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2005/12/01

渦中の建築士は、身柄を押さえるか保護すべきでは?

連日のようにトップニュースで報じられている耐震偽装事件は、とどまるところなく広がりを見せている。

僕は、この事件の複雑な構図についてはよく分からないが、素朴な疑問として感じるのは、これだけの大問題になっているのに、なぜ渦中の建築士の身柄を確保していないのか、という疑問だ。

身柄拘束に至らない理由は、いろいろあるのだろう。

どんどん広がっている事件なのでどういう法令違反になるかがはっきりしていない。さまざまな関係省庁や自治体、国会の委員会などが建築士から事情を聞く必要があり、その前に身柄を拘束することは適切でない。証拠が固まらない段階で身柄を拘束すれば、人権問題になりかねない、等々。

しかし、僕が懸念するのは、このまま建築士を「野放し」の状態にしていることは、危険ではないのか、ということだ。

もっとはっきり言うならば、この建築士にとっては、もはや一切の逃げ道は断たれていて、すさまじい非難とバッシングが続く中、建築士が社会的に生き延びる道はゼロである。

とするならば、この建築士が自らの意思で、最終的に自らの口を封じてしまう危険性を軽視してはならない。

すでにこの事件では、構造計算をこの建築士の事務所に下請けに出していた設計事務所の所長が、自らの命を断っている。

建築士がこのような道を選んだ場合に、事件全体がヤミの中に閉ざされてしまい、背後関係や責任構造がすべて分からなくなってしまう恐れは大きい。

それだけではない。事件が建設業界や政界へと波及していった暁には、たとえ建築士が全てを語ろうと思ったとしても、それを腕づくで阻止して口封じをしようとする人たちがいないと言い切れるだろうか。

建築士が、自ら消える道を選ぶ可能性とともに、消される可能性もまた、ないとは言い切れない状況にある。

こうしたことを考えた時、いまや一刻も早く、建築士の身柄を確保することが急務なのではないか。

身柄の確保で悪ければ、身柄の保護と言い換えてもいい。

いまや、建築士の置かれている状況は、危険水域をはるかに超えている。

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