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2005/09/30

僕を阪神ファンにした恐るべきスキヤキの話

今日のブログは、「表」の21世紀エッセイ「時間の岸辺から」と連動して、同じテーマについて書く。

20年前の1985年、2年前の2003年、そして今年2005年。

阪神タイガースの優勝は、いつも僕を陶酔させ、極上の快感によってしばし、世俗の憂さを忘れさせてくれる。

とりわけ今年は、本拠地での巨人戦で胴上げを勝ち取っただけに、チームもファンも感慨ひとしおである。

1985年の優勝の翌年、僕はそれまで通算12年間勤めた職場を離れて、技術系職場に異動することになった。

その時、異動が発表された部会で、僕は部を去る挨拶の中でやおらラジカセを伴奏に、六甲おろしを3番まで歌い、居並ぶ部長以下全員を唖然とさせた経歴を持つ。

僕がなぜ阪神ファンになったかについては、実は深~いワケがあるのだ。

この話は、パソコン通信時代にどこかの談話室で一度書き、さらにその後、ASAHIネットの超長行の自己紹介の中や、98年7月の「表」の「大世紀末つれづれ草」でも書いているのだが、稀有の話なので阪神優勝記念として、このブログでも紹介しておきたい。

話は、僕がまだ小学1、2年のころに遡る。当時、父が勤務する会社が移動動物園というのを主催して、県内を巡回して回っていた。

その移動動物園で、一頭のトラが夜中にオリの中で暴れたらしく、高圧電流に触れて感電死するという出来事があった。

このニュースが報じられて2、3日後のことであった。いつも帰りが遅い父が、なぜか早く帰ってきて、「今日はスキヤキだぞ」という。

父が持ってきた包みには、1キロほどもあろうかという赤身の薄切り肉があった。豚肉ですら高価でめったに食べられなかった時代だ。

そのスキヤキは一生忘れられないほどの美味しい味だった。

食べ終わってから、父がやおら口を開いた。「うまかっただろう。この肉は、じつはなあ」。

僕はその続きを、まともに書く勇気はない。検疫などどうしたのだろうか、とも思うが、当時はそんなことを言っている社会状況ではなかったのだろう。

かくして、禁断のスキヤキを食べてしまった僕の体内には、トラの血とDNAが流れ続けることになり、タイガースファンとして一生を生き続ける定めとなった。

この話は、本当の実話である。ガオーッ。

(表の新着情報:「21世紀の歩き方大研究」の21世紀エッセイ「時間の岸辺から」に、「甲子園には魔物がいる、高校野球にも阪神戦にも」をアップロード)

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2005/09/29

北極海の氷が過去最小に、溶けた水はどこへ

コイズミ劇場だの刺客だの万博閉幕だのと、目まぐるしく過ぎ去っていくさまざまなニュースの陰で、気になる話がひっそりと新聞に載っている。

年年縮小を続けている北極海の氷が、今年の9月は観測史上最小となり、このままでは今世紀中に北極海の氷は姿を消し、ホッキョクグマなどが絶滅する、というのだ。

これはNASAと米氷雪データセーターが共同で発表したもので、信頼性の高いデータといえる。

ホッキョクグマなどの絶滅も大問題だが、素朴な疑問として氷が溶けた水はどこへ入ったのだ、ということだ。

これが南極の氷が増えているというなら、話は分かるが、南極の氷も縮小が続いていて、さらにアルプスなどの氷河も溶けて後退を続けている。

そうすると、これらも含めて温暖化で溶け出した氷は水となって、そのまま海水の増加となっているとしか考えられない。

事実、世界各地のゼロメートル地帯では、海水面の上昇による浸水の頻度が増していて、もはや陸地の水没は現実の問題となっているのだ。

その象徴がイタリアのベネチアだ。ベネチア自体がこの100年間に12センチ沈下したのに加え、アドリア海の海面が11センチ上昇していて、1920年代には年平均5回程度だったサン・マルコ広場の冠水は、ここ数年では年60回にもなっている。

地球全体での海水面の上昇と、海水温の上昇が、同時に、そして交互に影響しあって進行しているとしたら、それによる影響は想像を絶する破壊的なものになると思われる。

世界各地で、海に近い平野部の大都市がこれから浸水・冠水に見舞われていって、都市として機能しなくなっていった時、あわてて温暖化防止に取り込んだとしても、もう手遅れだろう。

ホッキョクグマの危機は、生命圏全体の危機であり、地球そのものの危機である。

市場原理主義を振りかざしてあくことなき経済発展を追い求める各国の指導者たちに、その自覚があるのだろうか。

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2005/09/28

使用18年目のテレビが修理で蘇った

05-09-28_16-2725日のブログで書いた三菱の37型ブラウン管テレビが、メーカーのサービスセンターからの出張修理で見事に蘇った。

電話で修理の依頼をする時、そんな古い型のテレビはもう部品がないので修理は出来ない、と言われるかと思っていたら、快く修理に来てくれた。

修理に来た担当者は、電源が入りにくくなって、主電源を切ったり入れたりしているうちに一時的に回復する、という僕の説明を聞くと、「その症状ならコンデンサーの不具合ですね」といって、テレビの後部カバーを外し、複雑に入り組んだ回路の部分を仔細に点検し始める。

そして、ハンダごてで回路の一部を溶かして問題と思われるコンデンサー2個を取り外し、この型番の修理用なのだろうか、さまざまなコンデンサーやパーツが詰められた袋の中から、新しいコンデンサーを取り出して、またハンダごてで回路基板に接着させていく。

7月18日のブログに書いた三菱のエアコンの修理の時も、室外機の回路をハンダごてで直す様子に僕は目をみはったものだが、集積回路が入り組んだ基板をハンダごてで溶かしたり接着させたりというのは、モノづくりの原点のようで見ていて興味津々だ。

結局、どんなにテクノロジーが進歩しても、僕が子どものころに鉱石ラジオなどを作る時に使ったハンダごてで鉛を溶かす以外に、効果的な修理の手立てはないというところが面白い。

今回使っていたのは、細い針金状の糸ハンダで、修理する人は、あまりにも細かい部分のハンダ付けなので、手元をルーペで確認しながらの精密な作業だ。

これによって、電源がほとんど入らない不具合は完全に直り、それどころかブラウン管の写りも良くなったような気がする。

修理代金は、部品代、技術料、出張料、消費税を入れて、12600円だった。これくらいなら安いものだと思う。

あと何年くらい持つだろうか。あと2年持てば、購入後20年間使用という記録達成だ。

願わくば、あと6年持って、地上波テレビが完全にデジタルに切り替わってアナログ放送が終了する2011年まで持ってほしいものだ。

そうすれば、購入から24年間使うことが出来た、という稀有の記録となる。ブラウン管の調子がいいので、もしかすると達成できるかも知れない。

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2005/09/27

「埴生の宿」の埴生って? 知らなかった‥

昔から長年耳にしたり口ずさんだりしている歌の歌詞で、何の意味かまったく分からないまま、気にもとめなかった言葉がたくさんある。

おなじみ「埴生の宿」の埴生がそうだ。テレビで歌詞が字幕で流れるのを見ていて、僕は埴生の意味をまったく知らないことに気づいた。

「埴生の宿」というとロマンチックな感じがするが、埴生とは地名だろうか、それとも椰子の葉のような南方の植物だろうか、などと思ってみる。

そこで辞書を引く。

埴生とは、埴(はに)のある土地となっている。埴とは、赤色の粘土のことで、埴生の宿とは「土で塗ったみすぼらしい家」(新明解)とある。

ひえーっ、僕の想像していたイメージとはまったく逆だ。よくも、埴生の意味を知らないままで、人生ここまで生きてきたものだと、あきれてしまう。

こうしたことって、実に多い。

「城ヶ島の雨」の、利久鼠の雨がふる、というくだりがそうだ。利久鼠って、どんなネズミだろうか、城ヶ島に棲息しているのだろうか、などと漠然と考えていた。

が、これも調べてみると、「利休色で鼠色がかったもの」とあって、これは色のことなのだ。

では利休色とはどんな色だろう、と己の無知が次々にあらわになっていく。これは「緑色をした灰色」のこととある。

さすが北原白秋、言葉の使い方がわれわれ凡人とは違う。

最近は、テレビで昔の愛唱歌や抒情歌を聴く時には、辞書をかたわらに置くことにしている。

♪なじかは知らねど‥ 「なじか」ってなんのこと? 辞書辞書!

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2005/09/26

自然に戻れないコウノトリの哀しさ

人間に飼育された動物が自然に戻るのは、ことのほか大変なことのようだ。

ひとたび人間から餌をもらうことを覚えた動物は、自然界にとけこむすべを知らず、自力で餌を取れないだけでなく、同じ種類の野生の動物たちから仲間はずれにされて、時によっては殺されることもある、と何かの本で読んだ記憶がある。

日本でいったん絶滅し、兵庫県豊岡市で人工飼育による繁殖を続けた結果、24日に自然に戻された5羽のコウノトリのうち、最も若い2歳のメスが放鳥から1時間半後に、生まれ育った県立コウノトリの郷公園にある屋根のないケージに舞い戻り、それから一歩も外に出ようとしない、という。

テレビのニュースで映された放鳥の様子は、いきなり人間から突き放されて、とまどいながら飛び立つコウノトリの姿が、なんとなく気の毒でもあった。

傷ついて動けなくなった鳥や獣が、人間に保護されて手当てを受けた結果、再び仲間たちのいる森や山に返される光景は、ときどきニュースでみかける。

これはまだ、もとの仲間たちがいるから、戻っていってもなんとか受け入れてみらえるだろう、という見通しがある。

しかし、野性で生息している仲間のいないコウノトリは、放鳥された後、自分たちで生きていけるのだろうか、と心配になってくる。

メスが戻ってきたケージには、見学者たちの観察用として羽を切られた9羽のコウノトリが放されていて、このメスは彼らから威嚇されたり突付き回されたりしていて、それでも外に出ないというから、なんとも哀れな話だ。

それでも人間の立場としては心を鬼にして、無理やりに追い立て続けてでも、自然に戻した方がコウノトリのためなのだ、という意見もあるだろう。

コウノトリを絶滅に追い込んだのは人間だ。その人間がこんどは、人工繁殖がうまりいったからといって、嫌がるコウノトリをなんとか自然に戻そうとしているのは、なんだか勝手すぎやしないか、という気もしないでもない。

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2005/09/25

18年間使ってきた37型TV、電源の調子が悪い

僕の家には、製造されたのが1987年と、まだ東西ドイツが分裂していてソ連が厳然と存在していたころに作られた三菱の37型ブラウン管テレビが健在だ。

実に18年も使い続けていて、奇跡ともいえる堅牢さを誇っているテレビで、ブラウン管の写りはゴーストが出ていたりするものの、色彩などは結構鮮やかで使用に耐えてきた。

5年前に、色彩が赤だけしか出なくなったことがあったが、修理をしてもらって持ち直している。

そのテレビが昨日から、電源が入りにくくなった。リモコンでも、本体操作でも、電源が入らない。

いよいよ寿命かと、どうやったらこの巨大テレビを処分できるのか、ネットでいろいろ調べてみたが、リサイクル料のほかに運搬・引き取り料がかかり、しかも18年前のものは引き取れないとしている業者も多い。

そもそも、このテレビをどの店で買ったのかが分からなくなっていて、購入当時の伝票などもまったくなくなっている。

廃棄する決断をすべきか、それともまだ修理は可能かなど、あれこれ考えながら主電源を入れたり切ったりしているうちに、突然、電源が入って映像と音声が流れ出した。

おっ、生き返ったぞ、と思ったが、これは永続せずに、すぐまた電源が入らなくなってしまう。

いろいろ試みているうちに、ともかく主電源を切って入れなおす動作を繰り返しているうちに、本体でもリモコンでも電源を入れることが出来るようになることが分かった。

しかし、この状態もいつまで続くか保証はない。

やはりダメモトで修理を依頼してみようか。それでまた数年持つようなら儲けものだ。

愛着のあるテレビなので、ここまできたらなんとかして、使用20年の実績を作ってみたい。

(表の新着情報:「21世紀の歩き方大研究」の21世紀エッセイ「時間の岸辺から」に、「ブログ全盛時代のホームページのあり方」をアップロード)

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2005/09/24

古い保険証は役所に返却する必要があるか

今月末で有効期限が切れる現在の保険証について、今日、再来年の9月末まで有効の新しい保険証が郵送されてきた。

これまでの保険証はペナペナの紙製で、簡単に切れたり破れたりしそうなチャチなものだったが、こんどは一応プラスチック製でしっかりした作りになっている。

送付状には、いろいろな注意事項ととも、「古い保険証は、役所か出張所の窓口または郵送にてお返しください」と書かれている。

古い保険証は、だまっていても今月末で有効期限が切れる。それは、各人がハサミを入れて捨てればそれでよさそうなものだが、役所に返却せよというのは、どんな理由によるものかといぶかる。

返却しないで、悪用するものがいたら、役所の責任が問われる、ということだろうか。

しかし、有効期限が切れた保険証を悪用するものがいるだろうか。かりにいたとしても、窓口などで突っ返されて使用できないのではないか。

そもそも、古い保険証を返すために、わざわざ役所や出張所の窓口へ出向く律儀な人は、どのくらいいるのだろうか。

必ず回収しなければならないほど重大なものならば、返却用の封筒くらいは同封してくるべきだと思う。

返却する理由も書いてなく、返却しなかったらどうなるかも書いてない、ということは、期限が切れたらそのままハサミを入れて廃棄しても構わないような気がするのだが、なにか法令違反になるのだろうか。

かりに返却したとして、役所では返却状況を細かくチェックしているのだろうか。役所で受け取ってただ捨てるだけだったら、持参したり郵送したりする意味はほとんどないような気がする。

どの自治体も同じように返却を求めているのだろうか。古い保険証を棄却してしまった後で、厳しく返却を督促され続けるのもまた嫌だし。どうしたらいいものか、思案にくれるところだ。

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2005/09/23

米軍はイラクから撤退し、自国でハリケーンと戦え

「カトリーナ」に続く巨大ハリケーン「リタ」の襲来を目前に、130万人もの市民をどこにどうやって避難させるかで右往左往しているアメリカ。

こうした異常事態の中で、米国内ではさまざまな議論が噴出しているようだ。

ニューオーリンズでの黒人差別や貧困層への対策遅れなど、アメリカ社会が抱える暗部や恥部の問題は、とりあえずおくとしても、この巨大ハリケーンの相次ぐ襲来は、唯一の超大国となったアメリカの振る舞いと、何か関係があるのではないか、という疑問は誰しも抱くところだ。

ハリケーンのエネルギーとなるのは、メキシコ湾の高い海水温だ。このところの海水温の上昇は、温暖化と関係があるのではないか、という指摘がアメリカ国内でも出てきた。

ブッシュ大統領が「温暖化は官僚の作文に過ぎない」として、産業界の足をしばる温暖化対策に一貫して消極的であることは、世界が周知の事実だ。

米上院エネルギー委員会の公聴会では、民主党議員が「強大ハリケーンと温暖化には関係があるのでは」として、ブツシュ政権の姿勢を批判した。

もう一つの問題は、国内を大きく揺るがしている相次ぐハリケーンの襲来をよそに、イラクでは14万7000人もの米軍が駐留を続け、泥沼からの脱却のメドも立っていないことへの疑問の声だ。

米国内でも、イラクから米軍を撤退させて、戦費をハリケーン被害の救済や新たな被害の防止にあたるべきだという声が噴出している。

こうした声に対してブッシュ大統領は22日、米軍の早期撤退や戦費削減の考えがないことを強調している。

相次いで誕生している巨大ハリケーンは、ブッシュ政権の傲慢な一国主義が生み出した鬼っ子であり、米国は自国の産業と経済をすべてに優先させるアメリカ流市場主義の高価な代償として、地球そのものから手痛いしっぺ返しをくらっているのではないか、という気がしてくる。

「リタ」は間もなくテキサスやルイジアナ州に上陸する。「敵」の上陸がこれほどはっきりと予測できていて、相手の手ごわさも分かっているのに、どうすることも出来ない米国というのは、裸の王様を見る思いだ。

いまなすべきことはただ一つ、すべての米軍がイラクから撤退し、そのまま「カトリーナ」の被災地復興と、「リタ」で予想される被害の食い止めや避難民の支援にあたることだろう。

米国の敵は、イラク国内の「テロリスト」ではなく、自国のおごりと過信が生み出した一つ目玉のモンスターたちである。

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2005/09/22

国勢調査とプライバシー

10月1日現在で全国民を対象にした国勢調査が行われる。

今日、新聞受けに「調査についてのお知らせ」というチラシが入っていた。

それによると、人口・世帯の実態を明らかにする国の最も基本的な統計調査です、と意義が強調されている。

あれっ、人口・世帯の実態は、厚生労働省が1カ月ごとに集計し、半年ごとに発表している人口動態統計で十分把握できているはずじゃないのかなあ。

国勢調査は総務省の担当だから別なのか。いや待てよ、同じ総務省が管轄する住民基本台帳にもとづく1年ごとの集計も信頼性は高いはずだ。

なんだか屋上屋を重ねる税金の無駄遣いのような気がしないでもない。コイズミ大統領は、たしか小さな政府をつくると言ってなかったっけ。

国勢調査は、たとえば前回の調査表を見ても、居住者全員の実名を書かせた上で、どうしてこんな踏み込んだ内容まで尋ねるのだろうか、と思うような質問がやたら多い。

届出の有無に関係なく配偶者があるかどうかや、配偶者との離別・死別まで記入する必要はあるのか。

また家計の収入の種類や、最終学歴までこと細かに調査する必然性はあるのか。

さらに勤め先の課名や事業の内容まで書かせるのはなぜか。

住宅の床面積も必要かどうか疑問だが、僕が最も理解に苦しむのは、共同住宅に住んでいる場合、何階建ての住宅の何階に住んでいるかを書かなければならないことだ。

何階に住んでいるかなんて余計なお世話で、そんなプライベートなデータを表に出すことは防犯上からも極めて危険ではないか。

国家が国民一人一人について、こと細かに把握し管理したいという欲求は分かるが、行き過ぎた調査を無理やり強行すれば、国民の間には国勢調査離れが起きかねない。

僕は、調査表が配られたら必要最小限のデータは記載するが、自分で納得できないデータについては記載しないで空欄にし、封筒に密封して提出するつもりだ。

この記事の続報は、10月1日の記事に。

参考サイト 国勢調査の見直しを求める会

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2005/09/21

1本の新巻鮭を下ろして切り分ける

05-09-21_16-22北海道から送られてきた新巻鮭を切り分けた。

まず、すべり止めの付いた軍手を99円ショップで買ってくる。

キッチンの調理スペースに新聞を敷いてまな板を載せ、新巻鮭の頭を左側にして、出刃で頭を切り落とす。

その位置のまま、こんどは右の尻尾のほうから包丁を入れて、中骨に添って包丁を左に少しずつ動かして、半身を切り分ける。

つぎに、尻尾を左側にして頭の側から中骨の下に包丁を入れて、下の半身から中骨1本をごっそり切り分ける。

これで3枚おろしは完成だ。

あとは、身の部分を一切れずつに切り分け、頭と骨も適当な大きさに切る。

昔は、平目の5枚おろしをやったことがある。これは出刃ではだめで、刺身包丁を使わなければきれいに出来ない。

一匹丸ごとの魚をさばく作業は、狩の獲物を解体しているようなギャートルズ的快感がある。

今夜のおかずは、切り立ての鮭の塩焼きでいってみたい。

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2005/09/20

歯科医の女の先生が辞めて後任は男、憂鬱だなあ

僕は子どものころから歯医者が大嫌いだ。

その僕が20年以上も前に、上下左右16本の歯を一気に治療して、4本ずつブロックで固めたのは、「これで一生持ちます」という歯医者の言葉を固く信じたためである。

ところが、である。一生持つどころか、何年もしないうちに、あちこちの歯がかわるがわるに痛みだし、僕はその都度、鎮痛剤などでだましだまし、乗りきってきた。

しかし、それにも限度があって、5年前、眠ることもモノをかむことも出来ないほどの激痛に襲われ、ついに別の歯科医の門をくぐるはめになった。

その時、僕の治療にあたった女の先生は、歯の治療ではそもそも一生持つなどということはありえないこと、ブロックで固めるのは最も邪道であること、などを懇々と説明しながら、半年間に渡って治療を続けてくれた。

以来、その先生からは6カ月ごとに、歯の定期健診と掃除の案内ハガキが届くようになり、僕は毎回欠かさずに歯をチェックしてもらっていた。

とても几帳面な先生で、小さな異常も見逃してくれなかったが、治療は丁寧でやさしく、痛みに過敏な僕の体質に合わせて、穏やかな治療をしてくれた。

今年は1月に検査と掃除をしてもらったので、こんどは7月にハガキが来るものと思っていたら、今回はいつまで待ってもハガキが来ない。

今日、歯科医に電話して聞いてみたら、なんと僕の担当だった女の先生は、3月に辞めてしまったとのこと。ガ~ン!!

定期健診と掃除の日を予約したものの、こんど僕の担当になるのは男の先生だという。いやだなあ、男の先生なんて。

男の歯科医というと、僕は映画「リトル・ショップ・オブ・ホラーズ」で偏執狂的なサディストの歯科医を好演したスティーブ・マーチンを思い出す。

マゾの患者のビル・マーレイとの掛け合いは、腹の皮がよじれるほどに面白かったが、こんな歯科医がいたら、たまったものでないぞ、という恐怖もまたわいてくる。

こんど僕の担当になる男の先生が、スティーブ・マーチンに似ていたらどうしよう。

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2005/09/19

中秋の名月、敬老の日、彼岸の入りの順番は

昨日が中秋の名月で、今日が敬老の日、明日が彼岸の入り。これって、順序がヘンな気がしてならない。

なんとなくイメージとしては、まず敬老の日がきて、彼岸の入りがあり、しばらくして中秋の名月がある、というのがしっくりする。

そこで、ここ数年間を来年まで見てみると‥

2000年 中秋の名月(9月12日) 敬老の日(9月15日) 彼岸の入り(9月20日)
2001年 敬老の日(9月15日) 彼岸の入り(9月20日) 中秋の名月(10月1日)
2002年 敬老の日(9月15日) 彼岸の入り(9月20日) 中秋の名月(9月21日)
2003年 中秋の名月(9月11日) 敬老の日(9月15日) 彼岸の入り(9月20日)
2004年 敬老の日&彼岸の入り(9月20日) 中秋の名月(9月28日) 
2005年 中秋の名月(9月18日) 敬老の日(9月19日) 彼岸の入り(9月20日)
2006年 敬老の日(9月18日) 彼岸の入り(9月20日) 中秋の名月(10月6日)   

こうしてみると、一貫して同じ日なのが彼岸の入りで、このところ9月20日で定着している。

中秋の名月は旧暦8月15日が新暦とどれくらいずれるかによって、大きく変わっている。

問題は、敬老の日で、これが祝日法の改正によって9月の第3月曜になったことから、この三者の関係がややこしくなってきている。

そこで、クエスチョン。彼岸の入りが最初にくることは、ありうるか?

これがあるのである。しかも史上初の9月の「国民の休日」を伴って、大変なことになりそうなのだ。

2009年 彼岸の入り(9月20日) 敬老の日(9月21日) 中秋の名月(10月3日)

秋分の日は、確定ではないが9月23日と予想されているため、敬老の日に挟まれた9月22日(火)が、国民の休日となる公算が高い。

そうなると、9月20日(日)から21日(月)、22日(火)、23日(水)まで4連休となり、19日(土)が休める人はなんと5連休となる。

あと4年ある。今から2009年9月のレジャー計画を練っておこうではないか。

(表の新着情報:「21世紀の歩き方大研究」の21世紀エッセイ「時間の岸辺から」に、「海外旅行のクルーズでいつも見る幻想」をアップロード)

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2005/09/18

携帯でココログを閲覧できるココモブに障害発生?

パリからのモブログを続けながら、極めて重宝したのがココモブというツールだ。

これはケータイから、ニフティのココログを簡単に閲覧できるもので、個人が作成したプログラムだ。

ケータイからココモブにアクセスして、見たいココログのアドレスを入力すると、サイドバーなどを省略して新着記事の本文をテキストタイプで読める。

またコメントがついていれば、本数が表示されるので、クリックすればコメントも読める。

画像がある場合には、画像という文字が出るので、それをクリックすれば画像も見れる。ただ、これをやるとパケット代がかかるため、僕は今回、画像があることの確認だけして、画像そのものは見なかった。

自分のココログはもちろん、ほかの人のココログも同じように読むことが出来る。

去年の西安の時も、今回のパリでも、モブログで記事と写真の更新をした後は、かならず1回、ココモブで自分の記事が更新されたかどうかを確認し、また前の日の記事へのコメントもチェックしていた。

早口言葉みたいになるが、モブログでのココログに欠かせないのがココモブなのである。

ところが、どうしたことか帰国した日の16日からココモブが使えなくなっていて、ケータイでココログを見ることが出来なくなっている。

何が原因なのか分からないが、僕以外のココログもココモブで読めなくなっているので、ココモブを置いているサーバーもしくは回線まわりの障害のような気がする。

これがパリでモブログをしている時だったら、と考えるとゾッとする。

おそらくココモブで自分のブログにアクセス出来なければ、僕はココログがメンテナンス中か障害発生かでアクセス出来ないものと思って、開通するまでモブログをしなかったかも知れない。

そう思うと、今回のココモブの障害は、僕にとってまことにきわどいタイミングだったと言える。

次にモブログをするのはいつのことになるか分からないが、それまでには回復してほしいものだ。

【追記】19日午後9時40分現在、ココモブが復活している!! 自分のココログにも、また他の人のココログにも、このツールを使って携帯からアクセス出来るようになっている。願わくば、このままの状態で安定してほしい。

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2005/09/17

たまっていた3000件のメール、99%がスパム

旅行に出ていた間に、3000件ものメールが溜まっていた。

これをどうやってチェックするか。タイトルだけ見て、必要かも知れないと思われるものだけ本文を開き、あとは開かずに削除すべきか。

そうしたいのだが、英文のタイトルや文字化けして読めないタイトルのメールにも、開けてみると日本語で書かれた大切なメールだったりすることが、たまにあるので、読まずに削除するのは怖い。

結局、3000本すべてについて、いちいちクリックして本文を開き、スパムなら削除する、というやっかいな作業をやった。

その結果、スパムでない真面目なメールは10本くらい、そのうち返信を必要とする重要なメールはわずか1本だった。

パソコンあてのメールをケータイのアドレスに転送する設定は出来るのだが、スパムがどんどんケータイの方に届くことを考えると、転送など論外だ。

本当にスパムには困ってしまう。最近のスパムは「重要」「先日の件で」などとタイトルにあるので、やはり一応、開いてはみるのだが、これも考えものだ。

タイトルを見て用件が分かるメールだけを開けて、「お久しぶりです」とか「重要なご連絡です」というようなタイトルのものは開かずに削除しようか、とも思っているところだ。

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2005/09/16

偏西風に乗って帰国

さきほど無事に成田に着いた。

行きが12時間だったのが、帰りは強い偏西風に乗ってビュンビュン飛ばし、予定より20分も早く10時間50分くらいで日本に着いた。

そして着陸。JALのことだから大丈夫だろうか、という不安をみんなが感じているところへ、ランディングはかなり乱暴で、機体が左右にガガーンと揺れてヒヤリ。

まあしかし、その後は落ち着いた減速で自動車並みの速度になって、ホッとした。

出発と帰国を含めて12日間、正味10日間のパリ旅行はこれでつつがなく幕を閉じ、明日からはまた元通りの生活に戻る。

この次、海外からモブログをするのは、いつのことになるだろうか。そして、どこの国からのモブログになるだろうか。

旅行のことを考えるのは、年が明けてからでも、ぼちぼちと。

とりあえずは来年の年賀状の図柄でも考えるとするか。えっ、早すぎる? でもあと1月半で年賀ハガキの発売だよ。

ついこの間、年が明けたばかりのような気がするが、光陰矢の如しをますます実感する。

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2005/09/15

パリからのモブログ・10日目

今回のパリ旅行は、今日が最後の一日となった。10日間はまさに夢のごとく、そして矢のごとくに過ぎていった。

今日はまず、パリ市立美術館に行ってみたが、なぜかこの美術館はこのところずっと閉鎖しているらしい。

引き返す途中で、炎をかたどった黄金色のモニュメントが、高速道路の地下入口の上にあって、まわりを囲むように花束が置かれているのに、出くわした。

そして花束の間には、何枚ものダイアナ妃の写真が…。ここは、あの悲劇の事故現場のすぐ上なのだ。あれから8年くらい経ったのだろうか。

僕がたたずんでいる間にも、一人、二人と訪れる人がいる。車椅子で一人で来た女性は、何かメッセージを書いた紙を柵にくくりつけて帰って行った。

市立美術館の代わりに、少し足を延ばして、マルモッタン・クロード・モネ美術館に行ってみる。ブローニュの森近く、ひっそりとした美術館には、訪れる人もまばらだ。

ここの目玉は、印象派という名前の元となったモネの「印象・日の出」だ。あまり近くで見るよりは、やや離れて見た方が、絵の中にスーッと引き込まれていくような感じになる。

パリからのモブログは、ひとまずこれで最終回となる。ひとまずと書いたのは、またいつか機会があったらパリを訪れてみたい、という気持ちからである。

コメントをいただいた方々、僕の拙い文と写真を見に来て下さったみなさん、ありがとうございました。またいつか、旅のモブログを通してお目にかかりましょう。オ・ルヴワール!

☆☆☆☆☆
かんげさん、ありがとうございます。パリは古いものを大切にしながら、常に新しいものに挑戦して、世界で最も新しい都市であり続けているのだ、という気がします。

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2005/09/14

パリからのモブログ・9日目

パリ一人旅もそろそろ終盤。今日は、おのぼりさん観光客に徹することにする。

午前中は、セーヌ河遊覧クルージングのバトー・ムーシュに乗って、次々と移り変わる沿岸の光景を眺める。

エッフェル塔の近くにかかる橋は、一見したところ屋根付きのように見えて、不思議に思っていたら、屋根と見えたのは地下鉄の鉄橋で、電車がその上を通っていった。

午後からは、華のパリの文字通りの中心、凱旋門へ。2日目にコンコルド広場から遥かかなたに見えていた時には、大きさが分からなかったが、間近で見上げると巨大さに圧倒される。

屋上に上るにはエレベーターもあるとガイドブックには書いてあるが、エレベーターは車椅子やベビーカーなどのためのもので、一般の人たちは272段の螺旋階段を登るか、さもなくばあきらめるしかない。

僕は一瞬、年齢を考えて躊躇する。何を隠そう、ここだけの話だが、今日は僕の、ウん歳の誕生日なのである。

ここで登るのをあきらめて年齢に屈するか、倒れてもいいから登りきるか。僕は意地で後者を選ぶ。

息切れであえぎながらも、ついに凱旋門の屋上にたどり着いた時の感激は、筆舌につくし難い。

凱旋門を中心に、星の輝きのように放射状に広がる12本の通りは、素晴らしいとしか言いようがなく、夕方になるまで眺め続けていた。

写真は、凱旋門の屋上からシャンゼリゼ大通りをコンコルド広場、ルーブル美術館方面へ望んだもの。

かくしてパリの旅は、あと1日を残すのみとなった。


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2005/09/13

パリからのモブログ・8日目

今日は朝から小雨模様。どこへ行こうかと迷ったが、黄金色に輝くドームのあるアンヴァリッドへ行ってみる。

ここの地下にはナポレオンが、6重の棺の中で眠っている。写真はそのナポレオンの墓で、とにかく巨大で荘厳だ。

アンヴァリッドを出たころには雨も止んでいる。そのまま歩いてセーヌ河のアレクサンドル3世橋を渡り、シャンゼリゼ大通りの枯れ葉でいっぱいの歩道を歩いて、マドレーヌ広場にたどり着く。

パリの天気予報は、テレビでも見れば分かるのだろうが、テレビを見る時間がもったいないような気がして、僕は見ていない。

僕が活用しているのは、このケータイ903SHだ。ボーダフォンの3G機種は、海外からのモブログがスムーズに出来るだけではない。

3Gの便利な点は、日本のケータイ向けサイトに、路上からでも極めて簡単にアクセスしてコンテンツを読むことができることだ。

僕は、世界の天気予報を掲載している日本のサイトの、パリのページをケータイにブックマークしていて、ホテルを出る前などにチェックしている。

朝日・日刊スポーツなどのニュースサイトも、見出しと記事前文くらいの内容だが、日本で何が起きているのかを、おおざっぱに掴むには便利だ。

昨日の総選挙の結果も、だいたいの傾向は、ケータイによって知ることが出来た。

ただ、党派別の当選者数や主要選挙区で誰が当選したのかなど、細かい内容はケータイサイトでは無理だ。

さきほど、下書きに保存していた未完成のメモ書きを、うっかりしたミスタッチによって送信してしまったが、こうしたミスを防ぐためには、下書きの段階では宛先のアドレスを決して入れてはならず、宛先は送信の直前に入れるべきである、というのが貴重な教訓である。

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2005/09/12

パリからのモブログ・7日目

今日は日曜日だ。僕のパリ一人旅も一週間になる。

日曜日はデパートもスーパーも、また専門店のほとんども、お休みになってしまう。

そんな中で、パリ最大といわれるバスティーユのマルシェが、週2回、日曜と木曜だけ開かれているというので、行ってみた。

フランス革命の発端となったバスティーユ監獄の名を留める広場から、2キロに渡って精肉、野菜、果物、魚介、花卉、生活用品などの店が出店している。魚介の店には長い行列が出来ている。

野菜や果物、チーズはとりわけ豊富で、フランスが豊かな農業国でもあることが分かる。写真はマルシェの様子。

そのあと、ピカソ美術館とポンピドゥー・センターに行く。

興味深かったのは、一昨日のオルセーのところでちょっと触れたマネの「草上の昼食」をテーマにした作品が、どちらにもあったことだ。

ピカソ美術館には、同じ人物配置でピカソなりに強烈なデフォルメをほどこした絵が3点あった。

ポンピドゥーの方には、本物の人間がマネの絵と同じポーズを取っているところを写真に撮り、それをポップアート風に処理を施したものがあった。

マネの「オランピア」をテーマにしたオブジェのような作品もあり、白人と黒人を逆にして黒猫を白猫にしたものと両方を並べるなど、鋭いえぐりかたをしている。

マネのこれらの作品が、いかに後世の人達の制作意欲を刺激し続けているかが伺える。

地下鉄のホームで電車を待っていたら、「スリによる被害が大変多くなっています。身の回り品には充分お気をつけ下さい」という日本語のアナウンスが流れ、耳を疑った。

ぼーっとしていてスリに遭う日本人がよほど多いのだな、と思いつつ、財布やパスポートを確認する。

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2005/09/11

パリからのモブログ・6日目

パリは、この3日間ほど晴天が続いて暑いくらいの陽気だったが、今日は肌寒く、午後から強い雨となった。

今日はまず、現存するフランス最古の教会とされるサン・ジェルマン・デ・プレ教会へ。

朝早いためか、礼拝堂の中は2、3人しかいない。僕の歩く足音が響きわたるほどの静けさだ。

やや歩いて、こんどはパリ屈指の規模とされるサン・シュルピス教会へ。ここでドラクロワの壁画や天井画を見た後、広い礼拝堂の椅子に腰かけてしばし休憩。

するといつの間にか、先生に引率された子供たちが、50人、100人単位でぞろぞろと入場してきて、前の方から席を埋めていく。

子供たちは小学生くらいから高校生くらいまで、さまざまな年齢で、やがて僕が座っている辺りも子供たちで満席になる。その数、1000人ほどだろうか。

司祭のような人が壇上で、おごそかに話を始め、パイプオルガンの荘厳な演奏がいっぱいに響き渡る中、全員が起立して賛美歌を歌い始めた。

僕も起立して口をパクパクさせる。異国から迷いこんだ僕のような異教徒(というよりも不信心者)が、こんな席にいていいのだろうか、と不安になるが、この段階ではもはや席を立つことも出来ない。

賛美歌の中を、紐のようなものに吊るした香炉を揺らしながら歩く人を先頭に、キャンドルサービスが場内を回る。これは子供たちを対象にした大掛かりなミサらしい。

ともあれ、偶然にまぎれこんだとはいえ、稀有の場に居合わせることが出来たのはラッキーだった。

その後、ネオ・クラシック様式の巨大なパンテオンへ。ここは、地球の自転を証明するため、フーコーがドームの天井から振り子を吊るして実験をしたことで知られている。

行ってみて驚いたのは、フーコーの実験を永遠に記念するため、いまも同じ形で振り子が揺れ続けていることで、これには大感激。

写真はその振り子の様子で、下の方に小さく写っているのが、振り子の球なのだが、分かるだろうか。

地下の霊廟では、ヴォルテール、ルソー、ユゴー、キュリー夫妻らの墓を訪ねて回る。

☆☆☆☆☆
ahahaさん、こちらはクラクラ、キョロキョロしっぱなしです。
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2005/09/10

パリからのモブログ・5日目

今日は朝一番乗りでオルセー美術館に行って、一日中ここで過ごした。

美術の教科書にのっている名画の大半が、駅舎を改造したこの美術館に集中しているような感じで、クラクラする。

制作当時、不道徳だとして轟々たる非難を受けたというマネの「オランピア」(写真)や「草上の昼食」は、いまやオルセーの堂々たる中核になっていて、絵の前に立つと圧倒的な感銘を受ける。

ピュヴィス・ド・シャヴァンヌの幻想的な作品の数々も、なぜか妙に心に残る。

一昨日のルーブル、今日のオルセーを通して見た僕の素朴な感想は、なぜ絵画のモティーフには裸の女あるいは女の裸がこんなに多いのだろうか、ということだ。

男の裸は、彫刻にはあるのに絵画ではめっきりと少なく、素材にはなりにくい。

女の身体は、自然がデザインした最高の美だということなのだろうか、と思ったりするが、それだけではないような気もして、よく分からない。
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2005/09/09

パリからのモブログ・4日目

今日はパリ発祥の地シテ島を中心に歩く。

まずは最高裁判所などが入る裁判所の建物へ。裁判官や訴訟関係者が行き交う中、観光客が自由に入って見学できるというのは驚きだ。

隣接するコンシェルジュリーは、大革命時代の恐怖政治の象徴となった旧牢獄。マリー・アントワネットが収監されていた独房には、黒い衣を着た人形が椅子に腰かけていて、うらさびれた感じが哀しい。

その裏手のサント・シャペルは、13世紀に作られたパリ最古のステンドグラスがキラキラと繊細できれいだ。

次に行ったノートルダム大聖堂の中は観光客でごった返し、絶えずフラッシュが光っていて、静謐な雰囲気がないのがちょっと残念。

ノートルダム大聖堂は、橋を渡ったセーヌ左岸から眺めるのが、一番落ち着いた感じがする。写真はその場所から撮ったもの。

僕のこの日の最大のお目当ては、中世美術館の「貴婦人と一角獣」のタペストリーだ。人間の五感を寓話的に描いたとされる5枚と、「我ただ一つを欲するのみ」という文字の入ったナゾの6枚目がみもの。

この6枚目が意味するところは、即物的感覚と物質的所有の空しさのようなもので、いわば色即是空に通じるものがあるのではないか、という気がした。

今日は一日中、ケータイからココログにアクセスすることが出来ず、どうなったのか心配だった。幸い、この時間にはようやくアクセス出来るようになったが…
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2005/09/08

パリからのモブログ・3日目

今日は朝一番でルーブル美術館に行って、一日中ここで過ごした。

ルーブルといえばモナ・リザだが、この小さい絵画の前は、押すな押すなの大変な人だかり。

館内はカメラやビデオの撮影が自由のため(日本だったら考えられないことだが)、みんな我も我もと撮りまくっている。

僕が最も強い感銘を受けたのは、ダヴィッドの超大作「ナポレオン一世の戴冠式」だ。等身大で描かれた100人もの人物それぞれの緊張感と高揚感が伝わってくるようで、この絵の前のベンチで1時間ほど、見とれていた。

17世紀のドイツ、フランドル、オランダの膨大な絵画コレクションも圧巻だ。暗い陰鬱な感じの絵が多いが、それがかえって心に染みる。

絵画だけでで夕方になってしまい、彫刻や工芸品はあまり見ることが出来なかった。

帰りの地下鉄の中で、僕の目の前でアコーディオンをひいている青年がいた。物悲しいシャンソンの音色に、ああ、パリだなあ、という旅情にひたる。

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かんげさん、コメントありがとうございます。バゲット、おいしいです。
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2005/09/07

パリからのモブログ・2日目

パリは今日は朝のうち雨。昼過ぎから陽がさしてきた。気温は23度ほどで涼しい。

パリジャンたちは小雨くらいは平気で、傘をさしているのは観光客ばかりだ。僕も傘をさして散歩するのはうっとうしいので、午前中はパリ最大のデパート、ギャラリー・ラファイエットを徹底的に探険して回る。

写真はデパート本館中央の吹き抜けドーム。お昼はここの上階にあるセルフサービスのカフェテリアで。

午後からは地下鉄でコンコルド広場ヘ。広場の路面に、ルイ16世とマリー・アントワネットがここで処刑されたことを記すプレートが埋め込まれているのが生々しい。

そのあとチュイルリー庭園で、ゆったりとした時間を過ごす。

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ahahaさん、かねごんさん、コメントありがとうございました。
このケータイで自分のブログもコメントも、こちらにいて読めています。コメントの書き込みはできないので、この場でお礼をば…
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2005/09/06

パリからのモブログ・1日目

ボンジュール!
というよりは、ボンスワールという時間になったが、JALで12時間ほどの飛行を続けて、さきほどようやくパリに着いた。

いまホテルの近くにあるオペラ座の前から、モブログでこれを送信している。

写真はいまのオペラ座周辺の様子で、こちらの時間は5日の夜7時半。まだ明るくて、ライトアップには早過ぎる時刻だ。

日本では日付が回って6日の午前2時半ごろのはずだ。

はたして日本のみなさんが、これを読むことができているのかどうか分からない。

もし、この記事と写真がココログにアップされて、ブログが正常に更新されているとしたら、ボーダフォンの3Gも、なかなかのものだと思う。

去年の西安からのモブログは、まあ日本から近いという感覚もあって、出来てもそれほど不思議ではなかった。

しかし、ここは日本から何キロ離れているのかは知らないが、かつて「あまりにも遠し」と歎かれたおふらんすである。

わずか148グラムのケータイ、903SHただ1本で、ノートパソコンなどの周辺端末を一切使うことなしに、街を歩きながら自分のブログを更新できるとは、夢のような気持ちだ。

明日からも、写真と短い文章によるモブログを続けていく。
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2005/09/05

いま成田空港、まもなく出発

いま成田空港の第2ターミナル出発ロビーにいる。

昨夜は成田に前泊して、朝7時ちょうどに搭乗チェックイン。

まもなく出国だ。
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2005/09/04

いまからふらりと旅に出る、モブログは出来るか‥

秋風に誘われて、いまからふらりと一人旅に出る。

しばらくパソコンは使えないし、ネットカフェを探し回るのも大変なので、ケータイ1本だけを命綱とする。

ブログの更新はどうなるのか、行ってみないと分からない。

去年9月の西安旅行や11月の京都・神戸旅行では、ボーダフォンのV801SHで写真付きのモブログを続けることが出来たが、これはまだ3Gの機種ではなく、VGS(ボーダフォン・グローバル・スタンダード)という規格の機種だった。

先月の半ばに、同じボーダフォンの903SHに買い増しして、僕はこんど初めて3Gの機種を持って旅に出ることになる。

使い勝手はかなりいいが、メールの表題が13文字以内という制限があることなど、前の機種とは異なっている点もいろいろとあり、これではたして旅先からモブログがうまく出来るかどうかは、未知数だ。

モブログがうまくいかない場合には、このブログはその間、お休みするしかない。

もしうまくいった場合は、撮り立てホヤホヤの写真を付けて、旅先からのモブログで更新を続けていきたい。

その場合でも、文章は短めにして、ともかく旅の空でも生きています、という生存信号のようなものにするつもりだ。

旅のスケジュールは何一つ立ててなく、どうやって過ごすかは、行ってからの空模様や気分しだい。

な~んにもしないで、毎日ボーッとして街をふらふらしているのもいいかな、などと。

では、みなさま方、しばしの間、さらばさらば。どなたさまもお元気で。

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2005/09/03

生鮮市場のリニューアルオープン

05-09-03_11-18家の近くの大型生鮮市場が、5日間の改装休業を終えてリニューアルオープンした。

ここはスーパーとは違って、魚介や精肉、野菜、惣菜などを中心にした食品市場で、遠方から車で来る客も多く、屋上が駐車場になっている。

さっそく新装された店内を見に行ってみる。魚介や精肉の売り場の位置は同じだが、レイアウトがかなり変わっている。

改装前と比べて一番大きな変更は、2階にあったお酒売り場を1階に持って来たことだ。それに伴って、2階にあった缶詰などの保存食品も1階に下りてきた。

では2階は何の売り場になったのかと、上がってみて驚いた。2階はもぬけの殻で、売り場は閉鎖状態だ。

リニューアルの目的は、2階の売り場をそっくり下ろして、すべての売り場を1階に集中させることであったか、とようやく気づく。

しかし、2階はゴーストタウンのような状態でそのままにしておくのだろうか。

立地のいい場所なので、そのような無駄なことをするとも思えない。おそらく2階だけのリニューアルが近々あって、なにかのテナントを入れるのではないだろうか。

2階に入る店はもう決まっているのだろうか。

このあたりに以前あっていまは姿を消した業種は、銭湯と書店だ。書店は、この通りに2店あったのが、いずれもなくなってしまった。

銭湯は無理としても、書店に2階に入ってもらえると、ちょっとした本を買うときに便利だと思うのだが‥。

この市場についてのアンケートを店内でやっていて、書いた人にはバラの花を渡している。

アンケートには、ぜひ2階に書店を入れてほしい、と要望を書いて、黄色いバラ一輪をもらってきた。

(表の新着情報:「21世紀の歩き方大研究」の21世紀エッセイ「時間の岸辺から」に、「ハリケーン大惨事は、地球と自然を甘くみた人災」をアップロード)

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2005/09/02

DNA情報の98%は無意味、とした人間の傲慢

僕は分子生物学など全くの素人だが、それでも「DNAの情報の98%が無意味」としてきたこれまでの学説には、どうしてもひっかかるところがあった。

ディオキシ・リボ核酸(DNA)は、一人の人間の体にどれくらい含まれているか。

まず僕たちの体は、おおざっぱにいって60兆の細胞で出来ている。

その一個一個の細胞の中に、4種類の塩基がつらなって30億の情報を作り出している螺旋の鎖が一対ずつ入っている。

これがDNAで、二重螺旋の形に畳まれているため、極微小の姿で存在しているが、一つのDNAの長さはほぐしてまっすぐ伸ばすと2メートルにもなる。

2メートルもの長さになるDNAが、一人の人間の体内にある60兆の細胞すべての中に入っている。これは想像を絶する驚異としかいいようがない。

一つの細胞の中のDNAが持つ情報量は、1000ページの百科事典1000冊分にもなる。これまた驚愕する精巧なシステムである。

ここ数年の間に、さまざまな生物(人間や他の動物、イネなどの植物、ウィルスなど)についてのDNAの解読は大きく進んだ。

しかし、DNAの持つ膨大な情報のうち、役割を持っているのはほんの一部だけで、大半は意味のない「ジャンク」である、というのが研究者たちのこれまでの見方だった。

僕は、科学的な根拠はないけれど、直感的にそれは違う、という気がしてならなかった。

DNAは人間がデザインしたわけではない。それは46億年の地球の歴史の中で、おそらく39億年かかって作り上げられてきた生命の基本をなすシステムだ。

そのことを思う時、DNAの情報のほとんどがジャンクであるという不遜な結論を研究者たちが出すことは、おこがまし過ぎるという気がする。

無意味としか思われない大半の情報は、現在の分子生物学のレベルで解明できていないだけで、それぞれが必要不可欠の役割と意味を持っているのではないか。

今回、11カ国の研究チームによって、DNAの7割が生命維持に不可欠の役割を持っていることが明らかにされ、これまでの定説は大きく覆された。

これも僕の直感だが、まだ役割が分かっていない残りの3割も、これから研究と解明が進むにつれ、それぞれが何らかの役割を持っていることが明らかにされるに違いない。

僕は、DNAの塩基配列がどのような生命の設計情報を意味するかという、解読そのものについては、かなり進んできてはいると思うが、「ある塩基配列がある設計情報を意味するのはなぜか」という「暗号の内部的な仕組み」はまったく分かっていないように思う。

おそらく、DNAというのはその内部に、まだ人間が分からないもっと奥深いレベルで、さらに驚愕するような設計の見取り図のようなものを隠し持っていて、それによって正確に生命体を構築していくことが出来るのだろう、という気がする。

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2005/09/01

大地震で道路が大渋滞となったら、コンビニは使えるか

あれほど国や自治体が力を入れてきた大地震の予知が、現代の科学ではとうてい不可能だ、ということがようやく分かってきたらしい。

今年の防災の日は、地震予知→警戒宣言→住民避難・交通規制といった、これまで何十年も国と自治体が進めてきた防災対策が、なんの意味も持たず、むしろ耐震都市づくりにとって決定的なマイナスだった、という苦い総括からの出直しの感がある。

大地震の予知は出来ない。しかも発生確率は、首都圏も東海・南海・東南海もますます高くなっていて、もはや日本の太平洋側ではいつ巨大地震が起きてもおかしくない状態だ。

東京で平日の昼間に、震度7クラスの地震が発生した場合は、帰宅困難者は首都圏で650万人にのぼるという。

そこで自治体の中には、首都圏に1万3000店の店舗があるコンビニ業界と提携して、帰宅困難者の支援をはかるところも出てきた。

アイデアとしては悪くないが、震度7クラスの地震が発生した場合に、はたしてコンビニがどれほど機能するのか、おおいに疑問に思う。

まず、電気、ガス、水道などのライフラインは、最悪の場合には3日間止まると覚悟しておく必要がある。

電気が止まったコンビニは機能するだろうか。レジが打てない、商品の発注が出来ない、冷蔵庫も冷凍庫も照明も使えない。

コンビニで働くアルバイト従業員たちも、店どころではなく、帰宅の道を急ぐかも知れない。われ先に食料品や水を買おうと殺到する人々を、だれがどうやって統制するのか。

道路は、交通規制に従わずにマイカーなどで首都圏を脱出しようとする人たちで大渋滞となり、緊急車も通ることの出来ない大パニックとなる恐れが強い。

そんな中で、コンビニへの商品の輸送は、条件に恵まれた一部の店舗に限られ、ほとんどのコンビニではたとえ従業員がとどまっていても、商品の入荷は止まってしまうのではないか。

大地震の発生と同時に、すみやかにやらなければならないのは、首都圏の広い範囲に渡って、強い権限に基づいて一般車両の通行を止めて、緊急車両が走れる道路を空けることである。

どういう車両を通すのか、従わない車に対してどのような強制措置が可能か。タクシーは走らせるのかどうか。トラックやダンプカーは、通していいかどうかをどうやって見分けるのか。

通行車両の初期規制に成功するかどうかが、おそらく数十万人単位の人命が救われるかどうかの分かれ目であろう。

道路が大渋滞してにっちもさっちもいかなくなったら、コンビニの活用など絵に描いた餅でしかない。

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