ホリエモン逮捕の2カ国語号外、ようやく入手
23日夜のホリエモン逮捕。テレビのニュースには、繁華街や駅前などで配られた号外を、食い入るように読む人たちの様子が映し出されていた。
僕も欲しい気がしないではなかったが、家でテレビを見ていたのだから仕方ないか、と思っていた。
ところが、その後、今回の朝日新聞の号外は裏が英字の号外になっている、という貴重な情報をいただいた。
教えてくれた人も入手出来てないということだったが、その写真が載っているブログを見たら、この日英2カ国語の号外をなんとしても欲しくてたまらなくなった。
発行から2夜が過ぎている号外を、どこでどうやったら手に入れることが可能だろうか。
街頭で配布される号外は販売店に来ないのが普通だが、ダメモトを承知でともかく販売店に電話をしてみる。これが25日朝のことだ。
「号外は販売店を経由しないので、こちらにはまったくありません」と言われる。
「なんとかして入手する方法はないものでしょうか」と僕は聞き方を変えて食い下がる。
「おそらく、本社にももう残ってないと思いますが、それではいちおう聞くだけ聞いてみましょう」と言われる。
それから1日半経過しても、何の連絡もないので、やはりダメだったのだな、と僕はすっかりあきらめていた。
号外は新聞社の中にいても、なかなか確保できないものだ。
出稿部などには、刷り上がった号外がすぐに20部ほど届くが、何人もが傍線を引いてチェックする一方、街の声などを取材する記者が号外を手に駆け出していく。
号外配布を担当する販売局では、配布する人員の確保や配置に追われて戦場のような有様となる。
こうして、号外の嵐が去って一段落した後の社内には、わずかな保存用を除くと、どこを探しても号外は残ってないことがほとんどだ。
それが‥‥昨日の夕方近くなって、販売店から「確保できました」という電話があった。
僕にとって幻の号外を、身近で意外なルートから入手することが出来たのは、まことにラッキーであった。
号外は、だれにでも無料で配布されること、手から手へと手渡しされること、どこにも売っていないこと、などメディアの中でも極めてユニークだ。
1つの号外に、2つの大ニュースが掲載されたことがある。
1972年11月6日。北陸トンネル列車火災で500を超す死傷者、そして大島上空で日航機ハイジャック。
また、同じ日に、2つの号外が発行されたこともある。
1976年8月21日。桜美林高校の甲子園全国優勝、そしてロッキード事件で橋本登美三郎・元運輸相を取り調べ(号外の後、同じ日に逮捕)。
号外の命は本来、配布された一瞬限りしかないが、そのはかなさのゆえに、号外はかえって生々しい現代史の証人になっているように思う。
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