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2005/12/31

たくさんのことがあった1年も、過ぎてみれば一瞬

月日は百代の過客にして、行きかふ年も又旅人なり

奥の細道の書き出しが、年ごとに身にしむる。

去年の大晦日は雪だった。あれからもう1年。

今年もいろいろなことがあったのに、過ぎてみればほんの一瞬でしかない。

365日という沢山の時間が、さまざまな出来事とともに今年1年を形作ってきたのに、現実に存在する時間は、「現在」という厚さのまったくない瞬間だけ。

1年があっという間に過ぎていくから、5年もまた同じようにあっという間に過ぎていく。

21世紀を迎えた2001年の年明けから、もう5年が過ぎたのだ。

これで21世紀の20分の1がすでに経過したことになる。

僕が会社勤めをやめてから9年になろうとしている。

職場で送別会をしてもらったのが、つい昨日のことのようだ。

新しい年2006年もまた、1年後にはあっという間に過ぎたと感じているに違いない。

これから訪れる時間は、結構長く感じるものだが、過ぎてみると一瞬でしかないのは、なぜだろうか。

とりとめのないことを考えているうちに、今年最後の太陽も西に沈んで、大晦日の宵となる。

今年は紅白を見るつもりはないが、かといって番組表を見てもほかに見たい番組も見当らない。

テレビを見ない大晦日もまたいいか、と思う。

2005年のブログはこれにて打ち止め。来年はどうなることやら。

では、どなたさまも、よいお年をお迎えください。

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2005/12/30

マニュアル通りに操作しても作動しない時は

パソコンやプログラムが、マニュアル通りに操作しても、どうしても動かないことがある。

たいていは、マニュアルに書くまでもない初歩的なことについて、僕が勘違いしていたり、まったくのイロハのイを行っていなかった、ということが多い。

それでも、どうしても原因が分からずに、作動しないままに時間だけがどんどん過ぎていくということが、デジタル機器では往々にして起きる。

昨日、僕のケータイのビデオカメラを初めて使う必要に迫られて、撮影しようとしたのだが、これがビクとも動かない。

これまで僕は、静止画ばかり撮っていて、ケータイで動画を撮ったことがなかったため、基本的な操作手順が間違っているのだろうと、マニュアルを丁寧に読み直し、書いてある手順に従ってゆっくりと確実に操作してみた。

それでもビデオカメラ機能は、ウンともスンとも動かない。

なぜだろう。設定がヘンなのだろうかと、こんどはいろいろと設定を変えてやってみるが、全く動かない。

フォトカメラに切り替えるとちゃんと撮影できるのに、ビデオカメラに切り替えると作動しないのだ。

さあ、どうしたらいいか。買った時からビデオカメラが動かない欠陥品だったのだろうか、と疑ってみたりする。

これは、サービスショップに持っていくしかないな、と思ったりする。

それでも、もしや動くかも、と無関係と思われる設定まで変えてみて、やってみるが頑強に作動しない。

時間はもう4時間も経過している。無駄にしてしまった年の瀬の時間がもったいない。

もうギブアップ、というところで、半ば捨て鉢的に、一つの試みが頭に浮かんだ。

もしかして‥と、ケータイの電源をいったん切って、一呼吸置いてから電源を入れ直してみる。

と、あ~ら不思議や、何をどのようにいじっても作動しなかったビデオカメラ機能が、元気いっぱいにサクサクと作動するではないか。

動かなかった原因は分からずじまいだが、解決法は電源を切って入れ直すことだったとは。

今回のように初めてチャレンジする機能が、全く動かなかったら、当然僕のやり方に問題があるのだろうと思うし、電源を入れなおすことまでは思いつかない。

いまにして思えば、パソコンにイントールしているソフトでも、昨日までは正常に動いていたのに、なぜか全く動かなくなっていて、大あわてをした挙句、パソコンの電源を入れ直したらウソのように回復している、というケースが何度かあった。

デジタル機器では、何が原因で動かなかったのかは不明のまま、電源の入れ直しでスッキリと回復することがよくある、ということは頭の隅に入れておいたほうがいい、と思っている。

(表の新着情報:「21世紀の歩き方大研究」の21世紀エッセイ「時間の岸辺から」に、「効率と競争を原理とする社会への転換が、明日を奪う」をアップロード)

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2005/12/29

今冬のインフルエンザはA型、予防接種の効き目は

去年はインフルエンザのB型が大流行したが、今年はAソ連型とA香港型が中心で、去年より1カ月早く流行期に入ったという。

僕は去年も今年も、11月にインフルエンザの予防接種をしたのだが、予防接種のワクチンはどの型のインフルエンザを想定したものなのか、気になっていた。

B型に対応するワクチンなら、今年のA型には効かないのではないか、と思ったりしたのだ。

しかし、いろいろネットで調べてみたら、このサイトに次のようなことが書かれていていくぶん安心した。

「現在のインフルエンザワクチンには、A 型2 種類およびB 型1 種類が含まれており、A/ソ連(H1N1)、A/香港(H3N2)、B 型のいずれの型にも効果があります。また、ワクチン接種による免疫の防御に有効なレベルの持続期間はおよそ5 ヵ月となっていますので、毎年流行シーズンの前に接種することをお勧めします」

とはいえ、予防接種を受ければ絶対にかからないというものでもなく、受けていてもかかることがあるし、重症化する場合もあるという。

人ごみの中にはなるべく行かない、外出から帰ったらうがいと手洗いを励行する、などの自衛策が不可欠のようだ。

マスクはウイルスを簡単に通してしまうため、ほとんど効果はないと言われるが、それでも乾燥した空気を直接吸い込まないことで、のどなど呼吸器の粘膜をいくぶんでも保護する効果はあるのではないか、と思っている。

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2005/12/28

脱線特急に乗っていた母子はどこへ?

JR羽越線で脱線して多くの死傷者を出した特急「いなほ14号」。

その先頭車両に、30歳前後の女性と4歳ぐらいの女の子が乗っていたと見られるが、この母子の行方が分かっていない。

今日28日には、脱線した車両を持ち上げて捜索したが、どこにも姿は見えないという。

この女の子が歌を歌っていた、という目撃証言は、この母子の行方について、哀しいファンタジーのような響きを感じさせる。

女の子は、何の歌を歌っていたのだろうか。もしかして、女の子には間もなく訪れる事故が見えていたのだろうか。

物語ならば、さしずめこんなふうに展開したかも知れない。

女の子の歌を聞いたタイムトラベラーが、事故を事前にキャッチして乗客たちを救おうとしたが、かろうじて歌を頼りにこの母子だけを救うことが出来た‥

いま、この母子は地球から数千万光年離れた遠い星にいて、事情も分からないまま、ともかくも元気に生きている‥

山形県警はこの母子が事故の前に特急から降りている可能性もあるとして、情報提供を求めるチラシ2千部を作成して、沿線の駅に張り出したり駅前で配布するという。

これだけニュースなどで伝えられているのだから、降りていて無事ならば名乗り出てもよさそうなものだ。

本当に事故に巻き込まれて行方不明になっているのならば、家族らからJRや警察に連絡があると思うのだが、それもない。

この母子は、間もなく事故に遭う運命の列車に乗っている乗客だけに見えた、つかの間の幻影だったのか。

それとも、豪雪の年に姿を現す雪女の母と子であったのか。

いずれにしても、「なあんだ、よかったよかった」という結末になってほしいものだ。

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2005/12/27

来年のカレンダーをスタンバイ

05-12-27_17-23今年のカレンダーの最後の1枚も、あと4日で終わる。

来年のカレンダーに切り替えるのは、いつにしようか。

新しいカレンダーに、おまけとして12月分がついているなら、いますぐに取り替えてもいいのだが、表紙を破るのはまだ早い。

買ったままの状態にしていたため巻き癖がついていて、それを逆巻きにして1夜置き、巻き癖を取る。

壁にかける大きなカレンダーは、もう何年も「太陽・月・星のこよみ」を使っている。

天体の運行が詳しく書かれている上に、その日その日のイベントや過去の主な出来事などが書かれていて、とても重宝している。

一方、冷蔵庫のドアには、A4サイズの「究極のビジネスカレンダー」を張っている。

ちょっとした予定を書き込むにはこちらが手軽で使いやすいが、どこのメーカーのものか書いてないため、毎年同じものを探すのに苦労する。

今年も11月に入って、大きな書店のカレンダー売り場を軒並み探して回ったのに見つからず、あきらめかけていたが、11月下旬になって紀伊国屋本店にようやく現れて購入することが出来た。

この表紙を捨てないで取っておいて、購入した日付と場所も明記して、来年は同じ時期に同じ売り場に行けば、スムーズに買えるのではないか、と考えている。

ということで、新しいカレンダーに取り替えるのは、やはり大晦日の朝にしよう。そして、日が暮れてから表紙を破って、まっさらな1月を出すことにしたい。

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2005/12/26

ディープインパクトって、プロレスラーの名前?

ここ数日、ディープインパクトという単語がやたら新聞やテレビで目に付く。

ディープインパクトって?? 確かそんなタイトルの映画を見たような気がする。大きな隕石が地球に衝突して、巨大津波が世界中を襲うというようなパニック映画だった。

いまさら、その映画が話題になっているわけでもあるまいに。

そうそう、今年のアメリカ独立記念日だかに、NASAが彗星めがけて探査機から何かを打ち込んで衝突させたというニュースがあった。

あれがディープインパクト計画じゃなかったか。

いや、もしかしてディープインパクトという名前のプロレスラーかボクサーがいて、そいつの試合があるのではないか。

などと、ぼんやり思ってみたが、僕にとってはどうでもいいことのようなので、調べてみることもしなかった。

しかし、今日のスポーツ新聞各紙の見出しはみなディープインパクトの名前が踊っている。そんな有名なスポーツ選手だったのか、とちょっと驚く。

おっ、朝日の「天声人語」にもディープインパクトの文字があるぞ。

なになに、有馬記念? じゃあ、こいつは馬か。へえー、ヘンな名前の馬が登場したもんだねえ。

無敗の三冠馬だって? ほほう、世間では名の通った馬なんだなあ。

僕は何を隠そう、競馬にはまったく関心がなく、知っている馬の名前はハルウララくらいのものだ。

あと強い馬では、ハイセイコーなら聞いたことがあるぞ。

昨日から今日にかけて、ディープインパクトという馬がどうなったためにみんなが騒いでいるのかはよく分からない。

しかし、馬のことなどなんにも知らなくたって、2005年は暮れていくし、あと1週間もすれば新しい年が明けるだろう。

まあ僕の日々とはそんなもの。世間で流行っている事柄が、しだいしだいに疎くなりつつあるが、それもまたよし。

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2005/12/25

バブルに潤う裕福層と、働いても苦しい貧困層と

寒風吹きすさぶ師走。日本の社会は、豊かになっているのか、貧しくなっているのか。

いまは景気拡大の最中にあるのか、それとも経済が低迷を続けたままなのか。

実は、日本の社会の現状をどう見るかは、格差の広がりで亀裂が深まる日本社会をどちらの側に立って見つめるかで、正反対のとらえ方となるのだ。

今朝の日経新聞の1面トップには、「街角景気 活気づく消費」として、「ボーナスの増加で家計の懐に余裕」「バブル期をほうふつとさせる光景」などと、信じられないようなデータが並んでいる。

25万円のCD全集に100件の予約が入り、1人3万円前後のフランス料理店の客の中心はいまや30歳代。ホテルでは1本27万円のワインをルームサービスで注文する客も、等々。

家計の株式保有残高はこの1年で30兆円増えた、という数字もあり、「若いネット投資家が潤っている」という見方も載っている。

このように薔薇色に輝く裕福層の勢いが記事になる一方で、同じ日の朝日朝刊には、経済評論家の内藤克人氏がもう一つの厳しい日本の現実について書いている。

それによると、フルタイムの賃金が生活保護水準に届かず、生存の基盤すら確保できない貧困層がいま、日本社会に固定化されつつある、というのだ。

内藤氏は、こうした年収300万円以下の「働く貧困層」が急増し、年収200万円を割る人も少なくない、としている。

こうした深刻な事態は、小泉内閣の「構造改革」が生みつづけている新しい構造問題であり、コスト競争を重視する市場至上主義の帰結だ、というのだ。

僕が周りを見渡す限り、日経に書かれているようなバブル期並みに潤う裕福層の姿は見えてこない。

それどころか、1個10円のじゃがいもを大切に買い求めていく、つつましい人々の群れこそが、日本の大多数の現実なのだ。

小泉首相が常々言う「努力したものが報われる社会」とは、ヒルズ族に象徴されるように、生き馬の目を抜く競争を勝ち抜くことが出来た一握りの幸運者たちが報われる社会でしかないことが、ようやくはっきりしてきたのではないだろうか。

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2005/12/24

「写ルンです」の広告は風太君の「立てるんです」

05-12-24_14-59最近の新聞広告は、くどくてセンスがないものが多いが、今日の朝日に載っている全面広告が面白い。

FUJIFILMの「写ルンです」の広告なのだが、千葉市動物公園のレッサーパンダ、風太君の写真がドーンと大きく中心にあり、その下に「立てるんです」の文字。

これだけなら、「写ルンです」の語呂合わせでしかないが、感心したのは写真の上に小さく書かれている短い文章だ。

「2005年、なぜ彼は立ち上がったのか。撮ってほしいからだ」

これはうまい! 座布団5枚くらいあげたくなる。

広告というのは、こうでなくっちゃ。

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2005/12/23

人口減少、政府想定より1年早くか2年早くか?

今日のブログは、表の21世紀エッセイ「時間の岸辺から」と連動して同じテーマについて書く。

日本の人口が初めて自然減となり、政府の想定よりも早く人口減少社会が到来したことを、昨日の夕刊や今朝の朝刊は大きく報じている。

少子化や人口減についての政府の見通しは、いつも大甘で危機感に欠け、はずれっ放しなので、やはりというか、ついにというか、来るべきものが来たという気がする。

気になるのは、この政府見通しとの違いについて、読売、毎日、日経は「想定より2年早く」を見出しにしているのに対し、朝日は「1年早まる」としていることだ。

見出しを見て受ける印象は、見る新聞によって「2年も早まったのか」と「1年早まっただけか」と正反対になってくる。

記事をよく読んでいくと、読売、毎日、日経は国立社会保障・人口問題研究所の人口推計が、日本の人口は2006年にピークを迎えて2007年から減少に転じるとしていたことを比較の根拠としている。

これならば、予測より2年早まった、ということになる。

一方、朝日が比較の根拠としている推計は、記事を読んでも分かりにくいのだが、内閣府がつい先日公表した少子化社会白書で、総人口の減少が2006年から始まる、としていることのようだ。

だが、人口減が今年から始まりそうだということは、さまざまなデータからささやかれていたことで、少子化社会白書はこうした中で発表されたものだ。

それと比較して1年早まった、とするのはどうみてもおかしいのではないか。やはり比較すべきは、政府がこれまで一貫して人口推計の根拠としていた国立社会保障・人口問題研究所の推計でなければならない。

しかも朝日の見出しは、「流感で1年早まる」となっていて、たかが1年早まっただけで、その原因は流感にある、といわんばかりだ。

流感が原因というのは、政府が躍起になって弁明している説明を丸ごと鵜呑みにしていて、人口減の本質から読者の目をそらせるものだ。

どうも朝日の記事は、このところの「誤報続き」のせいか及び腰で、人口減を招いている政治の責任とりわけ小泉改革による競争社会・格差拡大社会について、なるべく触れないようにという心遣いがあるような気さえする。

(表の新着情報:「21世紀の歩き方大研究」の21世紀エッセイ「時間の岸辺から」に、「人口減少社会スタート、今世紀末に日本は2分の1に」をアップロード)

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2005/12/22

2005年が暮れてゆく

05-12-22_16-38冬至の太陽が西に沈む。なんとなく厳粛な気分になる。

明日からは一日ごとに昼が長くなっていくと思うと、それだけで心が弾む。

実際、クリスマスの起源は、冬至の後で太陽が復活する12月25日に古代ローマの人たちが行っていた農耕祭にあるといわれる。

キリストの誕生日というのは、ずっと後になって農耕祭の日に合わせてつくられたらしい。

今日の日経新聞コラム「春秋」によると、平成になってから1年が一週間短くなったという話を書いている。

12月23日が天皇誕生日となったことから、それまでに仕事を片付けておきたいと考える人たちが多くなっている、というのだ。

従って今日22日が事実上の大晦日になっている、とこのコラムでは書いている。

確かに、今年のような暦の配列だと、官公庁や民間企業の多くは、実質的には今日が仕事の区切りとなって、3連休明けの26日からはほとんど仕事にならないのかも知れない。

とはいえ、商店、デパートなどサービス・小売り業は31日ぎりぎりまで稼がなくてはならないため、1年が一週間短くなったどころではないだろう。

さらに初荷・初売りが前倒しになってきて、多くのところが正月2日から営業を始めるため、従業員たちは1日休んですぐまた働かなくてはならない。

今の皇太子が天皇になったら2月23日が天皇誕生日となり、12月23日は普通の日に戻るのだろうか。

さらに愛子天皇の時代は12月1日が天皇誕生日になる。

ま、そんな先には僕もこの世にいないのだが(たぶん)。

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2005/12/21

手書きフォントを見つけた!

newfonttest昨日のブログで、年賀状作成ソフトに関連して、「手書きと紛うくらいのアナログっぽい字体で印刷出来る機能が加わるなら、バージョンアップしてもいいかなと思う」と書いた。

これについて秋葉OLさんから、「文字だけならフォントを探せばいいんですよ」というコメントをいただき、手書き風のフォントがあるのだろうかと半信半疑で検索してみたら、これがなんとフリーウェアであったのだ。

個人が作成した「きろ字」というフォントで、早速、インストールしてパソコンのフォントに加えてみた。

このフォントで作ったのが、右上のサンプルだ。これは作者が一字一字手書きで作成したということで、手書き風というよりも手書きそのもののフォントなのだ。

英数字、ひらがな、カタカナ、各種記号、JIS第一水準漢字、JIS第二水準漢字、IBM拡張漢字まであるので、たいがいの文章に使えるし、もちろん年賀状作成ソフト「筆王」の宛名書きにも使える。

惜しむらくは、もっと早く気づいていれば、ということで、年賀状の宛名はすでに昨日までに、いかにもパソコンで印刷したことがアリアリの字体で全部プリントしてしまったのだ。

来年の12月は、この「きろ字」フォントで宛名を印刷してみたい。1年も先のことになるが、いまから楽しみだ。

関連ブログ記事:楽しいフオントえらび(秋葉OLさん)

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2005/12/20

完成された年賀状作成ソフトは、買い替える必要がない

僕が年賀状作成ソフトを使うようになったのは、2000年の暮れからだったと思う。

それまでは印刷屋さんで作成したねらったものを、宛名だけせっせと手書きして、気の置けない相手には一言を書き添えていた。

ところが、いただく年賀状の中にしだいにパソコンで作成したと見られるものが目立ち始め、僕もパソコンで作ろうかと思っていたが、僕はプリンターを持っていなかったのだ。

何かをプリントする必要がなかったことがプリンターを買わなかった理由だが、21世紀を目前にしてようやく印刷なるものに目覚め、初めてプリンターを買ったのが2000年の初めだったと思う。

そんなわけで、その年の暮れに年賀状作成ソフトを買った。これが「筆王2001」だった。

ユーザー登録をしたため、毎年秋になると「筆王」の新年度バージョンの案内がメールで送られてくる。

しかし、「筆王2001」は極めて完成されたソフトで、何らの不都合も不足もなく、これをバージョンアップする必要はさらさら感じない。

干支が変わっても、「筆王2001」に付属しているイラスト集の中には12種類の干支が入っているし、新しい絵柄が必要だとしても数百円程度で数多く市販される年賀状イラスト集を「筆王2001」で使えばいい。

というわけで、今年も「筆王2006」の案内が来たのだがパスしている。

こうしてみると、完成されすぎたソフトというのは、ユーザーにとっては有り難いが、買い替えの必要性を感じないために、一通り行き渡ったらそれ以上はなかなか売れないのでは、という気がする。

強いていえば、どんなフォントを使っても、宛名の印刷がいかにもパソコンで印刷しましたという感じになってしまうのが難で、これを手書きと紛うくらいのアナログっぽい字体で印刷出来る機能が加わるなら、バージョンアップしてもいいかなと思う。

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2005/12/19

ネットで本を注文してコンビニで受け取ったものの‥

ヤフーのセブンアンドワイで初めて本を注文してみた。

今使っているヤフーのIDでそのまま登録出来て、受け取りは家の近くのセブンイレブンで出来るというので、これは便利だと思って飛びついたのだ。

注文から3日後にメールが来て、19日午前10時以降に受け取れるという。

で、セブンイレブンで2940円を払って受け取ってきたのだが、開けてみてガッカリ。猛烈に活字が小さくて、僕はとても読むことが出来ないのだ。

もともと僕は、商品をじかに触ったり見たりすることが出来ない通販はめったに利用しないのだが、書店の店頭にない書籍についてはネットで注文することがたまにある。

その場合も、どんな本なのかあらかじめ分かっているものに限っていて、今回もニュートンプレス社刊というので、雑誌「ニュートン」の特集号のようなものを想像していたのだが、これが大間違い。

ハードカバーの単行本で、ともかくこんな小さな活字の本はいまどき書店の棚にはほとんどないと思うような豆粒のような活字なのだ。

これに懲りて、これからはネットで本を注文するのはやめた。

立ち読みの効用というのは、自分で十分に納得して買うことが出来る点にある。

今回の本も、店頭で手にしていたら、どんなに内容が良くても買うことはなかっただろう。

せっかく買ったこの本をどうするか。ヤフオクにでも出すしかないかな。

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2005/12/18

防毒マスク着け、アスベスト含むビルの解体工事

05-12-18_17-04建物の解体工事を行っている作業員が防毒マスクを着けている。

車や通行人の多い通りに面して行われている工事で、白い板のようなもので囲っていて中は見えないのだが、それでも解体した廃棄物を運び出す車が出入りする時だけは、囲いが左右に開かれて中の様子が見える。

歩道に面してこの解体工事についての説明が小さな字で書かれていて、それを読むとアスベストを含む建物の解体であることが明記されている。

解体に伴ってアスベストが飛散しないようにする責任者の名前も書かれている。

作業員が防毒マスクをしているくらいだから、近くでは人体に危険な量の飛散があるに違いないと思うのだが、通行人はどのようにして飛散から身を守ればいいのだろうか。

いちおう壊しながらホースで水をかけているようだが、そのくらいで飛散が防げるのかどうかは分からない。

今年の後半は、耐震偽装問題がクローズアップされて、アスベスト問題は陰にかくれてしまった感がある。

いずれにしても、建築物そのものの危険性が今年ほど白日の下にさらされた年はなかったのでないか。

とにかく危険な建物や解体現場には近寄らないことが一番だ。

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2005/12/17

政府見通しより2年早く、今年から人口減少の衝撃

あまりにも大きな問題なのに、もはやどうにもならないことについては、新聞もテレビもほとんど騒がないことにしているのだろうか。

その代表的な例は、地球規模では温暖化の進行による氷床の溶解と海面上昇であり、これはいまさらクールビズだのウォームビズだのといったところで、焼け石に水である。

日本に限っていえば、もはや手遅れとなりつつある巨大な危機の一つは、返済不可能を超えてなお膨らみ続ける国と地方の借金であり、日本国の財政破綻状態である。

そして危機のもう一つが、政府の甘い推定をはるかに越えて急激に進む少子化と人口縮小の危機だ。

政府は、日本の人口は2007年から減少に転じると言い続けてきた。

ところが、その政府推計より2年も早く、今年2005年から日本の人口が初めて減少に転じたことが確実となった(今朝の日経朝刊)。

つまり日本の人口のピークは、政府が言っていたように来年2006年ではなく、去年2004年だったということで、今年は人口減少という恐ろしく長い急傾斜の斜面を、初めて転げ落ち出した歴史的な年なのだ。

これにより、年金、医療、介護などの社会保障制度すべてが政府の大甘の見通しからはずれて、早急に見直しを迫られることになり、日本の社会がこうむる打撃はとてつもなく大きい。

川崎厚生労働相が昨日の記者会見で、「今年は我が国の人口が減る年になりそうだ」と述べているにもかかわらず、新聞やテレビはほとんど反応を示さず、大新聞の中には記事すら載っていないところもある。

このペースで少子化と人口の縮小が進むというイメージが想像できないのかも知れない。

たとえて言えば、いま3人いる若者が、25年後の2030年には2人しかいなくなるということなのだ。

これほどの急激な少子化は先進国の中でも例がなく、内閣府が16日発表した少子化社会白書では、日本を「超少子化国」と位置付けている。(この白書ですら、マスコミは報道することに熱心でない)

手に負えないほどの巨大な危機に対しては、マスコミが騒いだところでどうにもならないことを、マスコミ自身が一番良く知っているのかも知れない。

3人の若者が2人になって、ほとんどすべての産業が打撃を受ける中でも、とりわけマスコミは大打撃を受ける筆頭格であろう。

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2005/12/16

「進歩し自己組織化する宇宙」という世界観

ポール・デイヴィス著の「宇宙に隣人はいるのか」(草思社)には、いろいろと考えさせられる記述が多い。

この本の「はじめに」では、地球外生命がいる可能性をどうみるかは、この宇宙をどのようなものととらえるかに深くかかわっている、という。

従来の宇宙観は、熱力学の第2法則に従って退歩している宇宙というものであり、いわゆる「死にゆく」宇宙であった。つまり「ランダムさ」は増加する一方で、決して自ら組織化する方向には進まない、というものだ。

この立場を貫くならば、地球において生命が発生したのは、宇宙の中でたった1回しか起きなかった偶然の出来事であった、ということになる。

それに対して、地球外生命が存在すると確信する科学者たちの中からは、「進歩し、自己組織化する宇宙」観が唱えられている、というのだ。

確かに、宇宙が始まったばかりのころの星は、水素やヘリウムという軽い元素で出来ていたのが、寿命を終えて死滅・爆発して新しい星が作られるプロセスを繰り返す中で、しだいに重い元素が作られていくことは、熱力学の第2法則からは矛盾しているように見える。

生命は、「神」の手や、「インテリジェント・デザイン(知的計画)」を必要とすることなく、この宇宙の進化と自己組織化の中で自然に生まれた、という考え方にはこのような宇宙観がある。

ただ、「進歩し、自己組織化する宇宙」という考え方には、ダーウィンの進化論と相容れない部分が多いような感じもするが、デイヴィスはこのあたりをどのように説明しているのだろうか。

まだ読み始めたばかりなので、どんな展開になっているのか分からないが、先日、ここで触れた「広い宇宙に地球人しか見当らない50の理由」(スティーヴン・ウェッブ著、青土社)とは同じ問題意識によるものながら、アプローチの方法は対照的なようだ。

(表の新着情報:「21世紀の歩き方大研究」の21世紀エッセイ「時間の岸辺から」に、「科学技術と文明と人類、それぞれの寿命を考えてみる」をアップロード)

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2005/12/15

最近の朝日新聞はおかしい、週刊新潮が痛烈指摘

05-12-15_16-58新聞に載る週刊誌の広告には、いつもペアで載るものが決まっている。

月曜日に週刊ポストと週刊現代。木曜日は週刊文春と週刊新潮なのだ。

ところが今日の朝日新聞をめくっても、週刊文春の広告は載っているが、週刊新潮の広告が見当らない。

なんとなく不穏な予感がする。

第3社会面の下のベタ記事を読んで、その理由が分かった。

今日発売の週刊新潮には、「朝日『1面スクープ』は誤報だらけ! 『愛子さま』『義務教育費』『普天間』み~んな間違いでした」という特集記事が載っているのだ。

朝日のベタ記事には、週刊新潮に強く抗議し訂正と謝罪を求めた、とあり、本社は同誌の広告を掲載しなかった、と書いてある。

広告掲載を拒否するほどの朝日批判の特集とはいかなるものであるのか。こうなると、なんとしても週刊新潮を読みたくなる。

普段はコンビニで立ち読みで済ましてしまうことが多い僕だが、今日は買ってしまう。

新潮の記事は、からかい半分などというものではなく、最近の朝日1面トップ記事のいくつかを挙げて、完全な「誤報」であると厳しく指摘している。

今回指摘されている記事の中には、僕も誤報ではないのかと疑問に思っていた記事があり、新潮の批判はまったくの的外れとはいえないものがある。

それは、11月22日朝刊の「皇室典範に関する有識者会議」についての「スクープ」だ。

「皇位『第1子優先』適用 愛子さまの次世代から 男子待望論に配慮」という大見出しで、これを読んだ者ならば、愛子さまに弟が誕生すれば、愛子さまではなくその弟が皇位を継ぐことになる、と思うのが当たり前だ。

ところが、有識者会議の報告書は朝日の記事とは全く異なっていて、次世代からではなく愛子さまから適応されて、愛子天皇の実現が現実のものとなる内容だった。

これについて、朝日新聞の紙面を見ても、なんらの訂正も釈明も弁明も載っていない。いわば、頬かむりのまま逃げ切ろう、という様子なのだ。

僕は新潮の朝日批判については、オーバーなところも少なくないと思っていたが、この「愛子さまの次世代から」については大誤報であり、とりわけ雅子さまに与えた苦しみの大きさを考えると、頬かむりは許されない内容だと思う。

朝日は、新潮に対して勇ましく訂正と謝罪を求めるよりもむしろ、自社の記事についての訂正と謝罪をすべきではないだろうか。

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2005/12/14

また明け方に近所でアパート火災、これも不審火か

05-12-14_07-191僕の家の近くでは先月16日の未明に、アパートなどが燃える不審火があったばかりだが、今朝また先月の火事から300メートルほど離れた住宅密集地でアパート火災があった。

今朝の火事については詳しい状況は明らかでないが、このあたりでは先月から同じような時刻にこれで3件の火災が起きたことになり、住民たちの間では今回も不審火なのだろうかと不安が広がっている。

不審火だとしたら、徹底的な警戒と捜査によって、なんとかして犯人を検挙してもらわないと、安心して寝ていられない。

最近はサイレンの音を聞くと、またこの近所ではないか、と反射的に外を見るようになった。

今朝も、まさかと思いながらカーテンを開けて見たら、日が昇ったばかりの青い朝空いっぱいに煙が立ち込めていて、屋根には赤い火もチラチラと見える。

焼けたのは外国人などが多く住むアパートだという。

先月の火事も、月の半ばの水曜日未明で、今朝の火事もやはり月半ばの水曜日未明だ。

なぜ水曜日なのだろう。偶然なのか、それとも犯人の生活スタイルと関係があるのか。

昔、火曜日ばかりに発生する連続放火事件が世間を騒がせたことがある。

張り込んでいた捜査員が検挙したのは、火曜日が定休日の理容院の従業員だった。

空気がますます乾燥している時期だけに、風の強い日ならば何軒も類焼するような大きな火災になる恐れがある。

町会が自警団を組織して深夜から未明にかけてパトロールを強化するか、さもなくば民間の警備会社に地域の巡回を委託するのも方法だろう。

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2005/12/13

姉歯元建築士の証人喚問、NHK総合テレビで中継

明日14日午前9時半から、いま最大の渦中の人物である姉歯元建築士に対する証人喚問が、衆院国土交通委員会で行われる予定になっている。

参考人質疑には2度とも欠席した姉歯元建築士だが、証人喚問には出頭する意向を衆院事務局に伝えたといわれる。

この証人喚問はテレビ中継しないのだろうか。NHKの明日の番組表を見ても、中継の予定は書いてない。

いまNHKのホームページを見てみたら、総合テレビで午前9時25分から証人喚問の生中継を行うことになったようだ。昼のニュースなどをはさんで、午後も1時から6時すぎまでずっと証人喚問の生中継が夕方まで行われる。明日のNHK総合は、一日中、証人喚問一色に塗りつぶされることになりそうだ。

しかし、インターネットでの中継は衆議院事務局が行うようだ。

 証人喚問の中継は、1976年のロッキード事件で国民の注目を集め、証人が署名する手が震えるところなど生々しい映像が国民の前に映し出された。

 ところが 1988年のリクルート事件の証人尋問からは、テレビの映像中継も写真撮影も禁止となり、テレビは尋問直前に撮影した証人の静止画像を映し、尋問のやりとりを生音声で流す「紙芝居方式」となった。

 それが議院証言法改正で解禁され、いまはテレビで生映像の中継も出来るようになっている。

 NHKは姉歯元建築士の証人喚問をなぜ生中継しないのだろうか。それとも姉歯元建築士が出頭すれば急遽、生中継を行うのだろうか。

 NHKがやらなくても、衆議院のネット中継では見られるはずなので、要チェックだ。ネット生中継を見逃しても、その日のうちに衆議院のビデオランブラリーに収められ、その国会会期終了から1年間はネットで動画として見ることが出来る。

 なお、ネット中継は、参議院でもやっている。

 なかなか便利な時代になったものだ。
 

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2005/12/12

愛ルケ映画化決定、作家役は役所広司で冬香役は?

日経に連載中の渡辺淳一「愛ルケ」が映画化決定だそうだ。

映画各社やテレビ局が激しい争奪戦を繰り広げた結果、東宝が映画化権を獲得したという。

主人公の中年作家役は、大方の想像通りに役所広司。10年前の日経連載小説「失楽園」の映画化と同じだ。

注目される人妻の冬香役が未定というのが、気をもませる。

「愛ルケ」の前半は、ほとんどが不倫情事の連続で、その最中に誤ってというか、コトのはずみで冬香が殺されてしまう。この展開の衝撃については、8月27日のブログに。

冬香役は、えげつないベッドシーンを延々とこなせる女優でなければならず、しかも中年作家にとっては天使のような存在なので、ハスッパな女優ではダメだろう。

すると、やはり黒木瞳くらいしか頭に浮かばない。

林真理子の「不機嫌な果実」をTVで演じた石田ゆり子というのはどうか。ハダカの連続は、ちょっと気の毒過ぎるか。

あとは、役所広司と対等にぶつかっていくことが出来、楚々としていてしかも性に溺れる姿を演じられて、最後に死に姿を長時間さらすことが出来るのは、だれだろうか。

まさかの人選で、原田知世というのはどうだ。本人が引き受けない可能性は大きいが。

今年、つらつら振り返ってみると、僕は映画館に一度も足を運んでいなかった。映画を1本も見なかった年は、物心ついてから初めてかも知れない。

「愛ルケ」の公開は来年秋。久々に映画館に行ってみようかな。

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2005/12/11

真冬並みの寒さでも、温暖化は急速に進行

今日から1週間ほどは、大寒の頃のような真冬並みの寒さが続くらしい。

この寒さのせいか、冬至までまだ10日もあるのに、日没がとても早く感じられ、昼間があっという間に終わってしまうような気がする。

暖冬で年賀状づくりを始めようかと思う時期でも、ポカポカと暖かい時には、冬至が近くなっていても、日没が早いという気があまりしない。

いまごろからこんなに寒いと、1月2月はどうなるのだろうか。

もっと寒くなって、凍りつくような大寒波に見舞われるのか。

それとも、反動によって一転して暖かい初春となるのだろうか。

目先の寒さにだけ目を奪われて、地球全体のことから目をそむけてはならない。

温暖化の進行は、いつもジグザグの道をたどっていて、寒くなったり暖かくなったりを繰り返しながら、全体としては取り返しのつかない状態に突き進んでいる。

今朝の日経朝刊に、温暖化の進行で北極海の氷が溶けるのが早くなり、ほとんど氷の上でしか獲物を捕獲して食べないシロクマたちが激ヤセしている、という記事が載っていた。

このままでは、現在2万2000頭が生息すると推定されているシロクマは20年以内に絶滅し、動物園でしか見ることが出来なくなるというのだ。

温暖化防止京都議定書後を話し合うモントリオール会議は、かろうじて今後の話し合い継続に、首の皮一枚をつなぐ形で閉幕したが、アメリカは将来の交渉につなげるものでないとして、せせら笑っている。

会議での日本の「後ろ向き発言」も、NGOからは厳しく批判されている。

「経済活動をしばるから反対だ」と、アメリカは率直に言う。

だが、温暖化を防ぐとは、各国それぞれの経済活動をしばることなのだ。

それが出来ないのであれば温暖化は進むにまかせ、あと数千年は継続できるはずの文明の寿命を一気に縮めて、多くの動植物を巻き添えにしながら僕たち人類も滅ぶしかない。

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2005/12/10

愛知万博の冷凍マンモスを、ゆったりと見てきた!

img031-1愛知万博の最大の呼び物だった冷凍マンモス。

万博が終わって、ふるさとのロシア・サハ共和国にいったんは帰っていた。

愛知万博に行く機会のなかった僕は、パビリオンなどは見なくても構わないが、冷凍マンモスだけは見たかったものだと、内心、心残りだった。

ところがなんと、その冷凍マンモスがいま、再び日本にやってきて今日から展示されているのだ!

この情報をキャッチした僕は、いても立ってもいられず、今日さっそく見に行ってきた。

愛知万博に行く機会がなかったけれども、冷凍マンモスは見たいという人には、絶好のチャンスだ。

場所は、東京・お台場のフジテレビ社屋7階に設置された「ユカギルマンモス・ミュージアム」で、今日から2月28日まで公開展示されている。

僕は、お台場にはほとんど行く機会がなく、フジテレビ社屋はもちろん初めて。

初日なのですごい列が出来ているのでは思い、念のためチケットぴあで入場券を確保して行ったのだが、知らない人がほとんどのためか、入場はスイスイ。当日券売り場もガラガラだ。

特設会場では、冷凍マンモス発掘の経緯やマンモスの生態などについてのパネルや、等身大の復元マンモス像なども展示されていて、ここまでは写真撮影OKだ。

そして、いよいよ冷凍状態でのマンモス頭部の展示室。ここは照明を暗くしていて、写真撮影は禁止。(右上の写真は、会場で買った発掘写真集から)

おお、あこがれのマンモスちゃんとのご対面だ。近づいて見るための行列が20人ほど出来ているが、ほどなく人垣がほどけていって、僕が一番前になる。

立派なキバだなあ。頭のてっぺんに毛があるのが生々しく、閉じた目がなんとも悲しそうだ。

このマンモスは、まさか自分の頭部だけが、1万8000年も後の世界で、さらしものにされ続けるとは、思いもよらなかったことだろうな、と同情する。

係の人の話によると、今日はまだ空いているが、これから冬休みが始まって会期の後半に向かっていくと、相当な人出で混雑することが予想されるという。

いくら長くとどまっていても、係りの人に急き立てられることもなく、心置きなくマンモスちゃんを見ることが出来て、ラッキー&ハッピー!

マンモスを見たいがために苦労して愛知万博に行った皆さん、そして万博に行ったのにマンモスを見ることが出来なかった皆さん、ゴメンなさいね。

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2005/12/09

広い宇宙に地球人しか見当らない50の理由、を読んで

今日のブログは、「表」の21世紀エッセイ「時間の岸辺から」と連動して同じテーマについて書く。

2日の記事でちょっと触れた「広い宇宙に地球人しか見当らない50の理由」(スティーヴン・ウェッブ著、青土社)を読んでの感想である。

なお、以下の内容にはネタバレがあるので、この本をこれから読もうと思っている方や、途中までしか読んでいない方は、ご注意いただきたい。

これは、「フェルミのパラドックス」について、現在までにさまざまな科学者や思想家、哲学者から出されている解を50に分類して考察したものだ。
フェルミのパラドックスの要旨は、この本では次のように説明されている。
「この銀河系には、地球外文明があちこちにいるはずだ。ところがその兆しは見えない。彼らはどこにいるのか」

著者は、これまで出されているさまざまな解を、49通り挙げて考察を加え、最後に著者自身の考え方を50番目として書いている。

この本が前提としているパラドックスの中軸は、銀河のあちこちに文明があるとすれば、そのうちの長寿の文明の中には、銀河全体の殖民に乗り出しているものもあるに違いない、というものだ。

本当にそうだろうか。この点について僕の考えは、「表」の21世紀エッセイ「時間の岸辺から」に書いたので、ここでは触れない。

さて、著者の出した50番目の解は、「銀河系の中で、知的文明はわれわれだけである」という意外な結論である。

ここにいたるまでの49の解について、実に科学的な推論を展開してきた著者が最後の最後に、地球以外に知的文明は存在しない、と結論付けているのは、あっけない幕切れという感じだ。

「われわれの地球はこの広い宇宙の中でなんら特別な存在ではない」というコペルニクス原理あるいは平凡原理を踏まえて考察を続けてきた著者自らが、それに反する帰結を導き出しているという違和感は小さくない。

僕は、著者のこの結論は、読者の反発を十分に計算に入れた意図的な挑発であり、それなら読者であるあなた自身はどう考えますか、と読者に問いかけているのだと解釈する。

この本と併行して読んだ「宇宙 起源をめぐる140億年の旅」(ニール・ドグラース・タイソン&ドナルド・ゴールドスミス著、早川書房)の中でも、最後に「フェルミのパラドックス」について考察している。

こちらでは、次のように説明している。

「ある特定の時代に銀河系に数千の文明が存在するとしたら、隣の文明までの平均距離は、最も近い恒星までの距離の1千倍、すなわち数千光年にもなる。もしその中の少なくとも1つの文明が数百万年存続しつづけたら、彼らはわれわれに向けてすでに信号を送っているか、あるいはわれわれのささやかな通信傍受行為によって正体を現しているはずだろう。しかし、どの文明もそこまで長い間存続しないとしたら、お隣さんを見つけるのはさらに困難になるだろう」

僕は、こちらの説明のほうに説得力を感じる。

それに、人類がほかの知的生命からの信号を探し始めてから、まだ40年ほどしか経っていないのだ。

読者挑発という意図があるにせよ、スティーヴン・ウェッブのように性急な結論を出すのは、あまりにも気が短すぎるという気がする。

地球の文明があと数千年続くとしても、その存続中に他の文明を探し当てることが出来れば幸運、といったところではないだろうか。

(表の新着情報:「21世紀の歩き方大研究」の21世紀エッセイ「時間の岸辺から」に、「広い宇宙に地球人しか見当らない50の理由」をアップロード)

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2005/12/08

白熱電球と青色LEDのブレンドツリー

05-12-08_17-03近くの教会の前を通りかかったら、目がさめるような綺麗なクリスマスツリーが点灯されている。

白熱電球だけのツリーよりはずっとシャープで明るいが、マイシティの地下で去年見た青色LED(発光ダイオード)だけのイリュミネーションよりは、やわらかくて暖かい感じがする。

近づいて見ると、これは青系統の白熱豆電球と、青色LEDをミックスさせていて、いわば新旧の光源をブレンドさせた光なのだ。

点滅を繰り返しているのは白熱電球の方で、全体としてかもし出される雰囲気は、旧来の光の懐かしさと新鋭の光の先端性が溶け合っていて、なかなかいい感じだ。

真珠湾攻撃の日。ジョン・レノンが射殺された日。

それらを忘れているわけではないが、しばし夢のようなツリーの光の前で、時の流れを忘れてたたずんだ。

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2005/12/07

2016年の東京はどうなっている

05-12-07_17-24新宿駅南口ではいま、甲州街道の拡幅とともに、線路の上に人口地盤を作って4階建ての駅ビルを新設する再開発事業が進められている。

この建築確認の札を見て驚いたのは、完成するのが平成28年3月31日となっていることだ。

平成28年? 今年はいったい平成何年だろう。

新聞の日付欄をみないと平成がすぐには出てこないが、今年は平成17年なのだ。

ということは、新宿駅南口再開発事業が完成するまでにあと11年もかかり、西暦でいえば2016年に出来上がるのだ。

最近は、大きな超高層ビルでも着工から完成までに3年もあれば十分だと思っていたが、新宿駅南口はどうしてこんなに年数がかかるのだろうと不思議な気もする。

僕が想像するに、この工事は交通量の多い甲州街道を車を通しながら進めていくこと、さらに人工地盤を整備する工事も現在ひっきりなしに電車が走っている数多くの線路とホームを、そのまま使いながら進めていくため、少しずつしか工事が出来ないのだろう。

それにしても、2016年といえば奇しくも日本での五輪誘致に向けて、東京や福岡などが動き始めていて、もし東京に決まれば新宿駅南口だけでなく、東京大改造が行われていることだろう。

この年の五輪は、開催に名乗りを上げるとみられる有力都市が目白押しで、日本に決まることは至難の業だが、これがどの都市になるかは4年後の2009年IOC総会で決まる。

11年後の東京は、どのような姿になっているだろうか。

そのころ、首都直下型地震の可能性がいっそう高くなっているとしたら、五輪どころではないような気もする。

誘致するためにはまず、東京全体の耐震化と不燃化を強力に進める必要があるのではないか。

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2005/12/06

「明日出来ることを今日やるな」とはいうものの

「今日出来ることを明日に延ばすな」という格言を実行できるのは、おリコウさんである。

僕も昔は、いずれやらなければならない面倒なことは、さっさと片付けて、後はのんびりするのが好きだった。

おリコウさんだったというよりは、面倒なことを後回しにすればするほど、やるのがさらに嫌になって苦痛になることが分かっているからなのだ。

その僕が、目からウロコだったのは、「ぐうたら生活入門」で一世を風靡した遠藤周作さんが提唱した、「明日出来ることを今日やるな」という、いわばぐうたら道の鉄則だった。

これは、あれもこれもと追いたてられてバタバタ空回りしている身にとっては、まことに救いの一言で、これでずいぶんと肩の荷が軽くなった思いだった。

会社勤めをやめてからは、明日出来ることを今日やることはますますなくなった。

しかし、この便利な言葉も、無制限のぐうたらを容認しているわけではなく、裏を返せば、明日出来ないことは今日やるしかない、ということなのだ。

12月に入って、なんとなく気ぜわしい。世の中が、耐震偽装問題や子どもの安全をめぐって、重苦しい展開になっていることも、大きな原因だろう。

それだけではない。12月というのは、なんだかんだ言っても年内にやらなければならないことがいろいろあって、1日1日が経過するごとにしだいに後がなくなっていくのだ。

年賀状一つとってもそうだ。まだ5日と思っていても、あと10日もすれば受付開始で、元日配達のためには24日くらいまでに投函しなければならない。

明日出来ることを今日やるな、とはいっても、それは年内にやるべきことは年内にやるように、という暗黙の了解があるような気がする。

冬至に向けて、昼の長さがどんどん短くなっていて、あっという間に一日が終わるような気がすることも大きい。

明日出来ると思って今日やらなかったことも、明後日に出来るとは限らない。

こうして師走は、みんなが走る。国会議員のセンセイたちも、学校の先生たちも。

「年明けても出来ることを、年内にやろうとするな」という格言があってもよさそうだが、これはムリか。

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2005/12/05

宵空に月と金星がランデブー

05-12-05_17-24宵の明星としてますます光度を上げている金星は、まもなく9日にマイナス4.7度の最大光度となる。

目のいい人なら、いまころの金星は真昼の青空の中に見つけることが出来る。

今日は素晴らしく濃い青空だったので、もしかして見えるかと目をこらしてみたが、やはり僕の視力で見つけることは無理だ。

その代わりに、細い三日月を青空の中に確認することが出来た。

夕暮れて、夜のとばりがおりるころになると、金星と三日月が並んで宵空に輝きを競っている。

この光景は、寒さを忘れるほど神秘的で凛としている。

先月に見た光景よりも、金星の光度が強くて月との視距離が近く、一段と印象深い眺めだ。

昔、このころの金星を望遠鏡で見たことがある。これが金星かと驚くような三日月の形になっている。

月はこれからしだいに金星から離れて、16日に満月に。

一方の金星は、少しずつ太陽に近づいていって見えにくくなり、1月13日には地球と太陽の間を通って、こんどは明けの明星になっていく。

明けの明星として光度が最も高くなるのが、2月17日。梅の見ごろかも知れない。

太陽からの角度が最も西に離れるのが3月25日だ。桜は開花しているころだろうか。

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2005/12/04

傘を持たずに雨にたたられ、100円ショップへ

僕は、外出する時に傘を持っていくべきかどうか、迷った時はたいてい持っていくことにしている。

それでも、傘を持って出かけた時に限って、しだいに日が照ってきて、いまいましい思いをすることが多い。

新聞の天気予報さらにはネットで最新の天気予報を見て、まず降りそうにないが、もしかすると降るかも知れない、という時には折りたたみ傘を持っていく。

今日は雲っているものの、天気予報では夕方6時ころから雨ということで、西の空を見てもまだ明るいので、傘を持たずに出かけた。

やっぱり、これが裏目に出た。

小雨程度ならそのまま走るところだが、久々の本格的な降りだ。

突然の雨になると、写真屋さんや靴屋さんなど、さまざまなお店が傘屋さんに早変わりして、店頭で傘を売っている。

それを買ってもいいのだが、わずか10分ほどの距離のために、250円や300円の傘を買うのはもったいない。

こういう時に、ありがたい弱者の見方は、100円ショップや99円ショップだ。

ビニールの傘1本が100円というのは、作る手間を考えると、採算が取れるのだろうかと心配になるが、ともかく大助かりだ。

前はなんと布製の傘が100円で売っていて、これには驚いた。

どうしてこんなに安く傘を売ることが出来るのだろうか。生産工程の合理化によるコストダウンや、海外での生産など、いくつか理由はあるのだろう。

日本経済がデフレを脱却していないことも関係しているのならば、デフレは居心地の良いものだと個人的には思う。

無理にインフレ目標など設定しなくても、当分はこのままで‥。

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2005/12/03

みのもんたが「久米に勝った」発言、もう紅白は見ないぞ

 紅白の司会者が、こんなことを言って品位を疑われても仕方ないだろう。
 

 みのもんた(61)が2日、海外の報道機関の記者らで構成する日本外国特派員協会に招かれ、東京都内で記者会見した。司会者から「政治、ビジネスなどに幅広く精通する日本一忙しい司会者」と紹介されて超ご機嫌。「久米宏はここに来たことがありますか?久米に勝った気分です」とニヤリ。「総理大臣になりたいと思う?」との質問には「すぐにでもなりたい。もし総理になったら国会議員の半分を女性にします」と語った。
 また「9月の衆院選には自民、民主の両党から声がかからなかったのか?」との質問にも「収入が下がるのが嫌だったから」と述べ、出馬を断ったとも受け取れる意味深なコメントも。「最終的な夢は?」の問いに「いずれ父親から受け継いだ事業に転身します」と“引退宣言”も飛び出した。(スポーツニッポン)

 「久米に勝った」だって? そういう問題なのだろうか。この発言によって、みのもんたはその下品さを天下にさらしてしまったように思う。

 NHKはこれでもまだ、みのもんたを紅白に起用するつもりなのだろうか。

 僕は、今年の紅白については、司会者さえよかったら見るのに、と先日書いたばかりだが、これで決まりだ。

 今年の紅白は、決して見ない。「久米に勝った」と得意満面の司会者を見ながら年を越したくない。

 NHKは、いまからでも遅くないから、みのもんたを替えた方がいい。でないと、これが最後の紅白になってしまうように思う。ま、僕は見ないのだから、どうでもいいことだけど。

 

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2005/12/02

デルタt論法で、科学文明の寿命を推論すると

デルタt論法という推論の方法がある。

リチャード・ゴットという人が発見した方法で、1969年に休暇でベルリンの壁を訪れた時に考えついた。

この壁は、あとどれくらいの間、こうして立っているだろうか、と。

ゴットは、自分がいまいる時点は、壁が存続している期間を4つに当分した場合の、まんなかの2つのどちらかにいる確率は50%だと考えた。

自分がいま、まんなかの2つの期間の一番最後にいるとすると、壁はすでに全存続期間の4分の3を経過していて、これから存続する期間はその3分の1ということになる。

まんなかの2つの期間の一番最初にいるとすると、壁はこれまでに全存続期間の4分の1しか経過しておらず、壁がこれから存続する期間はその3倍あることになる。

ゴットが壁を見たのは構築されてから8年の時点で、この推論によって壁のそれからの存続期間は、8×(3分の1)=2年8カ月から8×3=24年までの間のいずれかである確率は50%であると予測した。

ベルリンの壁が実際に崩壊したのは、それから20年後でゴットの予測の範囲内だった。

このデルタt論法を、確率50%ではなく、確率95%までに高めると、一般に次のように言い表される。

ある事柄について、特別のことがない限り、それまで続いている期間の39分の1から39倍の間続く可能性が95%ある、というのだ。

こうして人類(ホモ・サピエンス)がこれからどれくらい続くかを予測してみると、ホモ・サピエンスが誕生してからこれまで17万5000年経っているとして、あと4500年から680万年の間である可能性が95%だ、ということになる。

(ここまでは「広い宇宙に地球人しか見当らない50の理由」=スティーヴン・ウェッブ著・青土社からの要約。この本については、いずれ改めて考察してみたい)

さてここからは僕の考えなのだが、ホモ・サピエンスの寿命としているから、680万年というありそうもない上限が生じてくるので、文明の寿命に絞って考えてみたらどういうことになるか。

一般に文明の始まりは、農耕牧畜が始まった1万年前とされてするので、これをもとにデルタt論法を推し進めてみると、文明はあと256年から39万年の間のいずれかまで存続する確率が95%ということになる。

もっと限定して、科学文明の存続寿命ということを考えた場合にどうなるか。どこからを科学文明とするかはさまざまだが、いちおうワットが蒸気機関を発明した1765年としてみよう。

これまでに240年が経過していることから、科学文明の余命は、あと6年から9360年の間のいずれかである確率が95%ということになる。

あと6年という最短の数字には戦慄するが、核テロや生化学兵器のばらまきなどがあれば、ありえないことではない。

上限をとっても科学文明はあと1万年続かないことになり、妥当な数字のような気がする。

(表の新着情報:「21世紀の歩き方大研究」の21世紀エッセイ「時間の岸辺から」に、「ネットは時間の余裕を生み出すと見せて、時間を奪う」をアップロード)

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2005/12/01

渦中の建築士は、身柄を押さえるか保護すべきでは?

連日のようにトップニュースで報じられている耐震偽装事件は、とどまるところなく広がりを見せている。

僕は、この事件の複雑な構図についてはよく分からないが、素朴な疑問として感じるのは、これだけの大問題になっているのに、なぜ渦中の建築士の身柄を確保していないのか、という疑問だ。

身柄拘束に至らない理由は、いろいろあるのだろう。

どんどん広がっている事件なのでどういう法令違反になるかがはっきりしていない。さまざまな関係省庁や自治体、国会の委員会などが建築士から事情を聞く必要があり、その前に身柄を拘束することは適切でない。証拠が固まらない段階で身柄を拘束すれば、人権問題になりかねない、等々。

しかし、僕が懸念するのは、このまま建築士を「野放し」の状態にしていることは、危険ではないのか、ということだ。

もっとはっきり言うならば、この建築士にとっては、もはや一切の逃げ道は断たれていて、すさまじい非難とバッシングが続く中、建築士が社会的に生き延びる道はゼロである。

とするならば、この建築士が自らの意思で、最終的に自らの口を封じてしまう危険性を軽視してはならない。

すでにこの事件では、構造計算をこの建築士の事務所に下請けに出していた設計事務所の所長が、自らの命を断っている。

建築士がこのような道を選んだ場合に、事件全体がヤミの中に閉ざされてしまい、背後関係や責任構造がすべて分からなくなってしまう恐れは大きい。

それだけではない。事件が建設業界や政界へと波及していった暁には、たとえ建築士が全てを語ろうと思ったとしても、それを腕づくで阻止して口封じをしようとする人たちがいないと言い切れるだろうか。

建築士が、自ら消える道を選ぶ可能性とともに、消される可能性もまた、ないとは言い切れない状況にある。

こうしたことを考えた時、いまや一刻も早く、建築士の身柄を確保することが急務なのではないか。

身柄の確保で悪ければ、身柄の保護と言い換えてもいい。

いまや、建築士の置かれている状況は、危険水域をはるかに超えている。

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