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2005/08/12

日航ジャンボ機墜落20年と、タラップを上る後姿

日航ジャンボ機墜落から20年。今日のブログは、表の「時間の岸辺から」に連動して、このテーマについて書き分けてみたい。

事故の後、亡くなった乗客の1人が搭乗直前にジャンボ機をバックに記念に撮った写真が、遺族の了解を得て新聞に掲載された。

その写真を見て、さる女性作家が新聞に、こんな内容のことを綴っていたのが忘れられない。おおよそ、づぎのような趣旨だったと思う。

「私は、記念写真に写っている本人よりも、その後方でジャンボ機のタラップを上っている何人かの乗客の姿にひきつけられた。自分が写真に写っていることも知らず、あと30分後の自分の運命も知るよしのないまま、無心にタラップを上っていく人たちの後姿は、実は私たち自身の後姿でもあるのだ」

この洞察の鋭さは、人の運命の本質を突いている。

重い病で死期を迎えている患者ならともかく、この世界で生きている僕たちは通常、30分後に自分が死ぬかも知れない、などということは考えないで生活している。

交差点を渡る時に左右を見て気をつけるとか、作業中のクレーンの下を通る時は上を注意しながら歩くとか、そのくらいのことはするが、それを超えた不測の事態にはなすすべはない。

飛行機に乗る時は、だれもが一抹の不安を抱くはずだが、それでも飛行機はほかの乗り物に比べてはるかに安全だという統計があるのだという。

この統計はなかなか難しいのだが、よくたとえられるのは交通事故との比較だ。

世界で1日に交通事故で死ぬ人は3242人(2002年の統計)に上るが、ジャンボ機は1日に6機も落ちていない、という比較もよく行われている。

交通事故は歩いていても遭遇するが、飛行機事故は飛行機に乗らなければ遭遇しない。この違いをどうみるか。

また、1日の比較ではなく、飛行機に乗っている時間当たりの事故遭遇確率ではどうなるのか、という問題もある。

いずれにしても、現代の社会で日常的に生きていくということは、常になんらかの事故に遭遇するクスクを織り込んでおかなければならない、ということだ。

飛行機に乗らなくても、列車や地下鉄に乗っていても運が悪ければ惨事に遭う。

横断歩道を渡っていても、居眠りや酒酔いの車が突っ込んでくればそれまでだ。

家の中に閉じこもって一歩も外に出なくても、阪神大震災のようなことも起こるし、世田谷一家4人殺害事件のようなこともある。

ジャンボ機のタラップを上る後姿は、僕たち一人一人の後姿であることを、僕も最近は悟るようになっている。

(表の新着情報:「21世紀の歩き方大研究」の21世紀エッセイ「時間の岸辺から」に、「ついこの間のように思い出す、日航ジャンボ機墜落事故」をアップロード)

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