NHK「義経」の「しずやしず」と「安宅の関」
僕がNHK大河ドラマを見たのは、1966年(昭和41年)に放送された「源義経」が最後だったと思う。
この時はまだモノクロの放送ながら、尾上菊之助の義経と緒方拳の弁慶が忘れられない。
「勧進帳」で安宅の関を通り抜けた後、菊之助・義経の前でさめざめと泣く緒方・弁慶は、今でも鮮やかに目に浮かぶ。
静は藤純子だったが、この記憶がないのが残念だ。
今年のNHK大河ドラマ「義経」 は、全然見ていなかったのだが、先週日曜放映の「しずやしず」と昨日放映の「安宅の関」だけを初めて見た。
「しずやしず」は、石原さとみの静の舞がかわいらしく美しいが、いま一つ、この舞と歌に込めた静の内面的なものが伝わってこない。
それに、「よしのやま‥」に続くせっかくの「しずやしず‥」のところで、舞の場面を中断して義経たちの逃避行のシーンを挿入したのは、演出が鼻について逆効果だ。
ここは、一切の余分な映像を挿入することなしに、舞だけで通すべきだった。静の舞については、去年11月30日に僕のブログ記事で書いているので、そちらを参照していただきたい。
次に昨日の「安宅の関」。義経の物語の最大のクライマックスであり、大河ドラマ久々のこのシーンをどう描くかに興味があった。
滝沢秀明・義経と松平健・弁慶の主従一行に立ちはだかる石橋蓮司・富樫の対決。
白紙の勧進帳を読み上げる緊迫はなかなかのものだった。
いただけないのは、その後、いったん通過を認めた後、富樫が一人の山伏を義経ではないかと疑って、呼び止めるくだりだ。
ふところに大切に持っていた静の笛を見つけて、山伏がこのようなものを持っているとはおかしい、という。
それに対して弁慶は、この山伏が盗んできた笛だとして、そのことを理由に義経を打ち据える。
僕はこの場面では、静の笛などという小細工をほどこさずに、富樫がこの山伏は義経に似ている、とストレートに疑うほうがずっとすっきりすると思う。
また弁慶が義経を打つ理由も、盗みをはたらいたからではなく、お前が義経に似ているばっかりに行く先々で疑われてしまって、ということで十分であり、その方がはるかに強烈である。
こうした不満は残るが、松平弁慶が滝沢義経をこれでもかこれでもかと徹底的に打ち据え続けたのは、なかなかよかった。
富樫の顔色が変わっていくのがよく分かり、義経主従であることを見抜きながら通過させたことが見るものに伝わる。
ただ、武士として死を覚悟までして通過させた富樫の苦悩のようなものが、もう少し浮き彫りにされてもよかった、という気がする。
ちなみに、僕が1992年に歌舞伎の「勧進帳」のテレビを見た感想を、ASAHI-ネットの超長行の自己紹介「蛮勇日記帳」に書いているので、そのくだりを再掲しておきたい。
今夜のNHK教育テレビの「勧進帳」。再放送ですが、また
最後まで見てしまいました。勧進帳の主役は、一体だれでしょ
うか? 義経ではないのはもちろんですが、じゃあ弁慶か。い
え、僕は、この歌舞伎の真の主役は、富樫だと思います。富樫
役の中村富十郎が冒頭に語っていましたが、義経・弁慶の主従
たちと知った上で、一行を通過させることを決めた時、富樫は
武士として死を覚悟で、すべての責任を自分で負うつもりだっ
た、というのです。
弁慶の豪快さ、頭の回転の鋭さ、立ち居振る舞いの華麗さは
富樫あってのものなのですね。僕はかつて、富樫は憎らしい敵
役、程度の認識でしか見ていなかったけど、いま思うと、なん
という浅い見方だったのでせうか。
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