックバック (5)

2005/08/05

この熱帯夜、就寝中のクーラーはどうする

暑いからといって、クーラーをつけて寝るとよくない、といわれる。

僕も昔は、安易にクーラーをつけたまま寝て、翌朝になってのどを痛めたり鼻かぜをひいたりで、よく体調を崩したものだ。

夜中のクーラーが原因で、本格的な夏風邪をひいてしまったこともある。

それ以来、僕は極力、就寝中はクーラーを止めるようにして、暑さで寝苦しいときは、ベランダのドアを少し開けて、外気を取り込むようにして、夏をしのいできた。

それでも、外気が涼しくなくて、クーラーを入れざるを得ないことが、ひと夏に数回はある。

今年は、このところの熱帯夜で、夜中にドアを開けても外気のほうが熱く湿気をたっぷり帯びていて、かえって汗が吹き出てくるような日が多い。

クーラーは入れたくないが、かといって暑くて眠れないことのほうが夏バテを招きそうだ。

そんなこんなで、ここ数日は、温度設定を32度にして、クーラーをつけて寝ている。風の強さは最弱にする。

32度なんて設定が高すぎて、クーラーが作動しないかと思いきや、それが断続的に作動して、涼しい空気が下りてくる。

ということは、放っておけば室内の温度は32度を超えてどんどん上昇していく、ということだ。

熱気が抑えられるだけでなく、湿気がいくぶん取れて空気がしのぎやすくなるのは、とても楽だ。

のどなど呼吸器をいためたり、体調を崩しはしないかという懸念は払拭されたわけではないが、とにもかくにも緊急避難の形である。

どうも今年の熱帯夜は、例年に比べて湿度が高く、外気がまったく頼りにならないと感じるのは僕だけだろうか。

ほかの人たちは、就寝中のクーラーをどうしているのか聞いてみたいところだ。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2005/08/04

僕の家のTV分電盤を開けて、何をしている?

玄関のあたりで、ガタガタと人の気配がしている。

自転車を動かして、何かの計器盤の扉を開けて、操作をしているらしい。

ガスメーターの点検ならば、担当のおばさんが「ガスのメーター点検です」と必ず、外から声をかけてくれる。

電気のメーターならば、ドアの上にあるので、自転車を動かす必要はない。

消防点検など何らかの作業が必要な場合は、管理組合が紙に書いて張り出すのが常だが、何も張り出してない。

あまりに不審に思ったので、玄関のドアを少し開けて、「何でしょうか」と尋ねてみた。

作業服の男二人組みで、「あ、どうもおさわがせしています。こんどPHSのアンテナを交換するので、事前に調べさせていただいています」という。

PHSのアンテナ? なんのこっちゃ? うちはPSHなど使ってないのに、それがどういう関係があるのだろう、と思う。

「屋上のテレビアンテナのところに、PHSのアンテナをつけておりまして、それをこんど交換するもので‥」と説明しているが、そんな話は管理組合から一言も聞いていない。

二人の男が、扉を開けて操作していた箇所は、よく見ると「TV分配器函」と書いてある。たぶん屋上のアンテナから、各戸にアンテナ線を分けるための機器なのだろう。

PHSとの関係は、ますます分からない。もしかして、盗聴器のようなものを取り付けられたりしていたら、いやだなあ、と思う。

日本を戦争が出来る普通の国家にしようという動きが本格化しているので、ホームページやブログなどで、こうした動きに批判的なことを書いている家に、盗聴器をつけるくらいは簡単なことだろう。

なにしろ、お隣の某県警では、組織ぐるみで盗聴器を仕掛けても、だれもなんの責任もとらせられてないくらいだから、このIT社会で電話の盗聴はもちろんのこと、メールの盗聴などはお手の物だろうと思う。

いかにもという作業服姿だったのも、いよいよあやしい。疑心暗鬼がつのるいやな社会になってきた。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005/08/03

航空機炎上、309人全員がシュートで脱出

飛行機に乗ると、離陸の直前に、非常時の注意事項についての説明がある。

以前は、アナウンスにあわせて客室乗務員が身振り手振りで案内していたが、最近はモニターテレビ画面で映像付きで説明することが多くなった。

説明は大きく分けて、酸素マスクの使用法と、脱出シュートの使い方に分かれている。

このうち酸素マスクについては、機内の気圧低下などで、マスクが降りてきて実際に使用する事態は結構ひんぱんにあるようだ。

しかし、脱出シュートについては、実際にこれを使って乗客たちが脱出する事態は、あまり聞いたことがないように思う。

一生懸命、説明されているわりには画面を見ている人も少ないようだ。

僕は脱出シュートを使うようなケースはめったになく、万一の場合は脱出シュートを使う以前に、墜落や爆発するケースがほとんどではないか、と思っていた。

日本時間の今日未明、カナダ・トロントの国際空港で、エールフランスのエアバスが着陸後にオーバーランして、炎上。

乗客・乗務員309人が炎上する直前に、脱出シュートから機外に逃げて、43人が軽いけがをしただけで1人の犠牲者も出なかった、というニュースには目をみはる。

全員が脱出した直後に機体全体が火に包まれたというから、脱出シュートは文字通り命綱となった。

煙が立ちこめ、炎も見える状況で、よくパニックにならずに、全員が順序良くシュートから滑り降りたものだと感心する。

脱出シュートを使う非常時には、荷物は持たないで、というのが絶対的なルールである。

すべての乗客の大切な荷物を捨ててでも、1人でも多くの乗客の命が助かることの方が優先する。

この時に、自分1人くらいは荷物を持っても大丈夫だろう、という考えを起こすものがいると、すべてがぶち壊しになって、多大な犠牲を出す原因となる。

またハイヒールを履いたままシュートをすべると、尖ったヒールでシュートを切り裂く可能性があるため、かかとの固い靴は脱ぐ必要がある。

今回のトロントでの309人全員脱出の教訓は、あとで詳しく分析・解析を行って、飛行機に乗るすべての乗客が手軽に読めるようなパンフレットにまとめてほしいものだ。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2005/08/02

ポケモン・スタンプラリーでJR各駅は大賑わい

05-08-02_12-16このところ連日、首都圏のJR各駅はスタンプ台紙を手にした親子連れで、大賑わいだ。

7月30日から始まったポケモン・スタンプラリーで駅をめぐる親子連れで、駅のスタンプ台には列が出来ている。

このラリーは首都圏の97のJR各駅に、それぞれ異なるポケモン・キャラクターのスタンプが置いてあって、このうち7つのスタンプを押してゴール駅に行くと、参加賞品としてポケモン・レジャーシートがもらえるのだ。

8つの駅を経由する必要があるが、その都度、乗車券を買わないで、大人730円、子ども360円で都区内を1日乗り放題のパスを使う方法もあるという。

夏休みに、どこかに連れてってと子どもにせがまれた親にとっても、ちょうど手ごろな散歩コースなのだろう。

参加賞品は30万個用意しているというから、相当な数の親子が、スタンプを求めてJRの電車を乗り継いでいることになる。

普通の子どもは、8駅をめぐるコースで満足するだろうが、ポケモンオタクの子どもなら挑戦したくなる、もっと凄いコースも用意されている。

97駅のうちの3駅では、偶数日と奇数日で違うスタンプを置いている。すべてのスタンプを押して回るとちょうど100種類になり、これをすべて制覇するとオリジナル・オレンジカードと真鋳製の認定証がもらえるのだ。

ただし、100種類のスタンプを集めるためには、大船、熊谷、千葉、土浦などにも足を伸ばさなければならず、ラリーの期間が今月14日までであることを考えると、かなり難易度の高いラリーとなる。

100種類を集める根性モノの親子は、どれくらいいるのだろうか。1日では97種類しか集められないので、最低2日はかかるが、挑戦してみるのも面白そうだ。

(表の新着情報:「21世紀の歩き方大研究」の21世紀エッセイ「時間の岸辺から」に、「いまどき2時間半もの工事停電とは」をアップロード)

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2005/08/01

ベランダから遠花火で、神宮花火大会

jinguu21今日は神宮花火大会。

昔はチケットを買って行ったこともあったが、最近はずっと、家のベランダから遠花火を楽しんでいる。

数年前までは、さえぎる建物もなく良く見えていたのだが、行く手に高層マンションが出来てからは、左端が見えなくなってしまった。

それもまたよし。建物の間からのぞく遠くの花火もオツなものである。

距離が離れているため、光と音が一致しない。光に遅れて、音花火が聞こえてくる。

ほかの方向にも、かつてはいろいろなところの花火大会を、はるかに望むことが出来ていたが、高い建物が増えてきて、大半は見えなくなりつつある。

それでも、遠方からかすかに聞こえてくる花火の音には、ときめくものがある。

遠花火一呼吸して爆ぜにけり 黒島孤礁

遠花火音して何もなかりけり 河東碧悟桐

| | コメント (0) | トラックバック (0)

旧暦7月7日が七夕なのは、月の形が船になるため

マスメディアのせいか、七夕はすっかり新暦の7月7日で定着しているが、今月11日は旧暦の七夕だ。

なにげなく天文年鑑を見ていて、七夕には本来、旧暦の7月7日でなければならない理由があることを初めて知った。

それは、月の形である。

この日、彦星は年に一度、天の川を渡って織女星に遭うのだが、どのような方法で天の川を渡るのだろうか。

それは月の船である。旧暦7月7日の月は、きれいな船の形になって、宵の空に輝くのだ。

新暦の今年7月7日は新月の直後で、月の姿はどこにもなかった。これでは天の川を渡る方法がない。

こうしてみると、年中行事とりわけ月が関係してくる行事は、旧暦でなければならないものが少なくない。

その最たるものは、中秋の名月だろう。どんなに新暦が定着しても、これは旧暦8月15日以外ではあり得ない。

今年の中秋の名月は9月18日になる。

その後の、十三夜は旧暦9月13日で、この日の月を栗名月と呼ぶ。今年は10月15日が十三夜だ。

ときには旧暦に立ち返って季節をみてみると、新暦とはまた違う味わい深いものがある。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2005年7月 | トップページ | 2005年9月 »