チンドン屋の奏でる音楽は、なぜに物悲しい
駅前の通りを歩いていたら、チンドン屋にでくわした。
子どものころはチンドン屋が楽しくて、どこまでもついて歩いたものだ。
最近は見かける機会はうんと少なくなったが、それでも商店の開店や大セールなどの宣伝で、たまに見かける。
チンドン屋は、いつころから存在していたのだろか。
これについては、チンドン屋のルーツを分析したこのサイトに詳しい。
それによると、江戸時代に鉦や太鼓を鳴らして愉快な口調で飴を売る飴売りがルーツの一つで、これがその後、「とざいとーざーい」という口上や三味線などの音楽とともに、ほかの商売の宣伝を請け負う「東西屋」に発展していく。
もう一つのルーツは、明治の文明開化のころに、軍楽隊を退役した演奏家たちが、小編成の楽隊を編成して、催事などで西洋音楽を演奏する商売を始め、この楽団が「ジンタ」と呼ばれた。
飴売り-東西屋の流れと、ジンタの流れが合体・融合して日本独特の広告宣伝業であるチンドン屋として発展していった、という。
チンドン屋の演奏する音楽は、にぎやかで軽快のようでいて、物悲しく哀愁を帯びているのはなぜだろうか、と僕は考える。
ジンタが西洋音楽を日本に広めていった時から、すでに短調の曲を中心に演奏していたのか、あるいは日本の大衆には短調の曲ばかりが受けたのか。
いずれにしてもジンタといえば、サーカスなどでおなじみの「美しき天然」のように、旅芸人の悲哀を漂わせたようなメランコリーな音楽そのものを意味するようになっている。
暑さの中、チンドン屋が演奏している曲は、華々しい宣伝内容とはうらはらに、ジンタの悲しさそのものだ。
3人のチンドンマンたちの目つきも、なぜか泣き出しそうに見えるのは、気のせいだろうか。
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