物質の本性はモノではなくてコトなのだ、という認識
新聞の書籍広告を見て、ふっと思い立って、「物質をめぐる冒険」(竹内薫著、NHKブックス)を買ってきて読んだ。
この本の趣旨は、現代物理学が解き明かした最先端の物質像ということだが、僕のようなシロウトには全く理解出来ない部分も多い。
にもかかわらず、一気に読み終えて不思議な説得力のようなものを感じ、物理学としては理解出来なくても、この世界を見る新しい視点のようなものの端っこに、感覚的に触れたような気がする。
おおまかに、この本に書かれていることの骨子を要約すると、次のようになると僕は思う。
ニュートンとマクスウェルが築きあげた古典物理学の世界では、物質は僕たちが日常的に経験している固くて堅牢で不滅のモノだった。
それがアインシュタインと量子力学の近代物理学によって、物質の概念は大きくゆらぐ。古典物理学の時間や空間の概念も変貌した。
ここまでは、ポピュラーサイエンスの解説書や雑誌でおなじみのところだが、いわばポストモダンともいわれる現代物理学では、物質はもはやモノとしては扱われない。
モノのように見えている物質のふるまいは、すべてコトによっておきていて、モノとは突き詰めていくとコトになってしまう。
この本では、こんな書き方をしてまとめている。
「モノから始まった物理学から、次々とモノが姿を消してゆき、しまいにはモノの置き場所である空間、さらには時間さえもがぼやけてゆき、最後に行き着いたのは、(中略)究極の関係性、つながり、フィクション、コト的世界だったのである」
「いま人類の文化を席捲している大きな潮流は、『モノからコトへ』と呼ぶことが出来る。(中略)現代物理学は、もしかしたら、人類の思想の究極の到達地点をわれわれに垣間見させてくれているのかもしれない」
僕は、ここで書かれているように、人類の思想の究極の到達地点かどうかは、なんともいえないと思うが、だいぶ前に読んだ「宇宙の創造と時間」(佐藤文隆著、TBSブリタリカ)にも同じような記述があったのを思い出して、読みなおしてみた。
対論形式で書かれた「物理の分際-時空と物質」という部分に、こんなくだりがある。
--「もの」すらなくなって「こと」しかなくなるということですか。
--そうなのです。やっていることは、あらゆる「もの」を掃除して、せいせいしたという感じなのです。
物質概念の希薄化ないしコトへの還元は、もしかして物理学だけの話ではなく、いまや僕たちが日々、ネットを通して体験している情報性や関係性として、この世界そのものを特徴づけている実相なのかも知れないとも思う。
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