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2006/02/26

とっておき号外に見るあの時(6)-空の大惨事

06-02-26_16-14僕が駆け出しのサツ回りをしていたころは、携帯電話など影も形もなかった。

出先にいる時に会社から用件がある時は、弁当箱の半分もあるような大きなポケットベルがピーピーと鳴った。

1971年7月30日、ポケベルが鳴って、近くの赤電話から会社に電話を入れる。

デスクの声は興奮して上ずっていた。

「君ぃ、世界最大の飛行機事故が起きた。全日空機と自衛隊機が空中衝突した。すぐに現場にとんでくれ」

こうして僕は現場に行ったはずなのだが、不思議なことに僕の記憶は、その電話の直後から完全な空白になっていて、どんなに思い出そうとしてみても、何一つ覚えていないのだ。

現場は岩手県雫石だ。どうやって行ったのか。何人で行ったのか。前線指揮をとったのは誰だったのか。

前線本部はどんなところで、僕はそこで何をしたのか。すべてがおぼろな断片すらも思い出せない。

かろうじて、僕の手元に端がボロボロになりかけた号外が残っている。これも、どの段階で手に入れたのか全く覚えていない。

事故では全日空の乗客乗員162人全員が死亡し、当時としては世界最大の犠牲者数となった。自衛隊機の乗員2人はパラシュートで脱出して無事だった。

この事故があった月の初め、7月3日には、東亜国内航空のYS11型機「ばんだい号」が函館空港手前で山に激突・墜落して68人が死亡する事故が起きている。

僕は「ばんだい号」のときにも、ポケベルで呼び出されて現場に行っており、やはりほとんど記憶にないものの、いくつかの断片的な場面が焼きついている。

犠牲者の遺体安置所となった体育館で、遺族たちが変わり果てた肉親と対面して身元確認をしていく。

僕は2階に張り巡らされた回廊から全体の様子を取材していたのだが、この遺族たちの様子を至近距離から撮影しようとするカメラの放列が凄まじい。

どの遺族たちも、遺体との対面の瞬間には声にならない叫びを上げ、やがて号泣しながら崩れていく。

カメラ、とりわけテレビカメラは、これでもかこれでもかと、傍若無人にそして執拗に、遺族たちの悲しみの瞬間を撮り続ける。

たまりかねた遺族たちから、報道のカメラに抗議の声が相次ぎ、東亜国内航空の職員たち、地元自治体や消防団の人たちなどが、遺族たちの前に防護壁となって立ちはだかり、カメラを遮ろうとする。

こんどは、カメラマンたちが、これらの職員たちに罵声を浴びせる。最初は「どいてください」だったのが、やがて「おい、どけよ!」の怒号になる。

その場にいるだけで、いたたまれなくなり、逃げ出したくなるような、おぞましい光景だ。

今では、このような身元確認の現場ではほとんどの場合、報道陣の立ち入りは禁止だが、それが当然だと思う。

とっておき号外に見るあの時(1)-昭和の終焉
とっておき号外に見るあの時(2)-元号は平成
とっておき号外に見るあの時(3)-湾岸戦争
とっておき号外に見るあの時(4)-毛沢東の死
とっておき号外に見るあの時(5)-ロッキード事件

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