「進歩し自己組織化する宇宙」という世界観
ポール・デイヴィス著の「宇宙に隣人はいるのか」(草思社)には、いろいろと考えさせられる記述が多い。
この本の「はじめに」では、地球外生命がいる可能性をどうみるかは、この宇宙をどのようなものととらえるかに深くかかわっている、という。
従来の宇宙観は、熱力学の第2法則に従って退歩している宇宙というものであり、いわゆる「死にゆく」宇宙であった。つまり「ランダムさ」は増加する一方で、決して自ら組織化する方向には進まない、というものだ。
この立場を貫くならば、地球において生命が発生したのは、宇宙の中でたった1回しか起きなかった偶然の出来事であった、ということになる。
それに対して、地球外生命が存在すると確信する科学者たちの中からは、「進歩し、自己組織化する宇宙」観が唱えられている、というのだ。
確かに、宇宙が始まったばかりのころの星は、水素やヘリウムという軽い元素で出来ていたのが、寿命を終えて死滅・爆発して新しい星が作られるプロセスを繰り返す中で、しだいに重い元素が作られていくことは、熱力学の第2法則からは矛盾しているように見える。
生命は、「神」の手や、「インテリジェント・デザイン(知的計画)」を必要とすることなく、この宇宙の進化と自己組織化の中で自然に生まれた、という考え方にはこのような宇宙観がある。
ただ、「進歩し、自己組織化する宇宙」という考え方には、ダーウィンの進化論と相容れない部分が多いような感じもするが、デイヴィスはこのあたりをどのように説明しているのだろうか。
まだ読み始めたばかりなので、どんな展開になっているのか分からないが、先日、ここで触れた「広い宇宙に地球人しか見当らない50の理由」(スティーヴン・ウェッブ著、青土社)とは同じ問題意識によるものながら、アプローチの方法は対照的なようだ。
(表の新着情報:「21世紀の歩き方大研究」の21世紀エッセイ「時間の岸辺から」に、「科学技術と文明と人類、それぞれの寿命を考えてみる」をアップロード)
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