とっておき号外に見るあの時(4)-毛沢東の死
外国の要人の死去によって日本で号外が出たのは、1963年11月のケネディ暗殺と、1976年9月の毛沢東の死去の2件くらいしか、僕の記憶にはない。
毛沢東に関しては、幾度となく重病説や死亡説が西側の報道機関に流れ、日本でも夕刊紙が疑問符付きでたびたび報じていた。
全国紙はこうしたウワサに対して極めて慎重だったが、1976年9月9日日本時間の午後5時、北京放送は同日午前1時10分に毛沢東主席が病気のため北京で死去したと発表した。
ちょうど夕刊の配達が終わったころの時間帯で、翌朝の朝刊が配られるまでには相当の時間差があるため、帰宅ラッシュの駅頭や夜の繁華街で号外が配られた。
僕の手元にある号外は、どのようにして入手したのか記憶にないが、街頭配布のものをもらったのかも知れない。
この号外の本文は、北京放送の発表を伝えるだけの、わずか60文字である。
あとは写真と経歴が1面に入り、2面には「毛主席 波乱に富んだ82年」という記事と「毛語録」が載っている。
僕は、毛沢東について特別な思い入れはないが、思い出らしいものがあるとすれば、3年前の2003年9月、シルクロードを旅したときに買った古い「毛沢東時計」がいまも部屋の隅にある。
トルファンのベゼクリク千仏洞に通じる道に、さまざまな土産店が品物を並べていて観光客に声をかけていた。
その中に骨董品を置いている店があって、時計は日本円で1万5000円だったが、値段交渉の結果、わずか1000円で買った。
左に毛沢東、右に林彪の写真があり、文字盤には若き日の毛沢東の顔と「毛沢東万歳」の文字、そして毛語録を掲げる人民服の男女若者たちの姿が描かれている。
秒針の先端には人民解放軍の戦闘機があって、文字盤を回転する仕組みだ。さらに手前に描かれた女性の右腕が、秒針の回転につれて、からくり時計のように左右に動く。
ねじを巻けばいまも動くし、目覚ましのベルも鳴る。
この時計を使っていたのは、どんな中国人の家庭なのだろうか、と想像してみる。
生活が苦しくなって、時計すら売らざるを得なくなったのだろうか。それとも、裕福になって新しい時計を買ったために、古くなった時計を手放したのだろうか。
ねじを巻かないために止まったままの毛沢東時計と、その前で30年ぶりに広げてみる毛沢東死去の号外。
時間の流れが一気に逆流したかのような錯覚に陥る。
とっておき号外に見るあの時(1)-昭和の終焉
とっておき号外に見るあの時(2)-元号は平成
とっておき号外に見るあの時(3)-湾岸戦争
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