阪神大震災からまもなく11年
阪神大震災から間もなく11年になる。
当時のことを振り返ってみると、震災当日は火災で立ち上る黒煙や倒れた高速道路の様子がテレビで盛んに流されていたが、死者の数についてはまだ数百人程度の認識でしかなかったように思う。
それが1日たって、ようやく死者が1000人を超えるのではないか、と事態の深刻さに関係機関があわてふためく。
死者が1000人どころではなく、もっと増えそうだという認識が出てきたのは、さらにその後のことだった。
2000人、3000人と死者の数は日を追うごとに増えていって、5000人を超える戦後最大の惨事であることがはっきりしたのは、地震発生から1週間以上経ってからだったように記憶している。
交通も通信も混乱している中で、被害の全容が明らかになるまでに時間がかかるのは、やむを得ないことかも知れない。
近々に発生してもおかしくないといわれる首都直下型地震でも、まずは被害の規模が明らかになるまで相当の時間がかかることは覚悟しておく必要がある。
政府をはじめとする関係機関は、希望的観測もあって最初のうちはどうしても被害を少なめにみる傾向がある。
首都直下型地震は、何もかもが想定外の事態になるような気がする。
幹線道路の交通規制がまったく不十分のまま、どの道路も首都圏から脱出しようとする車や、被害を見に来るヤジ馬の車などで溢れかえって身動きできなくなる可能性が高いと思う。
そのため、車両の流れが確保できることを前提に作られているさまざまな対策が、一気に崩壊してしまう恐れがある。
消防・救急・警察などの緊急車両や救援物資輸送車、ライフライン復旧のための車両などもまったく通ることが出来なくなり、無秩序状態が数日間は続くかも知れない。
必要な車が通れないために、避難所の開設やコンビニの活用などの、基本的なところが想定通りに機能しない可能性もある。
阪神大震災の時の、幹線道路の大渋滞こそ、決して風化させてはならない光景ではないかと思う。
どのように詳細な計画を立てていても、その根本は道路から一般車両の通行を排除し、緊急車両と救援・復興のための車両以外は通行を禁止することにあることを念頭に置く必要がある。
(表の新着情報:「21世紀の歩き方大研究」の21世紀エッセイ「時間の岸辺から」に、「新型インフルエンザの拡大時、満員電車を止められるか」をアップロード)
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コメント
当時、被災地から目と鼻の先にある大阪が、普段通りの生活と経済活動を続けていることについては、いろいろな意見が出ていましたね。
これはなかなか難しい問題で、例えば今、横浜で大震災があった場合に、東京は何をすべきか、と考えてみると、やはり基本的には普段通りの社会活動を営み続けるしかないのだろうという気がします。
テレビは、被害の全体像を伝えるよりも、一つの話を大々的にクローズアップして感動物語や泣かせる話に仕立て上げる方が、視聴率を取れるからでしょうね。このやり方は今も全く変わってないと思います。
投稿: BANYUU | 2006/01/14 14:44
あの阪神大震災から、11年なりますが、
当時のことは、一生忘れないつもりです。
今でも、大阪に住んでいますが、ほんの
数十キロ先では、大震災が起こっているのに、
大阪では、何事も無いように通勤し、仕事を
始めている。
まして、TVであたかも遠くの出来事のように
放送を延々としている。
それを見て、聞いて、当時は大変こころを
苦しくしました。
「ほんの少し先で起こっているに、何も出来ない自分。
知っている人は、大丈夫だろうか?
自分にも何かできないだろうか?
なんて、自分は、無力なんだ・・・」
当時の心境です。
TVでは、その後は、何もかも奇麗事を放送する
ようになり、怒りを覚えました。
あたかも、震災復興の英雄作ろうと特定の人に
スポットを当て、感動できるようなストーリー仕立て
の撮影、放送。
それは、今でも同じだと思います。
あれから、自分は、何が変わったのだろうか?
毎年、この時期に考え込みます。
投稿: poko_hide | 2006/01/14 06:21